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【夏企画】カリビアン・ブルーの肖像達


 右手にかかる重さに意識を伸ばすと、買ったばかりのレモンイエローのチューブがふと思い浮かんだ。
 中身が崩れる事は無かろうが、丁寧にと心掛けながら、掌の中での位置を確かめるように、一つ揺らして持ち直す。
 果実の群れが、ことん、と清涼感そのままに跳躍したようだった。

 街路樹の合間を縫って光を受け止める、ショウ・ウインドウの流れに目を投げた。
 着飾ったマネキンや、大仰に貼られたポスターが、影と陽光の狭間で顔を覗かせている。
 暑さに一息をついたのか、子を背負った母親が歩道を進む足を止めた。
 頭を一つ振り、汗を軽く拭うと、眠る子の顔を覗き込む。

 彼女自身も足を止めると、視線は留まり、連想が始まった。
 キネマスコープのように回転する光源の中で、自動車が何台も過ぎ去っていく。
 木漏れ日の飛沫にルノワールの息吹を感じ、印象派の技巧を記した一節を思い出す。
 排気音を聴覚の遠くに置きながら、彼女は平凡なる聖母子像を見つめ続けた。

 寝た子を起こさぬような配慮とは、荷への気張りのようなものだろうか。
 右手の紙袋を見下ろすと、一瞬の後、彼女は微苦笑を漏らした。
 繊維の構成にすぎぬ画用紙や、結晶体の残骸である色彩のチューブのような、無機物に抱く感情としてはおかしなものだろう。
 あるいは、無機物に生命の躍動を感知し得る、あるいはしたつもりになる人間の存在そのものが、神秘であると言うべきか。

 もう一度、全身のバランスをそれとなく保ちながら、跳ねるような仕草で荷物の配置を整えた。
 ストラップが肩に食い込み、衣服の皺を、変化する川底のように走らせる。
 右手の重さが改めて、瑞々しいラムネのような気持ちを静かに弾けさせた。
 緑黄色の勢力は夏日と手を組み、気化する打ち水をも吸い込むようだった。

 一歩一歩に合わせて、紙袋はがさがさ、と重たげな摩擦音をこぼす。
 紅茶とブランデーを調和させた、熟した茶色が彼女は好みであった。
 表層はビニールで覆われてはいない。陽光を粘着く重油のように反射させてしまう素材は好きになれなかった。

 肩から下げたポートフォリオ。
 職員会議での書類で膨れ上がった鞄。
 お裾分けのオペラ・ケーキを収めた真白い小箱。
 カーキのサマー・ジャケットと白いパンツスーツのフィット感。

 荷物と身体の重量感は、よく分からぬ高揚感に宥められている。
 金曜の午後、こうして家路を辿るときは、柄にも無く心が浮き立つ。
 増えたばかりの荷物は、心情をあらわにする事の少ない、と生徒間で評判の美術教師、暮井緑の表情を心地良さ気に和らげていた。










                  ――― カリビアン・ブルーの肖像達 ―――










 画材店への道は、特に用が無い場合は、いつも決まっていた。
 住宅街から程近いところ、なだらかな坂道の上りと下りの境目に、ささやかな噴水と花壇を合わせたロータリーが広がる。
 円状の花壇を囲むように、正方形に削られた石の数々を張り合わせた地面は、何度見ても美術的な堅固さだ。
 ペチュニア、ベゴニア、マリーゴールド、メランポジューム。そして吹き出る水色の青。
 彫像の少年が捧げ持つ壺から、水は神酒(ネクタル)のように花壇へと流れ落ちている。

 ロータリーにオーク材のドアを面する形で、その店は佇まいを見せていた。
 少し足音を高くすれば、歩道ではタップダンスの雰囲気が味わえるだろう。
 客の出入りを教える鈴の音の合図は、半世紀の間、変わらぬと聞いていた。
 子牛の首に相応しいカウベルの、風鈴にも劣らぬ涼やかさが好ましかった。

 夕暮れ時には、白亜の壁と階段の陰影が一際濃くなって、世界が分かたれる。
 木々と人工物と赤銅の空が織り成すミニアチュールに、色彩感覚をくすぐられてしまう。
 超現実的な世界観を、視界だけとはいえ、現実へと引き込む何者かの雄大さがそこには在る。

 画廊を兼ねているその店は、新進気鋭の芸術家を取り扱うことで著名である。
 暮井自身も誘いを受け、近々、幾枚かの絵を展示する運びとなっていた。
 土曜の昼を、こうして煙草の紫煙なしに過ごすのも悪くは無い。

 老境を十二分に満喫しているらしいオーナー夫婦からのサーヴィスは、英国的な香りを伴っているのが常である。
 ダージリンのフラッシュ・フレーヴァーでティ・オ・レ。
 チョコレートとムースを塗り重ねたクラシック・ショコラ。
 鳩時計の刻みを背に、絵の品評を主とした一時を過ごす。





 ――― この絵は・・・・・・そう。クリソプレーズとシトリンが、特に光っているわねぇ。





 オーナー夫人は、そのような言い方をする。
 老主人は紅茶の煙の向こうで静かに微笑み、暮井は頷く。
 1,2時間は矢のように過ぎ去るのが当たり前と思える感覚は、一瞬を切り取る絵描きとしては、切なさを喚起される。
 今日はなんとか3時間で、意識も帰り支度の準備を整えられた。

 週末ともなれば、帰り道に見かけるオープンカフェは夕刻から賑わいを見せるはずである。
 真昼の熱気が根強く残る石畳は街灯の光を受け、配置されたテーブルと椅子の群れが客を支える。
 人々の集う夜中を待ち望むビールやワインは、庶民の憩いとなるべく、千年以上も前から身嗜みを整えている。
 ゴッホが月と星々の中でカフェを描いたのは、そんな輝ける日常に焦がれたせいかもしれない。

 視界の狭さを、あるいはその限界を、暮井緑は多少なりとも煩わしく思ったことさえあった。
 なぜ世界は己の眼でしか見られないのだろう。そう、余りにも広すぎるのだ。
 描くべき対象の多さ広さに比して、気付き得ぬ才と視界の狭さがなんと恨めしい事か。

 デ・キリコやエッシャーのような、視界の限界を超越した才能に触れるのは確かに労力を要する。
 いや、はっきりと嫉妬しているのだろう。
 小さな一個人が切り取ったはずの世界が、歴史の中で静かに躍動しているのだから。
 功名心と名声への渇望は、無いとは言わない。
 だが、それはあくまで二次的なものだ。
 個人が提示する世界観への共有こそが、自己の存在を規定してくれる手段となる。

 英国の画家、バジル・ホールワードが描いた【ドリアン・グレイの肖像】。
 聞くところによれば、イギリスはオックスフォード、クライスト・チャーチ大聖堂の地下で厳重に保管されているという。
 一人の青年に、破滅の道を気付かせた原因である。何かしら畏怖の対象として受け取られても仕方あるまい。
 偶然とはいえ、犠牲者の名を冠した絵具の恩恵に預かった身分としては、自分自身も芸術の魔性を見知ったのだろう。

 つまり技巧は技巧であり、絵画芸術の骨子ではないという事か。
 芸術家の本性とは、人ならざるもの、この世ならざるものに生を宿す術を求めることである。
 言い換えれば、魑魅魍魎の存在が無くては、芸術の神秘性は立証し得ないという事だろうか。
 オカルティックな世界では、絵画芸術は描き手の技巧に因らず、超自然の気紛れに左右されるのか。

 其処まで考えて、不意に暮井は不貞腐れたような表情になった。
 新たな煙草の一本に火をつけると、深々と吸い込み、吐き出す。
 自分を含めた誰も彼もがエゴイストだとは、理解しているつもりでいる。
 天才たちの世界を想起すれば、決まって苦笑が浮かぶのも自嘲気味になるからであろうか。

 しばらく煙草を吹かしていたが、根元まで吸い終えると、携帯の吸殻入れにねじ込むようにして押し込んだ。
 たゆたっていた煙を振り払うように、足を乱暴な勢いで動かす。
 暮井の眼差しは、明らかに目的地への道を辿っていた。





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 当初、この場所を見つけたとき、日本の、しかも東京のものとは信じられなかった。
 開けた視界に広がる丘陵は、草原と言って良い広がりを見せ、草木の緑は遠目にも瑞々しく艶やかである。
 明治時代の華族、旧伯爵家の領地であったという噂は聞いたことがあるが、本当のところは分からない。
 廃屋となった洋館に、庭園らしき跡地が残るだけである。

 赤茶けたレンガの残骸に、柱にでも用いられていたのか零れ落ちた石膏の破片が、堂々とした様で転がっている。
 どのような意匠に用いていたかは判然としないが、暮井は白亜の欠片も見出していた。
 その日から時折、暮井は休日になるとこうして足を伸ばし、スケッチや塗料の材料となるものの収集を楽しんだ。

 蒼穹は、灰色と白色の交じり合った薄い雲で、微かな曇りをあちこちに散らばらせている。
 山並みの向こうで濃い灰色の雲が遠雷の響きを伝えている。
 暮井は指先を一舐めし、風を測った。草木の動きにも目をやる。
 こちらには来る事は無いだろうと判断したのか、暮井は手近の巨石に腰を下ろした。
 持参したポートフォリオからスケッチブックと鉛筆を取り出し、そのまま風景のデッサンを始めた。

 しゃわしゃわ、と蝉の声が忙しない。
 森の奥から『歓喜の歌』のように重唱を響かせてくる彼らは、暮井にとって絵筆の後押しであった。
 インスピレーションといい、神託という。
 癒しや自然という言葉を口にしても、その中にどれほどの意味が含まれているものか。

 絵画はフィジカルとメンタルの仲立ちなのではなかろうか。
 数十本目になる木の枝の輪郭を描き終えて、暮井はふと手近に落ちていた枯れ枝を拾い上げた。
 ためつすがめつの例え通り、目線の高低や角度を変えて枝を観察する。
 巨石の罅割れた隙間に無造作に差し込むと、そのデッサンを始めた。

 蝉の亡骸をも手にとって見た。
 羽の紋様も細部まで見つめる。
 手足の繊毛の本数も数え間違うまいと、どこかで思ったような気がした。
 畏敬すら込めて亡骸を隣の石に置くと、それもデッサンを始めた。

 時間は問題ではなかった。

 画用紙がめくれそうになったことで、意識は絵筆の運びから引き離された。
 さほど強くもない風だったと思ったが、心の切り替えには十分な強さであったらしい。
 一時間は没頭していたろうか。空の青さは未だ濃い。
 暮井はスケッチブックと鉛筆を足元に置くと、一つ伸びをした。

 ポケットから煙草とライターを取り出し、火を付ける。
 紫煙の流れが吹き消されるように、飛び去っていく。
 飛び交う雲雀の群れが、絶え間なくさえずっている。
 見上げた空に、雲は僅かも見当たらなかった。

 一瞬、眩い光が走った。

 雷光かと身構えた暮井は、だがすぐに身体の強張りを解いていた。
 切り立った小高い丘から臨み、眼下に広がる草原の中に人の姿を見たのだった。

 少年と少女の二人連れであるらしかった。
 遠目だから良くは分からないが、背の高い方の1人は紅い布を額に巻いていた。
 シャツを除いた上下は、煤けたインディゴ・ブルーに染まっている。
 日に当たる部分はサフィニア・ブルーに薄れていた。

 もう一人は小学生が中学生の少女のようだ。少年より頭一つ分は低い。
 濃紫色のミニスカートと半袖のブラウスに身を通している。
 だが、特に暮井の目を引いたのは、その髪の色と房の数だった。
 数えるのに両手の指は必要であろう本数にまとめられた髪は、鮮やかな黄金色に映えている。

 と、見えない絵筆が、世界の全てをなぞったように見えた。
 一陣の風であった。

 何をしているのかと、考える間もなかった。
 唐突に訪れた瞬間は、思考を置き去りにした。

 何かを掲げた少年の手の中で、閃光が弾けた。
 放射状に伸びた光の矢は、暮井をも包み込んだ。
 空へと伸びた。蒼と黄金が触れ合った。

 蒼穹を切り裂かず、溶け込むように進んだ。
 草木の緑が黄金色を受け、陰影は掻き消されていく。
 黒と茶が覆う大地に、震えが微かに走った。
 
 キネマスコープの回転する轍は、静止画のコマ送りのように見えた。
 黒っぽく蠢くものが雪解けのように消滅し、眩さを受けたものはその瑞々しさをいや増していく。
 小川の水が黄金の雫を飛ばした。小魚が跳ねたのだった。
 シャンパンの泡のように、光の連なりが円になり、視界を上向きに貫く。

 吐息が緩やかに吐き出されるように、光も収束していった。
 暮井の両目は見開かれたままである。息も忘れていた。
 気のせいか、視界の端々に垣間見えていた埃が掃われたように思えた。
 草木の萌出でる春の初々しさが、躍動する夏場の精気を得たのだろうか。

 少年と少女は、しばらくあちこちを見渡していたが、顔を見合わせて一つ頷いた。
 ハイ・タッチで手を打ち合わせると、去っていった。
 暮井は丘の上に立ったまま、彼らを見送った。
 彼らと世界が、彼女の眼前で静かに佇んでいた。

 山並みのはるか向こう側から、聳え立つ入道雲がこちらを見下ろす。
 碧空の青さに撫でられて、甘えるようにその姿を変えていく。
 地上の萌黄が走り出して、ここにいるよと、遥かな高みへと歌っている。
 ルネ・マグリットの巨岩は、今、この空にこそ相応しい城であろう。

 暮井は身動ぎ一つせぬままに、そのまま立ち尽くしていた。
 夕暮れが来るまでに、世界を全身全霊で覚えておきたかった。

 天啓を得たと思った。





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 東京都主催の絵画展が開催されることを知ったのは、今朝の新聞からであった。
 正直な所、興味は薄かった。
 学術的な評価は、暮井緑の好まざるところだったからである。

 あの後、帰宅してすぐに、暮井はキャンバスへと向かっていた。
 憑かれたように絵筆を取り、パレットへと色を搾り出す。
 共に住まう、己のドッペルゲンガーが夕食の時間を告げに来ても、滑り出した筆の勢いは止まらなかった。

 知識と技巧の全てを総動員したような充実感が、疲労となって積み重なっていた。
 一点一点の描写に力を注いだ自分と技巧、そのいずれにも不満などあろうはずが無かった。
 デッサンから始まり、結実した作品の全体像は、自分でも意外に思える姿を生み出していた。
 写実的な印象派によるシュールレアリスム、あるいはその逆と言うべきか。

 キャンバスの中では、山並みに囲まれた大地、草木、碧空を背景に、少年と少女が向かい合って佇んでいた。
 白亜の柱とマーブル模様のダンスフロアの中心で、2人は互いの眼差しを柔らかく受け止め合っている。
 城の中に居るのではない。城の外には壁を隔てて、草原が広がっている。
 壁に掛けられた大鏡には、真白い邸宅を乗せた巨岩が映し出されている。

 構図的にはダ・ヴィンチのようだし、素朴で文学的な描写はミレーを思わせる。
 ダリ、マグリットのシュールさは、まだ想像力の及ばぬところである。
 しかし、あと一筆を残した今作では、そのような視点を持てた事がむしろ嬉しく思えていた。
 一歩を進んだ、己の今の限界はこの絵の中にあるのだろう。

 絵はもちろん、使い慣れた画材と共に、暮井は今週末も坂の上の画廊を訪れた。
 オーナー夫婦の賛辞と笑みを誇らしく思いながら、暮井は紅茶を一口含んだ。
 今日も色を買って帰ることを、彼女は決めた。





 ――― カリビアン・ブルー・・・・・・。そう、カリブの海のようね。





 夫人の一声に、暮井は軽く目を見開いた。
 確かに使った配色は、カリビアン・ブルーだ。
 全体的に青みがかった配色は、世界を青ざめた表情にしてはいない。
 そんなことをしては、あの日見た世界と少年少女への無礼に他ならないのだ。

 驕慢さや傲慢、利己心、功名心、名声。
 そのいずれとも無縁であるとは思わぬ。
 だが自分の行ける道程は、それだけに染まっているのではない。
 暮井は微苦笑の奥で、芽生えつつある充実感を噛み締めていた。

 空に映された海の青さが、幾重もの風に吹かれ流れて、あの日、遥か東洋の島国にたどり着いたという事だろうか。
 一つ頷いた暮井は、おもむろに画材を収めた箱を取り上げた。
 夫人の言葉に、最後の一筆を入れるべき時が来たと思ったのだ。
 チューブの選択に迷いは無かった。 

 10分少々をかけて描くと、暮井は筆を握ったまま、オーナー夫婦へと向き直った。
 少年のバンダナが深紅(カーマイン・レッド)に、少女の頭髪が山吹色(サンライト・イエロー)に落ち着いていた。

 老主人は微笑み、深々と頷くと、ポットから新たな一杯をカップに注いだ。
 夫人は一際喜ぶと、とっておきのケーキを用意しましょうと台所へと向かった。
 暮井も、彼女には珍しく笑みを浮かべると、丁寧な仕草で画材を仕舞いこんだ。

 紅茶の煙に鼻腔を楽しませながら、暮井は眼を閉じる。
 絵画展に出品してみようと決意していた。





 『カリビアン・ブルーの肖像達』と名付けられた絵が、絵画展で入選を果たしたのを暮井が知ったのは、1ヵ月後の事である。
 カーマイン・レッドのバンダナを巻いた1人の男子生徒が、早朝から傷だらけで登校してきたのは、さらにその翌日の事であった。













                             おしまい
ご無沙汰しております。
崖の上を行くようにギリギリ投稿、御寛恕下さいませ。
それでは、どうぞお楽しみください。

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