ビリビリと大気が鳴動していた。 すさまじい霊力の波動が周囲を圧迫する。
美神達は一様に硬直し冷や汗と共に戦慄するしかなかった。
「ふふふふっ!! はーっはっはっはっはっはっはっはっ!!」
黒い歓喜の声が砂塵舞う空間に響き渡る。
哄笑するバンダナ青年にはかの面影はない。
「あんにゃろ」
硬直から立ち直り美神が短く毒づいていた。
額には玉のような汗がにじむ。
苦渋に満ちた口元は、かの怨霊への怒りと共に己の迂闊さを悔いる色が浮かんでいた。
「そりゃ『雷』『切』一発で仕留められるのはできすぎだったわね」
苦虫をかみつぶした表情で汗を拭う。
「余力残して死んだ振り、か。随分芸達者な怨霊ね」
隣に並び立つひのめがすばやく解答を導き出していた。
「くぅっ、よくも先生をっ!!」
美神達の背後でシロが霊波刀を顕現し駆け出しかけていた。気づいたタマモが慌てつつ相棒を羽交い締めする。
「だぁぁぁ、待ちなさいっ」
制止の声が食いしばった口元から響き渡る。
「えぇいっ!! 放せっ」
だが、銀髪の人狼少女は制止を振り払おうと身を縮めていた。
シロが全力を出せばタマモの拘束など苦もなく振り切ってしまうことだろう。
無論タマモとて力づくでシロを取り押さえられるなどと考えはしない。
「落ち着きなさいよっ!! 今斬りかかったら横島ごと攻撃しちゃうわよっ!!」
噛みつかんばかりのシロにタマモが怒鳴りつける。
「っ!?」
シロの全力を込めた体がびくりと震えた。
さすがに一言で気づいたのだろう。冷や水をかぶったように硬直し全身を震わせていた。
そして、並び立つ面々の中で長い黒髪を風に吹きさらされ絹香の青ざめた面を虚ろにつぶやく。
「そんな、おばあちゃんに、おばあちゃんに何て言ったら」
つぶやいた瞬間、虚空を淡い燐光が静かにたゆたっていた。
燐光は誰にも気づかれぬまま、黒髪の少女の下へと舞い降りる。
『絹香……』
「え?」
思わず周囲を見回す。しかし、絹香以外に反応したものはいない。
「何?」
まるで幻聴だったかのように他の誰も気づいたそぶりはない。
しかし、そんな戸惑いもつかの間、絹香の全身を燐光がかすかに瞬く。
柔らかな小さな光、癒されるようなその輝きに戸惑いが隠せない。
『何なの? 敵意がない。私の霊感が味方だって告げてる』
何の根拠もない。理屈で言えばこの戦場でこんな存在は怪しいもの以外の何者でもないのに、絹香は警戒を感じなかった。
「えっ?」
小さな燐光はちょうど絹香の胸の前辺りに降りてくる。
気づいたときにはそれを思わず手のひらで受け止めてしまった。
「っ」
そして、彼女は悟る。「これ」が何であるかを。
「まさか? そんな」
ビクリと震えて、小さく驚きの声を上げ絹香は燐光が小さく照らす手のひらを見つめていた。
かすかに震える光に応え、小さく、そして、強く頷く。
「そっか。私がやるしかないんだ、ね」
瞳を閉じ、受け取った燐光を胸に抱きしめる。
瞼が光を断っていたのは数瞬、彼女は意を決したようにキッと正面を見据えた。視線の先には哄笑を続ける祖父の姿をした魔物。
「私が、なんとかする。してみせるっ」
この場にいる誰よりも彼女がもっともふさわしい立場にいる。
いや、彼女にしかできない。
だからこそ、他の誰にも気づかれないように絹香だけを選んで呼びかけたのだ。
『見てておばあちゃん、私、絶対におじいちゃんを取り返す』
〜 いつか回帰できるまで 第十話 縁 〜
『どうせジリ貧。最悪でも、状況は悪化しないなら』
相貌に凛とした決意をたたえ、キッとまっすぐ前を見据える。
『私がやるべき事はおじいちゃんに近づく事』
手持ちのジョーカーを心に忍ばせ、数メートル前方に立つ叔母を確認した。
「令子叔母さん」
小さな声でかすかに呼びかけた瞬間だった。
「あ゛?」
亜麻色の髪を揺らしてギロッと殺気混じりの視線が返ってきていた。
きっと地獄の鬼も裸足で逃げ出すだろう迫力に、絹香の全身から一斉に冷や汗が吹き出してくる。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁ」
隣に立っていたバンパイアハーフは青ざめ、間に立っている人狼と妖孤に至ってはガクガクと震えて抱き合っている。
決戦の空気すら断ち割って圧倒的恐怖の重圧がその場に立ち込める。
それは視線を真っ向から受け止めることになった黒髪の少女。
「ぢ、ぢゃなくて、令子お姉さぁん……」
ズザッと後ずさりし、半泣きになりながらも、かろうじて声を絞り出していた。
美神から届く重圧が心持ち空気が緩和される。
「何よ?」
美神が前を見直しながら短く問いかけていた。
命拾いに一同胸をなでおろすのもつかの間、絹香は視線を鋭くする。
「少しの間、あいつをお願いできませんか?」
絹香の声のベクトルは哄笑を続けている彼女の祖父を示している。
「え?」
美神は肩越しに絹香の目を見る。
「私……『仕掛け』ます」
そこにあるのは落ち着き決意を秘めた瞳、決して無謀な何かをやろうというやけっぱちなものではない。
「どうする気?」
「詳しくは長くなるんで、万一にも気づかれたくは」
絹香は一瞬だけ道真に視線を向ける。
確かにこの場で作戦を話すことはどう考えても賢明ではない。
幸いにして現在の道真は高揚感のためか、周囲への注意は散漫のように見える。
かといって、かの怨霊がいつまでもこちらを放置してくれることは無いのは明白で、いつ美神達に注意を戻すか、彼女たちがさほど悠長に話ができないのは間違いない。
「どうしたもんかしらね」
ちらっと隣にいるひのめを見る。
『かといって、代案って今のところないわけだし』
美神の視線を受けるまでもなく、ひのめも絹香への意識を払っていた。
「絹香、勝算あるわね?」
油断無く己の娘に詰問する。
「少なくとも黙って見てるよりも、私がただ戦うより意味があるよ」
視線を正面から受け止めつつ、腹の据わったうなずきで意志を示した。
「……」
そのまっすぐな瞳を見てひのめはかすかに表情を崩す。
だが、程なくして表情を引き締めジッと美神に視線を戻していた。
「お姉ちゃん、この娘ったら誰に似たのか言い出したら聞かないの。それなりに判断するだけ力がある事は私が保証するわ」
そこまで言って少し目の力を緩める。
「私もこの娘も美神の女、だからね」
美神は一瞬キョトンとしたものの、わずかに相好を崩し、苦笑に転ずる。
「わかった。じゃ、とにかくこっちに気を向けさせておけばいいのね?」
「はいっ」
力強く答える。
「何するか分からないけど、あんたに任せるわ。あいつはこっちで受け持ったげる」
「ありがとうございます」
絹香もパァッと瞳を輝かせたのもつかの間、すぐさま表情は締まった物になる。
「よろしくお願いします」
「おっけ。さて、と」
哄笑を続ける怨霊に視線を戻す。
「アレをひとまずどうするかよね」
美神たちが何もできないのは、横島の肉体へ加撃する抵抗ゆえだろう。
「ったく、しこたまぶん殴って中身が出てくれれば苦労はないんだけど」
……きっと抵抗があるものと思われる。多分。一応。
剣呑な表情でつぶやく美神に絹香は軽く後退る。
「ま、任せて大丈夫なのかなぁ」
不安げに一人ごちつつ、絹香はGSの集団の奥に潜んでいった。
そこから先の動きは美神達にも気づかれない様なものとなっていく。
『奇襲? だろうけど。問題は何を仕掛けるかよね』
美神は背中の気配をかすかに感じ取りながら改めて笑い続ける男を見る。
「ま、別にどういう方法で引きつけても構わないわよね?」
誰とも無く美神は呟き、ビシッと人差し指を道真に向けていた。
「このくそジジイっ!! うちの丁稚を勝手に使ってもらっちゃ困るのよ!」
「何だ? まだ逃げておらなんだのか?」
嘲りの驚嘆を見せつつゆらりと美神を見据える。
「何ふざけてるんのよ。横島君の体を人質に取ったくらいで調子に乗りすぎよっ」
「虚勢は止しておくことだ」
威圧も何もない静かな警告を発する。
「貴様とて、今の我が持つ力を見誤るほど無能ではあるまい?」
美神をはじめとするGS達の背中を伝う冷や汗、それは道真の言葉を本能が肯定していることに他ならない。
「ったく、仮にもプロのGSが怨霊に乗っ取られてどーすんのよ」
「でも、横島さんってよく乗っ取られてませんでした?」
バンパイアハーフが恐る恐る発言してみる。
ひとしきり間をおいて、何が巡ったのだろうか、美神のこめかみにピキッと青筋が浮かび上がる。
「あのアホはぁ、人外に乗っ取られるって事にかけては横島君の右に出る人間は居ないけど」
「戯れておくがいい」
嘲りの声と共に、道真の手のひらで霊力の光が閃く。
ィィィィィィイィイィィィィィッ
凄まじい高音が大気を揺るがし霊力がその手に結集していく。
「な、何っ!? 何なの?」
タマモが戸惑い、美神は冷や汗を流す。
「まさかこれっ!?」
ィィ……っ!!
「くくっ、くくくくくっ!!」
その手の上に光り輝く霊玉・文珠が現れていた。
「さてもよく練れた肉体よ。有り難いことだ。我が霊力をこうもたやすく凝縮できるとは」
ただの文珠ではない。白と黒が混ざる。かつて横島が一度だけ生成したことのある大極図を模したような文珠である。
「期待以上、であるわ」
右の手のひらで文珠を握りしめ、満足げに口元を歪める。
「そういうことか、あんたが欲しかったのは文珠に習熟し、あんたを許容できる肉体」
「然り」
ククッと喉の奥で笑いを噛みしめている。
「……!?」
美神の脳裏にパズルのピースが揃い全ての構図が合わさっていた。
「要するにあんたの目的は、ハナっから横島クンだったわけねっ!!」
美神の指摘を受け、ニタリと見下ろすような笑みを浮かべる。
「今更ながらよくぞ気づいた。我をただの人間では受け入れられまい。 さてもこやつほどに我に能う依り代は無かろう?」
「では、先生はっ!?」
シロが焦りをにじませていた。
「魂を殺しきれてない以上、精神の檻でも作って幽閉しているのよ。こいつは閉じこめる技に手慣れてるみたいだし」
この周辺一帯を取り巻く結界を指しながら美神は毒づく。
対して道真は不快そうに表情を歪めていた。
「好きで馴れたわけではないわ」
口にするのは忌々しげな声音を吐き捨てる。
「1000年の幽閉と言うは易いものよ。永劫に近しい時間の屈辱などお主らには分かるまい。逃れえぬ式、身をもって味あわされたわ」
握りしめた拳に血管が浮き出す。
「天神が敷いた式を破るまでどれほどの苦汁を舐めたか、それもこれもうぬらのつまらぬ横やりのせいでだっ」
ビッとまっすぐに美神を指さしていた。
「はんっずいぶんと勝手なことをのたまってくれるわね」
美神がこめかみに青筋を浮かべ、口元をヒクつかせていた。
「大体あんたらが下っ端切り捨てようとして噛みつかれただけでしょうがっ!!」
言いつつも美神達はジリジリと後ずさっていた。
「どうした? 威勢の割りに怖じ気づいたか?」
嘲るような声で、怨霊は美神達が下がった分だけ歩を進めていた。
両者を挟む、その中間的な位置に岩場がある。
その岩場に身を潜める黒髪の女性が意識を集中して怨霊の霊力を探っていた。
『遠い、でも、何とか詰めないと』
絹香はターゲットへの距離を推し量る。
道真からは見えず、美神達には見える位置。
美神達が下がったことによって、相対的に中間位置となっていた。
感じる相手の霊力がある位置まで十メートルそこそこ、走ればものの一秒もかからぬ距離だろう。
しかし、その一秒が長い。
一足飛びに届く距離ではない。相手の油断に期待したとしてもまだ遠い。
得物が使えない事を加味すると、更に短い。
『距離は近いほど良い。だから、もう少し令子お姉さん達を信じて巧く距離を詰めないと、失敗はできないっ』
小さく目で母を見る。
『まだ遠いのね』
視線を一切向けず、視界の端に認めつつひのめは娘の意思を確かに受け取っていた。
「怖じ気づいたら見逃してくれるの?」
そして、改めて道真の意識を引きつける。
「バカを言うな。小僧と違って、お主らに加減する理由はないぞ? のう? メフィストよ」
楽しげにいたぶる声。
「加減する理由? はっ、逆のくせに」
「なんだと?」
反駁する美神の声を聞き、不可解そうに肩眉をつり上げる。
「やっと分かったわ。あんたの行動のまどろっこしさ。その原因がっ」
「え?」
自信満々の美神以外、全員が思わず眉根を寄せる。
「横島クンを生け捕りにして魔獣があっさり引いたのは、あの時点であんたがバックにいることを隠すため、隠蔽するため」
「ほぉ?」
横島の姿を奪った怨霊が、感心したように鼻で笑う。
「本当は横島クンの肉体をリスク無しで手に入れたかった。だから、異空間に送ったのよ横島クンの精神……魂を殺すためにっ」
そこまで見抜かれることは予想済みだったのだろう。余裕がもたらすわずかな感心を浮かべている。
「さらってカラになった肉体に乗り込むつもりが、抵抗された末に無理矢理強奪にってことになった」
「……」
「そして、罠作ってリスクを冒してまであたしを殺しに来たのは、横島クンの肉体を奪う上であたしの『縁』が邪魔になる。そういうことねっ」
その言葉に嘲りの表情が消え、静けささえ漂う目尻がひくりと反応していた。
「貴様っ」
「あんたが一番怖いのは、天神の『括り』と、横島クンの『縁』が残されることっ」
「ど、どういうことでござる?」
「あいつの『天神の影』ってしがらみは強力よっ。離れたとしてもすぐ修正力の影響を受けるの」
「時間の修正力ってやつ?」
ひのめが言葉を挟んでいた。
「修正力?」
タマモが首を捻っていた。
「厳密に言うと『時間の慣性力』ね」
レクチャーするようにひのめが説明を加える。
「過去からの流れで未来はある程度の方向性を持ってるの」
時間移動能力を持つ家系故か、ひのめの言葉は重く紡がれていた。
「だから、時間移動能力があっても大きな歴史改竄はできない」
「そうよ。でも、わずかでも修正に関わる可能性を排除したら?」
美神はひのめの言葉に仮定を加える。
「え?」
「肉体を得る。自らは神と袂を分かつきっかけにする。肉体固有の縁も絶ち切っておく、周到に準備していけば、それは流れの一つに過ぎないわ」
「まさか」
「あらかじめ修正がかかりにくくなるように準備しておけば、望む方向に未来を進めていける」
「ちょっと待って、修正力の原因がたかが『縁』ってこと?」
半信半疑のタマモが半眼で問い返す。
「オカルトで『縁』って要素はバカにできないくらい影響力があるわよ。輪廻に関わったりする位だもの」
美神達のやりとりを、己の顔を隠すように覆った道真が眺めている。
「くくく」
かすかに口元を歪ませ始めていた。
「あんたにしてみりゃ、横島クンとあんたの両方に深く関わる私が邪魔って事よっ!!」
「くははっ!! あーはっはっは!! 見事、見事だメフィスト。よくぞそこまで見抜いたものだっ!!」
満足の笑いと共に怨霊は美神を睥睨する。
シロ達が目を白黒させる。
「で、でも、お義父さんをさらった時点でどうしてお姉ちゃんを一緒に片づけようとしなかったのは?」
「大方あの魔獣、それほど融通が利かないんでしょ? 手加減無用でやったら横島クンが跡形もなくなるわよ」
両手を広げて肩をすくめてみせる。
「じゃぁ、それこそさらった後に全力を出せば」
「全滅させたらまずいのよ。誰にも気づかれないように横島クンが欲しかった。少なくとも『正規軍から逃げた』位の口実が成り立つ程度に、デタントを成立させる程度に加減してね」
「え?」
「横島くんだけさらって逃げたら、万一そこを疑問に思われる可能性が残るから。欲しかったのよ、逃げるのにうってつけの理由と生き証人が」
「まさか」
「縁やらしがらみを排除するには何より気づかれちゃいけないのよ。それは新しい縁を生む。気づかれたならすぐに消す。そういうことよ」
そう、この場にいる者達は全て道真の存在を知り、同時に横島という肉体に極めて近しい縁を持つ者達だ。
「あの時は引くことで襲撃がデタント反対派のせいにできる。逃げる理由は正規軍。誰も横島クンをさらうためだなんて思いもしないっ」
全員が美神の仮説に引き込まれていた。荒唐無稽なようでいて合点がいく。
「封印されていた自分との繋がりを消す。神魔族全員が振り回されたはずよ。いくら探してもいる訳ないわよっ!! こいつは『アシュタロスの仇』を取るつもりなんてこれっぽっちもないんだからねっ!!」
「ほぉ?」
感心したように眉を跳ね上げていた。
「ちょ、ちょっと美神、復讐を考えるような奴はプライドの固まりって」
タマモが思わず声を上げていた。
「そう、あいつの復讐心については一切否定しないわよ。ただしっ」
ビシッと指さす。
「『こいつ自身』の復讐って意味でねっ」
「ふんっ」
もはや隠すつもりもないのか道真は口元を歪ませ、ポリポリと頭を掻いていた。
「自分の仇討ちと独立が行動原理っ!! アシュタロスやデタントなんて屁とも思ってないっ」
「見事な推理だ。アシュタロス様には感謝しているが、我の存在を秤に掛けて復讐するほどではない。だが、その方が何かと都合が良かったのは事実だからな」
「そうね。あんたにとって今の状況は、横島クンの魂を殺す絶好の舞台。この状況なら自分が『滅びた』理由さえも作り出せる」
ふざけた態度の怨霊に侮蔑の視線を隠しもしない。
「魂を、殺す?」
「空き家を乗っ取るつもりだったのよ。こいつは」
皆の気持ちを集約したかのようなタマモの呟きに美神は振り返りもせずに答えていた。
「ふんっ、こやつが大人しく異空間で発狂しておれば我がわざわざここに来る必要もなかったのだがな」
自らの体を指さし語る道真が徐々に歩みを進めていく。
不意の急速な動きに岩陰の絹香が意識を集中させる。
『4メートル……3メートル……2、1っ、今だっ!!』
ザッ
踏み出しは一瞬、力強く大地を蹴り絹香は岩陰から身を躍らせた瞬間だった。
道真が全て見透かしたように淡々と振り返って片腕をかざした。
キィィィィィィィ
その手のひらから甲高い音を立て、珠が閃光を放っていた。
「っ!?」
「何をするかと思えば、単なる特攻か」
ニッと意地の悪い笑みを浮かべ、手のひらの珠に『拘束』の二文字が浮かび上がっている。
ドサッ
ほどなくして絹香は糸の切れた操り人形のように大地に崩れ落ちていた。
「くく、動けぬであろう? 文珠の被験者一号にひとまず感謝してやる、もっとも」
絹香の喉元に衝撃が加わっていた。道真の左手が絹香の細い首を無造作に掴んでいる。
ガシッ!!
「あぅっ!!」
「ただでは済まさぬがな」
ニィッと口元を吊り上げる。
「「絹香っ!!」」
ひのめと忠彦の声が重なる。
歴戦の経験だろうか、ヒステリックにはなっていない。だが、愛娘の危機に思わず声が出てしまうのも致し方はなかった。
「で、貴様らの三文芝居につき合ってやったネタがこれか?」
勝ち誇った笑みを浮かべ、片手で絹香をつり上げていた。
だが、当の絹香はまっすぐに相手を見据えたままだ。
「ほぉ? この期に及んで抵抗する気力は失っておらんのか?」
感心したように片眉を跳ね上げる。
「良かろう……多少は足掻かせてやろうではないか」
言った瞬間、文珠の発光は収まり絹香の全身がピクッと震える。
そして、黒髪を力なく揺らし絹香は必死に手を伸ばす。
「ぁ、あぁっ」
喉に食い込む手を両手で引き剥がそうと努力するが、圧倒的な膂力に阻まれてもがくだけに終わってしまう。
人間のリミッターを切った膂力に女性の握力がかなうはずがない。
その指先が目に見えて白い喉に食い込んでいく。
文字通り食い込むその指先に、元々白い絹香の喉がさらに白くなっていく。
「絹香殿っ!!」
「絹香さんっ!?」
それぞれが悲鳴に似た声を上げている。
「このっ馬鹿たれが……!」
美神のこめかみに青筋が浮かび上がっていた。
「やめんかっ!! 横島ぁっ!!」
何の体裁もない。焦りとともに思わず美神が叫んでいた。
腹の底から不甲斐ない丁稚に向けた怒りの咆哮が空気をビリビリ震わせていた。
ビクンッ
一瞬、ほんの一瞬だった。横島の肉体が引きつけを起こしたように震え、その全身から汗が噴き出す。
目に見えて、絹香をつり上げていた腕から力が抜けていった。
ドサッ
尻餅をつきつつ絹香はグッと前を見据える。
「……っ!!」
痛む喉を無視し、すかさず右手を振りかぶった。
「目ぇ覚ませっ!! このバカじいっ!!!!」
パシィィィィィンッ!!
渾身の平手打ちが左頬に炸裂した瞬間、衝撃が光になって互いの網膜を焼く。
後ずさる横島の肉体がたたらを踏む。その目は驚愕に見開かれていた。
「く、ぐぅ」
両手で頭を抱え込んでいた。
「何だ……一体何を」
燐光に包まれた全身、その動きは明らかに緩慢となっている。
「何をした。くぅっ、だが多少のことで我の優位に変わらぬぞ。無駄な足掻きをっ」
「あながち無駄って訳でもないわよ」
悪態をつく怨霊が絹香に向かって手を伸ばそうとしたとき、その正面に敢然と向き合う美貌の才女が不敵に笑う。
「何だっ、先に死にたいか?」
滲む色に先ほどまでの余裕が幾分消えている。
「余裕のなさが語るに落ちてるわよ。そういえばこういう乗取りやらかした奴ってお約束があることをすっかり忘れてたわ」
「ふん、強がりか? まぁ、今更そのぐらいしか手はなかろう」
手をかざしその正面に強烈な雷光を生み出していた。
「別に? 大したことじゃないわ。あんまり当たり前のことで私も見落としてただけよ」
美神はニヤッと余裕の笑みを浮かべ、すぅっと息を吸い込む。
そして、叫んだ。
「くおらバカ横島ぁっ!! あんた、このあたしに逆らう気かぁっ!!」
「うぐっ!!」
美神の恫喝にテキメン全身がびくりと硬直する。
「ぐっ、ばかな、体が」
緩慢だった道真の動きが完全に停滞した。
かの目は焦りに全身を見回している。だが、金縛りにでもあったようにその肉体はピクリとも動かない。
そして、美神はニヤッと底意地の悪い笑みを浮かべる。
「やっぱりね。横島クンの肉体だったら」
ビシィッと指を突きつける。
「私に逆らえるはずがないっ!!」
「なんじゃそれはぁぁぁぁぁっ!!」
半泣きになりながら道真が絶叫していた。
「んっふっふっふっふ、散々舐めた口きいてくれたわねぇ……」
黒い笑いを浮かべつつ、ゆっくり歩みを進めていく。
その様は噴火直前の火山というべきか。
周囲のGS達は大方火山を見守る周辺住民といった様相である。
まもなく起こるであろう惨劇はもはやおなじみのものであろう。
全員がすでに予感していた。
「ぐっ!!」
だが、惨劇は起こらない。
「ぐあああああぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁああああっ!!」
突然頭を抱え込む道真の姿を絹香や美神達が呆然と見ていた。
「貴様ぁ一体……一体何故ぇぇえぇぇぇぇっ!!」」
叫びとともに全身を光が覆っていく。
道真だけはない。取り囲むGS達も何が起こっているのか理解の範疇を超えていた。
唯一絹香だけが、グッと拳を握り締め、笑みを浮かべていた。
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