私が生まれた日−誕生日− 前編
四日前
所長室に呼び出されたシロとタマモはデスクを鋏む形で美神の前に立った。
その気むずかしい顔に緊張を隠せない二人。まるで、生徒指導室に呼び出された体育会系優等生と頭は良いが問題行動が絶えない劣等生というふうなのはご愛敬だが。
ちなみにその役柄に沿うならば、さしずめ美神は生徒指導の万年ヒステリーのオールド‥‥ というような自爆発言をかます不心得者はこの場にはいない。
デスクに肘をつき両手を組んだ上に顎を乗せた美神は目だけをタマモに向ける。
「ママから公安がこの周辺を嗅ぎ回っているって情報があってね。ウチにはあんた以外に後ろ暗いことはないわけだし‥‥」
『嘘よ、それは!』『嘘でござる!』無言で思考がシンクロするタマモとシロ。
おほん!
その内容を直感したのか不機嫌そうな美神の咳払いに二人は直立不動の姿勢を取る。
「というわけで、あんたのことがバレるとヤバイでしょ。1週間ほどでいいから身を隠してちょうだい」
「身を隠すって? 急に言われても‥‥」
冷静さを信条とするタマモもあまりに唐突な話に戸惑うしかない。
「そこで、シロ」美神はもったいをつけ視線を移す。
「タマモを犬神の里に連れてって。あそこなら公安も追っては行けないからね。それに、あんたもこっちに来てから一度も里に戻っていないし里帰りにちょうどいいでしょ」
さらにことは決定事項だと言わんばかりに、
「手前の駅までの切符はこれ。里へのお土産もその駅で受け取れるように手配しておいたからね。長老様によろしく言っておいてちょうだい」
‥‥ 何か言いかけるシロ。
自分の語彙ではうまく言えないことを悟り、相棒をちらりと見ることで助けを求める。
『わかっているけど、こう急じゃ』僅かに首を振り応えるタマモ。
そんな二人に美神は『行って良し!』と手を振り退出を促した。
所長室を出たところで、
「何で黙っていたでござるか! このままではあの日がだいなしでござる」
自分ができないことを求めるのは不当とは判っているが詰問調になってしまうシロ。
「私だってその日は楽しみにだから何とかしたいわよ。でも美神が当人に絡んだことでゴネるのを許すと思う?! ヘタをすれば火に油を注ぐことになりかねないわ」
‥‥ 言い返さないことでシロは反論の正しさを認める。
はぁぁ〜 期せずしてため息を交わす二人。せっかくの楽しみの日が風前の灯火。
ちなみに『せっかくの楽しみの日』とは美神の誕生日。
現在の事務所のメンバーが揃ってからほぼ一年ということもあり、内輪ながらも盛大にやろうということ(もっとも、『盛大』云々は主賓の美神を驚かせたいということもあって内緒にしているのだが)で準備を進めているところだ。
「とりあえずは横島かおキヌちゃんを通してその日だけでも戻ってこれるよう説得してもらうしかないわね」
タマモの言葉にうなずくシロ。もっとも、それがうまくいく可能性が低いことは本能が告げてはいる話なのだが。
三日前
所長室に呼び出されたおキヌは、美神の前に立った。
美神から(義)父が、倒れたという連絡が入ったという話を聞いて青ざめる。
もっともそれ自体はたいしたことはなかったそうだが、気弱になったのかおキヌの顔を見たいと言いだしたらしい。
「だから、今から一番早い列車で里に戻って四・五日親孝行をしてきなさい。六女の方にはちゃんと言っておくから。切符とかお土産は私の方で手配しておいたからね」
‥‥ 返事を躊躇するおキヌ。
言われた通りの日程だと、シロとタマモを呼び戻すどころかこちらの事情でパーティはお流れだ。
美神は考え込むおキヌを茶化すよう、
「心配しなくても、留守の間に横島クンに手を出すってマネはしないわよ」
赤くなるおキヌ。的はずれの一言だが、たしかにその可能性も頭の片隅には浮かんでいた。
「さぁてと、おキヌちゃんのためにももう一つ片づけておくか」
美神は、『何故、私のため?』と疑問のおキヌをそのままにリビングにいる横島を呼びつける。そして、おキヌにした説明を繰り返し、
「‥‥というわけで、おキヌちゃんが戻るまであんたも出入り禁止よ」
「えっ! おキヌちゃんが里帰りで俺が出入り禁止なんスか?」
寝耳に水と驚く横島。どうすればシロとタマモを呼び戻し誕生日を祝えるかを話し合っていた矢先だ。このままでは説得の時間すらない。なんとか話の糸口だけでもと、
「ということは事務所は美神さんだけってことですよね?」
「そうよ。それがどうしたの?」美神はさも不審そうに返す。
「ええっですね。最近、ニュースなんかで一人暮らしの女性を狙ってののぞきや下着ドロ、痴漢なんかの危ない奴が出ているって言っているじゃないですか。もちろん人工幽霊壱号の警備は信じていますよ。でも、建物自体が大きいから死角も多いし一人だけだとちょっと不用心な気がするんですけど」
「だから?」
微妙に上がったトーンに冷や汗がにじむ横島。
「‥‥ だから、みんながいない間、俺が適当な時間まではいた方が良いじゃないかなぁって」
「私の記憶が正しければ」
美神はかって一世を風靡した料理番組の司会者のような前置きをする。
「『のぞき』『下着ドロ』『痴漢』‥‥ あんたが上げた『危ない奴』は目の前にいるような気がするんだけど。そんな『危ない奴』を内側に引き込むほど私をバカだと思っているんじゃないでしょうね?!」
「それはその‥‥ 健全な男子高校生として普通に女の人に興味があっただけで‥‥ まあ、”認めたくないモノだな若さ故の過ちは”というヤツだったり‥‥」
日頃の行いで『違う!』とは言い切れない横島は”頼みの綱”とおキヌに、
「なあ、俺だってちゃんと成長しているよなっ 美神さんの言ったことだって、そりゃあ以前は毎日のようにあった話かもしれないけど、今はそんなことはあんまりしなくなっているはずだし‥‥」
「『あんまり』ってことはやっているってことでしょう! 減れば良いってものだとでも思ってんの!」
美神が即座に言葉尻に噛みつく。
「だいたい、困ったらおキヌちゃんにすがろうなんて、それこそ成長していない証拠じゃない。おキヌちゃん、かまわないから、この煩悩全開男にびしっと本当のことを言ってやんなさい!」
「ええ、まあ」と双方の顔を見ながら返事を考えるおキヌ。
表面的な事実だけなら美神が正しい。それを言わないまでも口を濁せばこの場は(いじける横島の上にだが)丸く収まる。しかし、横島をそんな表面的な事実のみで評価するのは間違っていると断言できるしそれを判っていながら絡む美神への反発もある。
「美神さんが言うことは間違っていません」とまず答える。
横島がオーバーに嘆き始める前に自分としてはキツめの口調で、
「でも、横島さんには、それ以上に良い所がたくさんあります。誰にだってやさしいし純真で正直。何より強くて頼りになる人だって思ってます」
嘆くのを止めきょとんとする横島。おキヌの言葉を理解すると、
「さすがおキヌちゃん! 俺のことをしっかりと分かっくれてる、感激だーー!」
その嬉しそうな様子におキヌの頬に赤みが差す。
そんな二人にむっとする美神。口調の棘がさらに鋭くなり、
「『誰にだってやさしい』? 単に女に見境なく下心があるだけじゃない。それに、『正直』に『純情』?! むき出しの本能と混じりっけなしの煩悩をそんな風に見られるのはおキヌちゃんだけよ。それに、『強くて頼りになる』って、どこからそんな寝言が出るのやら? いくら図星を指されたコイツが可愛そうだからって心にもないお世辞はダメよ! この半人前の丁稚がうぬぼれるでしょうが」
いつになく”空気の悪い”状態に横島は、
『いや〜 今日はキツいな〜 ひょっとして、”あの日”なんッスか?』
とお約束で場を流そうとする。
しかしそれより早くおキヌが美神に劣らない激しさで、
「美神さん!! 今日はちょっと酷くないですか?! そりゃあ『純真』とか『正直』は格好良く言い過ぎてます」
さりげなく言い切られたことに軽くずっこける横島。
「でも、別に私、お世辞とか心にもないことを言ったわけじゃありません! 横島さんのことは美神さんが何と言おうとそう思っています! それに、『うぬぼれ』るって言いますが、横島さん実力を考えるとまだ言い足りないぐらいです。もし、美神さんがそんな風に見えるって言うのなら美神さんが横島さんのトコを真面目に見る気がないってことなんです!」
‥‥
めったに見ることない(というかひょっとすると初めての)おキヌの勢いにたじろぐ美神。
普段控えめで温厚な彼女をここまで言わせたのは、ここまでの自分の言動だ。今日については後ろめたいところがあり、その苛立ちが不穏当な言葉と態度に繋がっているとの自覚はある。
戦略的撤退の途を探ろうとした矢先、
横島はおキヌの手を取ると大きく振って、
「おキヌちゃん、ありがとう〜 それだけで言ってくれれば十分だよ」
手を握られたことと感謝でおキヌは赤い顔をさらに上気させる。
そんな二人を強張った顔で等分に見る美神。一息、息を吸い込むが首を振り沈黙を守る。
このまま何もなければ区切りがついたのだろうが、ここまでのきつ〜い美神にさすがに むっ! としていた横島はつい言葉を継ぐ。
「ホント、ここんトコ、これでもけっこう頑張って力をつけたつもりなのに、美神さんってまったくそれを認めてくれないんだもんな」
「ですよねぇ」とおキヌ。
こちらも喜びでぼーっとなっていたのか、『つい』調子を合わせる。
「もう一人前の横島さんを未だに『半人前』とか『丁稚』とか言ってしまえるのかが良く解りません。他のことなら聡明な美神さんなのに、コトが横島さんのことになるとどうして素直に見られないのかって悲しくなります」
「まあ、美神さんって、何でも人並み以上の結果を出せるだろ。『いつも頭の上で太陽が輝いている』みたいな感じだから、俺みたいな下々のコトなんて気に留まらなくても当たり前なんだけどね」
本気に悔しそうな横島。おキヌがうなずくのを見て、
「そういや、前にカオスの爺さんが言ってたんだけど、『いつも頭の上で太陽が輝いている』人ほどそれがいつまでも続くって勘違いしているそうだって。それでもって、そんな人にほど自分の頭の上から太陽が去ったって気づいた時は見苦しい‥‥ って、美神さん、何かプレッシャーがいつになく”痛い”んですけど」
「誰が勘違いしてるって?! 誰が見苦しいって?!」と美神。
顔が紅潮し体を小刻みに振るわせているのに妙にトーンの低い声が嵐の前触れを感じさせる。
「いや‥‥ その‥‥ カオスの爺さんの繰り言で‥‥ 以前の『自分もそうだった』って話で‥‥」
しどろもどろで言い訳をしようとする横島。
「じゃっかっましぃ!! あたしもそうなるって風にしか聞こえないじゃないの!!」
美神の怒号で窓が震える。横島を刺すように指を向けると、
「だったら、今のうちにここから出てけっ! とっとと出て失せろっ!! そうすれば、見苦しいものを見ずにすむわ!!」
熱気をはらんだ部屋の空気が一瞬で絶対零度にまで落ち込む。
その冷気で美神は我に返ったような顔になる。内心での葛藤の数秒続けた後、視線を二人からそらせたままで、
「‥‥ とにかく、そういう理由だからおキヌちゃんが戻るまでは来ないようにね。その間に出席時間を一時間でも稼いでおきなさいよ。いつものことだけど単位が厳しいってピーピー泣き言を言ったんだから」
無理矢理やり取りを”なかったこと”にする美神に横島も明るい声で、
「そういや年末・年始も忙しいって話でしたよね」
引っかかるものがあるおキヌだが二人がそうならと、
「スケジュール的には満杯です。今のままでも休みは元旦ぐらいしかないかもしれませんね」
「えぇぇー! そんなに?! 美神さん、クリスマスから正月の三が日ぐらいゆっくりしましょうよ」
「ウチみたいな個人事務所にそんな一流企業並の冬休みがあると思ってんの!」
「なコト言ったって、誤魔化してる税金の額なら一流企業並なのに‥‥」
「うっさい! これ以上余計なことを言うつもりなら覚悟しなさい」
「まあまあ、美神さん落ち着いて。横島さんも元日は大晦日からここでゆっくりと休養と栄養がとれるようにしておきますから」
威嚇するように神通棍を取り出す美神と頭を抱える横島、双方を取り持つおキヌ。どこかわざとらしさが抜けないもののいつものペースに、ほっとした空気が流れる。
空気が変わったのを受け横島が、「美神さん、ちょっといいですか?」
「宗教の勧誘ならお断りよ」
‥‥ 返し言葉の絶妙なタイミングに二の句の接げない横島。
「何で俺が美神さんを勧誘しなきゃなんないんですか!」
「そーじゃなかったんだ! で、何が言いたいわけ?」
「ええっと、三日後は美神さんの誕生日スッよね」
「誕生”した”日よ、二十一年前にね」
「それはそうなんスが‥‥」冷たく訂正する言葉に鼻白む横島。
「みんなでそれを祝おうって、おキヌちゃんがご馳走を用意したりと色々計画を進めていたんですけど。みんなバラバラじゃできそうにありませんね」
「かまわないんじゃないの」素っ気なく言い切る美神。
「事情が事情だってコトが重なっちゃったんだから。それに、二十歳を過ぎちゃうと一歳増えたからって祝う気分じゃなし。ご馳走を食いっぱぐれるって心配なら、別の日にパーティだけすれば? それを止める気はないわ」
「いや‥‥ ご馳走だけの話じゃないんスッけど‥‥」
彼にせよ他の三人にせよ美神に感謝し祝いたい気持ちは本物で、だからこそ日は選びたい。かといってそれを言ってしまうと、目の前の女性は余計に意固地になることは(体験上)断言できる。
何とか巻き返そうと思うが、その糸口も見つからない。
それを見透かしたように「もう良いでしょその話は」
と時計に目をやった美神は話の打ち切りを告げる。
「意外に長話になっちゃたわねぇ おキヌちゃん、電車の時間よ。遅れるわとお義父さんにも悪いわ。丁稚! 荷物の用意を手伝いなさい。それと駅までちゃんと送るのよ、判った!」
時間切れに説得をあきらめる横島。おキヌと所長室を出ようとするが、
「あの〜 パーティの話はそれで良いですけど、仕事、拙くないッスか? みんなでやらないとキツい仕事が入ってたはずですよね。メンバーが揃うのを待つと期限が切れたような。違約金とかいいんですか?」
『そういえば』と振り返るおキヌも心配そうに美神を見る。
「うん? ああ、アレ。私一人じゃ手に余るし、あきらめなきゃしょうがないでしょうね。違約金は痛いけど払えばそれだけの話だし」
違約金云々の一言に、瞬間、目を合わす横島とおキヌ。
『まさか?! 美神さん、誰かに意識を乗っ取っられたんじゃ‥‥』
『ひょっとすると偽物とすり替わっているのかもしれませんよ!』
無言でのやり取りだったが、内容は解ったらしく目一杯不愉快げな美神。二人に向けた視線に殺気めいた”力”が宿っている。
「あっ! もう時間がない。横島さん、荷物をまとめますから手伝ってください」
「そっ、そうだな。遅れるとおじさんに悪いもんな」
震える視線で言葉を交わした二人はあたふたと所長室を飛び出す。そこに(どこか楽しそうな)美神の罵声が被さった。
一人になったところで美神の表情が引き締まる。その瞳はカレンダーの特定の日−自分が生まれた日に向けられていた。
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