「このたびは、ご愁傷様です」
どこの誰だかわからないような男が、墓前に座る俺に対してそういい残して去った。
美智恵隊長…いや、お義母さんの話では、GS協会の幹部の一人らしいが、少なくとも俺にはそんなことなどどうでも良かった。
まだ、彼女のことをお義母さんとは言い慣れない…昔からの癖が、いまだ抜けてないだけなのか。いつもの彼女なら、そんな俺に対して苦笑しながら言い直しを要求するのだろうが、今の彼女にその元気はないだろう。
目の前には、結婚式のときに撮った、満面の笑みを浮かべる令子の姿はあった。
不思議なものだ。ついこの間のことのはずなのに、はるか昔の出来事のような、そんな感じが、俺にはした。
令子は、死んだ。死んでしまった。
死因は、薬物性のアナフィラキシーショックによる急性多臓器不全、らしい。あまりに急で対処できなかったって、白石のおっさんがえらく悔しがっていたって後で聞いた。
すぐ近くにいたはずなんだが、俺はまったくわからなかった。
頭が真っ白でな、ただただ真っ白だった。
享年三十歳。俺と挙式を上げて、わずか半年足らずのことだった。
親父の奴は、何も言わなかった。難しい顔をしてずっとそっぽを向いていた。かける言葉が見つからないってのはああいうのをいうんだろうと思った。
お袋のほうは、目が真っ赤だった、って事だけが印象にある。意外と気があってな、本当の親子みたいだったんだ。これから姑らしくいろいろ教えてあげようと思ってたのに、何で死んじゃうのよって、言ってた。
そもそも、彼女は死ぬ定めだったんだ。
十年前、地下トンネル内において妖蜘蛛の駆除の仕事に当たったとき、妖蜘蛛の持つ超遅効性の妖毒に犯されていたのだ。
潜伏期間は十年。
結婚半年、だ。まるで、周りの迷惑顧みずわが春を謳歌してきた令子に対する、誰かのあてつけの様に俺には思えた。
美神令子という女がそんな浅い女じゃないことを知っていた俺は、運命や生命をつかさどるであろう『神』に迷うことなく呪いの言葉をはいた、くそったれっ、くたばりやがれ、と。
じっくりと体と魂を侵食していくその妖毒は、確実に令子の生命力を奪っていった。
日に日に衰える妻の体に、俺は彼女の前でこそ冷静を装ったが、その裏では激しく動揺していた。
愛するものが死ぬ。
これほどすさまじい苦痛は、おそらくほかに存在し得ないだろう。百日の拷問より、こめかみに拳銃が押し付けられながら、自らの余命が三秒だと告げられることよりも苦痛なはずだ。
一度は、その味を知っている。
今の令子ほど愛していたかといわれればうんとはいえないが、好きだった子を、死なせた。令子と比べるなんて、ほんとはしちゃいけない事なのだろうが、どうしても、比べてしまう。
でもガキだった俺はガキなりにあいつを大切に思っていたし、あいつの死を理解したときのショックは、今、俺が感じているものと同じはずだ。
俺は死別の苦しみを味わいたくなかった。
ただひたすらに令子に生きてほしかった。彼女自身の意志すら完全に無視していたことは確かだ。
令子は、ある程度覚悟していたんだろうと思う。
泰然自若、とまでは言わないけれども、それほど命に執着はしてなかったよ。まぁ仕方ないか、ぐらいに割り切っていたはずだ。
それでも俺はありとあらゆる手段を模索した。大嫌いだった西条輝彦にも助けを求めた。令子の永遠のライバルであった、小笠原エミさんにも、六道家の当主である冥子ちゃんにも。
だが、いい答えは帰ってこない。西条は原因こそ突き止めることに成功したが、治療法の発見までには至らなかった。
エミさんも冥子ちゃんもありとあらゆる救命の方法を模索してくれたが、いかな超一流GSでも権力者でも、令子の治療は不可能だった。
そして俺自身も、考えた。必死に考えた。ばかで助平な俺を必死で装い、それこそ令子にほんのわずかでも落ち込んだ俺の姿を見られないように、悟られないように様にしながら。
そして、俺はひとつの可能性にかけた。それは時間移動、過去の改変。
令子に妖毒を植えつけやがった妖毒蜘蛛を令子とやりあう前に始末するか、もしくは血清を手に入れるために。
一筋の希望ってやつだった。
人間ってやつはどこかで奇跡って存在を信じている。俺がやったたことは、その奇跡って物に縋りつくものだったてことは、今ならわかる。
そりゃそうだ。今まで散々無茶やらかしてそれでも死ななかった俺たちだ。奇跡なんぞは力や裏技で強引に引き寄せるものだって本気で思ってたぐらいだからな。
奇跡の内容は、時間の修正力が働かないこと。
馬鹿な話だって今ならわかるさ。世の中のすべてが因果律、いわゆる原因と結果の法則に基づいて存在してるんだ、その原因と結果の法則を塗り替えるってことは宇宙意思に喧嘩を売ることに他ならない。
あの、魂の牢獄に捕らえられし六大魔王の一角ですら、足元にも及ばなかったバケモノ相手にだ。
遺体にしがみ付いて泣き崩れたおキヌちゃんにどうしてだって言われて、俺にもわからないよって、答えた。
何がわからなかったのかすら、分からなかったけれど。
シロの奴は、遺影を一瞥して線香をたてて、それだけでさっさと里に帰っちまった。涙すら流さなかったよ。少なくとも俺の前では。あいつなりに気を使ったのかもしれない、と今になって思う。
タマモに至っては、通夜にも葬儀にも来ていない。連絡はついたらしいが、帰ってきた答えは、
『美神が死んだなんて、そんな嘘言って呼び出そうっていったって、そうはいかないんだからね』
だったそうだ。あいつらしいと思う。遺影を見ちまったら、信じざるをえない、それが嫌だったんだ、あいつは。
血清は効いていた。令子の体からは毒はすっかり消えてたんだ。
顔色もえらく良くなってな。恥も外聞もなく、白井のおっさんやナースさんたちの前で思い切りディープキスしちまって、その後真っ赤になった令子に思い切りしばかれた。
おでこの傷、その時の傷なんだよ。パイプ椅子でメタくそぶん殴りやがってさ、ぱっくり割れて血がだらだら。
危うく俺がICUに叩き込まれるところだった。
令子は体調が戻ってきたものだから、すぐに退院するって言い出した。たまってた書類仕事処理しなくちゃって張り切ってた。けど、白石のおっさんに、最低一週間は安静にしてろって言われてな。
まぁ、瀕死の重症からの復活だったわけだし、霊的にはともかく肉体的な衰弱はあったから、おとなしく従ってたよ。
奇跡をもぎ取ってやったって、有頂天になったね。妖毒は消えた、もう大丈夫、時間の修正力も働かないはずだ。どんなもんだって……。
それでも一日二日は気が気じゃなかった。もしかしたらって、思った。
でも三日目になったころには、取り越し苦労だって、思ってた。
で、四日目。体調もかなり戻ってたから、この辺で一応精密検査しておこうかって話になってね。
MRIだっけ、それで全身調べるからって、それで造影剤注射して。
で、あっという間に逝っちまった。
苦しんではいないとおもう。すぐに意識が混濁して、昏睡状態になり、そのまま眠るように、ってかんじでな。
完全に心臓が止まってて、脳波も停止。だんだん体が冷たくなっていくのを感じたけどそれでも、死んだって信じられないぐらいだったね。
「お焼香だけでも、どうか」
「帰って。二度とこないで下さい」
美智恵たい、いや、お義母さんが今追い返したのは、魔族と神族の弔問だった。
驚いたよ。小竜姫さまにヒャクメ、べスパにパピリオにジークにワルキューレ。知り合いの神魔族はゲーム猿を除いて全員来たんだから。
でもお義母さんは、焼香どころか、式場に足を踏み入れることすら断った。
すさまじい剣幕だった。理由は理解できたけれども、それを言ってしまったら彼女たちの存在は戦友から外道に格下げになっちまうから言わないでおくと決めた。
神族の役割は人間を看視すること、魔族の役割は人間を堕落させること。
基本的にはそれ以上でも以下でもない。
「令子を利用するだけ利用して、命が失われるそのときに限って何の力も貸してくれなかったあなたたちになんか二度と見たくありません!」
八つ当たりだよ、ただの八つ当たり。そういうもんなのだから仕方がないんだってことは美智恵隊長だって理解している。
でも、俺は、そんなこと一生知りたくなかった。
二週間がたった。
変わったことといえば、美神所霊事務所の看板をたたんだ事と、GS免許を協会に返上したことぐらいか。
GSに未練はない。令子がいたからこそ続けてた仕事だから。令子がいないんだから、やる必要はない。
危ない橋を渡るのはもともと好きじゃなかったしな。
美智恵隊長は、ひのめちゃんと一緒にアフリカの赤道地帯へ行った。かの地には、公彦さんが居る。もう家族が離れ離れになるのは、嫌らしい。
多分、二度と会うことはないんだろうな。寂しいけれども仕方がない。
おキヌちゃんは、オカルトGメンの特派員になった。最高位に属するネクロマンサーは世界中で引く手あまただったのだが、それでも日本に残っていたのは、令子が居たからなのだろう。
事実、日本にいる理由がなくなったから、って言っていた。
シロの奴は、里の男と祝言だそうだ。手紙が来た。筆書きの汚ねぇ字なもんで、読むのに苦労したよ。
タマモは、どこ行ったかなぁ、あいつ。完全に連絡が付かない。そのうちひょっこり顔をだすだろう。そう信じている。
そして俺は今、もと美神所霊事務屋上に居る。
ビルとビルの間から見える夕日が、嫌になるぐらいまぶしい。そういえば令子が逝ったのも、こんな夕焼けがまぶしい時間帯だったか……。
運命の神はずいぶんな皮肉屋らしい。
これからのこと。
何もする気になれないし、しなくても生きていける金だけはある。真面目に税金支払ってもまだ、一生豪遊できるぐらいの金がある。
やろうども引きつ入れて毎晩キャバクラで豪遊、なんてのも面白い。長年の夢であるプール一杯の美女にもみくちゃにされるのを実現するのも、今ならできるだろう。
いくら馬鹿やってもぶん殴られて血の海沈むことはもうないわけだしな。
でもそんなもん、どーだっていい。
金なんて要らない。才能もいらない。何もいらねぇ。命すらもどうでもいい。
ただ、令子。
君に会いたいよ。
絆創膏は取れたけど今しばらく消えそうにない、令子に最後にどつかれた時に出来た傷をなでながら、俺は、それだけをひたすらに思っていた。
Please don't use this texts&images without permission of ツナさん..