「……だるい」
学校の廊下を歩きながら口をついた言葉はため息と同時に吐かれた。
出来るだけいつもと同じように元気を装い歩いているが、やはり自分を騙すことはできない。
誰にも見られないように物陰に隠れ一息つく、と再び目眩を感じて頭を振った。
今までも調子が悪くなったことはあったが、こんなにひどいのは初めてだ。
「やっぱり、きついのかなぁ……」
壁を背もたれにし僅かに腰掛ける。
しかしその行動も気休め程度にしかならず、私は再び大きなため息を吐き出した。
朝から続く調子の悪さはそのままずっと続き今現在ピークに達しているようだ。
「……やっぱり休んだほうが良かったかな……」
「あれ?」
私は頭にやけに響く目覚ましの音に目を覚ました。
やかましく横で鳴る、目覚まし時計のボタンを押そうと押そうと手を伸ばす。
おかしいな?
いつから時計が二つになってたんだろう。
目細めてもう一度時計を見る。
時計は一つだ。
時計の頭を叩くと音が止まった。
止まらないはずはないんだけど。
体を起こして部屋を見る。
――と、頭に鈍痛が走った。
よく見れば部屋を映し出す視界は若干の目眩がするし、腕や足も鉛をつけたように動かしにくい。
「んー、やっぱり変……」
鏡に映る自分を見てみると、顔が赤くなっていた。
あまり考えたくは無いことだけど、風邪をひいてしまったのか。
そういえば昨日は凄く暑かったからちゃんとボタンも留めてなかった。
下に目線をやると申し訳程度にしか留められてないパジャマと、膝の辺りまでずり下がったズボンが見えた。
……まあ、いいや。
早く着替えて朝ごはんを食べに行こう。
明の家に行くとすでにご飯の準備は出来ていた。
明は台所でいそいそとフライパンなどを洗っている。
私が言うのもなんだけど、明には本当にエプロン姿が似合っていると思う。
明はそんなのかっこ悪いと言うが、明を知っている人はみんなそう思っているだろう。
調理実習でみんなの前でエプロンをした時からたびたびお母さんなんてあだ名で呼ばれているらしいし。
「明、おはよー」
「ん?おう、初音おはよう」
「今日のお弁当は何?」
「肉団子と卵焼き。あとごぼうのサラダかな、てお前……」
「な、何?」
ばれた?
お母さんの化粧道具借りてちゃんと隠してるのに。
慣れない手つきだったが、鏡で見て自分はいつもと変わりないものになってたはず。
「……髪はねてるぞ」
「え、嘘?」
「本当だ。頭の右のところ、早く直さないと飯食う時間なくなるぞ」
「いいよ、ご飯食べてから直すから」
がたんと無駄に音を立てながら椅子に座る。
ばれなくて良かったはずなのに、なんかむかつく。
明もやれやれなんて言いながらも椅子を引く。
いただきます、と言って食べた朝ごはんはきっと美味しいはずだ。
正直食べても味は良くわからなかった。
でも明が作ってくれるご飯はいつだっておいしい。
だから美味しそうに食べる、出来るだけ自然に。
「「ごちそうさまでした」」
「片付けは俺がやっておくから、髪直してこいよ。そしたらすぐ出るぞ」
明は私の分の食器も台所まで持っていった。
朝使った食器はそれぞれが洗うのが決まりなんだけど、ここは任せることにしよう。
洗面所の鏡を見ると確かに左側の髪がぴょこんと飛び出していた。
私は髪を解いて、当たり前のようにある私のブラシで梳く。
一日のうちに明の家にいる比率のほうが多い。
だから日常品はほとんど明の家に置いてあるのだ。
「終わったか?そろそろ出るぞ」
「もうちょっと、ちょっとだけ待ってよ」
もう、そんなに急かさなくても良いじゃない。
「できたよ、行こう!」
「おう」
家から一歩出ると、空からは地面に太陽の光が容赦なく降り注いでいた。
思ったよりもきつい光に軽い目眩がしたが、それを表に出すほど愚かじゃない。
「明、早く行くよ!」
「だからって走るな!暑いんだから少しは落ち着け!」
大声で叫ぶ明を置いて、弱った私を見せないように駆けていった。
そして今までどうにか体調を隠して授業を受けていたわけだ。
時間が経てば少しはこのけだるさも無くなってくれるかと思ったが、そうは簡単にはいかなく現在も体を蝕んでいた。
「はぁー……お腹痛いし、頭痛いし。どうしちゃったんだろう私……」
「初ー、もう授業終わったよ」
「へっ!?」
突然の誰かの声に顔を上げる。
と、そこにいたのはクラスの友達。
「初ってば授業が終わったとたんに教室出てってちゃうんだもん。次の授業体育だから早くいかないと送れちゃうよ」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
この娘は中学で知り合った初めての友達。
私の何が気に入ったのか知らないが、入学してすぐに私に話しかけてきた変わり者だ。
私も彼女の明るくて気さくなところを気に入ってるのだが。
「しかしさっきの古文の授業はつまらなかったねー」
「うん、私あの授業嫌い」
「あの先生の授業お経喋ってるみたいな言葉の羅列だしねぇ。まあ、そんなわけだから寝るのは良いけどね。気をつけないと駄目だよ」
少し痛む頭を誤魔化して、私達も体育館に向う。
「今日は体育館でバレーだってさ。工事だかなんだか知らないけど早くプール使えるようにして欲しいよ」
「でも、体育館は冷房ついてるから涼しいよ」
「違うんだよ初!たとえ体育館のほうが涼しくたって、夏と言えばプールなの!ただ涼しけりゃいいってもんじゃないんだよ!」
「だってプールに入ると髪が大変になっちゃうもん」
「あ〜、初は髪が長いからねぇ。乾かすのも人苦労か」
なんて取り留めの無い会話を続けていたのだけど、私の頭には実はその半分も聞こえてなかった。
視界はぶれ、意識もはっきりしなくなっている。
けれどそれを表に表してはいけない。
心配をかけてはいけない、心配をされてはいけない。
だけど……
――なんでこの人は私の前にいるのだろうか。
「あれ、どしたのあっきー?あっきーのクラスは教室で授業じゃなかったけ?」
「いや、そろそろ限界みたいだからな」
限界って何の事だろう、そう思った瞬間私の前に地面があった。
体中の力が入らないし、目も閉じていく。
「限界って……!初!どうしたの!?」
「やせ我慢もここまでだな。たくっ、無茶しやがって」
ただ、薄れ行く意識の中で、誰かが受け止めてくれた気がした。
子供の頃、私の周りには誰も居なかった。
両親はいつもどこかに出かけていた。
友達は私を怖がって近づこうとしなくて。
そんな時私は山に行った。
体からみなぎる力を抑える必要は無い。
ただそれに身を任せ、どこまでも駆け抜ける。
その瞬間は何も考える必要は無いのだ。
ただ山を、深い森を、どこまでも続く草原を。
その足が悲鳴を上げるまで走り続ける。
残るのは心地良い体に這う疲労感と、痛みを訴える心だけ。
そうして日が暮れるまで横たわる私の前に一人の男の子が現れる。
その男の子は、なんて言ったのだっけ。
気がつけば私は誰かの背中に揺られていた。
その背中は思いのほか広くて、温かくて、ひどく安心する。
「ん?起きたか。大丈夫か?」
「あき、ら?」
「たくっ、お前いきなりぶっ倒れたんだぞ。調子悪いのに我慢するからだ」
ばれてたんだ。
そうなると気になるのはいつから気付いてたかだ。
にも気付かれてなかったし、絶対ばれないと思ってたんだけど。
「いつから気付いてた?」
「朝から。お前様子おかしかったからな」
私は明の言葉に正直驚いた。
私が本気で隠していた体調の変化に一目で気づいたという事実に。
いくら明がいつも私と一緒にいるとはいえ、獣の擬態はそう簡単に見破れるものじゃない。
明には他の超能力でもあるのか?
そのあまり愉快でない事実に、口を尖らせた。
「なんで明にはわかっちゃうの」
「長い付き合いだからな。お前のことならだいたいわかる」
「それだけ?実は新しい超能力覚えたとか」
「そんなのねーよ。俺達チームだろ?仲間のことわかんなくて一緒に居れるかよ」
――いつまでそんなとこにいるんだよ、帰るぞ
――あ?わがまま言うなって
――なんでって……俺達、仲間だろ。こんな変な力持ってさ、いっぱい大変なことがあるだろ
――それでも
――お前も一緒だと思えばきっと頑張れる
「……そか。そだね」
「それより歩けそうか?そろそろ疲れたんだが」
「……もうちょっとだけ、良い?まだ頭ふらふらする」
明は黙って私を担ぎなおした。
「重い?」
「いや、別に重くはない」
首に回した腕に僅かに力を込める。
「ねぇ、なんで止めなかったの?私が無理してるのわかってたのに」
「お前は止めたって止まるやつじゃないだろう。理由はわからないけど、お前が調子悪いの隠してるんなら俺はそれを見てることしかできねーよ」
「でも、私それで迷惑かけちゃったし……」
「そう思ってるんなら今度は言ってくれ。ま、お前が無理すんのはいつものことだし、
俺はそのフォローをすんのが役目みたいなもんだ」
おどけたように言う明の声、今はそれにとても救われる。
きっと今怒鳴られたら泣いてしまうほど私は弱っていたから。
「で?何でか訊いていいのか?」
「……あのね。一人でやらなきゃって思ってたの」
明は黙って聞いてくれていた。
ぽつりぽつりと、熱でボーっとする頭で考えながら言葉を選んで口に出す。
「病気とか怪我しても、一人で何とかしなくちゃいけない。だって、みんないつかは離れていって、私はきっと一人になるから」
「……馬鹿か」
「……うん。馬鹿かも」
呆れて漏れる罵倒。
なのに私は笑っていた。
「でも、本気でそう思ってたんだ」
「お前はは一人でやってけるほど器用じゃないだろ。誰かと一緒じゃなけりゃ生きていけないタイプだ」
「そうかな?」
「そうだ」
私は大きく息を吸い込み――
「じゃあ、その誰かが明でも良い?」
――その言葉と共に吐き出した。
「……腐れ縁だからな。面倒くらい見てやるよ」
こっそり覗き込んでみた明の顔は、赤く染まっていた。
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