秋、思い出すままに 11
「さてさて、この向こうで何が待っているやら、楽しみだな」
廊下と講堂を隔てる扉の前に立った狽野は強気に嘯くものの、取っ手に手を掛けるのを逡巡する様はその内心を物語っている。
「まあ、それが何であれ、あなたに取って良い事じゃないのは確かだと思うけど」
そんな狽野をいい気味と嗤う秋江。さりげなく壁に取り付けられた火災報知器に目をやる。うまく隙を突けば‥‥
「やめな!」狽野は鋭く制する。
「やっちまうと破れかぶれになった俺が何をするか解ったもんじゃないぜ!」
言葉よりもり追い詰められた者が発するプレッシャーに秋江は身を強ばらす。
その動揺に乗じる形で秋江を引き寄せた狽野は粘着テープで目と口を塞ぐと足も膝あたりで拘束する。
連れ歩くのに支障があるほどに拘束したのは扉の向こうにいるかもしれない相手に備え横から邪魔されたくないため。この状況では人質としてのプラスよりも足手まといというマイナスの方が大きい。
何度目になるか、手元の”小道具”のスイッチを確かめる皆本。扉が動いたことである種の安堵を感じる。
整えておいた”舞台”の幕が上がった以上、あとは自分の役を演じ切ればいいだけ、何も出来ず待つ事に比べればずっとましだ。
扉に最低限の隙間ができると、まず女性−たぶん明石秋江−がの体が押し出される。続いて男−狽野という名は知らないが−が秋江の背後に身を隠し体を滑り込ませる。
‘何て事を!’憤る皆本。
扉上の誘導灯の光だけでよくは見えないが、それでも秋江が手足を拘束され目と口も塞がれているのは見分けられる。
もっとも、何とか自制は保つ。その怒りは一度しかないチャンスを生かすエネルギーに取っておくべきだということは十分に承知している。
狽野は(誘導灯以外の)明かりない講堂内を見回し舌を打つ。暗いのと並んでいる座席のせいで見通しが著しく悪い。座席の陰にでも身を隠されれば、側に行くまで判らないだろう。
それでも姿さえ見せれば拳銃を向ける余裕はあると自分に言い聞かせ、壁を背に秋江を座席側にして舞台脇の出入り口に向かう。
あと二・三メートルというところ、
「それまでだっ!」
耳に届いた鋭い声に狽野は反射的に拳銃を向ける。目に入ったのは、
「スピーカー?! やりやがったなっ!!」
その狼狽に付け入るように斜め後ろから人が突っ込んでくる気配。動きの邪魔になる秋江を突き飛ばすと身を捻り拳銃を向けようとするがわずかに間に合わない。
拳銃を持つ手に衝撃、痛みで拳銃を取り落とす。
「それまでだっ!」
小さく叫んだ皆本は”小道具”−舞台袖、電源を落としただけで残されていた放送機器と一緒にあったワイヤレスマイク−を投げ捨てると隠れ場所−座席の陰から躍り出る。
自分なりのシミュレートでは十分に間に合うはずだが、そんな計算は立ち上がった瞬間に消し飛ぶ。無我夢中というか頭の中が真っ白のままのダッシュ。
「だあぁぁぁ!!」
と雄叫び‥‥ と言うには上擦った声と共に振りかぶったモップを振り下ろす。
次の瞬間、見ているはずだが視覚よりも手に伝わる衝撃でヒットしたことを認識。そこでようやく足下に転がった拳銃が目に。同時にそれを拾おうと狽野が身をかがめるのも。
半ば以上、無意識にモップを手繰ると掬い上げるような一振り。先端がカウンターで顎のあたりを捉える。
皆本の手に嫌な手応えを残しひっくり返る狽野。
ここまで自分の想定通りに展開した事に高揚を感じる一方、先に感じた手応えと併せて暴力を振るった自分に嫌悪を感じないではない。
もちろん、他に適当な解決策を思いつかなかった以上はやむをえないし、杖術の手ほどきをした悪友であればお前らしい偽善だと笑われる事も判っている。
束の間、逸れかけた思考を目の前の現実に戻すと床の拳銃を遠くに蹴り飛ばし投げ出された形の秋江を庇う位置に立つ。
起き上がろうとする狽野の鼻先にモップを突きつけ、
「そのまま大人しくして下さい。おかしな素振りを見せたら‥‥ まっ、好きにしていいですよ。ここでぶっ飛ばした方が後の手間は楽ですからね」
と昼間聞いた台詞そのままに声を低め凄む。
それに応えるように顔を上げる狽野。激しい痛みで顔を歪めてはいるが表情はふてぶてしくその視線には殺意のような敵意が込められていた。
一瞬、背筋に冷たいものが走る皆本だが、その視線が力を失い頭を がくり と垂れるのを見てあわてる。
当たり所が悪かったかと近づこうとした鼻っ先を大きく振られた拳が掠める。
跳び下がりさらなる逆襲に備えるが、それが判断ミスである事がすぐに判明。
狽野は今の一振りを逃走のための牽制と割り切っていたらしく、素早く立ち上がると身をひねり講堂・正面玄関に向けて全力で走る。
「くそっ!」最後が空振りになった事に皆本は舌を打つ。
もっとも、そうして悔しがるのは分不相応であることは判っている。結果としては逃がしたが、ただの十七歳がしたたかな悪人を追い払ったのだから上出来に過ぎた展開。
拉致事件を阻止したのだから合格点には十分なはずだ。
後はしかるべきところに連絡を‥‥ という判断をしようとしたのが必死に何かを喋ろうとしてもがく秋江の動きで中断される。
追い払った安心で女性をそのままにした(といっても時間にすれば三秒ほどだが)ことに苦笑。
真っ先に何か言おうとしている口の粘着テープを外す。
「私の事は良いから、バベルに連絡を入れて控え室に人をやって! それと奴を追いかけフィルムを取り返して!!」
その必死の訴えに皆本はまだコトが終わっていない事に気づいた。
講堂を出たところで皆本は連絡と追跡が両立しえない事に気づいた。言葉の切迫感から半秒で連絡を優先することを決断。
控室のある建物に戻ろうとした矢先、
「どうしたんですか?」と横合いからの声。
そちらを見ると臨時雇いらしいあまり制服が身についていない初老のガードマンがいた。
その実直で信用できそうな雰囲気に判断を変更。
「自分は‥‥」
と大元でこの状況に巻き込んだ小学校時代の同級生の名前を名乗り、その名前で、ここの警備を担当している件の女性に明石秋江の部屋で緊急事態が発生した事を伝えるように頼む。
どうやらある種の信頼関係があるらしい同級生の名前を使えば女性もすぐに動くであろうし、彼女であれば控室でどのような事態が生じていても的確に対応してくれるに違いない。
さらにその女性の指示がない限りここに人を入らせないように念を押すと、返事半ばで走り出す。まだ、追跡は十分可能だ。
「状況の急変にもクィーンの母上の立場を考えての指示を出せるとは、どうしてどうして大したものだ。もっとも、とっとと悪党をシメておけばこんな余計な事をせずに済むのだから、ボンクラといえばボンクラな話だが」
ほんの2秒ほど前、ガードマンが立っていた場所にいる銀髪の男が軽い嘲笑を込めてつぶやく。その上で ふう と小さく息を吐き、
「何とか爺さんが指示したシナリオで辻褄が合いそうだな。それにしたって、こんな裏工作込みで実現した茶番で的中率100%とはちゃんちゃら可笑しいんだが‥‥ まあ、クィーンたちの未来に拘わるとなれば爺さんも僕も動かざるを得ない事も予知の一部なんだろうが。さて、クィーンたちも間に合いそうだし仕上げをしておくとするか」
‘ いつ道を誤ったのか‥‥’
永遠に自分を引き込もうとする”闇”から切れ切れに戻る意識、梨花はその短い時間にこれまでの事を思い出す。
ただの取材と近づいてきた狽野に気を許した時か? あるいは様々な甘い言葉に酔わされ秋江や好美のスケジュールや警備情報を流した時か?
それとも、その情報でストーカーが動いていると気づき、後ろ暗さから一人で解決しようと狽野を訪ねた時? 乗り込んで行った場で、弱みを握れば将来への道が開けるという誘惑に乗った時? ‥‥
‘いよいよ‥‥ か’
次に意識が切れた時が”最後”だと判っているが感慨は湧かない。ただ、これ以上、罪悪感に苛まれることがなくなるのはありがたいと思う。
ばちっ! 回路がショートする音が耳に届いた。
同時に意識を飲み込もうとしていた”闇”がその存在を縮小し始めたことに気づく。
‘どうして‥‥ ’と思うが直接的な答えは一つしかない。
ESP錠の機能が停止したのだ。
わずかに開いた目に中空に浮かぶ小さいシルエットが一つ‥‥ いや三つ。
しかし正体を確認するに至らない。
突然に消えたこともあるが、”闇”に代わってここまでの負荷による疲労感が急速に広がり意識を飲み込もうとしているから。
”闇”と違ってこちらはやがて目を覚ますことになるだろう。ちらりと罪悪感に苛まれるが、根源的な生存本能から来る喜びがそれを上回る。
‘全ては目を覚ましてからのこと。生きるって事は償う機会があるということだし’
梨花はそう断じると意識を失う自分を素直に受け入れた。
‥‥! 意識を取り戻した由良の間近に男の顔が。
身につけた学ランと容姿から自分と同じ年頃に見えるが白髪と老成した瞳が年齢を判らなくしている。
「目が覚めたね」男は優しげな態度で手を差し出す。
「‥‥ あなたは?」
引かれるままに立ちあがった由良はぼんやりとした頭で最も初歩的な質問をする。
「僕か‥‥ ただの通りすがりのエスパーさ」
自分の台詞を面白いと感じるのか男はクスクスと笑う。それを収めると、真面目か冗談かが判らない口調で、
「まあ、名乗ってもいいんだが、記憶を書き換える関係で忘れるのだから意味はないだろう」
『記憶を書き換え』という言葉に ぞくり とする。だだそれが避けられないことを本能が分かっているのか、抵抗とかは思いつかない。
そこで自分のそばに横たわる秋江に気づく。意識を失う前のことがまざまざと甦りパニックに‥‥
「心配しなくていい」男は優しげに由良の肩に手をかけ制する。
‥‥ そういう方面の超能力を持つのか、自分でも驚くほど気持ちが落ち着く。
「クィーンの母上は無事だ。それと心配の件はメガネのボンクラ君がほぼ片づけた。まあ、詰めは甘かったが、年齢(トシ)を考えると上出来だ。それに抜かったところはクィーンたちがシメるようだしね」
‘『ボンクラ』って? 『クィーン』というのは?‥‥’
事件が解決したと言っていることは判るが、訳のわからない固有名詞に混乱する。
‘待ってて! クィーンの母が秋江さんということは‥‥’
額に当てられた男の指がそれにピリオドを打つ。
「その辺りまで君が知る必要はない」男は淡々と言い切る。
『そうそうこれが用件だ』と男は自分のリミッター兼通信機を手渡してくる。
受け取り髪につけたところで男は別れの挨拶代わりと軽く手を振る。
「それじゃこの辺で。縁があったらまた会おう」
「もう一息だったのに!」由良は狽野を逃がした自分に舌を打つ。
もっとも、そうして悔しがるのは分不相応であることは判っている。結果としては逃がしたが、超度3のテレパシーしかアドバンテージのない自分がしたたかな悪人を追い払ったのだから上出来に過ぎた展開。
軽く自分で頬を叩き緊張感を新たにする。何にせよまだ終わったわけではない。奴を捕らえフィルムを取り返すところまでは責任がある。
通信機を操作し”KC”を送ると覚えている思考パターンを元に超能力を発揮、男の位置を確認するや駆け出した。
狽野はとりあえず人気のない方に走る。したたかに打たれた顔の下半分の有様では人混みに紛れることもできない。
ややあって、裏庭っぽい所に。半ば放置された倉庫、その朽ちかけ半開きの扉に惹かれるように身を隠す。
隠れたのは顎と手首の痛みが強まり動くのが辛くなったこともあるが背後に追って来る者を感じたため。実際、外を伺うとさっきの青年がこちらに来るのが見える。
‘一人か!、最後のツキだけはあったようだな!’と内心でつぶやく狽野。
再び口中に溜まった血を吐き出すとシャツの下に潜ませていたセラミック製小型アーミーナイフを抜き放つ。
これまで脅しの小道具として使ってきたが、今回は、正真正銘、人殺しの道具として使うことになりそうだ。
命をと考えたのは全てを『おじゃん』にされた恨みもあるが、殺人事件を起こし会場にパニックを起こそうと考えたから。そうなれば校外に逃げるチャンスも生まれるだろう。
あと数歩近づけば打って出ようと全身を緊張させたその時、
ひゅ ぱっ! 背後に空気が振るえる音と同時に手に手が触れるような感覚。
振り返ると自分の視界ぎりぎり下限に明るい髪の頭と黒髪の頭の先端が見える。
顔を見るために視線を下げるよりも早く、巨大なハンマーを後頭部に叩きつけられたような衝撃を感じ意識を失う。
ちなみに、その衝撃が表層意識から記憶領域、さらには精神の深層部に及ぶ全情報を洗いざらい引き出す深々度精神スキャンと呼ばれる行為の副次効果であることを狽野は知らない。
わずかに意識が戻った狽野の耳に重苦しく何かが軋る音が入る。朦朧とした意識が状況を理解するより早く柱や梁がへし折れ天井が落下。本能が上げる絶叫以外、為す術がない。
彼が最後に見たのは支えを失い落ちてくる天井であった。
「な‥‥ 何だ?!」目の前で生じた異変と絶叫に皆本は反射的に後ろに跳び退く。
男が逃げ込んだ倉庫が軋んだかと思うとぺしゃんこに。その壊れる様は、そこだけに震度7級の地震が発生したような感じである。
しばし呆然とするが我に返ると耳にした潰れる寸前に耳にした絶叫を思い出す。
声の主は自分が追いかけてきた男のようで、状況的に潰れた倉庫の下にいるとしか考えられない。
助け出そうか助けを呼びに行こうか迷うところに駆けつける人の気配。自分はここにいるべき人でないことに思い至る。
物陰に隠れるのと人が駆けつけるのとはほぼ同じになる。タイミング的には見られていたかもしれないが、瓦礫の山に目が向くことを思えば気づかれた心配はしなくてよさそうだ。
‘あれは?!’
物陰に隠れ様子を見ていた皆本は駆けつけた−厳密には『飛んできた』が正しいのだが−三人の中に由良を認める。
ついさっきまで意識がなかったことが嘘のように溌剌とした感じにほっとする。
ちなみに他の二人は由良と同じ制服を身につけた中学生っぽいロングヘアーの少女とスーツの中年男。制服から少女が特務エスパー(とすれば、飛行能力から見て超度6以上のサイコキノ)で中年男がその現場運用主任というところだろう。
実際、中年男は状況を見渡すと次々に指示−テレパスの由良にスキャンさせ少女にサイコキネシスによる瓦礫の除去−を出す。そしてたいして時間もかからず下敷きになっていた男がサイコキネシスで引き出された。
虚ろな目でぐったりとしているが、外傷もなくテレパスの由良が落ち着いている(というより、冷ややかと言う方が適当だが)と言うことは命に別状はないということなのだろう。
あらかじめ話がついていたのか中年男にうなずきかけられた少女は迷うことなくさらに集中を高める。
ポケットからそれ自体に意志があるようにフィルムが現れ浮かび上がる。次の瞬間、巨人に握りつぶされたようにぐしゃりと潰れた。当然、それに何が写っていようと二度と人目に触れることはない。
ちょうどその辺りから駆けつける人数が増える。その中には警備を仕切っているらしいかの女性と理事長、ガード役メイドそれに青ざめてはいるが秋江もいる。服装などから全員が学校関係者かバベルの人間ばかりで、この場は外から封鎖されたらしい。
この件も”外”へはずいぶんと違った形の発表になるに違いない。
その意味では、コトは多くの関係者に取り望ましい形に収束しつつあるようで、係わった自分としてもそれは喜ばしい。しかし、本来の目的である、由良に別れを告げることはどうやら無理になってしまった。
ここで顔を出すわけにはいかないし、事後処理等を考えると今日この後、由良が一人になることもあり得ない。
息を一つゆっくりと吐く。『さよなら』と声にせず告げた皆本はその場を離れた。
エピローグ side バベル
翌日
ぷつん 桐壺はリモコンを操作し壁に備え付けられたモニターの電源を落とす。
ここまで見ていたニュースに一区切りがついたからだ。
ちなみに消す直前に流れていたニュースは、とあるプロダクションの事務所で起こった爆発のニュース。それは昨夜遅く起こったもので、不注意によるガス漏れ−引火−爆発という事故という線が有力だと伝えられている。
‘今回、予知が当たったと見るべきか外れたと見るべきか? どちらにせよ公式には”何もなかった”のだから的中率には貢献できない‥‥’
このまま数字が上がらなければ予算折衝で支障が出るか、と官僚的感慨を抱く桐壺の前に柏木が書類ファイルを積み上げる。
「これは広報課と事後処理課からの暫定報告です。今回の件を機密ランクA扱いにしたいということで、承認をお願いします」
「判った」と桐壺。
機密ランクA扱いは自分からの提案なので形だけページをめくると承認のサインを入れる。
「それにしても彼らも急な仕事で大変だったナ」
「はい、予想以上の破壊でしたので関係諸機関への働きかけを含めほぼ全員が徹夜となりました。まだ何人かは、病院に張り付き処理を行っております」
「そうか。両課には何か元気の出るモノでも差し入れておいてくれたまえ。もちろん私のポケットマネーでな」
特務機関トップの秘書として大胆なところがある一方で妙に細かいところできっちりとしている目の前の女性の事を考え桐壺は最後の一言を付け加える。
「判っております」その意図は見通していますと柏木は控えめに微笑む。
「それとこちらは例の件の報告です。こちらはランクトリプルA扱いですので確認後、処理をお願いします」
桐壺は『分かった』と受け取ったファイルに目を通す。そこには、昨日の一件のいわば”裏”の”裏”に当たる報告が書かれている。
「今回の件、明石家の内情を探ろうとか近親者を介して影響力を及ぼそうとかしたものでないことは間違いないようだネ」
目を通し終えた桐壺が確認を求めるように柏木に声を掛ける。
「はい、報告書にある通りかと」秘書として内容を承知している柏木は肯定する。
「主犯にせよその背後にあって手を貸していたプロダクションにせよ、あくまでも秋江さんと好美さんを狙ってのことで、それ以外に意図はありません。この件については深々度精神スキャンによるものですから、まず間違いないかと。付け加えるなら、現在、裏付け調査中のため断言はできませんが、背後に何らかの組織・機関が存在することもないようです」
「本当に良かった! これで肩の荷が下りたというものだヨ」
その言葉を示すように椅子に深々と腰を沈める桐壺。
秋江と好美の周辺に怪しい”影”が出没していると情報がもたらされて以来、一番の懸念は、それが高超度エスパーの近親者であることに起因していないかという事。
仮にそのような背景があったとすれば、超度7とはいえまだまだ未熟で不安定な”子供たち”の心にどれほどの傷を作るか。場合によっては、その強大(凶大?)な”力”が反社会的行為に向けられることにもなりかねない。
「でも、よろしかったのでしょうか? 事情があるとはいえ、今回、深々度精神スキャンが使われたわけですが」
柏木は桐壺の安堵をよそに深刻な口調で確認を求める。
本来のそれは裁判所の許可を得た上で弁護士を含む複数の第三者及び精神/神経面での障害が起こらないかを見届けるための専門医の立ち会いが必要な処置で、それらなしに行われたとすれば立派な犯罪行為、知り得た者は告発する責任を負う。
「まあ、やむをえんヨ。あの娘たちがしたことだからナ。それに得られた情報から人身売買組織の一つを壊滅させられるのだから、検察も見逃してくれるはずだヨ」
桐壺はそれが些細なことであるかのように流す。ややわざとらしさを感じさせる所作で顔を見直すと、
「これもそうだが、今回の件では色々と超法規的処置が取られたわけだ。後日、それらが明らかになった場合、見逃した君も責任を問われることになるのだが、かまわないのかね?」
「今回の処置が大局を見て必要なものだと承知しております」
「私は良い秘書を持ったようだ」桐壺はこの件は終わりにしようと手を振る。
にっこりと笑み受け入れる柏木。手にしている個人用情報端末−PAD−を操作し、
「報告書には入っておりませんが、今回の件について気になる情報があります。いかがいたしますか?」
そう言われは無視できないと続けるよう促す。
「今回の件に正体不明の、それも高超度のエスパーが関係している可能性があります」
『正体不明』、『高超度』 桐壺はそこに含まれたキーワードに緊張する。
それを確認した上で柏木は、
「この情報は学園からのもので、どうも共犯のカメラマンが身柄を押さえられる直前に出会っているようなのです。ちなみに報告書に載っていないのは、その情報を入手するにあたって非合法な手法−ピュプノによる思考誘導尋問ですが−が使われたことと後の警察の尋問でその人物が登場しないためです」
「そのカメラマンが隠していると言うことかね?」
「いえ、それはないようです。特にその情報を対象にしているわけではありませんが、尋問の際には警察のテレパスが感情監視を行っており、そこで話されたことに意図的な嘘はないことは確認されています」
「つまり、そのカメラマンが記憶操作を受けたということだな」
桐壺は結論を先取りする。 操作された記憶が定着する前にピュプノ尋問で記憶領域に直接アクセスされたため表面化したのだろう。
「なるほど、規定の感情監視とはいえテレパスを誤魔化せる記憶操作となると相当に高い超度が必要か。それで、出会ったエスパーとはどのような者かね?」
「それが‥‥ 催眠誘導の初期段階にうわごととして漏れた言葉だけらしく詳しいことは何も。強いて言えば外見上の特徴が幾つかだけで、それによるとそのエスパーは学ランを身につけた青年で髪がプラチナブロンドというか白髪だったそうです」
「なっ、何だと!! 白髪に学ラン‥‥」絶句したまま桐壺は固まる。
それなりに驚いてしかるべき外見だろうがこれほど狼狽するは思っていなかった柏木は面食らう。
「一応、こちらと学園の警備記録と照会しましたがそのような姿の人物は確認できておりません」
「‥‥ まさか奴か? たしかに奴なら‥‥ どうやって刑務‥‥ いや、そもそもなぜ‥‥」
秘書の説明も耳に入らない観の桐壺。
「あ‥‥ あの、その件について徹底した記憶復元を試みますか?」
柏木は上司の動揺を踏まえた提案を出す。バベルにはそれだけのエスパーと機器が存在している。
秘書の声に我に返る桐壺。
「柏木クン、先ほどの話では、このことを知っているのはウチだけだと思うのだが、どうかね?」
「はい。学園と警察、双方の情報に接して初めて気づくことですので。付け加えれば、バベルで知るのも学園から報告を受けた私と局長だけかと」
「なら、復元の必要はない。元々、今回の件は大半はもみ消す事になっている。どのみちもみ消すのだからわざわざ手間をかける必要もあるまい」
自分に言い聞かせるように首を横に振る。
「そういえば、由良クンだったか。今回はお手柄だったが、彼女はどうなったかネ?」
「北上候補生は本人の希望により今日付けで退校となりました」
唐突な話題の変更に柏木は上司が謎のエスパーについての追求を放棄したと判断する。PADの表示を手際よく切り換え、
「昨日の功績もあって訓練官も慰留したのですが意志は変わらなかったそうです。退校後については、演劇の道に進むようで、昨日の縁もあって秋江さんの劇団に入ることが認められたと聞いております」
「ほう、それはそれは! 人生、何が幸いするか判ったもんじゃないという事か。なかなか惜しい能力だったんだが、当人の夢ならそれもいいだろう」
退校(というか放校)された人間の将来を祝福する言い方に柏木は『エスパーを管理する立場にもかかわらずエスパーに甘すぎる』という局内外で聞こえる批判を思い出す。
ごほん! それが表情に出たのか桐壺のわざとらしい咳払い。
「ああ、あと”あの子たち”のことだが、今回のようなことが繰り返されるもの考えものだからナ。そろそろ大人を”つける”事を考えねばならんようだネ」
「はあ」何事にも明瞭に応える柏木にしては要領を得ない反応。
というのもすぐさま解決という問題ではないが、解決が見えない懸案だからだ。
その絶大な能力によりおよそ年齢相応の発達と扱いを受けてこなかった”あの子たち”を躾け(表現としては問題はあるが)コントロールできる人材がおいそれと見つかるとは思えない。
当面、これと思える人材を充て試行錯誤を繰り返すしかないのだろうが‥‥
ふと、目を通した報告の中で北上”元”候補生が途中まで行動を共にした人物を高く評価していたのを思い出す。
曰く、正義感に富み、判断力・決断力・行動力のどれをとっても優れているだけでなくエスパーに何ら色眼鏡を掛けることなく向き合える人柄だそうで、彼が自分の訓練官、さらには現場運用主任になってくれるのであればバベル残っていたとまで言っている。
訓練校でも扱いづらいと評判のあったエスパーをしてそう言わせるとはなかなかの”人物”−ある意味、高超度エスパーよりも希有な資質、すなわち、難物エスパーを使いこなす現場運用主任として最適な資質の持ち主−なのかもしれない。
‘そう、”あの娘”たちにはそういう人が相応しい‥‥’
「どうかしたのかネ?」
時間にすれば数秒もないが反応が止まった秘書を訝しんだ桐壺は声をかける。
「いえ、何でもありません」と柏木。
一エスパーの半日に満たない印象からえらく発想が飛躍した自分に苦笑する。
向けられた問いに頭を切り換え、PADに候補者リストを呼び出し名前を挙げておく。
ちなみに、三年後、この報告を思い出すことになろうとはプレコグではない身、判るはずもなかった。
エピローグ side 皆本
回想の針を進める皆本。
あの後、数日を待たずコメリカに渡航。
バベルからの呼び出しも覚悟していたが、変装に効き目があったのか何も言ってこない。どうやら(コメリカでチェックした日本の報道から見て)後半の事件も”なかった”ことになったようで、その一環として見逃してくれたのだと思う。
そして、大学に戻ってすぐに起こったキャリーとの出会いなど幾つかのエピソードを経るうちに記憶も薄れる。
帰国後、特に意識せず超能力研究最前線ということでバベルを就職先に選択。
直後、ふと思い出し由良の人事ファイルにアクセスするがその時点での機密ランクではコトの翌日付けで訓練校を退校したという情報を見つけただけに終わる。
ほどなくチルドレンとのファーストコンタクト。そのまま彼女たちの現場運用主任に抜擢され(正確には『はめられた』という方が正しかったりするが)現在に‥‥
「あれ! この女の人、バベルにいなかったかしら?」
紫穂の声で回想から復帰する。その視線の先に一冊の写真集を見ている。自分が注目したものだ。
「そうかぁ? 覚えてへんけど」写真集に顔を近づけ見る葵だが言葉の通りらしい。
対して薫は『そうだ!』と手を打つ。
「このねーちゃん、バベルにいたかどうかは別に、知ってるぜ! かーちゃんのいる劇団の女優だよ。けっこう注目株で、かーちゃんも褒めたっけ。たしか、有名な写真家がご贔屓で写真集を出すって言ってたけど、出たんだ ‥‥ 待てよ、たしか」
と取り出した携帯を操作する。
「どんぴしゃ! 今日、ウチのかーちゃんはこの先の女子校で学園祭のイベントとしてトークをやる予定なんだけど、こっちのねーちゃんも一緒だ。これからの予定は特にないんだし、いっちょ、見にいかねぇーか?」
「それは良いけど、入場はどうするの?」と紫穂。
「そんなモン、かーちゃんに口を利いてもらえば良いさ。かーちゃんだって皆本が見に行くと聞けば喜んで口を利いてくれるって」
「急に乗り気になったようやけど、おかあはんのトークを見るだけで済むんかいな?」
オヤジ顔でにやけるリーダーの顔を疑わしそうに窺う葵。
「場所が場所やから、行った勢いで、女子コーセーとか女子ダイセー相手に『チチ! シリ! フトモモ! 』とか叫ぶつもりちゃうんか? バベルの特務エスパーが女子校でセクハラをかましたとなったら笑い事じゃ済まへんで」
「いいんじゃないの〜 そういう時に責任を取るために主任がいるんだから」
しれっと言い切る紫穂。
それが当然であるかのような台詞に皆本は苦笑しかない。
何となく、薫の引き起こしたセクハラで警備担当者に平謝りに謝る自分が思い浮かぶ。美貌の担当者はその整った眉根に皺を寄せ‥‥
‘そういえば、この先の女子校って‥‥’過去と現在が結ばれた。
軽い驚きから我に返った時にはチルドレンはすでにいない。こちらの返事も待たず薫が飛び出し葵と紫穂も続いたからだ。
取り残された形の皆本は追いつくべく足を速めた。
この後、学園祭を訪れた皆本は小学生時代の同級生(とその仲間たち)と再会、チルドレンも加わっての大騒動を演じることになるが、それはまた別の話である。
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