果たして僕に何が残っただろうか。
彼女の友達だという騒がしい女とバンダナの少年は、一足先に退院してしまった。
僕はと言えば、今だこうしてベッドの上である。
あの二人のタフさは大したものだ。彼女の友達というのはタテマエだけではないらしい。
ともあれ、一人で静かにしていられるようになったのは嬉しい。
だから色々と考えてみた。
これからどうするべきか。何を目標に、支えにして生きていけばいいか。
考えれば考えるほど気分が沈む。
父の復讐に付き合わされ、他の平均的な幸福の全てを捨てて今まで生きてきた。
そして厳しい修行の末に力を身に付け、本懐を遂げようとしてあえなく返り討ち。
努力では覆せない、生まれついての『才能』という壁。
目には見えない何かが、今まで積み上げてきた全てを粉々に打ち砕いてしまった。
父もあっさりと僕を見捨ててどこかへ消えてしまい、残ったものといえば――
「この身体ひとつ、か」
じっと手を見る。僕はまだ生きている。しかしそれが何になるだろう。
これから先、敗北者として後ろ指を指され、惨めな気持ちを抱いたまま暮らすのか。
父のように、誰かを恨んで世を呪って。
悔しくないかと言われれば、もちろん悔しいに決まっている。
復讐に燃えて生きるのも人生のひとつだろう。
だが、個人的にさほど深い恨みがあったわけではないし、それが疲れる生き方である事は誰よりもよく知っている。
父はいつも疲れていた。その苦しみをいつも僕にぶつけていた。
早く解放されたかった。
誰かに憎しみを向ける暮らしから、抜け出したいと願っていた。
そして、願いは叶った。望んでいた形とは少し違うが――
「これからどないすればええんやろな」
実際そうなってみると、何をすればいいのか思いつかない。
敗北の負い目はあるが、僕は自由になったはずなのに。
何でも出来るということは、こんなにも不自由だったのか。
「あらあら〜〜、思ったより元気そうね〜〜。令子ちゃん達が先に退院したって聞いたから〜〜、全てを失ったショックで起きあがれないのかと思ったけど〜〜」
ふと気付けば、いつの間にか訪問者の姿。
独特の間延びした口調に、しれっと痛い言葉が胸を刺す。
彼女の母――つまり、ほんの少し前まで僕の宿敵であった人だ。
親子だけあって色々と似ているが、刻まれた年輪はさすがに違う。
「今失礼なこと考えてたでしょ〜〜」
「い、いや」
「それよりね〜〜あなたに話があってきたのよ〜〜」
のほほんとした佇まいながら、なにかを企んでいる様子が窺える。
もっとも、何をされたところでこれ以上無くすものはないが。
「話とは何です?」
「実はね〜〜」
ニコニコと穏やかな表情である。
娘と同じく、若い頃はさぞ可愛らしかったであろう。
「あなたが欲しくてたまらないのよ〜〜」
そんな顔からは似つかわしくない言葉が飛び出して、思わずベッドから転げ落ちた。
「しょ、正気ですか!? いくら僕が若い男やからゆうて、ツバメはさすがに――」
「ち・が・い・ま・す〜〜。あなたの式神使いとしての力が欲しいのよ〜〜」
だったらまぎらわしい言い方をするなと叫びたかったが、ここは我慢。
「……僕は勝負に負けて親にも見捨てられた負け犬ですよ? そんな僕に何の価値があるいうんです? 親の借金かて、まだ山ほど残ってるのに」
湧き上がってくる自嘲的な感情
言葉にしてみると、現実はずしりと肩の上にのしかかってくる。
「そう言うだろうと思ってたわ〜〜」
「それはどうも」
「だからね〜〜おばさんも思い切っちゃうわよ〜〜」
「何をですか?」
あくまでニコニコとしながら、彼女の母は言った。
「あなたの人生を買いたいの〜〜。というかもう買っちゃったんだけど〜〜」
言葉が出なかった。この人は何を言っているのだろうか?
「冥子のことなんだけどね〜〜、あの子は修行が足りないし他力本願だし式神のコントロールは出来ないし友達少ないしで〜〜、誰かが面倒見てないとダメなのよ〜〜」
「それを僕にやれと? 一度失敗したのをあなたも見てるやないですか」
「失敗は誰にでもあるわよ〜〜。それにね〜〜私の知る限り、ウチの式神達を相手にあそこまで頑張れたのは鬼道君、あなただけなのよ〜〜」
つまり、子守をしろということか。
ムッとしなかったわけではないが、今の自分にはそれがふさわしいのだろう。
負け犬とは、勝者に文句など言えはしないのだから。
「わかりました。煮るなり焼くなり好きにしてくれたらええですよ」
「あら〜〜、素直で嬉しいわ〜〜。嫌だと言ってもウンと言わせるつもりだったから〜〜、手間が省けたわね〜〜」
しれっと恐ろしいことを言う人だ。
これで言い負かされたのでは、父の傷も深かろう。
「それで、僕の人生はいくらで買ってもらえるんですかね? サイダーくらいは買える値段やろか」
せめて皮肉を吐いてみたのだが、返ってきたのは意外な言葉だった。
「あなたの人生は自分で買い戻すのよ〜〜」
「は?」
「鬼道君の負債はウチで払っておいたから〜〜、こんどからウチにお金返してくれればいいわよ〜〜」
開いた口が塞がらなかった。
簡単に言うが、それにしたって父が事業に失敗して抱えた負債の金額は桁違いだ。
それをポンと支払ってしまえるというのは、もはや視点のスケールが違う。
「確かあなた、教員免許もってたわよね〜〜。だから〜〜ウチが経営してる学校の教師になりなさいな〜〜。あっちも人手が足りないし〜〜、コツコツ働けば〜〜定年までには借金も返せるわよ〜〜たぶん〜〜。だから頑張ってね〜〜」
確かに教員免許は持っていた。父の無茶な修行に付き合うかたわら、どうにか大学に進んで取っておいたのだ。復讐が終わった後、教師になって失った小学生時代や青春の日々を感じられればと。まさかこんな形で就職することになるとは思いもしなかったが。
「つまり、すっかりカタにはめられたというわけですか」
「あら〜〜悪い話じゃないと思うけど〜〜?」
「それだけやる価値が僕にあるんやろか。気まぐれで遊ばれてるような気もしますが」
「こう見えても〜〜無駄な投資はしない主義なのよ〜〜。それと誤解の無いように言っておくけど〜〜、これを頼んだのは冥子だから〜〜」
「!?」
「マーくんひとりぼっちになって寂しくないかって心配してたのよ〜〜。私に似て優しいからあの子〜〜」
これでは勝てないわけだ。
なぜ六道の家系が庇護され、栄え続けててきたのか。
彼女達は生まれついて十二体もの式神を従え、強力な霊力を持つ。
これが大きな理由であるのは間違いない。
だが、他にも別の理由があることを僕は知った。
それこそが、彼女達の本当の才能ではないのかと――
「ほら、もう一度や」
「ふえ〜ん、難しいよ〜〜」
「冥子はんならできるて。式紙使いでナンバーワンの実力を持ってるんやから」
「マーくんの方が何でも知ってるし〜〜すごいと思うけどな〜〜」
「僕はまだまだ頑張らんと。冥子はんに置いてかれんようにな」
「だったら〜〜、二人で一番になりましょ〜〜。その方が楽しいわ〜〜」
「き、気持ちは嬉しいが冥子はんっ、式神がギチギチとあああ――っ!?」
屈託のない顔で彼女は笑う。
やはり勝てそうもない。以前とは違う悩みの種も増えた。
良くも悪くも、僕は六道の家系からは逃れられない運命のようだ。
だが――最近ではそれも悪くないと思うようになった。
人生というのは、なかなか捨てたもんじゃないらしい。
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