ヒュパッ!
「皆本はん、みっけ!」
バベル局長室
小難しい顔で局長と打ち合わせ中だった皆本の元にチルドレンが現れる。
話が終わるまで待つよう声をかけようとする皆本だったが、彼女たちの出現に破顔した桐壺を見て諦めたように溜息をつく。
彼にはおおよその見当がついていたのだ。
三人が自分に何を伝えに来たのかを・・・
「なー皆本! 明日のお菓子なんだけどなー」
やっぱり・・・と、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた皆本に、まとわりついた三人は次々にリクエストを口にした。
「私、豪華な洋菓子」
「あ、じゃあウチは可愛らしくてカラフルなヤツ!」
母親にオヤツをねだるように紫穂と葵が左右の手を引っ張る。
キリキリと痛み出した胃に顔をしかめながら、皆本は肩車の体勢をとった薫に上目遣いで問いかける。
「そ、それじゃ、薫。お前も同じヤツでいいよな?」
明日はハロウィン。
紫穂と葵のリクエストならなんとかなるはずだった。
彼女たちの望むお菓子を用意できなかった時の己を想像し、皆本は祈るような気持ちで薫の答えを待つ。
残念ながら彼女の回答は彼の予想通りのものだった。
「アタシのは・・・も、スッゴイヤツ! 食べた瞬間、周りが宇宙空間になって口からビームが・・・・・・」
皆本の脳裏に胃粘膜の分泌を止める胃壁のイメージが広がる。
彼の苦悩を感じ、紫穂が軽い恍惚の表情を浮かべた。
「贅沢は・・・!」
贅沢は言うな! そう叫ぼうとした皆本の首筋が柔らかい圧搾に包まれる。
肩車の体勢だった薫がその両足で皆本の首を締め付けたのだ。
皆本の抗議が止まったのを確認するように覗き込むと、薫は彼にトドメとも言える一言を口にする。
「明日、アタシたちの満足するお菓子が用意できなかったら・・・分かってるよなぁ?」
ヒュパッ!
ニヤリと笑った三人はそのままテレポートでその場を後にした。
呆然と立ちつくした皆本の耳に、朧に指示を飛ばす桐壺の力強い声が響く。
「朧君! 有名なパテシエを至急手配して!」
「はい、局長!」
キビキビと局長室を後にした朧の姿に、皆本の胃壁が再び粘膜の分泌を始める。
彼は初めてとも言える尊敬の眼差しで局長を見つめていた。
「安心したまえ、皆本クン!」
「局長・・・」
「後は薫君のリクエストだな」
己に向けられた皆本の視線に桐壺は力強く親指を立てる。
そして桐壺はおもむろに受話器に手を伸ばすと、絶対の自信を持って交換手にこう命じた。
「講談社に繋いでくれ!」
皆本は自分の胃壁が溶け出す音が聞こえたような気がした。
―――旅に出よう。
皆本は急に日本海が見たくなっていた。
この時、局長室の扉の前で起こった光景を知ったら、彼はすぐさま北へ向かう夜行列車に飛び乗ったことだろう。
彼は知らない―――局長室を出た朧の姿が、学生服の少年に姿を変えたことを・・・
――――――― TRICK or TREAT ――――――
10月31日
急にシフトを入れるというささやかな抵抗も、バベル施設内を自由に行き来できる三人には通用しない。
思い思いの扮装に身を包み、チルドレンの三人は皆本のオフィスを目指している。
先頭を歩く薫は魔女の・・・本人曰くセクシーな魔女の扮装。
最近差をつけられはじめた葵が、その胸元を悔しそうに見つめていたのは内緒である。
続く紫穂は何故か死神の鎌を持った小悪魔。
フォークのような槍でなくなぜ鎌なのか聞きたいところだが、なんか怖い答えが返ってきそうなので薫と葵はスルーしている。
鎌の刃の部分には血のようなものがこびりついていた。
そして最後尾を歩く葵は吸血鬼。
マントの下に着た衣装が、実は男物なのは本人の与り知らぬことだった。
「あら、どうしちゃったの? そんな格好で・・・」
「あ、ばーちゃん」
自室の前を通りかかった3人を偶然見かけ、不二子が興味津々と言った様子で声をかける。
特に出会った頃の兵部を彷彿とさせる葵の衣装は、彼女のスイッチを刺激しているらしい。
「これから三人で皆本にお菓子を貰いにいくんだ!」
「あら、お菓子が欲しいなら私の部屋でお茶していきなさいな! その格好の意味も知りたいし・・・」
不二子の申し出に三人は顔を見合わせる。
皆本のお菓子にダメ出しするのは既に決定事項。
ならばここで腹ごしらえしておくことに何の問題も無かった。
かくして三人は不二子の部屋に招かれる事となる。
旧家の出身らしく、不二子の部屋は歴史を感じさせる瀟洒な調度品で飾られていた。
落ち着いた作りのヨーロッパの家具。
なぜか三人は樫の木で作られた椅子の上に正座をし、モソモソと無言で口を動かしている。
その表情にはちびまる子ちゃんにありがちな縦線。
「なあ、ウチ、田舎のばあちゃん家を思い出しちゃうんやけど・・・」
「奇遇ね。私もいまソレを言おうと思ってたわ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
田舎の存在しない薫には、二人の言う微妙なニュアンスは伝わらない。
しかし二人が言わんとしている事は十分理解できた。
妙に心躍らない三時のおやつ。
テーブルの上に置かれたお菓子はルマンド、ホワイトロリータ、チョコリエール、ルーベラ・・・俗に言うブルボン四天王。
それに何処で買うかも、名称も不明な謎の砂糖をまぶしたゼリーのようなお菓子が加わり、完璧に近いババ菓子の布陣が引かれていた。
「さて、それじゃ聞かせて頂戴。何で皆本君からお菓子を貰おうとするの?」
自身もテーブルのお菓子に手を伸ばしつつ不二子が三人に質問する。
崩さずにルマンドを食べる不二子に確かな年期を三人は感じていた。
どうやらこの辺りが若作りの限界点らしい。
「えーっと、アタシも詳しくは知らないんだけど、ハロウィンという行事があって・・・・・・」
妙にローテンションな薫の説明。
遠足のオヤツをババ菓子にしておけば東野の悲劇は起こらなかったかもしれない。
見事なまでに下がった三人のテンションに反するように、説明を聞いた不二子の表情がみるみる好奇の輝きを増していく。
「お菓子か悪戯か? なんて素晴らしい行事なのッ!!」
じゅるりと口元を拭ったのはお菓子への欲求とは思えない。
不二子の姿に三人は密かに己の行いを反省しはじめていた。
「それじゃ無茶なお菓子を要求すれば悪戯し放題って事じゃない!!」
「あぁぁぁぁぁぁっ!」
24時間前の自分の行動をローテンション時に見せつけられ、三人は自己嫌悪に身もだえする。
恐るべきババ菓子の威力だった。
「それじゃ早速皆本君にTRICK or TREATよっ!」
不二子は三人を引きずるように皆本のオフィスに走り出す。
しかし、彼のオフィスで4人を待っていたのは一通の置き手紙だけだった。
―――旅に出ます。探さないで下さい
その置き手紙を発見した三人は安堵のため息をついた。
悪戯する気はすっかり失っている。
「逃がさないわ! 行くわよみんなッ!!」
持てる権力をフルに使い皆本の追跡を開始する不二子。
その暴走を止めるまでには三人のテンションは回復していない。
生命力をドレインされたとき以上の脱力感が三人を捕らえ、彼女たちはボソボソと皆本への謝罪を呟いていた。
人気のいないマリーナ。
鉛色の海を見回してから皆本は腕時計に視線を落とす。
賢木との約束の時間まであと僅か。
逃走経路に海路を取ろうとしたのは、紫穂のサイコメトリーを誤魔化すためだった。
常に拡散を続ける海水からは、彼の逃走経路を判別することは不可能に近い。
行き先を賢木に一任してしまえば、万一この場から海に出たことが分かってもその後の追跡はできない筈・・・・・・だった。
「甘いわよ! 皆本君!!」
突如かけられた不二子の声に皆本の表情が固まる。
ミスリードを誘うよう、この逃走計画を立てる前に作っておいた書き置きによる偽装は徒労に終わったようだった。
「なんでここが・・・」
呆然と振り返った皆本が絶望の表情を浮かべる。
不二子に率いられるように、コスプレ姿の三人もこの場に姿を現していた。
「ナニって女の勘かしら?」
そう言ってチラリと上空をみる不二子に、皆本の頬が微かに引きつる。
「壷見管理官。アナタまさかボクを衛星の監視対象に・・・・・・」
「ん。皆本君が走らなくて良かったわ。そうなってたらカーナビが数メートルずれちゃったでしょうから!」
地上最強生物と同等の扱いをされていた事実に、皆本はその場に力なく崩れ落ちる。
どうやら自分はずっと駕籠の中の鳥だったらしい。
「さあ、みんな! 皆本君に言うことがあるんじゃない?」
喜々として焚きつける不二子とは対照的に、気まずそうに口をモゴモゴさせるチルドレンたち。
こういう行事は大人がハイテンションに成る程、子供が置いて行かれることに不二子は気づいていない。
いや、不二子だけでなく、似たような親が町の至る所で見られることだろう。
と、多少風刺めいた事を言ってみる。
「とりっくおあとりーと・・・」
小さく、そして棒読みな台詞が三人の口から発せられる。
「なによ元気ない! もう一回大きな声で!!」
どこまでもハイテンションな不二子にダメ出しされ三人は涙目になる。
胸の中で皆本に詫びながら、三人は自棄気味に叫んだ。
「とりっく! おあ! とりーと!!」
なんでこんな事になっちゃったんだろう?
三人はそれぞれ自問自答する。
考えもせず流行のイベントに飛びついた己が心底恨めしかった。
しかし、そんな三人の苦悩は、もっと考え無しな人物の登場によって終演を迎えることとなる。
ヒュパッ!
突如として目の前に現れたのは、学生服姿の少年―――兵部だった。
「女王、そんなヤツのお菓子よりもこっちの方がおいしいよ!」
彼はおもむろに銀のトレイを薫たちに差し出す。
そこには豪華な洋菓子と、カラフルなデコレーションで飾られたお菓子。そして実際にやったら食べられたモンじゃなさそうな、チープな工夫をこれでもかと盛り込んだ正体不明のお菓子が乗せられていた。
チルドレンの望みにほぼ応えたラインナップ―――
恐るべし兵部京介。
しかし、彼の唯一の誤算は、この場にお菓子を3人分しか持ってきていないことだった。
「京介! ナニ余計なことやってんのよ! だいいち、私の分は!?」
不機嫌そうな不二子の言葉に、兵部はいつもの不遜な態度で答える。
「ボクが不二子さんにお菓子を・・・なんで?」
ふてぶてしい台詞に対して不二子が浮かべたのは満面の笑顔。
そして彼女はゆっくりと宣言する。
「それは悪戯を選んだというコトね・・・」
鉛色の水面を賢木のクルーザーが疾走する。
彼は約束の時間ピッタリにマリーナの桟橋に船を接岸させると、自分の船をじっと見つめる皆本たちに視線を向ける。
決して後ろを振り返ろうとしない皆本と薫たち。
賢木もまた、彼ら以外は目に入らないとでも言うように視線を彼らに固定する。
「皆本! 待たせたな!!」
「く・・・やめ・・・・・・」
「いや、大して待たなかったよ! それにしてもいい船だな賢木!!」
「ふふっ・・・アンタ昔っからココが・・・」
「いい船だろ?」
「あっ・・・ダメ、そんな・・・」
「ああ、いい船だ! そうだな薫!」
「悪い子、こんなになっちゃって・・・」
「ああ、いい船だ!」
「おねえちゃん・・・らめぇ・・・・・・」
皆本と三人は賢木のクルーザーに乗り込むと、口々に船を誉めつつクルージングを開始する。
誰一人としてマリーナを振り返る者はいなかった。
――――――― TRICK or TREAT ――――――
終
※一部内容を変更してお送りしました。
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