私が生まれた日−誕生日− 後編
その日、朝
神通棍、吸引札、破魔札、精霊石と美神は装備を入念に点検する。
仕事の基本を体得させるとの理由(決してサボりたいからではない)で、そうした仕事を横島たちに任せていたので久しぶりだ。
黙々と進めていく内に手が止まる。
‘なんか静かすぎるっていうのも気味が悪いわね。騒ぎで暑苦しく思う時だってしょっちゅなのに’
相応の緊張感を持って望むべきこの時でも喧噪と熱気に包まれることは珍しくない。
横島がボケ、タマモが突っ込みそれに食ってかかるシロ。切れる自分に仲裁するおキヌ。たまたま、目撃した母親が観客がいれば喜劇の一幕としてお金が取れると言ったことがあった。
‘‥‥ 何、益体もないこと考えているのよ!’そう自分を叱咤する。
話し相手として人工幽霊壱号を呼び出そうと思うが思いとどまる。今日一日、”自閉”しておくよう申し渡したのは自分だ。
何とか手元に集中しようと思うがうまくゆかず、そのままここにいない四人に想いが向く。
シロ
人狼としての基礎能力に加え剣士としての天賦の才を開花させてきている。接近戦になれば、自分など数秒と保たない。
タマモ
本人は明かさないが大妖怪としての”力”を着実に回復している。もはや自分を含め、単独で調伏できるGSはほとんどいないはずだ。
おキヌ
知る人ぞ知る世界に四人しかいないS級ネクロマンサー。その霊体コントロール能力は本人がその気にさえなれば(自分ならせいぜい互角の)中級の魔族すら意のままに操り使役することができる。
そして‥‥ アイツ−横島忠夫
荷物持ち、アルバイト、員数外、弟子、丁稚であった男。今も、荷物持ちとかの雑用をこなす丁稚役を勤めているが、実質は事務所の押しも押されもしない大黒柱。
霊力はとうに自分を上回り、経験と知識は不足しているもののそれをうち消して余りある”反則技”文珠の遣い手。GSとしての実力はどこに出しても一流以上で通用する。
そんな規格外の実力を持ったメンバーがそろった美神除霊事務所は、現時点で、文字通り世界最高・最強の除霊事務所といえる。
「そう、今わね」出すまいと思っていた言葉が口を出てしまう。
四人の成長については、自分でも意外だったがさほど嫉妬することもなく(あの”丁稚”の成長すら)、受け入れることができた。それどころかそれを見ることは年長者として心楽しいことであった。
しかし、四人の成長と平行して一つの未来象が心を占めるようになった。
その未来像とは、自分を越えた四人が巣立っていくというものだ。
シロとタマモについては、オカG本部長としての母親がオカGの一員としてスカウトを考えている事を知っている。
人と人にあらざるモノたちの架け橋を願う母親に取り、二人こそ共存をアピールする絶好の人材になる。今、自分に任せているのは社会経験を積ませる必要を認めていることとタマモのほとぼりが冷めるのを待っているからに過ぎない。
おキヌについては、卒業後の進路として(未成年ということもあって非公式だが)国からアプローチがかかっている。
紛争地域や大規模災害地に出動する部隊のメンバーになって欲しいそうだ。そうした地で生まれやすい霊団に対する切り札たりうる能力を備えていることを思えば当然の要望であり、多くの霊を救う事になる仕事は当人にとっても有意義なものになるだろう。
‘アイツだって‥‥’
来年、卒業すれば、一人の男として進む道を自由に選択できるようになる。
アイツに関しては『引く手あまた』という形容しかない思い浮かばない。オカGに六道、彼を知る誰もが自分の所に欲しがっている。
当然、独立という選択肢もあり得る。親譲りの経営手腕と日頃の人脈を持ってすれば、当人にその気があればこっちに代わる形で世界最強の個人事務所ができあがる。
実際、何か期するところがあるのか、ここしばらくの頑張りとそれにともなう進歩は目を見張るものがある。おキヌは単純に喜んでいるが、思うに独立を見越したウオーミングアップと踏んでいる。
数年の時間の中で四人はいなくなりここに残るのは自分だけ‥‥
「それがどうしたっていうの! 頼れるのは自分一人だけ!! 最初からそのつもりだったじゃない!」
美神は自らを怒鳴りつける。
母親の”死”とそれに対する父親の無関心な態度、追い打ちをかけるように兄と慕っていた男性が自分の元を離れた時、それ−自分と最後まで一緒なのは『自分しかいない』こと−を世の中の真理だと冷静に受け入れたはずだ。
若手のホープとして六道や他の大手から専属GSとしての勧誘を蹴って個人事務所を立ち上げたのもその確信があってのこと。それ以降も周囲が何と言おうと、『自分しかいない』と頑張ってきた。もちろん、強敵を相手に他者の手を借りることはあったが、あくまでも”勝つため”の策であってそれ以上ではない。
それがいつの間にか”仲間”を当たり前のこととし、(あろうことか)”仲間”をアテにしている自分がいる。
この状態の自分では一人に戻った時、どんな無様なところを見せるか解ったものではない−それこそ『いつも自分の頭の上で太陽が輝いていると勘違いしている』ことを証明するようなものだ。
人外少女二人におキヌはもちろんのことアイツにだけは絶対にそんなところは見せられない。
そんな気持ちを突き詰めていくうちに以前の自分−独りで生きていける自分−に戻ろうと心に決めた。
そして今日はその”本来”の自分に戻る日(ぶっちゃけ、その日をわざわざ誕生日としたのは感傷でしかないが、気持ちを一新する日にはちょうど良いだろう)。困難な仕事を自分だけでやり遂げ、独りで生きていける自分を確認しようというわけだ。
ちなみに公安云々やおキヌの義父の病気など、自分が一人で仕事ができるよう画策した結果だったりする。
そのあたりの後ろ暗さが先日の”きつい”言動に繋がってしまった。その点、横島には悪い事をしたと思って‥‥
悔いる自分に苦笑する。
天上天下唯我独尊をモットーとしてきた以前の自分であれば、たかが”丁稚”風情に後悔の欠片も感じなかったはずだ。
両頬を打ち気合いを入れ直す。鏡に向かうと、どこか悲壮感を背負った自分を嘲笑うと、
「美神令子、今日はあなたが生まれる日よ! 独りで生きていける自分として生まれてきなさい!!」
その日、深更
美神は、所長室のソファーに倒れ込むように体を横たえた。
『うっ!!』思わず出そうになったうめき声を噛み殺す。
誰も居ないのだから悲鳴をあげようとのたうちまわろうとかまわない。しかし『美神』の名前がそれを許さない。
大きな怪我こそないが、擦過傷に打撲、切り傷、火傷。応急手当の実習素材としては理想的と言われそうな全身だ。気合いを入れるために着ていた”お気に入り”はボロボロでインナーのセラミックプロテクターも二度とその役を果たさないほどダメージを受けている。
加えて、霊力・気力はどん底、今なら雑魚霊相手でも勝てそうにない。事故らず帰り着いたこと自体、自分で自分褒めたいところだ。
‘それにしても‥‥’相手は予想以上に強かった。
もっとも、
おキヌがいれば前座の雑魚霊どもは簡単に一掃され、体力や霊力を無闇に消耗せずに済んだはず。
また、シロとタマモがいれば本体の位置などすぐに割れ、それを見つけだすために破魔札を使い切るほどの無差別攻撃をかける必要もなかった。
何より、アイツさえ側にいれば攻撃パターンは飛躍的に増え、隙を突かれるまでもなく一気にケリを付けられたはずだ。
‘しょせん、この程度だったってことよね’
数々の難敵を倒し世界最高のGSの呼び声も、横島たちがいてこそだということがよく判った。
苦い認識だが、事実を拒絶するほど視野狭窄には陥ってないつもりだ。
といって、彼らに残ってもらおうとなどとは考えない。
だからこそ、彼らをその能力に相応しい世界へ『美神令子』らしく颯爽と送り出してやろうと決める。
あとは荷物持ちにアルバイトの一人も雇い、普通のGSとして身の丈にあった悪霊をシバき”地道”に稼いでいけばいい。
最初考えていた線よりは寂しい結論だがそれが現実ならそれも良いだろう。
自嘲の笑みを浮かべようとするが痛めた肋のせいで顔が引きつるだけに終わる。この状態では手当や着替えも難しい。
そうしたことをする気力が戻るまで休もうと目を閉じる。
いつの間にか眠り込んでいたが治癒を促す暖かい霊力を感じ意識が戻る。
「大丈夫ですか?」聞き慣れた声がすぐ傍で聞こえる。
瞼を開くと横島の心配そうな顔が目の前にあった。手には文珠があり、霊的中枢に押し当てられている。
わずか二日ほど見ない顔(そして、見飽きたと思っていた顔)が、ひどく懐かしく嬉しい。緩みかける涙腺を締め直すためことさら目つきを冷たくする。
「何でアンタがここにいるのよ?! それも勝手に入りこんだ上に寝顔の見られる所まで来るなんて夜這いのつもり? どうやら今日を自分の命日にしたいのかしら」
「誕生日と同じだと覚えてもらえて良いかもしれませんね 」と横島。
美神の”らしい”物言いに安心したようだ。
「まあ、誰もいなきゃ『夜這い』もありなんでしょうけど、残念なことに今日んとこはちょっと無理なんですよね」
目の前に横島の顔があったことで全感覚がオーバーフロー状態だったが、今の台詞にキッチンやリビングで動く人の気配に気づいた。
「キッチンはおキヌちゃんでリビングはシロとタマモ。パーティの準備中です」
一応という感じで説明する横島。
「それにしてもあの仕事を一人で片づけるなんてさすが美神さん! 少し『危ないかな』ってとこもあったのに最後は相手を騙くらかしての逆転なんて、”らしく”て最高っス」
言いながら二つ目の文珠を仕上げという感じで使い始めた。
傷が跡形もなく消え動く気も起こらなかった疲労感もぬぐい去られる。
少しぼーっとしながら横島の言葉を反芻する。
‘うん? 今の話だとあの現場にいた!’
表情の変化に横島は飛び退くやへこへこと土下座を繰り返す。
「すっ、スンませぇーん! 危ないところを助けに出なくて! いや、二回ほどは飛び出しかけたんスッけど、一人でやろうとしているのを邪魔するのは悪いかなぁ とか、反則技で何とかするかなぁ とか思って出損なっちゃったんです。まあ、結果オーライってことで許してくれませんか、お願いします!」
‥‥ 複雑な心境でそれを見る。
だいたい今回の状況を招いた責任は自分であって他の誰にもない。第一、現場で助けに出てこられた日には、それこそ気まずさと気恥ずかしさで二度と顔を見られないところだ。それに今はそんなことよりも、
「なんで‥‥ あんたがそこに、って言うか、みんながここにいるの?」
『いなくなるように、手配したのに』と続く言葉を飲み込む。
怒られそうにないことで立ち上がった横島は少し自慢げに、
「俺を騙そうたってそう簡単にはいきませんよ。今日という日にみんなが事務所からいなくなるって変だなぁって。それで、隊長さんとか早苗ちゃんに問い合わせたんです。そしたら、公安の動きもおじさんの病気もみんな美神さんが手を回した話だって。それならそれで、こっちも騙された振りをして美神さんを驚かそうって話になったんです」
さらに『言い忘れない』うちにと、
「そうそう、シロはタマモを連れて今朝まで里帰りをしていましたし、おキヌちゃんもお義父さんに顔は見せてきています。俺だって目一杯学校に出てきました。補習もこなしたんで、年末は、ばっちし、手伝えますよ」
「そう‥‥ バレてたの」恥ずかしさ悔しさよりも肩の荷が下りた気分になる。
それに目の前の男がこちらの小細工を見破るほど成長していたことがなんとなく嬉しい。
「自分が主賓のパーティなんてベタベタしたことが嫌で手を回したんでしょうけど、ちょっとやり過ぎでしたね」
‥‥ 動機をうまく勘違いしてくれているようでほっとする。
もっとも、横島の目の奥に『ホントのことは判ってますよ』と言っているような気がして仕方がないのだが。
「俺たちを騙そうとしたんだからパーティの主賓はしっかり努めてもらいますよ。今日の美神さんに我が儘を言う資格はありませんから、そのつもりでいてください」
「ふん! 偉そうに言っちゃって」
普段そんな物言いは許さないが、今は主導権が取られていることが心地良い。
「まあいいわ。今日んとこは引け目もあるし何でもあんたの言う通りにしてやろうじゃない! こんな大サービス、今後、宇宙が終わってもないから感謝しなさい」
つい口に出た言葉に”はっ!”とする横島。
それを見て内心で舌を打つ。
‘ちっ! 『何でも言う通りしてやる』って言い過ぎた? このバカ、調子づいて無茶を言わなきゃいいけど。まっ、あらかじめ釘を打っときゃ大丈夫か’
「ただし」とわざとらしく机に出しっぱなしになっていた神通棍に手を伸ばす。
「時給アップは完全却下!!」
「『チチ、シリ、フトモモ』って感じでのスキンシップも100%ダメ!」
「もちろん、『体でどうこう』なんつーのも五十億年早い!!」
「で、バレてないのぞきと下着の窃盗の免罪なんかも永遠にナシ!」
「あと‥‥」思いつくまま、さらに十項目ほど上げておく。
『どう?! これで言うことはなくなったでしょーが!』と最後に軽く凄む。
この後『やっぱ、全部ダメってことじゃないスかっー!』とかいって大仰に嘆くリアクションが出てこの話題は終わりだ。
「‥‥ ん?!」思っていたリアクションが来ない。
見ると横島は考え込んだままだ。少なくとも、今上げたものの中に希望は入っていなかったらしい。
‘ちょ、ちょっと待って! このバカ、私に何をさせようって考えてんの?! ええっと、スクール水着試着は禁止って言ったっけ? ミニスカメイドに裸エプロン‥‥’
当人が聞けば『俺ってそーいうコトを言う男に見られてたんだ!』といじけそうなことを妄想し軽くパニくる。『タンマ、今の話はナ〜シ!』と言おうした時、
「う〜ん、これはどうかなぁ?」
えらく弱気な前置きに出かけた言葉を飲み込み耳を傾ける。
「あの、美神さん。何日か前に『出てけ!』っていいましたよね。それは『ナシ』ってことにしてくれませんか」
‘はぁ??’心中、首をひねる。あの一言は”なかった”ことになったはずだ。
顔に浮かぶ疑問符に横島は、
「言いたいのは、単純に『出ていきたくない』ってことじゃなくて、俺をずっとここに置いてもらいたいって話なんです。『ここに』って言うのは美神さんの横にってコトで『ずっと』って言うのは何十年も先、美神さんが生きてる限りってコトなんですけど。これ今日の分で聞いてもらうわけにはいきませんか? さっき上げたダメなものの中にも入っていなかったし」
‘私の側で死ぬまで一緒に‥‥ って! これってもしかして‥‥’
『プロポーズ?!』と自分の鼓動がボリューム一杯に鳴り響くのを聞く。全身が熱くなり頭の中で様々な思考が入り乱れる。
そして、口に出たのが、
「なに、バカ、言ってんの! アンタには幾らでも凄い可能性があるじゃない! こんな、『いつも自分の頭の上で太陽が輝いている』と勘違いしている女に縛られる必要はどこにもないでしょ。遠慮なんかしないで、自分のやりたいことに挑戦しなさい。独立できるよう頑張っているのは知っているんだからね。もし、今までの義理とか寝言を言うんだったら、ぶん殴るわよ! この美神玲子、丁稚に気を使われるほど落ちぶれちゃいないんだから!」
流れ出した言葉を止められない自分を呪いたくなるが手遅れだ。わき出そうな涙を押さえ込み売った言葉の対価を受け取る心構えをつける。きっと、一生、使い切れないに違いない。
‥‥ 来ない反応に滲んだ目の焦点を合わす。
横島は『予想通り』という微笑みでこちらを見ているだけ。
「俺の未来だからこそ、一番挑戦したいことをしたつもりなんですけどね。今、頑張っているんだって、並んで立ちたいって思ったからで独立なんか欠片も考えてません。この辺りのことを含めて卒業した後くらいに言うつもりだったんですが、さっきの言葉があったんで言わせてもらいました。美神さんの今の言葉は返事は返事として聞いておきますけど、まだあきらめませんからね」
「はぁ〜」と大きく息を吐く。
誰が見てもオーバーアクションと判る所作で顔を洗うような仕草をする。幾つもの意味で引きつった顔の筋肉をほぐすのと涙をぬぐうためだ。”いつも”の自分に戻ったところで、同じく”いつも”の高慢な口調で、
「陰で私のやり口を阿漕だとか人の弱みにつけ込む悪徳商人と同じだとか言っているくせに、こっちの一言につけこんで自分を売りつけようなんざ、あんたもその素質は十分にあるじゃないの」
「まあ、美神さんの弟子ですから」
「まっ、言ったことは言ったんだからしようがないか!」と鼻で笑う。
これだけ”らしく”振る舞えば十分だろう。自分でも意外なほど落ち着いた声で、
「これがその返事よ」軽く目を閉じ唇を差し出す。
‥‥ ごく!
生唾を飲む音が耳に障るがそのまま飛びつかないだけ”男”なんだと思う。
目は閉じているが近づくのは息づかいで判る。そう思っている間にもさらに近づき‥‥
「横島様、申しわけありません。おキヌ様が料理を運んで欲しいとのことです」
人工幽霊壱号の声に二人は反射的に体を離す。
あまりのタイミングに、誰か−たぶんおキヌ−が人工幽霊壱号に状況をモニターさせていた可能性に思い至る。
無視して『もう一度』と顔を見合わせるが、一度離れてしまうと気恥ずかしさが先に立つようで、どちらからともなく吹き出してしまう。
ひとしきり笑った後、美神は『また、いつかね!』と横島のやや惜しげな背中をどやしつけて送り出す。
横島を見送ると颯爽と立ち上がる。これからシャワーも浴びなければならないし着替えもいる。なんといっても、パーティの主役は自分だ。
出がけ、鏡に写る自分を認める。朝の自分に比べものにならない生き生きとした自分がそこにいる。
今日、新しい自分がこの世に生を受けたようだ。最初、考えた姿とはいささか(以上に)異なるものだが、こういうのもそう悪くないと思う。
「まっ、これもいいっか!」と自分の変貌を認めると軽い足取りで部屋を後にした。
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