「先生!今日は三月十四日でござるよ!お返しをくだされ!」
「勝手に部屋に侵入して寝ている俺に馬乗りになって言う最初の言葉がそれかい!」
ホワイト・ホワイト・ホワイト
Presented by 氷砂糖
三月十四日。俗にホワイトデーと言う第二のお菓子業界の陰謀の日、その日の空は雲が二割、青い空が八割といった割合で春の陽気が心地よい。
「そんな所歩いてると落ちるぞー」
「大丈夫でござるよ!先生も拙者の運動能力を知っているでござろう?」
確かにシロの身体能力は横島を上回っているのだが、両手を左右に伸ばしバランスを取りながら川沿いの金網の上を歩く姿はまるで、
「そうやって歩いているとまるで猫だな」
「………」
“スタ”っとしなやかにコンクリートの地面に無言で着地するシロ。人狼族である彼女にとって猫扱いはなんとも嫌な事であるようだ。
「まったく朝の早くにおこしに来たと思えばお返しの催促かい。俺はお前の育て方を間違えたようだな」
前を行くシロは振り返り、華やいだ笑みを横島に向ける。
「今日は散歩がない分ましでござろう。それにせっしゃは今日と言う日を先月から心待ちにしていたのでござるよ?あと先生の育て方は決して間違ってないでござる。せっしゃ何時かは先生がメロメロになるような素敵なれでぃ〜になって見せるでござる!」
言葉の内容はどう聞いても幼く聞こえる。されど侮ることなかれ、彼女は成長する。それもあっという間に、それは彼女が人狼だからという訳ではなく、乙女という存在にとっては当然のことなのだ。
「俺はそんな事教えた覚えはないんだがな。ってまてよ?お前散歩は確信犯か」
苦笑した横島を前にシロはクスクス笑いながら後ろ向きで歩き、横島と向かい合う。
「さあどうでござろう。少なくともせっしゃが先生との散歩を何よりも楽しみにしているのは真のことでござる」
「お前の散歩好きも大したもんだ」
「“先生との”でござるよ」
右足を中心にゆっくりとしたターン。合わせて舞う彼女の名前と同じ色をしたTシャツの裾と左右に大きく広げられたほっそりとした両の腕。
「それはどういう意味だ?」
「どういう意味だと思うでござるか?」
左足を中心にゆっくりとしたターン。再びシロは横島と向かい合い、後ろでに手を組み合わせる。
「それより先生。何故鞄の他に大きな紙袋まで持っているのでござるか?」
シロの指摘に横島は腕に下げた紙袋を掲げる。
「ああ、これか。ヴァレンタインのお返し」
「かなり数があるようでござるが、よくそれだけの数を買うことが出来たでござるなぁ」
感心した様子のシロに横島は困ったように笑う。
「これ位の事が出来なきゃ甲斐性無しのレッテルが貼られそうだからな」
横島の懐事情を知るシロはひとしきり関心したように頷くと本題を切り出す。
「それでせっしゃは何時になったらお返しをいただけるのでござるか?」
不満げな、それとも悪戯っぽい表情を浮かべたシロが横島に迫る。
「学校が終って事務所に行くまで我慢できないんか?」
「せっしゃは先生の一番弟子であるからして一番最初に貰えるのが当然でござる」
シロはそんな理屈になっているようでなってない理屈を展開する。それを見た横島は困ったような表情を浮かべて紙袋から一つの包みを取り出す。
「ほら」
取り出した包みをシロに手渡す。
「先生、有難うでござる!」
受け取った包みのリボンには“シロへ”と書かれた白いカード。
「今ここで開けても良いでござるか?」
シロは期待に尻尾をブンブン振る。
「ここでか?いくらなんでも事務所に帰ってからでいいんじゃないのか?」
そんな至極全うな横島の意見を聞いてもシロはその瞳を輝かせたまま横島を見上げる。
「分かったよ。食べていいぞ」
それを合図にワーイとばかりに包みをほどく。素早くほどいているにも関わらず、包装紙を破かずカードをポケットにしまっているのは乙女心のなせる技。
「ホワイトチョコレートでござるか」
「ああ。シロの分を何にしようかと思ったらそれが浮かんだ」
「シロゆえにホワイトでござるか。単純でござるなあ」
「やかましい。文句があるなら返せ!」
「ああ、冗談でござる!文句なんてないでござるよ!」
大慌てで否定に走るシロ。その手はしっかりとお返しであるホワイトチョコレートを握っている。
「せーんせい!」
「んが!」
突然ご機嫌なシロに口に何かを銜えさせられ、
「ん〜」
「んん!?」
シロは首の後ろに手を回し、横島が逃げられないようにしてからハート型のホワイトチョコの反対側を噛み砕いた。
触れそうになる唇。至近距離で香る青い匂い。口内に残るホワイトチョコの甘いミルクの味。
「シ………ろ?」
「タマモもやったことでござろう。それならばせっしゃがやってもいいではござらんか」
妙にすねたようなシロの言葉に、横島はあの時シロがすねにすねていたことを思い出す。
「先生、せっしゃも知ってるいるでござる。せっしゃが居ない間先生に何があって、何を
成し遂げ、何を失ったか」
普段のようにただ甘えために寄り掛かるのではなく、思いを伝えるための寄り掛かる。
「先生、せっしゃは人狼犬飼シロが人横島忠夫の弟子であることを誇りに思うでござる」
尊敬と、羨望と、それらを大きく上回る純粋無垢な思いを込めて。
「先生、せっしゃは先生に誓います」
真直ぐ、射抜くような真剣な瞳で横島を見詰める。
「美神殿より先に死にませぬ。おキヌ殿より先に死にませぬ。タマモより先に死にませぬ。そして何よりも先生、先生より先に死にませぬ。せっしゃは皆を看取りましょう」
壮絶な覚悟、誰にも悲しい思いをさせないために一番悲しい役を引き受けることを望む者の覚悟だった。
「………シロお前はそれでいいのか?」
「はい!もう決めたことでござる。ですから先生せっしゃ欲しいものがあるでござるよ」
皆のため、何よりも横島のために辛い道を行くことを覚悟した弟子のおねだり。それに答えずなにが師匠か、
「俺にできる物にしてくれよ」
「大丈夫でござるよ!むしろ先生じゃないと無理でござる」
「言ってみろ」
不覚にも目じりに涙が浮かぶ。だがそれは流してはいけない。自分は今嬉しいのだから。
「先生をくだされ」
「………………………………………………は?」
思考回路を停止させ、固まったままの横島にシロは畳み掛ける。
「いやー、せっしゃとしたことが皆に遅れをとってしまったでござるからなあ。これ位しなければ追いつけそうにないでござる」
あっはっはっはと普段のように笑うシロ。その様子からさっきまでの姿がうそのようである。
「あっ、答えは今じゃなくてもよいでござるよ。先生にはしっかり考えた末でせっしゃを選んで欲しいでござるから」
呆気に取られたままの横島は動き出す様子がまったく無く、事態は進む。
「これが美神殿たちのお返しでござるな。せっしゃが持って行くでござる」
「あ、ああ」
生返事を返す横島を他所に、シロは忠夫が持っている紙袋の中から美神、おキヌ、タマモと書かれたカードが着いた包みを取り出す。
「では先生。勉学のほど励んでくだされ!」
背中を見せ走り出すシロ。その姿が小さくなったとき、
「あれ?持ってかれた?」
横島の思考が再始動した。
「せんせー!」
声をたどればシロが振り返り大きく手を振り、
「言い忘れたことがあったでござる!」
シロは何時も浮かべる満面の笑みを浮かべ、
「大好きでござる!」
思いを告げた。
「ただいまでござる!」
出かけたときに比べ三十割増しに元気よくなってシロが帰ってきた。
「お帰りなさい。シロちゃん」
「あんたは元気ねー」
「ちょっとは御淑やかに出来ないの?馬鹿犬」
皮肉を口にするタマモもなんのその。まったく気にする事無く美神たちに横島が用意していた包みを渡す」
「何よこれ?」
「先生からのお返しでござる!」
一瞬にして凍りつく事務所内。人工幽霊一号が大慌てで暖房を聞かせるが追いつかず。
「へ、へぇ。何であんたが横島君のホワイトデーのお返しを持ってるのかしら?」
「それはもちろん先生から預かったからでござる」
半分強奪に近かったのは気のせいである。
「覚えてなさいよ」
ここにはいない朴念仁に向けて呟くがそれは冤罪である。
「美神殿、おキヌ殿、タマモ」
「どうしたのよ?」
「どうしたの?」
「何よ?」
勘違いをしてすこし不機嫌になっている三人を前にシロは、
「負けないでござるよ!」
宣言する。
「へえ、私に勝てると思ってるわけ?」
そしてその宣言は、
「正々堂々勝負です!」
四人の乙女の戦場の、
「引いたりしないんだから!」
始まりを告げる。
「先生が誰の者になるか勝負でござる!」
―命短し恋せよ乙女―
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