皆本光一は考える。
あの時須磨主任が言っていたことは本当に間違っていたのかと・・・・・・
―――――― 冬のオペラント行動 ―――――――
学習の一種にオペラント条件付けというものがある。
自発的に起こした行動が、その結果生じる状況によってその自発性を変化させていくというもの―――
ネズミをレバーを引いたらエサが出る箱に入れるとどうなるか?
たしかそんな装置を使った実験で説明されることが多かった筈だ。
つまり、レバーを引いていいことがあると、ネズミは頻繁にレバーを引くようになる。
逆に嫌なことがあるとレバーを引かなくなる。
簡単に言ってしまえば至極当然のことだろう。
これは教育活動などにも応用されている行動分析の視点らしい。
―――薫が聞いたら、アタシ達は動物じゃないって怒りそうだけどな・・・
皆本は薫、葵、紫穂それぞれに思いを馳せる。
彼の脳裏に行動随伴生という用語が思い出されていた。
行動随伴生―――行動の結果生じた環境の変化と、その行動が自発される頻度の変化を類型化したもの。
その類型は、たしか4つ程だった。
自発頻度の変化は大きく2つに分けられる。
その行動を良くとるようになる「強化」と、とらなくなる「弱化」。
強化されるための要因は、更に2つに分けられる。
つまり、その行動をとったことで良いことが起こると、その行動を次もとろうとする「正の強化」。
逆に、その行動をとったことで、不快な結果が回避されるからその行動を次もとろうとする「負の強化」。
弱化に関しても同様で、その行動をとると、良いことが消えてしまうからやらないようになる「負の弱化」。
逆に、その行動をとったことで、不快な結果が生じるからやらないようになる「正の弱化」。
この場合の「正」「負」、は正しい正しくないという意味ではない。
「良いこと」ないし「悪いこと」が生じた場合を「正」、消えた場合を「負」、単に方向性の違いに過ぎない。
身も蓋もない言い方だと、どんな行動をとるようになるかは、ご褒美のアメと罰の鞭が現れたり消えたりして変化していくということだ。
―――須磨主任のやり方は今も認めていない。だけど・・・・・・
彼女のやり方は典型的な「正の弱化」だった。
暴走する薫を止めるために不快な電気刺激を生じさせる。
方法としては非常に間違った、しかし、方向性としては間違ってるとは言えないやり方。
『私だって好きでこんなことしてんじゃないのよ! あの子たちが他人を傷つけたら、あんた責任とれるの?』
あの時言った彼女の言葉が思い出される。
やり方は認めないが、彼女の行動には終始一貫した姿勢があった。
人を傷つけたら許さない。悪い行動を悪いと言い切る毅然とした姿勢は皆本も認めざるを得ない。
エスパーを恐れ排斥するだけの人々とは違い、彼女は彼女なりに欺瞞も打算もなしに薫たちと向き合ってはいたのだ。
―――でも、良くやったと誉めることでも・・・!
心地よい結果が生じることで、強化される行動もある。
全ての行動を褒めちぎる局長のやり方は論外として、良くやった、よく我慢したと誉めることで、超能力の使用法を良い方向に向けていける。
こう考えようとした皆本は、良い行動をとった薫たちへの評価が適正に行われていないことに改めて気付き愕然とした。
『それに―――パワーを発揮するほど私たちのこと「怖い」って・・・』
いつぞや火災現場の帰りに呟いた紫穂の言葉が思い出される。
いや、それ以外の現場でもそうだった。
彼女たちが力を発揮すればするほど、周囲には感謝と共に恐れの感情も生じてしまっていた。
それは彼女たちにとって行動を強化させる、心地よい結果だったのだろうか?
そして国家の最高機密である彼女たちには、人々からの感謝が直接寄せられることはない。
電波ジャック事件の時、彼女たちが自分たちのイメージに必要以上に拘った訳を皆本はようやく理解した。
―――なんてことだ。彼女たちはその行動を適正に評価されていない。
皆本は今更ながら高レベルエスパーという存在の危うさに愕然とする。
感謝されるべき行動をとっても、適正に感謝されない彼、彼女たち。
それはその行動について「正の強化」が起こりにくいことを意味する。
その行動の頻度が強化されるとしたら、不快な結果を回避する「負の強化」の方が容易いだろう。
つまり、彼、彼女たちは不快な状況を提示され、それを避けるために真に感謝されない良き行動を求められる。
みんなから恐れられないためには、役に立たなければならないという状況。
それは須磨主任による「正の弱化」と大差なかった。
―――結局、須磨主任と大差なかったってことか・・・・・・
電気ショックという分かりやすい否定要素のせいで彼女の行動は容易く否定される。
しかし、彼女と自分たちにどれ程の差があったというのだ。
皆本は悔やむように頭を振った。
彼女は電気ショックを躾けと言った。それは今でも認めていない。
だが、彼女の躾は薫たちにのみ向いていたのでは無かった。
彼女のやり方に反対した自分の行動を消失させようと、股間を蹴り、拳銃を突きつける。
須磨という女は、世の中全てに対し「正の弱化」を行わそうとしていたのだ。
それはサイコメトラーである紫穂に対しても行える、唯一の欺瞞も打算もない彼女なりの接し方。
多分、彼女の前に普通の人々や兵部が現れたとしたら、須磨は躊躇わずその股間に蹴りを見舞ったことだろう。
鞭のみを武器に絶対的な正義として君臨しょうとする躾の女王。
彼女は皆本の記憶の中にそんなイメージを残していた。
―――超能力の使用に関して、兵部だけが「正の強化」を行える。この結果はなるべくしてなったということか・・・
兵部だけが超能力の使用を肯定し、高レベルエスパーたちに心地よさを与えられる。
能力の使用に制限をかける自分たちには最初から不利な条件の戦いだった。
『この方があのコたちのためだってわからないの!? 10年後、きっと感謝することになるのよ!?』
―――ええ、本当にその通りかも知れませんね。しかし、僕は・・・
10年前に聞いた須磨の言葉を思い出し、後ろ手に縛られ椅子に座らされた皆本は自分の立場に力なく笑う。
パンドラに加わろうとする薫を止めようとし、逆に彼女に拉致された自分。
何処かの廃倉庫に放り込まれてから、既に1時間が経過している。
薫はもう行ってしまったのだろうか?
そんな不安にかられた皆本を、何者かが背後からそっと抱きしめてきた。
「薫か?」
「考え直してくれた? 一緒にパンドラに入るって・・・・・・」
力なく振られた皆本の首に、彼を抱く薫の手が強張る。
「そう・・・・・・それがあなたの答えなのね」
感情のこもらない呟きを残し、自分を抱きしめる体温が離れていく。
今の抱擁は彼女なりの最後通牒なのかも知れなかった。
「待ってくれ、薫ッ!」
「何? 皆本・・・」
背後で立ち止まった気配に、皆本は一つの質問をぶつけていた。
「僕のやり方は間違っていたのか? 須磨主任のやり方ほうが君を苦しめなかったというのか?」
「須磨・・・あのオバサンには感謝してるわ。あの頃は分からなかったけど、確かにあのオバサンのやり方は正しかった・・・」
「クッ、僕はやり方を間違え・・・・・・へ?」
薫への接し方を悔やもうとした皆本は、目の前に現れた薫の姿に絶句する。
放置されていた1時間の間に入手したのか、目の前に立つ彼女の出で立ちは革製の短パンに同素材のブラ。
おまけにその手には本格的な鞭が握られている。その使用法を想像し皆本は顔をひきつらせた。
「ま、まさか」
「そう、躾けるのにコレほど有効な手はないよな・・・・・・皆本、一緒にパンドラに行くよな?」
「チクショーッ!! 冷静に考えたらこの話書いてるのアイツじゃないか!! 薫、冷静になれ、今ならまだ間に合う。もっとキレイな落とし方が・・・・・・」
ニンマリ笑った薫に皆本は必死にわめき散らす。
導入時のシリアスをひっくり返すという、王道とも言える展開をまんまと演じた自分が無性に腹立たしかった。
「皆本、口にしていいのは”ハイ”か”YES”のどちらかだぜ!」
サディスティックな微笑みと共に振り下ろされた鞭。
それが巻き起こす激しい痛みを想像し、皆本は固くその目を閉じた。
「なーんちゃって!」
襲ってくる痛みに代わり、彼にかけられたのは悪戯っぽい笑いだった。
恐る恐る目を開いた皆本は、寸前の所で静止した鞭がポトリと彼の足下に落ちるのを目撃する。
「痛みじゃ皆本が服従しないのは私が一番良く知っているから・・・・・・私のせいで拷問を受けた時もあなたは屈しなかったよね」
「薫・・・・・・何をする気だ!」
鞭を捨てた薫は、革製のブラジャーに指先をもっていく。
「鞭じゃあなたを服従させられない。それならば別な方法をとるだけのことよ・・・」
薫の言葉に皆本は大いに動揺する。
彼がパンドラに加わるという行動を強化させる為に、苦痛を生じさせる鞭は使わないと薫は言った。
それならば、その行動を強化させるのは心地よい刺激しかない。
大きな音をたてた皆本の喉に笑みを浮かべると、薫は皆本の体温が感じられそうな距離に自分の胸を近づけていく。
そして、はち切れそうにブラを押し上げている胸を解放すべく、薫の指先は編み上げるようにブラを留めているヒモを一気に引き抜いた。
「薫、やめろーッ!」
「うふふふふふ」
「なんかザラッとする! 心がザラッとする!!」
「駄目よ、よく見なさい」
イヤイヤをするように視線を外そうとする皆本の頭を、薫は両の手でしっかりと固定する。
彼の眼前に迫った彼女のバストトップには、何故か蓮の花が飾られていた。
「不安定になるから早く戻せ―――っ!」
皆本の必死な拒絶は、葵と紫穂が救出に現れるまで続いていた。
ヒュパッ!!
「大丈夫か皆本はん! 薫、薫のヤツは!!」
「少し遅かったようね・・・もう、ここにはいない」
床に触れた紫穂は薫の撤退を感じとっていた。
「でも、皆本さんは無事だった・・・」
紫穂はリミッターに付属した無線のスイッチを押す。
桐壺へ皆本発見の連絡を入れるためだった。
「しっかりな。皆本はん、もうすぐバベルの救助がくるで・・・皆本はん?」
ブツブツと何かを呟く皆本を、葵は心配そうに覗き込んだ。
「あ? 小さな突起が出っ張ったり引っ込んだりしている・・・。あはははは・・・乳首かなぁ? いや、違う、違うな。乳首はバァーンと一つだけだものな」
「皆本はん、あ、あああ・・・」
精神が崩壊してしまった皆本に、葵は言葉を失う。
「寒いな、ここ。ふぅ、出られないのかなぁ。おーい、ほどいて下さいよ、ねぇ」
「あぁ…。局長、桐壺局長、皆本さんが・・・。聞こえますか、バベル・・・」
気丈にも桐壺に皆本の状況をつたえようとする紫穂は、足下に落ちた革製のブラジャーに目を止める。
「そう・・・おまえもバベルに帰りたいのね?」
紫穂は身をかがめると足下からブラジャーを拾い上げた。
皆本の身に何が起こったのか瞬時に読み取った彼女は、これから全力で彼を回復させることを決意する。
ソレは葵には出来ないことだと彼女は思っていた。
「まだよ、まだ終わらないわ・・・」
何か釈然としないものの、葵は皆本を抱き抱える紫穂と共にテレポートの準備に入る。
時は西暦2020年、NYでエスパーの暴動が起きる少し前の出来事であった。
―――――― 冬のオペラント行動 ―――――――
終
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