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いつか回帰できるまで 第十一話 私はあなたと共に

 時間を少しさかのぼることになる。

「外、どうなっているのかしら」

 美神家の一室、おキヌが床に伏せるこの部屋には彼女と縁深き者達が見守っていた。

 弓かおりは、病床のおキヌの手を握りつつ不安を見せない凛とした姿勢を保っている。
 その声はかすかに憂鬱さが籠もっていた。

「そっちもそうだけど、おキヌちゃんの顔青いぜ」

 紫に染めた髪を揺らし、50年来の親友をのぞき込むのは一文字魔理である。
 その場の全員の視線が集まっていた。

 ふと布団に横たわる老女の口がかすかに動いていた。

「横島……さん」

 病床の中、己の病状よりも愛する伴侶への想いが滲みかすれそうな声で呟く。

「やっぱ心配なんだべな」

 義妹の手を握り締める早苗が己の苦しみが如くに苦々し気な表情でその顔を見つめていた。

「横島さん、私」

 ポォッ

 小さな燐光がおキヌの全身を包みこみ、閃光へと変ずる。
 不意にその場にいた全員が網膜を焼かれた。
 燐光が瞬いたかと思うと、すぐその場にいる全員の横をかすめて消える。

「な、何だっ!?」

 あまりに一瞬、その場の全員の表情は状況が分からないままにただ大事な人間に起こったことを確認しようとしている。

「氷室さんっ!?」

 枕元の弓かおりが体を乗り出していた。

「おい、どうなってるんだっ?」

 同じく一文字魔理が焦りを露わにしている。
 二人は狼狽を隠そうともせずに枕元へ殺到する。

「さっきの……おキヌちゃんだ」

 燐光が通り過ぎた後を見て、早苗が半ば呆然と呟く。

「え?」

「まさかっ」

 早苗の言葉にかおりが焦っておキヌをのぞき込む。

「でも、氷室さんの霊体は、確かに肉体に」

 かおりの声に早苗は気も留めず、ただ静かにその行き先に思いをはせる。

「行っただな」

 早苗は目を細めて出ていった燐光が行く先を思って、静かに呟いていた。



 空に飛び出し、周囲の様相が変わったことさえ気に留めない。
 霊体だけで外に出るのはどれほどぶりだろう、彼女の魂は虚空を駆け抜ける。
 ただでさえ衰弱している上に、現在はその一部でしかないのだ。
 頼りない己の存在を誰よりも分かっているのは彼女自身に他ならない。

『横島さんっ』

 それでも彼女は進むことを躊躇わない。

 全身を突き抜ける悪い予感は間違いなくこの荒野の向こうにある。

『居たっ』

 哄笑を上げる愛する人の姿、しかし、それが彼ではないことを一瞬で悟る。

『そんなっ』

 禍々しい気配に彼女の予感が当たったことを確信する。

 そして、その様を戸惑いと焦りを滲ませつつ見守る者たちがいることにも気づいていた。

 ビリビリと大気が鳴動していた。すさまじい霊力の波動が周囲を圧迫する。

 美神達は一様に硬直し冷や汗と共に戦慄するしかなかった。

「ふふふふっ!! はーっはっはっはっはっはっはっはっ!!」

 黒い歓喜の声が砂塵舞う空間に響き渡る。
 哄笑するバンダナ青年にはかの面影はない。

「あんにゃろ」

 硬直から立ち直り美神が短く毒づいていた。
 額には玉のような汗がにじむ。
 苦渋に満ちた口元は、かの怨霊への怒りと共に己の迂闊さを悔いる色が浮かんでいた。

「そりゃ『雷』『切』一発で仕留められるのはできすぎだったわね」

『えっ!? 美神さん? シロちゃんっ!! タマモちゃんもっ!?』

 思わぬ人物達を目にし、驚きとともに限りない喜びが胸に突き上げていた。

『みんなやっぱり無事だったんだ』

 彼女に肉体があれば間違いなく泣き出していたに違いない。
 霊体である現在でさえ抱きつきたい衝動に駆られているのだから。

 だが、事態はその感激を許容できるほど悠長なものではなかった。

「くぅっ、よくも先生をっ!!」

 美神達の背後でシロが霊波刀を顕現し駆け出しかけていた。気づいたタマモが慌てつつ相棒を羽交い締めする。

「だぁぁぁ、待ちなさいっ」

 制止の声が食いしばった口元から響き渡る。

「えぇいっ!! 放せっ」

 だが、銀髪の人狼少女は制止を振り払おうと身を縮めていた。
 シロが全力を出せばタマモの拘束など苦もなく振り切ってしまうことだろう。
 無論タマモとて力づくでシロを取り押さえられるなどと考えはしない。

「落ち着きなさいよっ!! 今斬りかかったら横島ごと攻撃しちゃうわよっ!!」

 噛みつかんばかりのシロにタマモが怒鳴りつける。

「っ!?」

 シロの全力を込めた体がびくりと震えた。
 さすがに一言で気づいたのだろう。冷や水をかぶったように硬直し全身を震わせていた。

『まさかっ、横島さんが』

 おキヌの胸中にどうしようもなく重い焦りが生まれる。

『何とか、しなくちゃ』

 だが、笑い続ける横島との距離は絶望的なほど遠い。

 いくら存在が希薄となった今でも、おそらくは近づくだけで気付かれ跡形もなく消されてしまう。

 それでは意味がないのだ。
 何とかしなければならないのだ。
 そして、彼女はそこにいる一人の女性に気づいた。
 己の面影をもっとも深く受け継ぐ孫娘の存在に。

 並び立つ面々の中で長い黒髪を風に吹きさらされ絹香の青ざめた面を虚ろにつぶやく。

「そんな、おばあちゃんに、おばあちゃんに何て言ったら」

『っ! そうだわ。絹香、あなたなら』

 すでに想いは行動へと転じている。
 虚空を淡い燐光が静かにたゆたっていた。
 燐光は誰にも気づかれぬまま、黒髪の少女の下へと舞い降りる。

「え?」

『あなたなら、私をあの人のところへ』

 自分と愛する人の血を引く孫娘の下へ希望を託した。





〜 いつか回帰できるまで 第十一話 私はあなたと共に 〜





 氷室キヌは闇に包まれた世界で目を覚ます。
 限りなく広いようで、手を伸ばせば端に手が届きそうでもある奇妙な空間だ。
 安らぐようで、しかし、油断のならない瘴気が立ちこめている。

『ここは?』

 思わず言葉が漏れる。
 だが、彼女は程なくしてそこが何であるか理解していた。

『そっか、ここが横島さんの中なんだ』

 周囲を見回す。真っ暗な世界だ。
 だが、闇の中でかすかな光があることを発見する。

『あれはっ』

 思わず駆けだしていた。

 直立したままの姿で拘束されている。
 横島の全身をがんじがらめに取り巻く網、余すところ無く絡み合って淡く燐光を放っていた。
 包まれた横島は目を閉じかすかに呼吸しているように見える。

「横島さん」

 おキヌはすぐにでも抱きしめたい衝動と戦いながら恐る恐る手を伸ばす。

「っ!?」

 横島に触れた瞬間、意識がグイッと引っ張り込まれていた。


 それはまどろみのような心地の中だった。

『夢?』

 横島に触れた瞬間、おキヌの意識は空間をたゆたっていた。
 遙か向こうには蜃気楼のように何かが繰り広げられている。
 どこかの寝室だろうか、男女が並んで横たわっている。

『あれってまさかっ!?』

 思い至るものがあったのか耳まで真っ赤に染まっていくのがわかった。




 恋人達を祝うかのようなホワイトクリスマス、粉雪という名の冬の妖精が町を覆い尽くしていた。
 外は一面の雪景色、二人は窓からその風景を眺めている。白いシーツの上で愛を語り合うひとときを終えたのか、体を寄せ合っていた。

「んー冬休み終わったらまた大学やなぁ」

 不意に青年が何とも残念そうにしみじみ呟く。

「もう横島さんったらっ」

 腕の中で長い黒髪を揺らす恋人が口をとがらせて不服そうにその顔を見上げていた。
 せっかくいい雰囲気だというのに彼はいつもこんな風におどけたようなことを言う。
 だが、そんな自然体な恋人のことを彼女は誰より愛おしくも思っていたりもする。

「ねぇ、横島さん、ちゃんと卒業研究って進んでますか?」

 いっそ崩れかけた雰囲気、諦め半分で彼女は恋人に問いかける。青年は困ったように目を逸らしていた。

「たはは、ここしばらく大変だったからさ」

 あっけらかんと言い訳述べて後頭部をボリボリと掻く。むしろ、その言葉に焦りを露わにするのは彼女の方だった。

「よ、横島さんっちゃんとしないと留年しちゃいますよっ」

「いや、まぁ、さ。何とかなるだろ?」

 相変わらず青年の声には危機感が見られない。

「もうっ、留年しちゃったら私と同学年になっちゃいますよ」

「おキヌちゃんと同級生かぁ、それはそれで魅力的だなぁ」

 笑って気楽そうに述べる横島の言葉に、おキヌの頬が一瞬フニャッと緩みそうになる。
 しかして、ハッと気づき、すぐさまプゥッとふくれさせていた。

「そ、そんなこと言ってて横島さんのお母さんが怒りに来ても知りませんよっ」

 プイッとそっぽむく。もっとも軽く紅潮した顔にある目尻はかすかに緩んでいたりするのだが。

「うぐっ」

 さすがにこの一言は効果テキメンだったようで、横島の頬にぶっとい冷や汗が流れていた。

 そんな横島を見て、おキヌは思い出したようにベッド脇にある自分のバッグを引き寄せる。
 軽く中を探って何かをとり出した

「あの、横島さん。これ、貸してあげます」

 その白魚のような指先には緑色の巾着に包まれた方形の何かがある。

「へ?」

「お父さんとお母さん、お姉ちゃんが勉強がうまくいくようにってくれた学業成就のお守りです」

 お守りを横島の手に握り込ませた。

「ちょ、そ、そんなの受け取るわけには」

「だから、『貸す』だけですよ」

 ひまわりのような笑顔で微笑む。

「横島さんが卒業したら今度は私が使いますから、だから、絶対に同級生になっちゃ駄目です」

「おキヌちゃん」

「約束、ですからね」

 少しだけ微妙な空気が流れるが、それも程なくして終焉を迎えた。

「ねぇ、横島さん」

 不意に愛しい恋人の腕をギュッと抱きしめる。

「私、欲張りかもしれません」

「え?」

「こんな風に、横島さんを独占できる時間がもっと欲しいって、さっき同級生になるのもいいなって横島さんの言葉がホントは凄く嬉しかったりして不謹慎だな、イヤな娘だなって」

 小さくうつむくおキヌに、横島はやや困ったように虚空を見上げる。
 程なくして優しく、背中越しに柔らかく抱き寄せた。

「よ、横島さんっ?」

 抱きすくめられて面食らったのは当然彼女だ。

「なんつうかさ」

 愛しい恋人の香りが鼻孔をくすぐる。何度触れても感動を禁じ得ない。
 横島は強すぎる刺激に軽く目を逸らしつつ、頬を染めている。

「その、そんな気持ちで居てくれるおキヌちゃんが、すげぇ愛しい」

「あ、えと、その」

「俺もさ、一緒にいたいからさ。だから頑張るよ」

 肩越しにまっすぐ恋人同士が見つめ合う。

「横島さん」

「少しでもたくさんの時間、おキヌちゃんと一緒にいられるように早く一人前にならないとなぁ」

 言って苦笑を浮かべる。
 どちらとも無く近づく二人の影が唇から重なり合っていた。

 そして、二人は再び互いの肌を重ねていく。




「ってっ!! 何の夢を見てるんですかっ!! 何の夢をっ!!」

 顔中真っ赤にしたまま、思わず声を張り上げていた。

「どわぁぁぁっ!!」

 辺り一面に響き渡る恋人の声に横島はまぶたを全開にしていた。
 おっかなびっくりと言った表情で周囲をキョロキョロと見回しそうになって正面にいる人影に横島は気づく。

「え? あれ? おキヌちゃん」

 正面には顔を真っ赤にし、ゼーゼーと肩で呼吸をする和服姿の彼女がいる。
 だが、その容貌は先ほどと異なり相当な月日の流れを思い起こさせた。

「おキヌちゃん。あれ? え?」

 狼狽する横島に、おキヌはハッと自分を取り戻したのか口元に手を当てサッと目線を伏せていた。

「あ、えっと、よ、良かった横島さん意識が戻ったんですね」

 指先をもじもじさせ、頬に冷や汗が浮かんでいるのはご愛敬である。

「も、もぉ横島さんったら50年前のあの晩のことだなんて……」

 そして、横島には聞こえない声で小さく何かをつぶやいていた。
 思い出してまた赤くなりそうな顔に自重を促しつつ、誤魔化すような上目で軽く見上げている。

「つつ……ここは?」

 横島は自分の自分の頭をさすろうとして、何の反応もしない自分の腕をいぶかしげに見下ろしてみる。

「なっ、なんじゃこりゃぁっ!?」

 己の全身をがんじがらめに取り巻く網、余すところ無く絡み合って淡く燐光を放っていた。

「えっと、俺、道真に捕まってたんか」

「はい」

「で、でも、おキヌちゃんはどうしてここに」

 病床に伏しているはずのおキヌが居ることに若干のとまどいが隠せない。

「胸騒ぎがしてつい、絹香にお願いして連れてきてもらっちゃいました」

 てへっと小さく舌を出して恥ずかしそうに小首を傾げる。

「おキヌちゃん」

 思わず目頭が熱くなる。

 おキヌは気安く言っているが今の彼女にとってそれがどれほど大変なことか横島とて容易に想像が付く。

「俺のせいで」

「もうっ、そんな顔しないでください。私にだってきっとできることがあるんですから」

 困ったように微笑み横島に寄り添う。

「おキヌちゃん」

 互いの視線が重なり合う。

 その瞬間だった。

「くおらバカ横島ぁっ!! あんた、このあたしに逆らう気かぁっ!!」

「ひぃっ!! ご、ごめんなさい美神さんっ!!」

 いきなり響き渡った怒号に横島が全身を竦ませていた。

 ドクンッ!!

「あり?」

 戸惑う横島の傍らでおキヌはふと異変に気づいていた。
 思わず肩越しに振り返っていた。

「あれは」

 周囲を取り巻く瘴気にかすかに切れ間が覗いた。

 おキヌはその先にある何かに思わず目を奪われる。
 そして、思わず駆けだしていた。

 ほんの数メートル先、瘴気の霧の中にある物をジッと今にも泣きそうな顔で見つめていた。

「なんて、悲しい魂」

「へ?」

 横島はおキヌの突然の行動に面食らったままだった。

「苦しんでます。小さな声ですけど」

 おキヌは瘴気に沈む奥に向かって手を伸ばしていた。

「ちょ、ちょっとっおキヌちゃんっ!!」

 横島の制止の声に構わず、程なくしてそれに触れる。

 おキヌの指先にかすかな燐光が触れていた。

「道真さんの、本当の魂の欠片」

 かつてアシュタロス達が放った魔物と戦ったとき、美神の母・美智恵がGS達に諭した言葉が脳裏によみがえる。

『確かにこいつのパワーは普通じゃ太刀打ちできない……!! でも、ヨリシロと魔力の源を切り離しさえすれば』

「あなたがヨリシロだったんですね」

 黒い瘴気が淀む中でその底に沈む小さな、そして、哀れな魂の欠片を両手で包み込んだ。

 おキヌは目を閉じ、胸に抱き寄せる。

「あなたはずっと『この感情』に囚われていたのね」

 それは恐ろしいほどの怒りでもなく、そして、憎悪でもなく。

「なんて、悲しくて寂しい……」

 閉じた瞼の隙間から輝く滴がそっとこぼれ落ちた。

 平安の昔から在る魂がかすかに揺れる。
 その様はまるで涙で咽せ返っているかのごとくに見える。

「あなたは破壊することを望んでいたわけじゃなかった」

 魂をただ抱きしめる。

「あなたは、陥れられ、誰からも放逐されたことが、疎外された事が何より一番辛かったのね」

 おキヌは優しく微笑みを浮かべ、手のひらの魂を労るように優しくなでた。

「もうあなたは苦しまなくていいんです。終わりじゃなく新しい始まり。天に居るあなた自身も待っているはずですよ」

 子供を諭す母親のように優しい声が触れるたび、道真の魂は震えゆく。

 空間を柔らかな光が包み込んでいった。

「さぁ、あなたは自由です。本来あるべきところに……還りましょう」

 小さな魂はかすかに逡巡するような動きを見せる。

「あなたは帰る場所があるんです。大丈夫」

 もう一度優しく微笑みを浮かべていた。
 その魂はフラッと揺れ、おキヌの両手から飛び立っていった。

「あっ」

 その瞬間、横島を拘束していた物がその力を失い空間に横島を吐き出していた。
 すでに横島の自由は戻っていた。
 だが、横島はそんなことよりも空間の先にいる存在に向かって呼びかける。

「おキヌちゃんっ!!」

 戒めから放たれ、横島はおキヌの元に駆け寄っていた。

「良かった。横島さん、動けるようになったんですね」

「え? あ、あぁ……でも、一体何がどうなってんだよ」

「道真さんの魂はほんの僅かな欠片だったんです。それが魔力で増幅されて怨霊として力を与えられていた」

「ルシオラ達が作ったモンスターみたいなモンだったって事か」

「そうですね。今では本来の道真さんの魂よりも魔力で増幅された影が新たな人格まで得ていたみたいです」

「じゃ、まだ終わってないって事?」

「はい、でも、それほど長くは維持できないと思います。核が消えてしまいましたから」

 柔らかく微笑みをたたえていた。

「それともう横島さんの体は奪えません」

「へ?」

 思わず首を傾げていた。

「横島さんの体を奪う基点に核である『人としての魂』を使っていたんです。だから、ここに」

「あっ、それじゃ、今解放されたから」

「はい、すぐ横島さんの意志通りに体が動くようになるはずです」

「そっか。って!? おキヌちゃんっ」

 横島の表情が強ばる。

 その視線の先にあるおキヌの全身がかすかに透け始めていた。

「あっ」

 横島の顔に焦りが浮かぶが、おキヌはさして驚いた様子もなく困ったような苦笑を浮かべていた。

「私もそろそろ限界みたいですね」

「なっ!?」

 横島の全身から血の気が引いていく。

「何言ってるんだよっ」

「大丈夫ですよ」

 力無い微笑みが横島を見上げている。その存在感は今にも力つきてしまいそうな希薄さだった。

「そんなに焦らないでください。私は氷室キヌの一部に過ぎないんです、崩壊して綻び出た霊体の一部にしか過ぎませんから」

 儚げな微笑とともにかすかに潤んだ瞳が見上げてくる。

「え?」

「私の本体はまだ家に居るんです。元々消えるはずの崩壊した魂の一部が私です」

『それに、ただ消えるだけだったはずなのに、最期に横島さんに会えたのだから』

 ただまっすぐジッと横島を見上げていた。

「だから、私は消えても問題ありませんよ」

「ふざけんなよ」

 ギュッとその透き通りそうになっている霊体を抱き寄せる。

「あ……」

 驚きと若干の喜びが入り交じった声が漏れる。

「欠片だろうが一部だろうが、おキヌちゃんはおキヌちゃんだっ!!」

「よ、横島さん」

 さらに力強く抱きしめられて、おキヌは戸惑いが隠せなくなる。

「離さねぇぞっ。俺は絶対おキヌちゃんのこと離さねぇからなっ」

「横島さん……」

 固く閉じた瞼、ポロポロとその隙間から涙がこぼれ落ちる。

「私、私っ」

 もうおキヌも感情を抑えられなくなっていた。横島の背中に手を回して必死にしがみつく。

「絶対に、消させねぇぞっ。消えるって言っても離さないからなっ」

 横島はおキヌが壊れそうなほどに力強く抱きしめる。

 そして、二人の魂の影は重なり、混ざり合い限りなく一つになっていった。






「貴様ぁ一体……一体何故ぇぇえぇぇぇぇっ!!」」

 叫びとともに全身を光が覆っていく。

「い、一体何がどうなってんのよ」

 美神は突然苦しみだした正面に敵に戸惑いが隠せない。

「令子お姉さん、多分もう大丈夫です」

 絹香が確信のこもった声で明言する。

「へ? どういうこと」

 思わず振り返りかけたその瞬間、横島の体から光が飛び出していく。

「っ!? ぶはぁっ!!」

 横島が盛大に息を吐き出していた。

「え? え?」

 周辺は一面の荒野、横島は目覚めた瞬間、戸惑う美神達を見た。

「えっ、まさか横島クンなの?」

「あ、はい。って」

 神通鞭を振りかぶったままの美神を見て、横島の頭部にタラッと冷や汗が流れ落ちる。

「み、美神さん? 何するとこだったんすか?」

「え? あ、あはははははははは」

 軽く青ざめる横島と、愛想笑い浮かべる美神の間に微妙な空気が流れていた。

「おじいちゃん」

 おずおずと黒髪の孫娘が呼びかけてきていた。

「あ、絹香ちゃん。サンキュ、よく届けてくれた」

 思わず照れ笑いが浮かぶ。

 労う言葉の真意が彼女にも伝わったのだろう。絹香は嬉しそうに微笑んだ。

 そして、少しはばかるように問いかける。

「ねぇ、おばあちゃんは?」

「あぁ、今俺の中にいるよ」

 ポリッと頬を掻くしかない。

「中?」

 つっこまれて横島の頬がかすかに紅潮していく。

「えっと、いや、ぜってぇ離すもんかって思ったらなんか俺の魂に溶けこんじまったみたい」

「それってノロケ?」

 照れくさそうに話す祖父の言葉に半眼で応えていた。

「ちょ、ちょっと」

 そんなやりとりに、地獄耳をそばだてていた美神が思わず割り込んでくる。

「まさか絹香ちゃんの秘策って」

「おばあちゃんの魂の欠片をおじいちゃんのところに届けたんです」

「魂の『欠片』って……何がどうなってるのよ」

「そういや、美神さんにはおキヌちゃんの状況って説明してませんでしたね……って、のわぁっ!?」

 横島の素っ頓狂な声と共にその体が宙に浮かび上がっていた。
 その体には黒い霧のような物が取り巻いている。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ

 周囲の空気を揺らしながらそれは姿を現していた。

「我はっ、我はもう終わりだ。だが貴様らだけはっ!!」

 崩壊しかけた霊体をと共に怨霊・道真が横島を引き上げ虚空に浮かび上がっていた。
 核となる霊体を失い急速に存在が不安定になっているのが誰の目にも明らかだった。

「てめっ、まだっ!! 悪あがきにしてもしつけぇぞっ」

「ぐおぉぉぉぁぁあぁぁっっ!! 一人でも多く道連れにしてくれるわぁぁぁぁあぁぁっ!!」

 崩壊しかけた怨霊の影が横島の眼前で吠える。

「ぐあっ、こ、この野郎、何かっ? 何かないかっ?」

 ふと、デニムのポケットある何かに指先が触れた。


『お父さんとお母さん、お姉ちゃんが勉強がうまくいくようにってくれた学業成就のお守りです』


『お守りっ!?』

「こうなりゃ何でもアリだっ!! こいつもくらいやがれっ!!」

 グッ!!

 横島は思わずそれを手に取って道真の崩壊しかけの体にたたき込む。

 ギッ!! ゴゥッ

「ぐっ!! なんだとっ!?」

 道真の顔が苦痛と驚愕に歪む。

「これはっっ!! がああぁぁああぁぁぁぁっ!!! おのれっ、おのれぇぇぇえぇぇぇっ!!」

 怨嗟と苦悶の絶叫を上げながら道真が全身を掻きむしる。
 道真の体が末端から崩壊を開始していた。

 そこには凄絶とも言える笑みを浮かべた道真の姿がある。その左半身は既に無く崩壊は加速していく。
 血走った目がギロッと横島を睨み付ける。

「貴様だけはっ、貴様だけはぁあぁぁぁっ!!」

「ちょ、てめっ!!」

 焦る横島をガッチリと掴んだまま道真の全身が発光した。
 稲光が虚空を切り裂く。

 ゴッ

 余計な音はない。ただ短く、そして強烈な爆風が横島と道真を中心に弾けた。

「くぅっ!!」

「なっ!!」

「せ、先生ぇえぇぇぇぇぇっ!!」

 悲鳴に似た絶叫が周囲をこだまする。

 半径十数メートルが炭化し焼け野と化していた。

 ドゥッ

 何かが地面に落下してきた。

 後は何もない。

 黒く焦げた人型の何かを残し、全てが焼失している。

「おじいちゃん、そんな」

 絹香は表情を失ったままでガクッと膝をついた。

「そんな……」

 ムクッ

「あー、死ぬかと思った」

 ビクゥッ!?

 黒こげのまま横島がむっくり起きあがっていた。額の汚れを袖で拭うという余裕まである。
 絹香を筆頭に周囲の人間が顔に縦線浮かべて後ずさっていた。

「な、何で生きてるのよぉぉぉぉっ!!」

 未知の生命体を見るような目で青ざめた絹香が言葉を投げつける。

「生きとったら悪いんかぁぁぁぁぁっ!!」

 両手をわななかせて横島が全力で絶叫していた。

 その後頭部をペシィッと美神が張っていた。

「いてっ、ちょ、美神さん何するんすかっ」

 言い募って振り返った瞬間、いつもより少しだけ頼りなげな美神がジッと見つめていることに気づいた。

「……心配させるんじゃないわよ」

「たはは、すんません。でも、あいつの置き土産が役に立ちましたよ」

 苦笑しながら手の上で輝く文珠を見せる。
 浮かぶ文字は『避雷』であった。

「あ……もしかしてそれって道真が作ってた」

 絹香の問いかけにあっけらかんとした笑みを浮かべる。

「まぁ、効果は作った人間関係ねぇから」

「ったく、つくづく反則能力ね」

 呆れ半分、感心半分で美神が苦笑を浮かべていた。

「で、道真になんか食らわしてたみたいだけど、あんた一体何やったの?」

 顔面蒼白の美神が思わず問いかけていた。

「えっと、手持ちのお守りをたたき込んでみたんです」

「何の?」

「もったいなかったけどおキヌちゃんが留年防止のために貸してくれた『学業成就』」

「……あんたの悪運につくづく呆れるわよ」

 美神が口の端をひくつかせる。

「学業成就って、要するに天神・道真の力の宿ったお守りですね」

 顔半分を青ざめさせたピートが呆然と呟いていた。

「学業成就のお守りで怨霊倒した人って横島さんくらいじゃないでしょうか」

「はっはっはっ、そんなに誉めるなよ」

「……誉めてないと思う」

 絹香が半眼でつぶやいていた。

 ともあれ、底抜けに明るいバカの帰還にGS達は一様に喜びを露わにしていた。

「……くくくく」

 だが、その黒い笑いが再び緊張を呼び戻していた。

「もはや、我に是非はない」

 そこにいるのは怨霊・もはや首だけを残し、異様な形相を露わにしていた。

「てめっ!! まだっ」

 思わず飛びかかりそうになる。

「貴様らが絶望のうちに死に絶える姿を見られんの心残りだが、まぁよい、くっくっくっくっく……」

 含み笑いと共に道真が塵と化していく。

「終わった……の?」

「でも、まぁとりあえず道真は片づいたみたいだし、残務整理をこなすわよっ」

「あっ、そうだまだあいつが」

 美神の声に横島がもう一つの敵の存在を思い出した瞬間だった。

 ゴガッ!!

「ぐぅっ!!」

 突然悲鳴のような声が響く。

 横島達が声の上がった方を見上げると、金髪の女性がすさまじい勢いで空気を切り裂きながら飛んでくる様が見えた。

「ベ、ベスパっ!?」

 横島が思わず声を上げていた。

 そして、瞬く間に地面にたたきつけられ、あまりの衝撃に何度もバウンドし、土砂を巻き上げながらようやく横たわる。

「お、おいっ」

 思わず駆け寄っていた。

 だが、それだけではない。

「ちょ、まだなんか飛んでくるわよっ」

 タマモの悲鳴に見上げた先には放物線を描いて吹き飛ばされてくる龍神の姿があった。

「くっ、間に合え」

 落下地点に向けてシロが飛び出していた。

 ドオッ

「くっ、大丈夫でござるか?」

 受け止め、かろうじて着地したシロが抱き留めた相手に問いかける。

 そこへようやく他の人間達数名が追いついてきていた。

「横島さん、逃げてください……」

 小竜姫はそれだけ絞り出して、ガクリと気を失ってしまった。

「小竜姫様っ」

 ひのめが駆け寄る。

 その様を黒い巨獣がジッと見下ろしていた。
こんばんわ。長岐栄です♪
『いつか回帰できるまで』第十一話をお届けにあがりました〜♪


みなさましばらくのブランクはお待たせいたしてしまいました (´・ω・` )
いっちょペースが上がった分をアップしちゃいますぞっ
では、恒例のレス返しをば

>wataさん
まぁ、横島ですからw こうなってくれなきゃ嘘でしょw
絹香の仕掛けはこういうものでした♪

>良介さん
実はエミさんのエピソードをイメージして作ったんですよ(´・ω・` )
やっぱり横島クンならこうでしょw
うーむ、もしかすると宿命レベル的にボコられるのが仕様なのかもしれませんね

>akiさん
いよいよ佳境に入ってきましたっ
ここで再登場のおキヌちゃん。気持ちを確かめ合った二人の未来はいかに
がんばって彼らの未来を描きたいと思います

>柳太郎さん
はじめまして♪
おぉっ待っていてくださったとは……待っていてくれる人がいる。
こんなに嬉しいことはない。
がんばって次の話も作りますよ〜



道真を倒したのもつかの間、まだ残っていた巨獣
果たして奴の戦闘力やいかに……でわでわ、次回十二話をお待ちくださいませ♪

[mente]

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