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秋、思い出すままに 10

秋、思い出すままに 10

「待つんだ!」

扉を開けたところで掛かった声に有土は びくっ! と全身を震わせる。おどおどした自分を意識しつつ声の方に目をやる。

 そこにはGパンGジャンを身につけた男がいた。
 暗くなったきたところにバンダナで顔の下半分を覆っているので人相はよく判らない。身長はあるがやや華奢なシルエットから成年未満だろうと見当をつける。

「これを付けていた娘は? いったい何が起こっているんだ?!」
相手は正体を眩ますためか凄みを出すためかくぐもった低い声で尋ねる。

 突きつけられたものを見てさらに動揺が広がる。
 さっき自分が隠した髪飾り型リミッター、扉の向こうで意識を失っている特務エスパーのものだ。

「て‥‥ てめぇには関係ないだろう!」乾いた口でそう答えるのが精一杯。
 詰め寄られるまま二歩、三歩と後へ、背中に壁の触れる感触。

‘後がねぇ!’と思うが追い詰められたことで度胸が据わる。
そうしてみると自分がむやみに怖がっていることに気づく。

どういう経緯でここに来たかは分からないが、一人でそれも人相を隠しての行動と言うことは、相手にも何か後ろめたいことがあるに違いない。

となれば立場は同じ‥‥ いや、体格的にはこちらが上回り暴力についてもそれなりに経験していることを考えれば、こちらの方が強い立場といえる。

‘何のこたぁねぇ こんなガキ、叩きのめしてしまえばいいんだ あせって損したぜ!’
 一時でも弱気だった自分を隠すように威圧的に一歩出る。それに押されるように相手は一歩下がる。

‘やっぱり、たいしたことねぇじゃないか!’弱気な相手にさらに気を大きくする。
 下手に逃げられるとやっかいと踏み込み、その横っ面を殴りつけ‥‥

「うわ!」直前、目の前に黒い影が飛んでくる。
 思わずたじろぎそれを払う。次の瞬間、自分がしてやられたことに気づいた。



見せた弱みに乗って無造作、無防備に踏み込んできた相手に皆本は手にしていたリミッターを投げつける。
 払ったその隙に横を抜け開いた入り口に駆け込む。すぐさま渾身の力で扉を閉じ掛けがねを。

間一髪、激しく揺さぶられる扉。さらに重いものがぶつかる衝撃が何度か加えられるが扉はそれにも耐える。



 ひ弱そうな振る舞いに侮りしてやられた有土は怒りにまかせ暴力を扉にぶつけるが徒労に終わる。

まだ”手”はあると携帯を取り出す。

 コールすればすぐにテレポーター−狽野が繋がりのある暴力団から借りた男で超能力を疎まれ裏世界にドロップアウトした口だ−が来る手はずになっている。

 呼び出しに入ったところで背後に人の気配、振り返ると学ランを着た白髪の男がいる。

年格好は(白髪を除けば)服装に準じ背丈は先の相手よりも一回りは小さい。それだけに限れば恐れることは何もないのに、その身に纏う底知れない不気味さに気圧される。逃げだそうと思うが体はぴくりとも動かず声を上げることもできない。

 そこに ひゅ ぱっ! テレポートアウト特有の空気が揺れるかすかな音が。

「‥‥ 超度は5か。こいつに命を張るほどの義理はないだろ。そのまま失せれば見逃してやる」
 男は纏った威圧感を少し強めただけで、振り返ることもせず告げる。

‥‥ ひゅ ぱっ! 再度の音。有土は自分が見捨てられたことを悟る。

「せっかくの天が与えてくれた才能をはした金で売るとは残念なことだ」
去ったテレポーターのことを嘆く白髪の男。動けないままの有土に注意を戻し、
「ノーマルのくせにエスパーに手を出した罪は許し難い。本来なら命をもって償ってもらうんだがせっかくの祭り。ましてクィーン、ゴッデス、エンプレスも来ているここでそれも無粋だ。今回は大目に見てやるから安心しろ。ただその代わり君の記憶を少し弄らせてもらうからそのつもりでな」

‥‥ 身じろぎもできず言葉を受け入れる有土。
 本能が記憶を弄られようと命が助かっただけ幸運であると告げている。

 男は『それでいい』とうなずくとわずかに視線を動かす。
「さて君のお相手が来たようだ。さっきみたいに見た目で侮り怪我をしないように気をつけたまえ」



 意識がないと思って油断し、特務エスパーの少女にしてやられた有土は怒りにまかせ暴力を扉にぶつけるが徒労に終わる。

まだ”手”はあると携帯を取り出す。呼び出しに入ったところで背後に人の気配。振り返ると二つの人影。

 双方とも中学生ぐらいの年格好の少女。

 一歩前に出ている方は伸びやかな四肢を持った『ボーイッシュ』‥‥ というより、より先鋭的に『精悍』という形容がぴったりな姿形。プラチナブロンドのロングヘアーにメッシュを入れているのか赤い前髪が印象的だ。
 もう一人は、手前の少女とは対照的に『大人びた』‥‥というより『悪女』めいた冷笑が似合う容姿。薄いブロンドに正面越しにしか見えないが幾つもの房に分けたポニーテール−マルチテール?とでも言うべき髪型が目を引く。

マルチテールの少女は軽く肩をすくめると、
「晩メシにつられて引き受けたのは良いけど、とんだ貧乏くじだったようね」

「たしかに。ナントカも歩けば棒に当たるというところでござるか」
楽しげに応じるメッシュ少女。カメラマンを軽く睨みつけると、
「扉を蹴りつける振る舞いといい身についた血の跡、血の臭い、拙者たちと警備本部に来るでござる」

少女の真面目なのか冗談なのか分からない時代劇調の言葉使いに、
「てめぇ 舐めてんのか?! さっさと向こうに行け! 大人の言うことを素直に言うことを聞かないとタダじゃすまんぞ!!」

暴力をちらつかせた威嚇にも二人はまったく恐れる様子はない。それどころか、マルチテールの少女の冷笑はさらに深まりメッシュ少女の楽しげな表情にある種の凄みが加わる。

 二人に漠然とした恐れを感じる有土。騒ぎ立てるのが拙い立場であることにも思い至り、
「もういい! 退け!」と捨て台詞を投げ立ち去ろうとする。

 そして、退こうとしないメッシュ少女を押しのけるべく荒々しく腕を伸ばすが‥‥

「痛っ?!」半ば悲鳴の有土。
 伸ばした腕をメッシュ少女が手首あたりで掴んでいるのだが、その握力たるや半端でない。

 引き締まってはいても中肉中背で年相応の体格でしかないのに、まるで万力で締め上げられた感じだ。
反射的にふりほどこうとする寸前、手を離され無様にバランスを崩す。あからさまにコケにされたことで先の恐怖が消し飛ぶ。

 怒りに任せ少女の顔をめがけ拳を振るう。

決まれば少女の端正な顔が凹むかという一撃。しかしメッシュ少女は沈み込むことで難なくかわすやそのまま四つん這いに‥‥

「ば‥‥ 化け物!!」と今度は心底の悲鳴。

両手が地に着いた瞬間、少女の姿が変身としか言い様のない変貌を遂げたからだ。
白い髪が一気に広がり体を覆ったように見えた瞬間、顔つき体つきが狼を思わせるそれに激変。”白狼”は四肢のバネを利かせると体当たり。

人間大の砲弾の直撃に有土は2mほど吹っ飛び、地面に叩きつけられる。

体当たり直後、すで勝負はついたとばかりに元の姿に戻った少女は収まった髪を手で梳くような仕草をしつつ、
「失礼な奴でござるな! こんなプリチーな拙者を『化け物』呼ばわりとは」

「まあ、初めて見れば仕方がないんじゃないの。どう見たって、狼、人狼なんだから」
 マルチテールの少女は一瞬で戦意の全てと意識の過半を手放したカメラマンを冷ややかに見下す。

「拙者は人間でござる。今時、この”力”、合成能力の一つと認められているのを忘れたでござるか」

『冗談でしょうが!』とマルチテール少女は肩をすくめる。
「それにしても変身までの時間に運動能力、一段と磨きがかかったようね。本家の娘(こ)もなかなかだって話だけど、まだまだあんたの方が上なんでしょ」

「当然でござろう! こちらは日々鍛えているござるし従妹はまだ小学生でござるよ」
 とメッシュ少女。
「それよりも、こいつが何者かを聞き出すでござる。お主の幻術で誑かせば簡単でござろう」

「あんたこそ、あたしの超能力はピュプノなんだからちゃんと言ってよね。『幻術』とか『誑かす』って、まるで人を化かす狐じゃない」
わざとらしくぼやいたマルチテール少女は超能力を投入するために軽く目を閉じた。



ふう〜 小さく息を吐く皆本は手にしていたモップを握る力を弱める。

扉が静かになった後も何らかの方法−例えば超能力で−で入ってくるかもしれないと思ったが、そういうこともなく相手はあきらめたようだ。

ちなみにモップは清掃用に並べられていた物を拝借。ささやかながらも得物になるだろうというところだ。ちなみ扱いについてはコメリカで出会った悪友に付き合う形で杖術を嗜んでいる。

 何とかここまでは計算通り。非力な高校生(といっても、コメリカでは大学に在籍しているが)としては上出来だと自賛の一つも良いと思う。
 が、気持ちの上ではそんな余裕はまったくない。それどころか一息ついた反動で、それまで抑えてきた暴力への恐怖が浮かび上がり膝に震えがくる。

「しっかりするんだ! まだこれからじゃないか!!」小さく自分を叱咤する。

 気持ちが鎮まり動こうとしたところで、入り込んだは良いがこの先についてはまったく考えていないことに気づく。
 由良の身を案じここまでつっ走ってきたが、考えてみればずいぶんと”らしくない”無茶をしたものだ。

 実際、リミッターを見つけた段階でバベルに通報するという選択肢もあったと思う。
 もっとも、そうした場合、現場に戻った自分の行動、引いては(直接的ではないが)それを示唆した理事長や暗黙の了解をくれた警備担当の女性の判断が問題になるわけだが‥‥

頭を軽く振り、済んでしまった事を頭から追いやる。とにかく、こうなれば先に進む以外にない。



歩き出して数歩も行かない内、顔から血の気が引くのを実感する。ほとんど闇に近くなった講堂の隅に由良がぐったりと体を横たえているのに気づいたからだ。

 抱き起こし、何度か揺さぶるが思わしい反応は示さない。ただ規則正しい呼吸と目につく外傷もないことから取りあえずの危険はないと安堵する。

 もっとも気休めになるのはそれくらい。
 特務エスパーが(たぶん超能力の効果だろうが)意識を失いESP錠をはめられているとなれば、どう考えても『異常』、もっと言えば『危険』なことが起こっている違いない。

 考えられる事として、彼女が護衛を務めていたはずの明石という女優の身に事件が起こり、それが彼女の身に及んだという展開。あのカメラマンがストーカーの共犯者(の一人)とすればあり得ないことではない。

「ごめん!」由良を壁にもたせかけ謝る。

謝ったのは、このまま残していく事について。

 事件の全貌は不明ながらも一高校生の手に余るのだけは疑問の余地がない。とすれば、(後日、自分の立場が拙くなろうと)すべきは一刻も早く状況をしかるべき所に知らせる事、必然的由良をこのままにするしかない。

 で、知らせ方については、ぼんやりと光る火災報知器を見て警報を発しようとも考えたが、進行中であろう件に悪い影響−警報に驚いた犯人が暴挙に出るなど−があるかもしれないと自分の足を使うことにする。

渡り廊下から建物。そこを抜け、入り口をかためるメイド(警備員)の元に向かえば最短で例の警備担当の女性に連絡がつくだろう。



皆本が渡り廊下への扉を開きかけた時、廊下の反対側−建物側の扉が動くのに気づく。ある種の本能が働き反射的に扉を元へ。

一度跳ね上がった心拍数を強引に抑えると限りなく慎重かつ急いで覗くための隙間ができるよう扉を動かす。
その隙間から見えたものは‥‥




 何度目になるか、狽野はさりげなく時計を確認する。まだ誤差の範囲とはいえ、とうに戻っているはずの有土が戻ってこない。

「相棒が帰ってこないようだけど、何かあったみたいね。体しか取り柄のない木偶の坊のようだしドジを踏んでバレたんじゃない」
ここまでソファーで大人しくしていた秋江が白々しく声を掛ける。

‥‥ 無力なはずの女性の挑発に狽野は薄い刃を思わせる視線で応える。

 秋江はそれに臆することなく、
「今頃はバベルが動いているんじゃない。この瞬間、特務エスパーがテレポートで現れても不思議じゃないわね」

「忘れたのか? この部屋は対ESP仕様だ」

「なら壁をぶち破って来るかも。対ESP素材といっても物理的な衝撃に特別強いわけじゃないし」

言われるままつい壁を見てしまう梨花。形の良い眉を寄せ不安を示し、
「たしかに遅すぎるんじゃない? 先生の言う通り、途中で何か問題が起こったのよ」

「煽られるままにオタオタするな! それが秋江の狙いだって事は分かるだろう。口先三寸でパニックになったら大恥もいいとこだぜ」

「ご自慢の”引き際”も美味しい獲物を目の前にすると狂うみたいね。人間、もう少しやれるって思った時が破滅への一歩を踏み出した時なの、知ってる?」
 秋江の挑発は一気にエスカレートする。
「だいたい、今日のことが巧くいったとしても、ストーカーの身柄を警察が押さえた以上はあんたたちの破滅は見えているわ。ここでのんびりしている暇があるんだったら、どこか遠くに逃げる準備をしていた方が賢いんじゃない?」

「言ったろう! ストーカーは俺たちのことは知らないんだ。俺たちのところに警察なりバベルなりは来ることはありえねぇよ」

「自分の言っていることを自分で信じている?! 高超度のサイコメトラーなら当人が知らない情報だって読み取れるんだから。それにストーカーが私や好美のスケジュールなんかを知っていることはすぐにバレること。そうなれば梨花が疑われるのは時間の問題、誤魔化しきれる‥‥」

「ホントよく喋るな! 神経が並じゃないってぇのは知っていましたがここまでとはねぇ 悪党を挑発するリスクを少し味わってもらいましょうか」
つかつかと秋江に歩み寄った狽野は手を荒々しく振り上げる。

目を閉じ歯を食いしばり衝撃に備える秋江。

 しかし衝撃は来ない。見ると狽野の手は不自然に中途で止まっている。

その手を凝視する梨花。サイコキネシスを発動しているのは明らかだ。
「狽野、もう”終わった”んだから、これ以上の暴力は必要ないんじゃない」

「何だって?! 何を言いたいんだ?!」
 見えない手をふりほどくと狽野は敵意に近い目つきで梨花を睨みつける。

「別に、言葉の通り。先生が仰ったようにストーカーの身柄が押さえられた時点でゲームセット。これ以上の悪あがきは見苦しいわ」
投げやりに答える梨花の表情にどこか ほっ としたものがある。

「ったく、何を聖人君子みたいに悟ってやがる! ここでヘタれば何も手に入らないどころか全てを失うことになっちまうぜ」

「今さら、それがどうというの! とうに何もかも失っているわ、先生を裏切ったことでね」
 梨花は静かな怒りを込めて言い返す。

「いっぱしの悪女と思ったんだが、危なくなると、とたんに腰砕けか! 悪い意味で物わかりが良いというのか、あきらめが良いというのか‥‥ そういう根性ナシだからずるずる状況に流され深みに落ち込むんだよ、お前は」
 造反を思い止まらせようとするでもなく狽野は嘲笑をもって応える。
「ねぇ、そう思うでしょう、秋江さん?」

「そうね。すごく不本意だけど梨花についてのあなたの評に同意するわ。でも、そんな梨花の性格に付け入って裏切らせたんでしょう。今更、文句をつけるのは筋違いと思うけど」

「いえますな、それは」狽野はわざとらしくせせら笑う。
 さりげなく由良から奪った銃を秋江に突きつけると、
「さて”根性ナシ”は放っておくとして。たしかに、ここでこれ以上もたつくのは自殺行為。カシを変えますからつき合って下さい」
 そこまで言ったところで凄みのある視線で梨花を牽制する。
「おっと、サイコキネシスを使うなよ。あらかじめ注意していれば、お前さんの超度で何か仕掛けようとしてもその前に引き金は引けるぜ」

‥‥ 集中しかけた意識を散らす梨花。

『それでいい』と言いかけた狽野は銃口にかかる圧力にたじろぐ。

秋江が『さあ撃て!』といわんばかりに体を押しつけてきたからだ。反射的に銃口を引く狽野。

「今よ!」

 秋江の鋭い声に弾かれるように梨花は踏み込むと掌を狽野の喉に当てる。
「動かないで! 神経を麻痺させるより破壊する方がずっと簡単。動くと首から下が麻痺したままで一生を過ごすことになるわよ」

 額に汗は浮かぶものの狽野はふてぶてしい余裕を失わず、
「おいおい、まさか本気じゃないだろうな。ここまで恋人として愛し合った間柄だろうが」

!! それが激しい侮辱であるかのように梨花の顔に赤味がさす。

 動揺の一瞬、すでにポケットに移されていた狽野の手が素早く動いた。

うっ! うぅ‥‥ 突然、見えない力に押さえつけられたかのように梨花は膝をつく。
その表情は『苦悶』という言葉が色あせて見えるほどに歪んでいる。

「備えあれば憂いなし ってね。予備を用意しておいて良かったですよ」
 狽野は誇るように梨花を見下ろす。手には作動状態のESP錠を握られている。

‥‥ 梨花は歯を食いしばり何とか立ちあがろうとする。
 しかし、軽くESP錠を押しつけられると、それに力一杯殴られたかのように転倒する。

「せっかく”先生”が作ってくれたチャンスだったのに残念だな。一気に神経を破壊してりゃいいのに、躊躇うんだからな。さっきの言葉じゃないが、お前は本当に”根性ナシ”だぜ。何の度胸もないくせに形だけは一人前に振る舞おうとするから、こんな風に裏目裏目に出るんだ」
狽野はそう講釈を垂れるとゆっくりと近づきESP錠をはめる。

 とたん、高圧電流を体に流され続けるようにのたうち回る梨花。

「すぐに外しなさい! それがその娘にどんな拷問になるか判っている?!」

我を忘れて駆け寄ろうとする秋江を狽野は足をひっかけ転がす。軽くだが背中を踏みつけると、
「判っていますよ。こいつが人と違う怪物だってことは」

「冗談じゃない! この娘はエスパーであっても私達と同じ人、怪物なんて言葉、あんたの方がよっぽど相応しいでしょう! いや、あなたを『怪物』に例えたら怪物が気を悪くするかもしれないわね」

「その種の雑言は慣れっこでね。褒められていると受け取ってます」

‥‥ 何を言っても無駄かと十は浮かんだ罵詈雑言を飲み込む秋江。
「ESP錠の用意から見て、最初からこうするつもりだったんでしょう?」

「もちろん。”撮影”が終わった後、梨花には”退場”してもうつもりでした。あなたが仰ったようにストーカーから梨花に捜査の手が及ぶのは時間の問題ですから。ああ、付け加えれば、ストーカーの件がなくとも、端からあなたたちを追い詰めるための道具でしかない女。どこか、目処のついたところで”退場”したと思いますよ」
狽野はそれが煩瑣ではあってもルーチンな作業であるかのように話す。
「ただ、こんな露骨な形になってしまったのは残念です。できれば、良心の呵責に耐えられず失踪という形にしたかったのですがね」

「それはそうでしょうね! ここまで見せつけられたらどんなネタがあったとしても黙っているはずはないもの」
もはや脅迫は無駄と秋江は気丈に吠える。

「そうくると思ってましたから見せたくなかったんですよねぇ まっ、その決意がどこまで続くことやら? 心をねじ曲げる方法は色々あることですし、どこまで踏ん張れるか楽しみにさせてもらいますよ」
 嗜虐的に嗤う狽野は秋江から足をどかすと肩を掴み荒々しく引き起こそうとする。

 それに抵抗しようと体をよじる秋江。二つの動きでブラウスのボタンが外れ美麗なブラジャーに窮屈そうに収まった半球が露わに。

 それに目を細める狽野。ニヤリとすると梨花の元に突き飛ばす。
 折り重なる二人に用意の終わっていたカメラを向けシャッターを続けざまに切る。

「いや〜 身の危険を顧みず怒りを湛える美女と苦しみに悶える美女! 案の定、ぐっ! と来ますね。”仕事”に私情を挟まないよう気をつけてきたのですが、つい遊び心が出てしまいました。この写真は家宝にさせてもらいますよ」

‥‥ 手が自由であれば耳を覆いたくなる言葉に沈黙で応える秋江。
 言い返すことで喜ばせたくないこともあるが、それ以上に背後にいる梨花が気に掛かっているため。

 当初、力の限りもがいていた彼女の動きは今は痙攣程度になっている。
 しかしそれは体力と気力が尽きかけているからで負荷が弱まったからではない。素人目にも精神の崩壊、さらには命の危険が近いことは容易に判別できる。

それを狽野の良心に訴えようとした矢先、

「”焼き切れる”まで五分か十分。見届けられないが、放っておいても助かることはないだろう」
 と秋江が期待した心の要素をとうに欠いていることを示す狽野。さらに、
「まっ、これはこれで邪魔にならなくなるわけだが、儲け損なったな」
と、さも惜しいという風情で嘆く。

「『儲け損なう』って?! まさか‥‥」
目の前の男がなお自分の想像を上回ることに慄然とする。

「まあご想像通りということですか。これだけの美女をただ”退場”させるのはもったいないでしょう。その点、”売り”に出せば”退場”と小遣い稼ぎが同時にでき一石二鳥だったのですが。残念なことです」
 と狽野。真っ当な人間なら嫌悪しか生まないような笑みを浮かべ、
「知ってますか? そういった”市場”で大金を使おうかって輩の中には美人のエスパーを欲しがるのもいましてね。征服欲をくすぐるとかで良い値をつけるんですよ」

 人を人と思わない言い様に怒りであらためて顔を紅潮させる秋江。その顔から一瞬で血の気が引き、
「ひょっとして、あの特務エスパーの娘も”売る”つもりじゃ‥‥」

「そちらもご想像通り」もはや誤魔化す必要はないと狽野。
「あんただって薄々は勘づいていたんじゃないですか、この俺が説得なんて”おやさしい”話で済まさないことを。今頃は、有土が外にいる俺の仲間に引き渡しているはずですよ。あちらもなかなかの美少女でエスパー、梨花で儲け損なった分は取り戻せそうです」

「まあ、順調に行っていればって話じゃないの?」

現時点、最大の痛点を突かれ狽野は顔を歪める。『もう解説は終わり』とばかりに秋江を引き起こし、再度、銃口を押し当てる。
「それにしてもさっきは驚きましたね、自分で銃口に体を押しつけるとは。紅蜥蜴にああしたシーンがあったような気がしますが、それを演技ではなく実際にやるんですから。あなたの度胸には恐れ入ります」

「人間、命に係わるような状況に何度も直面すると度胸はつくものなのよ」

「ああ、一連の負傷の件ですな。当時は旦那のDVって噂でうやむやとされましたが、真相は闇の中なんですよね。そうだ! コトが済んだら真相を取材させてもらえませんか? 今年一番のスクープは間違いないですから」

 場違いな提案に横を向きかける秋江。何を思いついたのか、口元に凄みのある微笑が浮かべ、
「その真相だけど、私なんかに取材しなくても、あなたの知るところになるわよ、きっと。その時は是非あなたの側でいたいものね」

「?? 何を言いたのか判りませんな」
 どこか繋がらない予言めいた台詞に狽野は小首を傾げる。詮索は後でもできると、銃口を動かし先に立つように促す。



 そのまま廊下−階段−渡り廊下への扉。狽野は有土が戻らないことを踏まえ注意を怠らないがとりあえずはそれは無駄に終わる。



ぐっ! 渡り廊下に出たところで秋江はバランスを崩しよろめく。
 ここまで銃に小突かれる形で歩き扉を開けたのだが、そこで唐突に腕を掴まれ引き寄せられたからだ。

 その秋江の体に身を隠すようにして狽野は前を注視する。
 というのも反対側−講堂側の扉が僅かに動いたように見えた気がしたから。さらに言えば、ここからは見えるか見えないかの幅だが講堂側の扉に細い隙間が見えている。

 もちろん、自分たちが侵入するのに使ったルート(そう言えば、ここに至っても姿のない有土も使っているはずだ)で、その時は意識的に開け閉めしたわけではないから隙間があってもおかしくはない。しかし、悪人としての場数が育てた本能が激しく警鐘を鳴らしている。

ふん! 小さく鼻を鳴らす。引き返すという選択肢が事実上ない以上、進むしかない。

 狽野は秋江を盾に渡り廊下を講堂の方に進み始めた。
 秋の最中(といっても今年は9月いっぱい夏でしたが)、ようやく「10」をお届けします。あらすじにあるように残すところ後一話、何とか題名通り、秋の内に済ませたいものです。
 それでは、数少ない読者の皆様方、今少しのおつきあいをお願いします。

aki様、ここまで無駄にリソースを消費してきましたが、おかげさまでラスト前までたどり着くことができました。ここまでご贔屓があったればこそ、最後までやり遂げますのでよろしくお願いします。

>原作での時間軸の皆本らしい機転を利かせた活躍に‥‥
残念ですが、ここにきてそういう展開はとうてい無理だと判明しました(オイオイ!)。まあ、ここは完結してだけでも良しとする判断基準で最終話を見ていただければ幸甚かと。

 では『冬が来る前に』を目標にがんばりますのでよろしく最後までのご贔屓をお願いします。

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