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ひざまくら


 いつも一人だった。
 お袋が家を出て行ってから、役に立たない親父に代わって店を守ると誓ってから。
 どれだけ時間が過ぎただろう。
 星乃湯の仕込みがなかなか上手く行かなかったことや。
 オンボロのボイラーが壊れて、一日がかりで直したことや。
 親父にレジの金をこっそり持ち出されて、その日のメシさえ困ったことや。
 普通の高校生とはかけ離れた毎日。
 意地だった。
 いつか憧れたヒーローが戻ってこられるように。
 ヒーローのように大事なものを守れる男になりたいと。
 どんなことでも耐えてみせると誓った。
 だが現実は心がささくれ立つばかりで。
 お世辞にも豊かとは呼べない暮らし。
 毎日の家事。
 ダメ親父の面倒。
 そして、星乃湯の仕事。
 生活の全てがずしりとぶら下がってきて。
 だから家にいなくて済むときは街をぶらつき、不良どもとケンカに明け暮れた。
 そうでもしなければ、とっくに潰れていたと思う。

 そして――

 あいつらが降ってきた。




「仕込み完了ーッ。天気晴朗なれども波高し、カナー?」

「もはや完璧ですなカナタ様。じいは鼻が高うございますぞ」

「おそうじも終わりました。浴場が綺麗になると嬉しくなりますね、うふふ」

「熱源安定稼働。湯温、衛生状態確認。入浴には最高のコンディションだな」

 いきなり死にかけるような目に遭わされて、店を壊されて。
 叩き出してやろうと思ったが、あいつらには帰る家がなかった。
 だからというか。つい情が移ってしまったというか。

「おう、みんなありがとよ。そろそろ休憩してくれ」

「わーい、嬉しいカナー」

「あ、あのうリョウさま……」

「わーってるよ。こっちは大丈夫だから行ってきな」

「はいっ。カナタ、リョウさまからお許しが出ましたよ」

「今日も一番湯カナー! アネウエ、早く早く」

「おおっ、じいを忘れんでくだされーっ」

 お騒がせで非力で役立たずな居候だったが、最近はそれなりに仕事も覚えてくれた。
 脳天気で、世間知らずで、何より風呂が大好きな。
 ちょっぴり変わった居候。

「今日は機嫌が良いようだなリョウどの。なにか楽しいことでもあったのか?」

「うるせー。なんでもねーよ」

 照れ隠しに背を向けて、ぽりぽりと頬を掻く。
 気付けばそれが当たり前になっていた。
 自分と親父だけでも精一杯。
 他人に構っている余裕など無かったはずなのに。
 背負うものが増えてますます追い込まれた――と思ったのは、最初だけだった。
 確かに苦労は増えた。
 悪徳宇宙人退治や、あいつらのお家騒動に巻き込まれて大変な目にもあった。
 だが――
 いつの間にか、心は軽くなっていた。




 一日終わって夜も更けて。
 遅い夕食を終えて、隣では小さな体がうつらうつらと揺れている。
 大きな大きな運命を背負った、小さな体を抱き上げて。そっと布団に寝かせてやる。
 掛け布団をかぶせて振り返ると、彼女が立っていた。

「本国にいたときと同じ……いいえ、それ以上に」

 毎日が楽しそうだと彼女は笑った。
 その優しい笑顔もまた、以前より輝いているとタコ足の老人から聞いたのだが。
 居間に戻って帳簿をまとめ終わると、時計の針は頂点から右に向かって傾き始めていた。
 窓を開けて夜の空気を吸い込むと、静かに息づいている星空を見上げる。

「わからんもんだなー」

「なにがわからないのです?」

「っと、まだ起きてたのか」

「いつも先に寝てばかりでは、申し訳ないですから」

 遅くまで起きていたせいで、気を遣わせてしまったらしい。
 会話はそこで止まり、しばらく沈黙が続く。
 視線を窓の外に戻すと、もう一度星空を見上げた。

「最初はものすげー迷惑でよ、いい加減にしろって思ってた」

「……」

「けど、最近は」

「最近は?」

「悪くねーな、って。家に帰るとにぎやかでさ。ずっと忘れてたけど、いいもんだなって」

「リョウさま」

 呼ばれて振り返ると、正座した彼女がひざをポンと叩いてニコリ。

「……なんだその笑顔は」

「どうぞ。遠慮なさらず」

「いっ、いやいやいや! どーしてそうなる!?」

「幼い頃、母がよくこうしてくれました。とっても落ち着くんですよ」

「俺は大人だ。そんな必要ないっての」

「リョウさまはいつも一生懸命なさってくれてます。
 私ができるのはこれくらいしか思いつかなくて」

 どうやら彼女なりの感謝の気持ちらしい。
 気恥ずかしくて仕方がないのだが、かといって無下に断るのも後味が悪いものだ。
 それで後々気まずくなっては尚更に。
 一旦心を落ち着け、冷静に状況を確かめた。
 自分と彼女以外の家人は全員寝ている。
 特に騒ぎ立て無ければ、誰かに見られることもないだろう。
 形だけでも言うとおりにしてすぐに切り上げれば、彼女の顔も立つ。
 照れ隠しに小さく咳払いすると、誘われるまま彼女のひざに頭をあずけた。

「……」

「どうですか?」

 真上は二つの「あれ」と顔が近くて、とても直視できない。
 視線を逸らし、自分でも聞こえるかどうかの声で

「……ああ」

 と頷いた。
 確かに心地良かった。
 下心がまるでない、と言えばそれは嘘だが、そのことよりも。
 遠い日の記憶――母のことを思い出していた。
 おぼろげになってしまった母の顔。
 それでも、そのぬくもりは憶えている。
 色々なことを思い出して、そして。

(そうか……そうだったんだな)

 どうして自分は星乃湯を守りたかったのか。
 なぜ頑なに意地を張り続けたのか。
 その理由の断片が今、見えた気がした。
 憧れたヒーローとの約束。
 自分の帰る場所。
 そして。
 そして家族のぬくもりを。
 それこそを自分は――
 ふいに目頭が熱くなった。
 気取られないように湧き上がるものをこらえ、変わらぬ笑顔の彼女を見上げて、言った。

「……ありがとよ。みんなに会えて俺は」

「ええ、私も……私たちも、リョウさまと出会えて本当に」

 さんざん迷惑をかけられた。
 激流のような運命の流れに巻き込まれた。
 けど、悪くないと思った。
 それ以上にこの居場所を、この時間を見つけられたことが――
 夜の風に乗って、柔らかな香りが鼻先をくすぐっていった。

















 ――おまけ――




 翌日

「ほほーう、色恋に興味ねーみたいな事言いながらおめーは。
 しっかり押さえるトコ押さえてんじゃねーか我が息子よ。
 今度は親父様と交替しろよ、え?」

「な、なんでこんな映像があるんだぁぁぁぁぁッ!?」

「私は王族の守護者だからな。ユウリ様の状況も常に把握している」

「お前かセイリュート! 早く消せ!」

「実に幸せそうな表情だなリョウどの」

「感心してる場合かッ!」

「あ、リョウがアネウエのひざ枕してもらってるカナ? うらやましいカナー?」

「後でサヤカちゃんとワネットちゃんにも教えてやらねーとなあ。ひっひっひ」

「や、やめてくれぇぇぇぇぇーーーーッ!」

 その日。
 星乃湯は休業となったという。
 
久々でございます。ちくわぶです。
久しぶりにこういうの書くと楽しいですね。
この作品は、雑談掲示板企画(08年04月時点・椎名作品で好きなSS。読みたいSS。)に触発されて書き起こしました。
リンクはこちら http://gtyplus.main.jp/cgi-bin/patio/read.cgi?no=37

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