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ここにいて

「やだやだやだ、これ買ってー」

デパートのフロア一面に、声が響く。
お願いしているというよりは、悲鳴に近い程甲高い。
床に転がってだだをこねる娘に、母親はほとほと困り果て注意しているが、娘は聞く耳を持っていない。
いや、自分の『お願い』に気を取られていて、母親の声など耳に入っていないのだろう。
ただただ我が侭を通したくて、あらん限りの精力を使って母親と戦う。
結果はどうあれ、終わったときには疲れ果てて歩けなくなるほどに。
目当ての物がなにかは知らないが、子供にとっては、だだをこねる対象はそれほど価値があるものなのだ。
久しぶりの休日を使い買い出しに来ていた皆本には、そんなお願いをした記憶は覚えている限りでは無い。
幼い頃から頭脳明晰であった彼は、どうやれば親の気を引いて買ってもらえるかも分かったし、無理を押し通す事もしなかった。
要領よく、不都合無く、そつなく。
意識せずとも子供らしくないその態度は、さぞ可愛げ無く映ったろう。
昔の自分を、今更ながら皆本はむずがゆく思う。

「まあ、でも」

今皆本には、その代わりをしてくれる『チルドレン』がいる。
つい先日も薫がモガちゃん人形を買ってくれと、10才という年甲斐も無く派手にだだをこねたばかりだ。
いっそ清々しいほどのだだっ子ぶりに、皆本は苦笑いをするしかなかった。
だが自分が出来なかったこと、しなかったことをしてくれる事で皆本自身も満たされていくのだろう、その証拠にいつの間にか頬が緩んでいる。

「そういや、前に困らせてくれた女の子がいたっけな」

つと何年か前の出来事を思い出す。
そうだ、あれはデパートでバイトをしていた時の事だった。





−ここにいて−





オモチャフロアの販売補助は涼しい場所で勤務でき、かつそこそこ実入りのあるバイトで、目当ての参考書を購入すべく当時の皆本は張り切って働いていた。
夏も盛りの休日で、フロアには家族連れも多い。
忙しく動き回る中、モガちゃん人形の棚を見ている、いや人形を持ちながら涙目で棚を睨んでいる女の子に皆本は気づいた。
いつもの様に買ってもらえなかった子供が悔しくてその場を動けないのだろうと思って放っておいたが、いつまで経っても女の子は動かないばかりか、親らしき大人も現れない。
気になって、皆本は近くにしゃがみ込むと、女の子に話しかけた。

「どうしたんだい?」

5才くらいだろうか。
萌葱色のワンピースに身を包んだ赤毛の女の子は、振り向きもせず、だが囁くように返事をした。

「…えないの…」

「ん? ごめん、良く聞こえなかったよ」

「モガちゃん、かってもらえないの。もうおとうさんに、かってもらえないの」

余程に悲しいのか。
口を真一文字にグッと手のひらを握りしめて、小さい身体を震わせている。
自分の言葉で感情が高ぶってしまったのだろう、ワックスの効いたフロアにぽちょんと涙が落ちた。
言わせてしまった皆本はどうにもいたたまれない心持ちになって、もう一度女の子に語りかけた。

「……そっか。じゃあ、いつまでもここにいてもしょうがないし、お父さん呼ぼうか」

皆本は一旦迷子センターに連れて行こうとしたのだが、女の子は誰も来ないなどと要領を得ない答えを返してくるばかりで、ひとまず泣きやむのを待つことにした。
どれだけ時間が経ったろうか、皆本は落ち着いた頃合いにハンカチで涙と鼻水を拭ってやる。
少女の握っていた人形を棚に戻してから――ふと、自分の頭の位置にある棚からどうやって商品を降ろしたのか疑問が掠めたが――そのまま少女の手を取って、迷子センターまで手を引いた。
小さく短い指を大きい手が包み込む。
皆本は幼い子供特有の熱さを感じたが不愉快ではなかった。
それどころか、柔らかく頼りない指先は震えていて、大丈夫だとわずかに強く握りしめると驚いたのか女の子が顔を上げる。
いつの間にか真っ赤な目元から、涙は消えていた。

「……ありがとう」

今度のつぶやきは、しっかり皆本に届いた。
照れているのか気恥ずかしいのか、すぐにうつむいたが、わずかに女の子の口元は笑みをたたえていた。
こう言うときは、泣いた烏がもう笑ったとでも言ってあげられればいいのだろうか?
子供を持ったことなど無い、親戚にも甥っ子などいない皆本には、小さな女の子の扱いは分かりかねる部分が多かった。
戸惑いつつも女の子の様子に安堵して、彼女が大きく振り始めた腕に合わせ、一緒に笑う。

「一人で来たのかい?」

驚かさないようにと、皆本はそっと問いかけた。
この子みたいな小さい子が、どうやってここまで来たんだろう。
街の中心部にあるデパートは、周囲のベッドタウンから幼児の足で来られる距離では無い。

「……あのね」

「うん?」

手を止めしゃがみ、目線を合わせた。
女の子は、なぜか申し訳なさそうな、すまなそうな、弱々しい声だった。

「おそら、とんできたの。おかあさんにダメだっておこられるけど……」

「……そりゃすごい。かっこいいねっ!」

女の子の顔が跳ね上がった。
目を見開き輝かせて、皆本に訴える。
飛んで良いの、飛んできて良かったの、と。

「もちろん。お空を飛べるなんて、すごいじゃないか」

「あはっ!」

そうか、良かったんだ。
女の子の声が、皆本には届いた気がした。
余程嬉しかったのだろう。
幾度も幾度も繰り返し女の子は皆本に問いかけて、皆本は何度でも良いんだよと答えてあげた。
先ほどから振っていた女の子の腕の勢いはどんどん増して、上下左右、もうすっかり辺り構わず振り回していた。
そうしている内、迷子センターにたどり着いた。
係の女性に引き渡そうすると、女の子はだだをこねた。

「やだっ! おにいちゃんといっしょにいるの」

宥めても一向に収まらない。
足下にすがりつき、顔をすりつけてくる女の子を皆本はついと抱き上げた。

「こらこら、わがまま言っちゃだめだろ? お父さんも心配してるよ」

「……もうこないのっ。おとうさんとおかあさん、リコンってゆうのしちゃったの。だからもうモガちゃんかってもらえないの。おかあさんもおねえちゃんもおしごとでいそがしいの」

だからか。
まさか捨て子とは思っていなかったが、寂しくて悲しくて、きっと楽しい思い出があったここに来たに違いない。
離婚がどういうものかよく分からなくとも、もう父親に会えないことを肌で実感して、たまらなかったのだろう。
家族も仕事で忙しくて、この子の相手を出来てないらしい。
目尻に涙を湛え始めた女の子とここで別れるのは、してはならない事と皆本には思えた。

「わかったよ、じゃあお迎えが来るまで一緒にいてあげる」

「どこにもいかない? いなくならない? やくそくして?」

恐ろしいほど真剣に、この答えに世の全てがかかっている様に女の子は懇願する。
あまりに純粋で切なくて、惜しみない願い。
女の子の淀みない綺麗な目には、皆本の姿がくっきり映っていた。

「うん、約束する。だから、もうだだをこねたりしないで」

皆本が言い終えるやいなや、女の子は皆本の肩口を掴み顔を寄せた。
余程に嬉しかったのか、それともぎゅっとしたかったのか、して欲しかったのか。
間近に寄せた女の子の顔はすぐに上気し、しかし意を決した様にまぶたを伏せる。

「……ありがとう、おにいちゃん」  
 

女の子は、皆本の頬にそっと口を付けた。
皆本は、自然と微笑む。
大胆なキスの裏側にある、この子の不安が少しでも和らいだのなら良かったと。
腕にかかる重さは、むしろ心地良い。
温かくて柔らかい、ミルクの匂いがするこの子がお母さんの胸元で元気よく笑ってくれると良いと。

「ね。聞かせてくれるかな?」

「なあに?」

女の子は照れたように、でもまっすぐに答えた。

「君の名前は?」

「んとね。あたしのなまえはね……」





「あの子の名前、なんだったっけな」

時間というのも当てはまらない程、ひどくみじかいときを一緒に過ごした女の子は今どうしているのだろう。
皆本は思う。
元気にしているのだろうか、もう甘えん坊は直ったろうか?
しばらくしてお姉さんが迎えに来て、それきり皆本はあの子にも会ってもいない。
それが当たり前なのに、突然思い出した出来事が皆本にはやけにきらきらと愛おしく懐かしい。
あまり年月も経っていないはずなのに、記憶は薄ぼんやり溶け込んでしまってはっきりとしなかった。

「もしかして今の環境が強烈過ぎて、記憶が混ざり込んじゃったのかな」

かしましく元気よい『チルドレン』達は、皆本の日常を色濃く塗りつぶしていく。
走って走って、皆本が彼女らを担当してからの時間は疾風の如く過ぎ去っていった。
そして、これからも勢いよく流れていくのだろう。
彼女らと過ごす時間は目まぐるしく慌ただしく、でもどこか居心地良い。

「……今日は夕飯、ちょっと豪華にしてやるか」

誰に言い訳するでもなく自分自身に呟き、騒がしいデパートの人混みをかき分ける。
皆本は悪戯ごとをする子供の様に、意気揚々と歩いていった。
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挿絵はこちら

こんにちは、とーり(元HNとおり)です。
今回はさすらいの絵師AKACHIさまとのコラボレーションによる掌編でございます。
けなげ可愛い薫像が布教されることを願ってやまない会として、けなげな薫が広まることを願って止みません(マテ

薫って色々と家庭の事情とか複雑で、あれこれ実はナイーブなんでないかな、とか思うのですが、皆様いかがでしょうか?
絶対可憐チルドレンの主人公二人、腐れ縁も此処まで来れば立派かナーと思ったり思わなかったり。うじゃ。

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