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ジーク&ワルキューレ出向大作戦10『CROWD(4)』

「厚沢二尉ッ!」

「美神局長、申し訳ありません……
我々はここまでのようです……後の事は次の部隊が……引継ぎ――――」

「しゃべらないで!」

厚沢から連絡が途絶えたので、美智恵は急いで彼らが部隊を展開していた地点に戻っていた。
そこに広がっていたのは、血の匂いが濃く漂う、惨劇の現場だった。自衛隊員は皆一様に全身を切り裂かれ、苦悶の呻きを漏らしている。

「いえ……あなたが奴等を弱らせてくれたおかげです……
皆、命に問題はありません……奴等もかなり弱っています……後の事は……」

かたく唇を引き結び、美智恵は無言で頷く。
厚沢達も善戦したのだろう、人間の血の匂いに混じり、妖怪の血の匂いも漂っている。

「ですが、流石ですね……こうなる事を読んでいたのですか……?
あえて首都へ続く道を空けておくとは――――ゥグッ、ハ……!」

痛みに言葉を詰まらせる厚沢。
そう。美智恵は彼らに首都方面を空けておくように指示していた。
まさか鎌鼬がこれほど血に狂っている――逃走より殺傷を優先する程に――とは予想していなかったが、念のためにそうしておいたのだ。
もしも彼らが首都に侵入すれば……いったいどれだけの人間が犠牲になるか、想像すらできなかった。

「すぐに救急隊が来ますが、私は奴等を追わなくてはなりません。
貴方達の痛み、必ず奴等に返しておきますので、安心して休んで下さい。」

魂の芯まで凍てつかすような美智恵の呟き。
敵に回せば心底恐ろしいが、仲間であればこれほど心強い存在は無い。
鎌鼬が向かった先は、既に自衛隊の手で交通規制が敷かれている。
後は山狩りで、弱った彼らを追い立てれば終了だ。そして血の跡を辿れば追跡も容易。
既に美智恵は王手チェックメイトをかけていた。

















「……う〜ん。お腹すいてきたわね。」

誰に言うでもなく呟く金髪の少女。
人ならざる身のためか、山道を歩き続けても疲労そのものはたいした事は無い。だが、流石に空腹感は感じ始めていた。
もっとも、人間と違い、彼女にとって食事は栄養補給というより娯楽の側面の方が強い。
なので、しばらくの間であれば、飲まず食わずでも行動する事は可能だった。
復活したばかりの頃と違い、霊力なら既に充分その身に蓄えているのだから。

買い食いでもしようと思っても、さっきから民家一つ見当たらない。
日本全国どんな場所にも設置されている自動販売機も、流石に獣道まではカバーしていない。
ため息混じりに肩を落とす少女だったが、前方から風に乗って食べ物の匂いが流れてきた。
耳を澄ますと、若い男女の騒ぎ声も聞こえてくる。

「なるほど、これはお花見ってヤツね。よ〜し、こっそり何かいただいちゃおうかしら♪」

周囲に目をやれば、ちらほらと桜の木が点在している。
夜目をこらして前方を窺ってみれば、しばらく進んだ所に桜が密集している場所があった。
美味しそうな匂いや、にぎやかな声もそこから流れてきている。

シロを追いかけるのは中断し、少し寄り道していこうとタマモは笑みを浮かべていた。
















宴もたけなわの花見会場。
若者達は周囲を気にする事も無く騒ぎ立てていた。

「おい、見ろよアレ。犬がいるぜ。」

「犬、かしら……? なんか微妙に違うっぽいけど。」

その一人がふと木々の間を見やれば、黒っぽい生き物がこちらを見ていた。

「ほ〜らほら、こっちおいで、食べ物やるぞ〜♪」

酔っ払った若者の一人が、焼き鳥を串から外し、動物に向かって放り投げた。
安心したのか、動物は茂みから若者達の方へ向けて近づいてくる。
闇夜の中では良く見えないが、動物は足を引きずり、その毛皮は雨に打たれたように濡れていた。

――――いやぁ、助かりました。皮をボロボロにされてしまいましたので、代わりを探していたのです。

「ん? お前、今何か言った?」

「え。私じゃないわよ。あなたでしょ?」

ゆっくりと近づいていく獣。
若者達が明かりとして用意していたライトに近づくにつれ、その輪郭が明らかになる。
獣は涎を垂らしているが、先程放られた肉には見向きもしない。

――――さっきの人間の罠かと思ったけど、ろくに霊力も持ってないみたいだ。こいつらはただの人間みたいだね。

「あれ、もう一匹……?」

「犬、っていうか……いたち……?」

別の方向からもう一匹が姿を現す。
そして、さらにもう一匹――――

――――別に罠でも構わないわ……人を斬り殺せるならそれで……

若者達を囲むように現れた三匹は、徐々にその距離を詰めていく。
感受性の強い何人かの若者は、肌寒さのようなものを感じていた。

――――うん。人気の無いところに追い立てられちゃって退屈してたんだけど、ようやく遊べるや。

「ねえ、何だか……」

「こいつら、変じゃね……?」

――――アクゼン……ダイバカゼ……皮を剥ぐぶんはちゃんと残しておきなさいね……

――――聞きましたね、ダイバ。姉上がやり過ぎるなと仰せです。

――――わかってるよ、ミサキねえ……アクにい……

若者達を取り囲んだ三匹の獣。
闇色に塗り潰された双眸に浮かぶ、真紅の眼光。
全身には銃弾でこそぎ取られたような傷があり、赤黒い血が溢れ続けている。

獣の身体から伸びた瑠璃色の刃が、月の光を浴び、ゆらめいた。



















大地に膝をつき、銀髪の少女が周囲の気配を探っている。
ここまで辿ってきた匂いが、この地点で匂いが二つになっているのだ。

「里に向かうものと……もう一つは、来た道を戻っている……?」

理由はわからない。わからないが、追うしかない。だが、どちらを?
そして既にかなり距離を詰めているのだろう、来た道を折り返す匂いは、かなり新しいものに変わってきていた。
折り返してきた犬飼と出くわさなかった事を考えると、来た道をそのまま引き返したという訳では無い筈だ。

里の仲間への復讐が本命の目的ではなかったのか?
里の方角に嗅覚聴覚を集中させても、何か騒ぎが起こっている様子も無い。
戻ってきた犬飼の匂いにも不穏な匂いは含まれていない。
いったいヤツは何をしにきた?

と、その時、シロの研ぎ澄まされた嗅覚が犬飼の匂いとは違うものを感じ取った。
少し離れた場所から流れてくるその匂い。
それは一度覚えれば決して忘れる事が出来ない、シロが大嫌いな匂い。
血の匂い。死の匂い。

通常であればそれに気がつかない事などあり得ない。
だが、今は犬飼の匂いを追う事だけに集中していた。

「……まさか!」

脳裏をよぎるのはあの時の辻斬り事件。
あの事件で、犬飼は何人もの罪のない人間を斬り殺していた。
再び繰り返される惨劇を予感し、シロは気配を消す事も忘れ駆け出していた。


















「……なによ、これ。」

魂を抜かれたようにタマモは立ち尽くす。
咲き誇る桜の木の間から見える、眼前の景色。二色で染め上げられた景色。
舞い散る桃と大地に広がる紅が織り成す光景は、あまりに凄惨すぎた。

ついさっきまで、若者達がここでにぎやかなお祭り騒ぎに興じていた筈だ。
急に静かになったから、おかしいとは思った。だが、こんな事になっているとは考えもしなかった。
もちろん、嫌な匂いが漂ってくる事には気がついていた。だが、何かの間違いであろうと思っていた。

「ああ……痛い……あの人間にやられた傷がふさがりません……」

「でもまあ、皮をかぶっとけば出血は抑えられるよ。ホント、良いタイミングで獲物と出会えたよね。」

「……全然足りないわ……もっと、もっと、斬らないと……」

入院着に身を包む痩せこけた長身の男。ゴホゴホと痰をからませた咳を繰り返している。
指先についた返り血に舌を這わせる、年端もいかぬ少年。半袖にショートパンツという出で立ちは健康的に見える。
目を細め、呆とした表情で呟く女性。地面に転がる物体から血に染まった衣服を引き剥がし、己が身に巻きつけている。

彼らの足下に無造作に転がるモノは。
いや、『転がる』と言うより『散らかされた』と言うべきか。
むせ返るような血の匂いの中、三人がそれぞれに違う表情を浮かべて言葉をかわしている。

苦悶。無邪気。虚無。
それぞれがそれぞれの表情。
だがそこには一つの共通項が存在した。
彼らは皆、わらっているのだ。
返り血をその身に浴びながら、満ち足りた表情でわらっているのだ。

「あら……他にもお客さんがいるみたいね……」

肩越しに振り返った女が、タマモに微笑んだ。















気付かれた!
すぐにその場を立ち去るべきか迷ったが、敢えてタマモは三人に近づいていく。
相手は三人。もしも戦闘になれば明らかに自分が不利。逃げ切れるかどうかもわからない。
となれば、下手に逃げ出して相手を刺激するよりも、自分への興味を失くさせる方がリスクが低いと判断したのだ。

「なんだ、アナタ……アタシ達と同類みたいね……」

すぐに向こうもタマモが人間ではない事に気付いた。
狐と鼬。獣としての相性的にも、決して相性が悪い相手ではない。

「うわあ、キレイなお姉ちゃんだぁ♪」

無邪気な笑顔で少年がタマモの胸に飛び込んだ。

「やめなさい、ダイバ。初対面の女性に抱きつくなど、失礼ですよ。」

「……別に、子どものする事でしょ。私は気にしてないわ。」

痩せた男が少年をたしなめるが、タマモは何でもないといった表情で少年の頭を撫でてやる。
タマモとて小学生程度の少年――妖怪の見た目と実年齢は比例しないとしても――に抱きつかれて怒るほど神経質ではない。
だが少年が全身に浴びた返り血が、お気に入りのパーカーとキャミソールにべっとりと付着してしまったのには流石に参った。
痩せた男も返り血を注意せず、少年の行動のみを注意した事から考えて、タマモは彼らにとって返り血は日常的なモノなのだと分析した。
最初に受けた印象と違わず、彼らはまともではないようだ。

「……ミサキねえ……アクにい……このお姉ちゃん、人間の匂いがする。」

タマモに抱きついたまま、少年が小さく呟いた。
タマモの目の前で、少年の両手足から薄く引き伸ばされた霊波刀が伸び出していく。
上手くやり過ごせるかと思ったが、急激に危険度が上がり始めた。

「私は妖狐だからね。人間を騙しながら暮らしてるのよ。
だからイヤでも人間の匂いが移っちゃうの。」

何を当たり前の事を、といった仕草で肩をすくめる。
それを聞いた年長らしき女が、少年の髪をその細い指先で梳いてやる。

「ダイバカゼ……少し移動すれば獲物には困らないわ……
きれいなだけど……アタシは人間の皮にしか興味が無いの……余計な体力を使わせないで……」

「……しかし、このような場所で出会うとは些か奇異ですね。」

考え込むような痩せ男の仕草に、内心タマモは焦りを覚えた。
詳しく話を聞かれれば、いずれボロが出ないとも限らない。
だが、男は自己解決したとばかりに手を叩く。

「ああ、もしや、貴女もこの人間達を狙っていたのですか?
であれば、申し訳ない事をしてしまいました。お仲間がいるとわかっていれば、少しは残しておいたのですが……」

タマモは平静を装い、適当に相槌を打ちながら相手の言葉に合わせる。

「ま、そんなところ。でも別に構わないわ。他の用事のついでに通りかかっただけだし。」

――――仲間。
連中に同類扱いされ、内心タマモは反吐が出そうだった。
タマモもそこまで人間に入れ込んでいる訳ではない。だから誰が生きようと死のうと、知った事ではない。
現にバラバラにされた人間がそこらに散らばっていても、何とも思わなかった。
死んだ人間は、それはもはやただの『物』。それらに何らかの感慨を抱く事はない。

だが、彼らのしている事は完全に常軌を逸している。
ろくに悲鳴を上げる暇も与えず、一瞬でバラバラにされた人間達。
獲物をいたぶる事で『狩り』を楽しむ妖怪は珍しくない。それは猫が鼠をいたぶるようなものだ。
しかし彼らのやった事は、そういう動物的な『狩り』とは明らかに異なっていた。

己が刃で肉を裂き、骨を断つ事を快楽にしているのだ。
それは『狩り』を楽しんでいるとは言わない。彼らは純粋に『殺し』を楽しんでいるのだ。
それがタマモには理解できない。人間を仲間とは思わないが、それ以上に彼らを理解する事は出来なかった。
これだけ近距離で相対しているのだ。彼らの魂に染み付いた、人間の血と肉と脂の匂いをタマモはイヤでも嗅がされていた。
それは彼らがずっとこうして殺しを続けてきた事を証明している。

それ故に彼らを刺激したくなかった。
『殺し』を楽しむのが目的なら、標的が人間以外に向く事も充分にありえたから。
タマモとしては、彼らがさっさとこの場を立ち去ってくれる事を期待していた。

「さ……行くわよ、二人とも……ここは獲物の数が少なすぎる……」

「それでは、お嬢さん。次逢う時はあなたの分の獲物も残しておきますので。」

この場を後にしようと、女と痩せ男がタマモに背を向ける。
小さく安堵の息を漏らすタマモだったが、その時、タマモの腰に手を回したまま少年が呟いた。

「……ミサキねえ……アクにい……このお姉ちゃん、人間の匂いがする。」

ホッと安心したところを突かれ、反射的にビクリと肩が震えてしまった。

「あのねぇ、さっきも言ったでしょ――――」

苛立ち混じりに先程の説明を繰り返そうとしたタマモに、少年はもう一度繰り返した。

「……ミサキねえ……アクにい……このお姉ちゃんから、『あの人間』の匂いがするよ……」

闇色に塗り潰された少年の瞳。そこに浮かぶ真紅の眼光がタマモの瞳を捉える。
猛烈に身の危険を感じ、タマモは反射的に少年を突き放していた。


















鮮血で染められた広場に、タマモの荒い吐息が響いている。
『あの人間』という言葉が何を指しているのか、タマモにはわからない。
だがそれを契機に、三人は突然襲い掛かってきたのだ。
元々近接戦闘は得意ではないため、既にタマモの身体には霊波刀で切りつけられた傷が無数に刻まれていた。
お気に入りだったキャミソールとパーカーも、既に幾度と無く切り裂かれ、己の血で真っ赤に染め上げられている。

「あなたの言う通りですね、ダイバ。微かですが、あの人間の匂いがしますよ。」

「たまには人間以外を斬るのも良いわね……ああ、たのしいわ……」

「このお姉ちゃんを解体バラしたら、服はミサキねえにあげるね。きっと似合うと思うんだ。」

それが彼らにとって当たり前なのか。
戦いの最中だというのに、先程までと同じ調子で言葉をかわしている。

三人は本調子ではないのか、動きに精彩が無い。
おかげで接近戦が苦手なタマモでも、何とか致命的な傷をくらわずに済んでいた。
だが、完全に取り囲まれたこの状況はあまりに分が悪い。
タマモの主な戦闘手段である狐火も霊体エクトプラズム加工も、接近戦には向いていない。
幻術にしても、抵抗値の低い人間ならともかく、妖怪三人を何の準備も無しで術中に嵌めるなど、どう頑張っても不可能な話だ。

何の前触れも無く、三人がタマモに襲い掛かった。
どう見ても、連携に必要な打ち合わせや、前もって決められたサインなどをやり取りしているようには見えない。
だが、彼らは完璧な連携で確実にタマモを追い詰めていた。

「燃えろ……!」

タマモの言葉と共に、舞い上がる焔が桜吹雪を巻き込みながら先頭のアクゼンを包み込む。

「……ギィ、ゥゥッ!!
熱い、とても熱いですねぇ! ですが、死に至る程ではない。」

「……ッ!」

焔を突っ切ってきたアクゼンが、すれ違い様に両腕の刃でタマモを切り裂いていく。
確かにアクゼンは全身に火傷を負っている。だが、タマモの狐火はろくに霊力を練り上げていないため焔の密度が薄く、決定的なダメージは与えれていない。
一撃で敵を焼き尽くせるだけの狐火を放つには、それなりの時間がかかるのだが、休む暇も無く襲い掛かる三人の連携の前では無理な話だった。

もう一度狐火をおこそうとするが、それより早くダイバが懐に滑り込む。
何を考えているか読めない、無邪気なその表情からは、次の行動予測が出来ない。笑顔で刃物を振り回しているようなものだ。
相手の狙いを予測できないタマモを嘲笑うかの如く、その両手足から霊波刀を伸ばし、回転しながら刃を振り回す。
タマモは予め両腕に纏わせておいた霊体エクトプラズムを硬質化させて防ごうとするが、高速回転するダイバの刃を防ぎきる事は不可能。
防御の隙間を抜いて、ダイバはタマモの両脚を切り裂いていった。

「懐に入ったダイバカゼが首を落とせないなんて……アナタ意外としぶといわね……
でも……好きよ、そういう……元気があって……殺しがいがあるものね……」

ヤマミサキの両肩から伸びた、長く分厚い霊波刀がタマモに迫る。
横島やシロを見てきたタマモにとって、霊波刀とは手から出すものだという認識があった。
だが、目の前の相手は違う。確認できただけでも、腹、胸、肩、腰、膝……全身のいたる所から刃を出している。
ボロ布を巻きつけたその姿も、今なら納得がいった。こんな戦い方をしていては、まともな服など着れる訳が無い。

しかもその密度は、あの二人の霊波刀に勝るとも劣らない。
今まで、どれだけ霊体を硬質化させても、このヤマミサキの一撃を防ぐ事だけは出来なかった。
防ぐ事ができないのなら、今まで同様回避するしかない。だが――――

く、ぅ……ッ!

――――ダイバに斬りつけられた両脚は、もはや俊敏な動きが出来るような状態ではなかった。
動けないタマモの姿に、ヤマミサキは両目を細めて恍惚の表情を浮かべた。
愛おしむようにタマモの頬に両手を添え、固定する。狙いはタマモの細い首筋。

「たまには……お仲間の皮をかぶるのも良いかもね……アナタ、すごく素敵だし……」

彼女なりの最上級の褒め言葉がタマモに贈られ、その両肩の刃が全てを断ち切らんと閉じられた。



















「そーっと……そーっと……」

「やあ、お帰りパピリオ。調査は楽しかったかい?」

音を立てないようにこっそりと歩いていた少女は、突然投げかけられた言葉に飛び上がらんばかりに驚いた。

「ジ、ジーク!? ま、まだ起きてたのでちゅか!?」

驚きのあまり、思わず声を上げるパピリオに、ジークは唇に人差し指を立てて静まらせる。
部屋の明かりは消されていたが、ジークの執務机のスタンドライトには穏やかな光が灯されている。
既に時間的には日付も変わろうかという時間であり、パピリオは事務所には誰もいないと予想していた。

ジークが唇に指を当てたまま、目でパピリオに合図を送る。
その視線につられ、パピリオが部屋の片隅に置かれたソファーに目をやると、姉であるべスパが静かに寝息を立てていた。
流石にスーツのまま横になれば皺になってしまうので座ったままの体勢だったが、どうやら疲れて眠っているようだ。
パピリオは起こさない様に足音を消してジークの机に向かう。

「べスパちゃんは何やってるんでちゅか? 眠いなら寝室で休めば良いと思うんでちゅが……
あ、ちなみにパピリオがこんな時間に帰ってきたのはべスパちゃんには内緒でちゅよ。」

「僕も寝室で休むように言ったんだが……護衛官が傍を離れるのは良くないってさ。
昼間、色々とデスクワークを手伝ってもらったんだけど、慣れない事をしたせいで疲れちゃったらしい。
せめてゆっくり休ませてやろうじゃないか。」

その言葉にパピリオが苦い表情を浮かべる。
本来、べスパと自分の二人で護衛する筈だったのに、こんな時間になるまで自分は調査を口実に遊び歩いていたのだ。
取り敢えず、明日の朝一で謝ろうと心に決めるパピリオだったが、謝っても何らかのお仕置きが待っていそうな気がするのが不安だった。

「で、ジークは何やってるでちゅか?
そもそも、さっさとジークが寝室に引き上げないからべスパちゃんに負担がかかるんでちゅよ。」

自分の事は棚に上げつつ、ビシッとジークに指を突きつける。
いつもの事なのか、ジークも特にツッコミを入れるでもなく、受け流していた。

「ん……ちょっと、調べ物があってな。」

興味を惹かれたのか、パピリオがジークの膝の上によじ登る。
ジークの執務机は決して小さくないが、それでも膝の上にパピリオを乗せて作業が出来るほど大きくは無い。
ジークの両脚を座布団代わりに、パピリオが机の上に広げられた資料を覗き込む。

「ふむふむ。これがそうでちゅか?」

「ああ、美神さん達が探してるらしいんだけど……僕達が介入するキッカケがどこかに無いものかと思ってな。
フェンリルと聞いて、もしかしたら力になれるかと思ったんだが……現状、どうにも手詰まりだ。」

人間界の事件にジーク達が関わる事は許可されていない。
ジーク達が動けるのは、事件に危険な魔族が関わっている場合のみだ。
それ以外の場合は魔界に申請を出さなければならないのだが、基本的には理由が無ければ却下されてしまう。
『フェンリルそのもの』が関わっているのなら話は別だが、現状集まっている情報から判断するに、それは無い。
『フェンリルの子孫』である人狼がどれだけ騒ぎを起こそうと、それを魔族がどうにかするのは協定違反になってしまう。
そのため、今この国を騒がせている事件も、黙って見ている事しか出来ない。

「まったく……関係の無い事件のためにこんな時間まで働くなんて、ジークは真面目すぎでちゅ。」

「そうそう。こんな時間までほっつき歩いてる、どっかの誰かさんにも見習わせたいねェ……」

突然背後から響いてきた聞き慣れた声に、パピリオがびくりと肩を震わせた。
油が切れたゼンマイ仕掛けの人形のように、ギギギとぎこちない動きで首を回しながら振り返る。
部屋の隅に置かれたソファーは、何時の間にか無人である。

ゴキゴキと拳の骨を鳴らしながら、べスパがジークとパピリオの背後に立っていた。
ジークが御愁傷様、と手を合わす中、パピリオは必死の弁解を開始する。

「ベ、ベベ、べスパちゃん! ほ、ほら、時間を見るでちゅよ!
ま、 まだ23:58分でちゅ! 約束通りちゃんと今日中に帰ってきたのでちゅ!」

ふぅん? それで? 他に言いたい事があるなら聞いてあげるよ。

「な、な、な、何もパピリオも遊んでいた訳では無いのでちゅよ!?
調査! そ、そう、調査が長引いちゃったから仕方なくこんな時間まで働いていたのでちゅ!」

へえ? 昼過ぎには向こうから電話あったよ? 調査は無事終了したって。

「あ……あの、いや、その、パピリオはでちゅね……ジ、ジークからも何か――――」

だが、頼みの綱のジークは力無く首を振るだけだった。
諦めろ。大丈夫、そうそう酷い事はされないさ。多分。きっと。恐らく。
ジークの憐れみの表情は、そんな感じの事を物語っていた。

首根っこを掴まれた宙ぶらりんの体勢で、パピリオはどこかに連れ去られていく。
恨みがましい視線が最後までジークに向けられていたのだが、こればかりはどうにもならない。
藪をつついて蛇が出てきては困るのだし。

じゃ、そろそろ寝ようかな。

日常のワンシーンを見届け、ジークは寝室へと向かうのだった。

※本文を見て頂いたらわかるかと思いますが、鎌鼬三兄弟はモブキャラからメインキャラへ移行しています。
それに伴いキャラ設定をオリジナルに差し替えております。ご了承ください。
愛着が増してメインに移行するのは良いとして、さすがにあのままだと色々とマズイので……(汗


( ゚∀゚)o彡゚終わらない〜♪ 終わらない〜♪





( ;゚Д゚)・∵ ゴブッ!

以後は不定期更新に移ります。連続更新はここまで。

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