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【夏企画】パイレーツ・オブ・ちるどれん!後編(with 足岡様)

「お帰りなさい――じゃなくて、ただいまって言えばいいのかな?」

 ブラック・ドッグ号に戻ったメンバーを待っていたのは、ドレス姿のままのおキヌであった。どうやって自分より先に脱出できたのか、横島は目を丸くした。

「ど、どーやって逃げてきたんだいおキヌちゃん?」
「あ、それはですね」
「ワッシの能力じゃけえ、横島さん」

 傍らにいたタイガーが、ずいっと前に出て言う。

「みんなが暴れているうちに、精神感応で姿を消しておキヌちゃんを連れて戻ったんジャー」
「お、お前もいたのかよ。けど、よくおキヌちゃんのいる場所が分かったなあ」
「それが、カモメが道案内してくれたんジャ」
「カモメ?」
「帰る時も見つかりにくい場所を教えてくれたり、不思議な鳥じゃったノー」
「まあ何にせよ、おキヌちゃんが無事で良かったぜ。さすが影が薄いだけのことはあるな、タイガー」
「ひ、ひどい……」

 元々の能力に加えて、タイガーの存在感の無さを存分に発揮した、大胆かつシンプルな作戦は大成功だったようだ。横島は雪之丞にも目線を向けたが、彼は暴れすぎると言う理由で留守番だったらしく、ふてくされていた。

「ま、目的は果たせたわけだし。とっととズラかったほうがいいわね。それからあんたたち、逃げてる間は絶対振り返らないこと。いい?」
「な、何でッスか?」
「海の妖怪には、目を合わせた人間の所へ瞬間移動できる連中がいるのよ」
「うへえ、最初にやられましたよそれ」
「わかってんなら振り向かず、面舵逃げろーーーーっ!」

 令子の号令で、ブラック・ドッグ号はフライング・ダッヂマン号に背を向けて逃げ出した。

「大変です船長! あの娘がいなくなってます!」
「何だと!?」
「や、奴らの船が逃げ出すんだな。ふ、船足は向こうの方が上なんだな」

 フライング・ダッヂマン号ではトーリとディックに挟まれて、テンタクル・ジョーンズが怒りを露わにしていた。

「してやられたか……まあいい。少々残念だが、本来の目的に問題は――」

 気持ちを鎮めつつポケットをまさぐるテンタクル・ジョーンズは、そこにあるはずの物が無くなっていることに気が付いた。

「ぐぐぐ……あ、あの時かッ! おのれ……おのれ小僧ぉぉぉぉーーーーッ!」

 横島の『栄光の触手』に絡み付かれた瞬間のことが脳裏に甦る。
 船を揺るがすほどの怒りの咆吼が、海上に響き渡る。そしてそれは、真の恐怖の始まりを意味していた。

「ディック! アレを呼ぶぞ!」
「ア、アイアイサー!」

 ディックは敬礼し、慌ててその場から離れていく。

「マジっすか船長!? あの船にゃあの娘だって――」
「黙れ! 俺をナメたらどういう事になるか、闇の海底に沈めて思い知らせてやる!」

 トーリの制止をはね除け、テンタクル・ジョーンズは船の中央に設えられた回転式の杭の前に立つ。船員たちにそれを回させながら、彼は呪詛を込めて叫ぶ。

「歓喜の声を上げてはならぬ! 希望の目で空を仰ぐな! この日よ呪われろ! いざ目覚めさよう――」

 頂点まで持ち上がった杭は自らの重みで落下し、大きな衝撃を伴って船底を打つ。

「恐るべき深海の巨神を!」

 その時、深い海の底で巨大な影が蠢いた。



「しかしあいつ、なんでこんなの欲しがってたんだろーな」
「さーな。とりあえずそれの所有権はオラにあるだ。ホレ、よこせ」
「まあ待てよ。何のために使うのか調べてからでもいーだろ」

 横島は舵輪を握る娑婆鬼の近くで、コンパスの使い道と所有権について話し合っていた。おキヌが彼らの近くを通りかかった時、そのコンパスに目が止まる。すると彼女はみるみる蒼白となり、二人に詰め寄った。

「ど、どうしたんですかこれ!?」
「ん? ああ、あのタコ野郎からこっそり頂いて来たんだよ」
「それはオラのもんだからな」

 それを聞いたおキヌは口に手を当て、震えながら言った。

「ダメですよ! それはあの船長さんに返してあげないと! でないと――」
「ど、どうしたんだよおキヌちゃん? 何か知ってるのか?」
「あああ、大変だわ……!」

 騒ぎを聞きつけて、令子や他の仲間も集まってきた。

「何の騒ぎ?」
「大変です美神さん! コンパスが!」
「ちょ、落ち着きなさいおキヌちゃん。コンパスって、横島くんが持ってるこれ?」
「早く、早く返さないと!」

 ずんっ!

 突然、ブラック・ドッグ号が激しく揺れた。

「うにゃっ!」

 横島が思わず放り投げたコンパスを、ケイが見事な反射神経でキャッチ。

「何だ、暗礁に乗り上げちまっただか!?」

 舵輪を握っていた娑婆鬼が、異様な手応えに声を上げる。
 船縁に駆け寄って船の下を覗き込んだ令子は、船より遙かに巨大な影が船底にへばり付いているのを見た。

「な、なんてこと……なんで日本の海にこんなバケモノがいるのよ!」
「どうしたんです美神さん!? 一体何が……あああぁぁぁぁぁーーーーーッ!?」

 横島が海を覗いた瞬間、船のマストよりも太い触手が海面から何本も突き出ていた。

「クラーケンだわ――!」

 令子の絶叫が、水平線の彼方まで響き渡る。吸盤付きの触手はブラック・ドッグ号を品定めするように這い上がると、素早くマストに巻き付いて砕いた。

「きゃあああっ!?」
「どわーーーーっ!?」

 倒れる柱、降り注ぐ破片、叩き付けられる触手。甲板の上は騒然となり、乗員は対策もロクに立てられぬまま逃げまどうしかなかった。

「ど、どうにかしてくださいよ美神さーーん!」
「どうしろって言うのよバカーーーーー!」

 船の横腹を突き破り、船内を蹂躙した触手はその重みを持って、とうとう中央から船を真っ二つにへし折ってしまった。修羅場に慣れている令子たちであるが、今回ばかりはただ海へ放り出されるばかりだった。

「無事かお前たち!」

 天竜童子ら、空を飛べる者は一足先に避難していたようで、海に投げ出された仲間を捜しては浮かぶ船の破片に引き上げていた。

「大丈夫、これで全員――!?」

 パピリオがずぶ濡れのケイを拾い上げていると、海の底から巨大な何かが勢いよく飛び出し、弾き飛ばされた二人はそのまま姿が見えなくなってしまった。

「パピリオ、ケイ!?」

水は重力に従って海へと戻り、後に残ったのものは――亡者の顔に見える模様が無数に浮かび、いたる所にフジツボや海藻がびっしりとこびり付いて、実に禍々しい外観の船――フライング・ダッヂマン号だった。

「諸君、気分はどうだ? 俺は今、最低の気分だ」

 海に浮かぶ令子たちを殺気に満ちた目で見下ろしながら、テンタクル・ジョーンズは吐き捨てた。海から引き上げられた令子たちは後ろ手に縛られ、捕虜として船縁に並べられた。

「俺のコンパスはどこだ小僧!」

 テンタクル・ジョーンズは横島の首を鋏で締め上げ、問う。

「が……はっ!」
「横島さん!? お願いします、やめてください!」
「コンパスって、あのコンパスのこと?」

 令子は横島が眺めていたコンパスのことを思い出す。おキヌはコンパスの事で取り乱し、目の前にいるタコ頭の怪物も同じように冷静さを失っている。ということは、何か大切な物であることは間違いないと言えるだろう。クラーケンをけしかけてくるほどに大切な。

「その手を離しなさい! 横島くんは持ってないわ」

 令子の言葉に、テンタクル・ジョーンズは鋏の力を緩める。

「貴様、俺のコンパスをどこへやった!」
「ちょっ、落ち着きなさいよ、船長でしょアンタは」
「命が惜しければすぐに出せ。つまらん駆け引きなど考えるなよ」

 窪んだ眼窩に輝く双眸には、隠そうともしない殺気がみなぎっている。ここはあまり刺激するのは得策ではないと令子は読み、続けた。

「残念だけどここにはないわ。仲間の一人が持ってたんだけど、アンタたちが出てきたおかげではぐれちゃって、行方が分からないのよ」
「ウソを言うと痛い目に遭わせるぞ」
「ウソじゃないわよ。それから言っとくけど、もし私たちに何かあった場合、コンパスは海に捨てるように命令してあるから。つまりどういう事か……おわかり?」
「ぬうう」

 歯ぎしりをしながら、テンタクル・ジョーンズは横島の顔を殴りつけて背を向けた。

(ふー、とりあえず切り抜けられたわね……後はあの子たちが無事なのを祈るしかないか)

 仰いだ空はやけに高く、一匹のカモメが横切るように飛んでいくのが目に映った。



「う……」

 ジリジリと照りつける太陽と潮風の匂いにケイは意識を取り戻す。いつの間にか浮いている板にしがみついていたようで、溺れずに済んだらしい。周りには船の姿はなく、バラバラになったブラック・ドッグ号の破片が浮いているだけだった。不意に心細さに襲われたケイだったが、それどころではない大事なことを思い出して叫んだ。

「パピリオ!?」

 自分を拾い上げようとした時、彼女も一緒に波に呑まれた。これで自分一人だけ助かったとあっては、仲間たちになんと顔向けすればいいのか。しかし、いくら呼んでもパピリオの返事はない。途方に暮れて眼に涙が浮かびかけた時、指に紐が絡まっているのに気が付いた。たぐり寄せてみると、それはさっきキャッチした謎のコンパスであった。蓋は開いたままになっており、中の文字盤はいつまでもグルグルと回り続けている。

「はあ……方向もわかんないんじゃ、何の役にも立たないじゃないか。パピリオ……どこにいるんだよー……」

 嘆息して肩を落としたその時、文字盤の動きが変わった。回転し続けていたのが一定の間隔で行ったり来たりを繰り返すようになり、ついに矢印がある方向を指してピタリと止まった。その方向を見て目を凝らしていると、かなり離れた場所に仰向けで浮かんでいるパピリオの姿を見つけた。

「パピリオ、大丈夫?」
「うーん……」

 板の上に乗せたパピリオが返事をしたので、ケイはホッと胸を撫で下ろす。

「一体何がどうなったでちゅか? 他のみんなは?」
「わかんない」
「船が……」

 残骸となったブラック・ドッグ号を見て、パピリオも状況を悟ったようだった。

「ケイ」
「え?」
「助けてくれて、ありがと」
「えへへ、照れるなあ。あ、でも不思議なんだよ。パピリオを探してた時、このコンパスが方向を教えてくれたんだ」
「やっぱり、何かありまちゅねこのコンパス」

 パピリオはケイが持つコンパスを見つめ、呟いた。

「でも、これからどうしよう。きっとみんな捕まったんだ」
「幽霊船も見えまちぇんし、お手上げでちゅね。どうにか助け出す方法があればいいんでちゅけど」

 仲間を助けたいと願ったその時、再びコンパスの針が動きを変えた。

「もしかしてこのコンパス、願った物を指すコンパスなんじゃないでちゅか!?」
「そ、そっか! だからパピリオを探してる時も針が動いたんだ。ってことは……」
「みんなを助ける方法を願うでちゅよ!」

 ケイとパピリオはコンパスに向かって、むにゃむにゃとわけのわからない呪文のような言葉を呟きながら願いを掛け始めた。
 みんなを助ける方法を――ただそれだけを願って、両手を組んで忍者のポーズをしてみたり座禅を組んだりして、ひたすら願い続けた。
 やがて針が不規則に動き出すと、ある方向を指してピタリと止まる。

「……これはどう解釈したらいいでちゅか」
「あれが、みんなを助けてくれる……んじゃないかな。たぶん」

 針の示す先には、折れたマストが海に浮かんでいるだけ。どう考えても、助けになるようには思えない。と、そこに一羽のカモメが舞い降りて二人をじっと見つめた。

「あのカモメ、確か――」

 パピリオが言いかけると、カモメはふわりと宙に舞う。そして周りをぐるぐる旋回し、付いてこいと言わんばかりに鳴き声を上げて飛んでいく。

「ど、どうする?」
「他にどーしようもないし、後を追っかけるでちゅ!」

 パピリオはケイをぶら下げて、カモメの後を付いて飛ぶ。数キロメートルほど飛んだところで、カモメは何もない海の上でぐるぐる回り始める。やがて、異変が起こった。海面に光の輪が浮かび、カモメの身体から光の球が飛び出して輪の上で浮かぶ。カモメはそのままどこかへ飛び去ってしまい、二度と戻ってこなかった。

「この輪っかに入れって事かな」
「ぶー、潜るんでちゅか」
「このまま浮かんでるわけにもいかないよ」
「わかってまちゅよっ」

 覚悟を決め、パピリオはケイを抱えたまま海に浮かぶ輪の中へ飛び込む。水に濡れたと感じたのは最初だけで、その先は不思議な浮遊感に包まれながら深く深く沈んでいるようだった。

「ど、どうなってるんだろ」
「……ただ海の底へ向かってるだけじゃないでちゅね。これ、空間をシフトしてどこか別の場所に向かってまちゅ」
「べ、別の場所?」
「例えば地球の裏側とか、とにかくさっきいた場所とは全然違う所でちゅよ」
「うう、ちゃんと帰れるかな」
「さっきからブツブツうるさい! 男でしょーが!」

 パピリオに叱られて、ケイは耳をぱたんと倒して落ち込んでしまう。そうしてどんどん沈んでいくうちに、薄暗い海底が見えてきた。そして、横たわるようにして朽ち果てた沈没船が二人の目の前に現れ、光の球はその沈没船の中へと消えていく。
 海底にたどり着いても、水圧や呼吸が出来ないといったことはなかった。何か霊的な存在が、二人の周囲にシールドを張って守ってくれているようだった。
 海底を歩いて、二人は沈没船の中に足を踏み入れた。壁も柱もボロボロに朽ち果てて、壁や柱には小さな貝がびっしりとこびり付いている。

「うう、暗いのも水の底も嫌いでちゅ」

 パピリオはケイにしがみき、背中に隠れるようにしている。

「僕の目は暗いところも平気だから、安心しなよ」
「こういうのは生理的にイヤなんでちゅ」

 蝶の化身である以上、光のない場所も水の底もゾッとしない場所なのだろう。それは自分も同じなのだが、こんな時こそ男の面目という物を立てねばなるまいとケイは思った。

「大丈夫、僕が付いてる」
「……だから不安なんでちゅ」

 見事なカウンターで、ケイはがっくりと肩を落とす。顔を上げると、半開きになったドアの向こうで光の球が浮いていた。ドアに手を掛けると、根本が砕けて外れてしまう。部屋の中は乱雑としていたが、光の球が浮かんでいる近くに小さな箱がひとつ置かれていた。

「これを見つけて欲しかったのかな」
「何が入ってるんでちゅかね」

 ケイは箱を抱えると、蓋を開けて覗いてみた。中には丸めた羊皮紙と、銀のフルート、そして一通の手紙がそれぞれ入っているだけだった。

「なんだろう? こんな物でみんなを助けられるのかな」
「とにかく持って帰るでちゅ。用が済んだらこんな所はさっさと引き揚げるでちゅよ」

 箱を持って部屋から出て行こうとした刹那、奇妙な気配を感じて二人は振り返る。光の球が浮かんでいたその場所には、ドレスを着た金髪の女性が立っていた。歳は二十歳かそれより若く、思わず見とれてしまう美貌の持ち主である。

「……お願い……子供たち……あの人に……」

 女性はそうとだけ呟いた後、憂い満ちた表情を浮かべて消えてしまった。

「あの人?」
「……いいから、早くここから出るでちゅ!」

 パピリオに引っ張られるようにして、ケイは沈没船の外に連れ出された。海底には来た時に見たのと同じ光の輪が出来ており、その中に入ると二人の姿は一瞬にしてどこかへ運ばれた。



 フライング・ダッヂマン号では行方不明になったケイとパピリオの捜索が続けられていたが、二人の行方は杳として掴めぬままだった。

「ダ、ダメなんだな。見つからないんだな」

 望遠鏡で周囲の海を探しながら、ディックが嘆く。

「ちゃんと探せよ! 船長本気で怒ってたからな〜。おお、怖い怖い」

 トーリもロープにぶら下がりながら、近くの漂流物に目を凝らしている。

「み、美神さん、俺たちこれからどうなるんスかね」

 甲板に座らされたまま、横島は尋ねる。

「今はジタバタしても始まらないでしょ。とにかく、いなくなった二人がコンパス持って戻ってくるのを待つしかないわね」
「しかしあのタコ野郎、思いっきりぶん殴りがやって……たかがコンパスくらいで」

 鼻血が乾いて筋になった顔をしかめながら、横島は毒づく。その言葉を聞いて、おキヌがポツリと呟いた。

「ただの……コンパスじゃないんですよ」
「え?」
「何か知ってるのね、おキヌちゃん」

 じっと見つめてきた令子に、おキヌはコクリと頷く。

「私、聞いたんです。この船がどうして海をさまよっているのか、船長さんがどうしてあれを欲しがるのか――」

 ややうつむき加減のまま、おキヌはロック・ジョーから聞いた昔話をポツポツと語り始めた。



 数百年前――地中海を荒らして回ったヴァン・デル・ジョーンズという名の海賊がいた。彼は思うままに振る舞い、略奪や放蕩を繰り返していたが、ある時を境にそれがめっきりと減った。
 ある日ヴァンを憎む者に闇討ちされて死にかけた時、彼をかばい、そして傷の治療をしてくれたマリー・アンという娘と恋に落ちたのだ。マリーは言葉で、時には身をもって進行と愛情を示し、初めは嫌がっていたヴァンもいつしか他者に対する思いやりと神への信仰を身に付けるまでになっていた。
 ところが、そんな二人を悲劇が襲う。
 些細なことでヴァンとマリーは喧嘩をし、マリーは船に乗って彼の元を去ろうとした。マリーがいなくなったことに気付いたヴァンは、すぐに後を追った。しかし彼が港で自分の船に乗り込もうとした時、信じられない噂が飛び込んできた。
 マリーの乗った船が嵐に遭い、沈没したというのだ。
 ヴァンは一も二もなく海へ飛び出し、マリーの船を探した。きっとどこかで無事でいるに違いないと信じて。だが、現実は残酷だった。海を漂う残骸の中に、ヴァンはマリーの持ち物を見つけてしまった。
 彼は嘆き哀しみ、そして自らの船をも襲った嵐の中で叫んだ。

「この世に神という奴がいるなら、俺の声を聞け! お前は残酷な奴だ。彼女は信仰厚く、慈愛に満ちた人だった。なのになぜだ、なぜ殺した。どうして彼女が死なねばならず、この俺が生き残っているのだ。俺は奪い、殺し、多く罪を犯した。死ぬべきは俺の方だったはずだ。聞け、聞け! 残酷なる者よ! これが神の意志であったというのなら、俺は奈落の底に落ちようとも、お前を呪い続けてやる!」

 嵐の中で神を呪った男には、神罰が下った。彼はこの世と煉獄の間で、陸に上がることも死ぬことも許されず、深海の悪霊テンタクル・ジョーンズとして永遠に海を彷徨い続けなければならないのだ――
 


「――船長さんは、恋人を乗せた船をずっと、ずっと探し続けているんです。あのコンパスは、それを探すために必要なものだったって聞きました。呪いを解くには十年に一度、陸に上がった時に永遠の愛を捧げる女性に出会うしかないんだそうです」

 所々で声を詰まらせながら、おキヌは語り終える。

「永遠の愛って……」
「要するに、一緒に心中できるくらいの相手をあいつは探してたのね」
「心中!? そんなこと認められるかっての。タコのくせに」
「でも私……くらい場所にひとりぼっちの寂しさは良く分かるんです。だから――」

 話を聞いていた者は、令子がおキヌの身を案じた理由をようやく理解した。彼女は優しすぎる。それ故に、悪霊に同情しすぎてしまう。それがおキヌの良いところでもあるのだが、同時に危険を孕んでもいる。しかしそれを口に出すことはなく、皆一様に押し黙ってうつむいていた。

「この広い海の底を片っ端から調べてた時、俺たちゃあのコンパスのことを知ったのさ。で、ジャック・スワロウってひねた海賊が持ち主だったんだけど、あいつは行方をくらまして、コンパスを陸に囲まれた場所に隠しちまいやがった」

 不意に、トーリがロープから飛び降りてきてそう付け加えた。

「こんな東の果てで船の場所をようやく突き止めたはいいけど、俺たちは陸に上がれない。そこでオメーらが運良く現れてくれたんで、壁をぶっ壊してこっちを見るように仕向けたってわけさ。それなら瓦礫も関係ねーかんな」
「っていうか、ジャック・スワロウって実在してたのかよ……」

 ツッコミを聞き流し、トーリは頭の傘を持ち上げて横島に顔を近付ける。

「だーから、船長が怒るのも無理ねーってコト。そのぐらいで済んでありがたいと思えよ」

 そう言って、再びトーリはスルスルとロープを登っていく。
 その話を聞いてバツの悪そうにしていたのは天竜童子だった。

「なんじゃ、これでは我々が悪者みたいではないか」
「あいつらはおキヌちゃんや俺を無理矢理連れて行ったんだ。別に間違ったことしちゃいないって」
「うむ……」

 うつむく天竜童子は、ふと小竜姫のことを思い出した。無断で宝探しに出かけて、こんな事態になってしまった。彼女が聞いたら、どんなに怒るだろうか。小竜姫の過激なお仕置きに身震いして空を仰いだ――その時だった。

「な、何か飛んでくるんだな」

 水平線の向こうから、二つの人影が海上を飛んでくる。ディックはいち早くそれを見つけ、間の抜けた声を出す。

「しょ、小竜姫――にベスパか!?」

 それを見て、思わず天竜童子は叫んでいた。
 間違いなく、それは小竜姫とベスパの二人である。二人ともビキニの大胆な水着を身に着け、なぜか体中に生傷を作っている。そして不機嫌極まりない表情をして、バレーボールが入ったケースをぶら下げていた。

「殿下! ご無事ですか!」
「余はここじゃ小竜姫! 探しに来てくれたのか!」
「あああっ、殿下になんということをっ!」

 縛られた天竜童子の姿を見て、小竜姫はわなわなと震え出す。そして、フライング・ダッヂマン号にむけてびしっと指を差した。

「そこな幽霊船! 恐れ多くも竜神王陛下のお世継ぎにこのような無礼、許しませんよ!」

 フライング・ダッヂマン号の船員たちは唖然としてそれを見上げ、騒ぎを聞きつけてテンタクル・ジョーンズが姿を現した。

「今はすこぶる機嫌が悪い。失せろ」
「見たところ異国の海の化のようですが……すぐに殿下やそこの人々を解放し、元いた海へ去りなさい!」
「……撃てぇッ!」

 有無を言わさず号令を発すると、船の大砲が火を噴いた。砲弾に当たるような小竜姫やベスパではないが、二人の導火線にも火がついてしまった。

「……機嫌が悪いのはこちらも同じです。こうなった以上、実力で押し通ります!」

 小竜姫は傍らに浮かばせたケースからバレーボールを取り出すと、それを軽く放り上げ、

「火の玉スパイクーーーーーッ!」

 裂帛の気合いと共に、弾丸のようなバレーボールがフライング・ダッヂマン号に撃ち込まれた。

「ちょ、待たんか小竜――うわあああッ!?」

 バレーボールは空気との摩擦で赤熱化し、レーザー光線のような勢いで甲板を貫き、爆発した。その衝撃は凄まじく、直撃を受けた海賊たちは吹き飛び、天竜童子は甲板にひっくり返ってしまう。

「や、やめて小竜姫さま! 余計なことしなくていいからっ!」

 同じようにひっくり返ったまま令子が訴えるが、その願いが聞き届けられることはない。
 ベスパは捕らえられた面子の中にパピリオの姿が見えないことに気付き、激昂してテンタクル・ジョーンズを睨みつける。

「やっぱりどこにもいない。お前、妹をどこへやった!?」
「もう、うんざりだ! 貴様らまとめて海の藻屑にしてやる!」

 怒りにうねる触手が槍のように伸びして、ベスパを襲う。ベスパは皮一枚でそれを避け、小竜姫からトスされたバレーボールに全霊を込めた一撃を叩き付けた。

「ヴェノムストライクーーーーッ!」

 どこかで聞いたような技名と共に放たれたバレーボールは紫の魔力を帯び、やはりレーザー光線のような恐るべき速度で甲板に直撃、爆発した。

「うおおーーーい!? 俺たちもいるんですけどーーーーッ!?」

 大きな穴の開いたすぐそばで、転がった横島が涙目になって絶叫する。天竜童子もガクガクと足を震わせながら、小竜姫に向かって叫ぶ。

「お、落ち着くのじゃ小竜姫! 気のせいか、なんか表情がギスギスしとるぞ!?」
「うふ、うふふふ……みんな吹き飛んでしまえばいいんだわ。水着なんて、砂浜なんて……!」
「しょ、小竜姫?」

 小竜姫もベスパもまるでお構いなしに、まるで何かの腹いせのようにバレーボールを船めがけて乱射し始める。
 砕けてゆく船の上で、テンタクル・ジョーンズは一人立ち尽くしていた。が、突然天を仰ぎ、大気が震えるほどに咆吼した。
 すると空には暗雲が立ちこめ、風が吹き荒れて辺りを包み込む。

「あと少し……あと少しだというのに……そんなに俺の邪魔が楽しいのか貴様らぁぁぁぁぁーーーーーーーッ!」

 絶叫と同時に、テンタクル・ジョーンズの身体に雷が直撃し、辺りは閃光に包まれた。ようやく目が見えるようになった時、テンタクル・ジョーンズはその手に黄金に輝く三つ叉の槍を手にしており、全身からとてつもない霊圧を放っていた。

「じょ、冗談でしょ……!?」
「どうしたんスか美神さん?」
「なんであいつがトライデントなんか持ってるのよ――ッ!?」

 トライデントとは、ギリシア神話で海を支配したと言われる、海神ポセイドンが持つ三つ叉の槍を言う。しかし、現代において神話の時代の神々はすでにこの大地から去っており、その力を宿した神器も大半が失われてしまっている。だが、目の前にいる悪霊の海賊が持つそれは、そこから放たれる強烈な波動といい輝きといい、まぎれもなく本物の神器であった。
 テンタクル・ジョーンズの双眸は真っ赤に染まり、宙を舞う小竜姫とベスパを見上げて海へ飛び降りた。彼の身体は水に沈むことはなく、荒れ狂う海の上をゆっくりと歩き出した。

「奈落ノ底ガドンナ場所カ――身ヲモッテ思イ知レ!」

 どこか無機質な声を出しながら、テンタクル・ジョーンズはトライデントを薙ぎ払う。次の瞬間、小竜姫たちを飲み込む巨大な水の壁が出現し、大津波となって押し寄せた。

「これしきの事――!」
「でやああぁぁぁッ!」

 小竜姫とベスパは霊力を手のひらに集中、目前に迫る津波に向けて一気に解放する。二人の霊波は神と魔、それぞれ相反する性質を帯びているため、波にぶつかって二つが混じり合った瞬間、霊的な対消滅を起こして津波を分解してしまった。

「何故あなたがそのような神器を持っているのです!」
「驚いたね……ちょっとした魔神クラスのパワーだよ、あいつ」

 予想もしていなかった出来事に、さすがの小竜姫とベスパも冷たい汗を感じていた。

「深ク暗イ……光モ音モ、温モリサエモ届カヌ深海ノ闇ノ中デ、俺ハ奇妙ナ存在ト出会ッタ。ソイツハ太古ノ昔カラ、ソノ場所デ眠リニツク深海ノ一族ノ王ダッタ。奴ハ俺ニ語リカケ、俺ハソレニ答エタ。ソシテ、俺ハ奴ガ持ッテイタちからヲ得ル代償ニ、アル役目ヲ請ケ負ッタノダ」

 テンタクル・ジョーンズは無機質な口調で、淡々と喋り続ける。

「神ニ一矢報イルタメニト蓄エテキタコノちからデ」

 その時、テンタクル・ジョーンズの足元が大きく盛り上がり始める。

「一匹残ラズ引キズリ込ンデヤル――!」

 流れ落ちる海水の中から姿を現したのは、巨大な蛸の怪物クラーケンだった。テンタクル・ジョーンズの身体がクラーケンの中に少しずつ沈んでいき、完全に姿が見えなくなったところで異変が起こる。クラーケンの胴体がぐにゃぐにゃといびつに変形し、どんどん膨れ上がっていく。次第に形を帯びていくそれは、人間の上半身であった。そして右手に握られていた小さな槍が、カッと光を放って巨大化する。

「グオオォォォォーーーーーーッ!」

 とうとう姿を現したそれは、山ほども大きな体躯の上半身と蛸の下半身を持つ、海の悪夢そのもののような怪物であった。
 ブラック・ドッグ号をすら真っ二つにへし折った巨大触手が、にわかには信じられないスピードで小竜姫とベスパを薙ぎ払う。弾丸のように吹き飛んだ二人は、海面を何度も跳ねたところでようやく体勢を立て直す。しかし――

「うくっ……こ、この威力は……」
「ヤ、ヤバイ奴相手にしちまったみたいだねぇ、アタシら」

 二人が受けたダメージは、決して軽い物ではなかった。



 フライング・ダッヂマン号では、蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。海賊たちは壊れた部分を直しながら、大急ぎで船の向きを変えようとしていた。

「ロープを張れ! 風に帆を立てろ! 急がないと手遅れになるぞーッ!」

 トーリは声を張り上げ、素早く部下に指示を出していた。

「あ、あの、一体どうしたんですか?」

 縛られたまま座り込んでいたおキヌが、彼に尋ねた。

「船長がブチ切れちまったんだよ! ボヤボヤしてたら俺たちも沈められちまう!」
「怒りを鎮めることはできないんですか?」
「無理だよぅ。こうなったら島のひとつやふたつ沈めるまで収まらねえ」
「そんな……」

 船は少しずつ、大海獣と化したテンタクル・ジョーンズから離れていく。小竜姫たちは何度も跳ね飛ばされながら一生懸命戦っているが、このままではいけないとおキヌは強く感じていた。

「このままじゃ、あの人が可哀想……」

 うつむき、一粒の涙が光って落ちた。トーリはそんなおキヌをじっと見つめ、複雑な感情が胸を去来しているのを感じていた。
 その時、突如甲板に光の輪が出現した。何事かと皆が集まって様子を覗うと、輝きを増した光の輪の中からケイとパピリオが飛びだしてきた。

「ふう、やっと付いた――って、うわーっ!?」
「なんで敵のど真ん中に出るでちゅかー!?」

 不気味な海賊に囲まれて涙目の二人の前に、トーリに連れられておキヌを始め仲間たちが連れてこられた。

「おい、チビッコども。何がどーなってるのか知らねーが、おめーらコンパス持ってるんだろ。すぐ出しな」

 トーリは透明の腕を差し出し、よこせと指先でジェスチャーする。ケイは渋々コンパスを出すと、トーリの手に乗せた。

「な、何持ってるんだな?」

 パピリオが背中に隠している箱を見つけて、ディックが首を傾げた。

「な、何でもないでちゅよ! あんたには関係ないから、向こう行くでちゅ!」

 慌てて誤魔化そうとしたパピリオだったが、突然後ろからむんずと掴まれ、箱をもぎ取られてしまう。

「むきーっ! 何するんでちゅかスケベ!」

 奥襟を握られて宙ぶらりんのパピリオがジタバタと暴れると、あっさりとその誰かは手を離す。

「ぼうや、お嬢ちゃん。お前たちはコンパスでこれを見つけてきたんだな?」
「そうだよ」
「バカ! なんで素直に答えるでちゅか」
「え、だって」
「すまんが君たち、ちょっと中身を確かめさせてくれや」

 振り返った場所に立っていたのは、イソギンチャクの老海賊ロック・ジョー。彼は箱を床に置くと、静かに蓋を開いた。
 丸めた羊皮紙と銀のフルート、そして一通の手紙。
 ロック・ジョーはまず羊皮紙を開いてみた。そこには古ぼけたインクで音符が書き込まれていたが、羊皮紙はちょうど半分が破れて無くなっている。続いて手紙を手にしたロック・ジョーは、裏側に記された差出人の名前を見て憂いとも喜びとも付かぬ声を上げた。

「ああ……とうとう見つかった。お前の捜し物が見つかったのだ、ジョーンズ」

 しわくちゃの手で目を覆い、ロック・ジョーは深く深く息を漏らした。

「とうとう見つかったんだな、じっちゃん」
「み、見つかったんだな」
「ああ……お前たちも長い間ご苦労だったな。トーリ、ディック」

 三人は頷くと、それぞれ縛っていたおキヌや令子たちの縄を解く。
 腕が自由になってホッとしたおキヌだったが、海賊たちの様子がおかしいことに気が付いた。

「どうしたんです、突然?」

 トーリはクラゲの傘で目元を隠していたが、バッと顔を上げるといつもの調子で言う。

「出血大サービスだ。ボートを出してやるから、君たちはここで船を下りな」
「え?」
「船長には内緒にしとくから。さあ早く」
「あ、あの」

 強引にまくし立てて背中を押すトーリ。だが、令子はその意図が何であるか素早く酌み取り、行く手を遮った。

「あんたたち、あのバケモノとやり合うつもりなのね」
「……」

 途端にトーリの表情が険しくなり、固まったまま動かなくなる。

「せっかく捜し物が見つかったんだ。肝心の船長をいつまでも暴れさせておくわけにはいかねーよ」
「勝てると思ってんの?」
「俺たちゃもう死んでるんだ。これ以上はひどくならねーよ」
「バカなこと言うんじゃないわよ。あれだけの魔力にやられたら最後、成仏どころか二度と元には戻れずに苦しみ続けることになるのよ」

 トーリもロック・ジョーもディックも、その言葉にうつむいたまま押し黙ってしまう。が、やがてディックが口を開いた。

「お、おいらたち、船長に拾ってもらえて良かったんだな。し、仕事は辛いけど、仲間がいるんだな」

 トーリも、拳を握り締めたまま続く。

「真っ暗な海の底をひとりぼっちで彷徨うより、この船に乗せてもらうのがどんだけ幸福か……あんたらにはわかんねーだろうけど、恩は返さなきゃなんねーんだ」

 彼の言葉に、他の海賊たちも頷いていた。

「だったらカミカゼ特攻なんてバカな発想の前に、なにか他にやれそうなこと考えなさいよ。例えば――ほら」

 令子は羊皮紙を差し、口元に弧を描く。

「それの足りない部分、この船のどこかにあるんじゃないの?」

 ロック・ジョーは思い出したように顔を上げた。

「ジョーンズの部屋だ! あいつの弾いていた曲だ」
「あのタコのおっさん、すっかり自分を見失ってるみたいだからさー。これを聴かせれば、少しは大人しくなるんじゃない? すごく会いたがってたんでしょ、恋人に」
「それなら上手くやれるかもしれんな。だが、誰が曲を?」
「人選はこっちに任せといて。私たちも協力するから、あのおっさんを止めましょ!」

 互いに目的が一致した令子と海賊は、共同でテンタクル・ジョーンズに挑む――



 小竜姫とベスパは、切れ間なく襲いかかる触手と大津波にすっかり疲弊していた。反撃をしてみても、不死身のテンタクル・ジョーンズはわずかに動きを鈍らせるだけで、まったくダメージを奪えていない様子だった。

「はあ、はあ、これだけやってもまるで平気なんて……」
「いい加減うんざりしてくるね、まったく!」

 舌打ちするベスパの背後には、フライング・ダッヂマン号が波にもまれながら近づいてきていた。

「もう少し近付けんのか!」

 船の舳先で、天竜童子が叫ぶ。

「ダメだべ、タコのおっさんが暴れてて波が収まらねえ!」

 舵輪を回す手伝いをする娑婆鬼が返事をする。テンタクル・ジョーンズが引き起こす波に足止めを食っているところへ、さらに追い打ちをかけるような事態が起こる。海の底から、とてつもない数の悪霊の大群や半漁人が姿を現し、襲いかかってきた。

「ちくしょう、何なんだこいつら!?」
「あの強大な魔力に引き寄せられて、ここら一帯の低級霊や妖怪が集まってるのよ! みんな、船とおキヌちゃんに手出しさせるんじゃないわよ!」

 令子の号令に喜びの声を上げたのは、今回タイガーより影が薄い雪之丞である。

「大きなお世話だバカヤロー!」

 誰に向かって叫んでいるのかはともかく、雪之丞はその恨みを晴らさんとばかりに低級霊や船によじ登ってくる半漁人をなぎ倒していく。横島とシロは互いに背中を預けて敵を切り伏せ、タマモと令子、パピリオはおキヌのガードに回っている。

「うにゃにゃにゃーーーッ!」

 ケイは船縁に顔を出した半漁人を思いっきり引っ掻くと、トドメの猫キックで海へとお戻り願う。だが、次から次へと敵が湧いてきていい加減にキリがなくなってきた。飛び交う悪霊の間をすり抜けて、ケイは横島の元へ駆け寄る。

「兄ちゃん、このまんまじゃいつまで経ってもおわんないよ。どーしよう?」
「それは俺も考えてたトコなんだよ。ここらでひとつ、状況をドカーンとひっくり返す切り札が……あるじゃねーか。あるよオイ!?」

 どうしてこんな大事なことを忘れていたのかと、横島は自分の頭をポカポカと叩く。

「ケイ、悪いけどここを頼む。すぐ戻ってくるから、できるよな?」
「まかせてよ!」

 横島はケイにその場を任せると、脇目もふらずに走っていく。向かう先は――

「タマモ! お前に重要なミッションを与えるッ!」
「何なの急に?」
「これは戦局を左右する重大な任務なのだ。わかるな?」
「……どうすればいいの?」

 少々面倒な表情で答えるタマモであったが、彼女も悪霊の大群に辟易していたのか、すぐに応じた。横島が作戦を伝えるとタマモは腕を羽根に変化させ、一人海へ向かって羽ばたいた。

「えーと、何だっけ。おっぱいが控えめな方の――こっちね」

 タマモは飛びながら、テンタクル・ジョーンズと死闘を繰り広げる小竜姫とベスパを見比べる。二人ともスタイルと美貌は素晴らしいが、丸い膨らみの明暗はハッキリしていた。

「背中にあるウロコを触る、っと」
「ひッ――!?」

 苦労しながら小竜姫の背中に回り込み、ビキニの結び目の向こう側に見える小さなウロコに触れた時――

「ギョアアアアアァァァァァーーーーーッ!」

 大海原に怪獣がもう一匹増えた。

「ひえええっ!?」

 タマモは紙飛行機のように吹き飛ばされ、ベスパもドラゴンと化した小竜姫に驚きを隠せない様子。色気の欠片もなくなった小竜姫は海に落ちてのたうった後、炎を吐きながらテンタクル・ジョーンズともつれるように激しい戦いを始めたのだった。

「ぃよぉぉぉっし! 小竜姫様には申し訳ないが、これで条件は五分だぜ!」

 甲板の上でガッツポーズをする横島。確かにテンタクル・ジョーンズの動きは止まり、有象無象の悪霊や妖怪もその戦いの余波に吹き飛ばされて次々に消えていく。

「お、追い打ちをかけるんだな」

 ディックはそう言って、回転式の杭を動かす。

「追い打ちって何だよ?」
「きょ、巨大生物はもう一匹いるんだな。あぶないデカブツはクラーケンのタカの他に、ユージーもいるんだな」
「……おい」
「い、いでよユージー!」

 ディックの呼びかけに答えるように、海の底から巨大な影がせり上がり、その姿を見た者はあまりのおぞましさに鳥肌を立てて身震いした。

「な、なんじゃありゃあ!?」

 海面から天高くそびえ立つ黒い塊――それは特大サイズのナマコ(漢字で書くと海鼠)であった。その異様な光景に、取っ組み合いの小竜姫とテンタクル・ジョーンズもピタリと動きを止める。

「さ、さあ、お前の恐ろしさを見せつけるんだな!」

 ディックはビッと指を差し、命令する。だが、超巨大ナマコはただじっと立っているだけで、動かない。

「ど、どうした……! それでも世界で最も邪悪な一族の末裔か!(見た目的に)」

 ディックの檄に呼応するように、超巨大ナマコは身体を震わせ、頂上にある口をがばっと開く。

 どぼどぼどぼっ――!

 白い糸状のこのわた(内臓)を大量に吐き出すと、再び動きが止まってしまった。

「……見た目的には確かにあぶねーな」
「なぎ払え!」

 だが、超巨大ナマコは動かない。最後に細い魚(カクレウオ)がぴゅるっと飛び出すと、超巨大ナマコの身体が崩れ始め、あっという間に沈んでしまった。

「ユージーーーーーッ!」

 ディックは号泣し、ガクッと膝を付く。

「腐ってやがる……早すぎたんだ」

 それを眺めていたトーリが、ボソッと呟いてオチを付けた。

「何しに出てきたんだアレはーーーーっ!?」

 横島は額に井桁を貼り付け、力一杯ディックをぶん殴っておいた。

「いつまでバカやってんのよアンタたちは!」

 横島の背後から、令子が声をかける。

「こっちの準備はできたわ。あとは効き目があることを祈るしかないわね」

 親指で令子が背後を指す。そこには、つなぎ合わせた楽譜と銀のフルートを手にしたおキヌと、四人の子供たちの姿があった。

「よろしくお願いね、みんな」
「周囲は我々が守っておくから、お前は安心して笛を吹け」
「オラたちに任せとけ」
「ケイはどうやって飛ぶでちゅか」
「兄ちゃんがくれた文珠で飛べるんだって」

 がやがやと話し込む五人に、令子は手を叩いて注目させ、言う。

「おキヌちゃんしか楽器を扱えないから、何があっても守り抜くのよ。さあ、始めましょ!」

 おキヌと四人の子供たちは手を繋いでコクリと頷き、ふわりと宙を舞って飛んでいく。目指すは触手の大海獣、テンタクル・ジョーンズへ――



 触手がうねり、小竜姫に絡み付く。鋭い牙が触手を切り裂き、紅蓮の炎が焼き尽くす。互いに一歩も引かぬ戦いを続ける巨大生物の元へ、おキヌと子供たちはやってきた。

「それじゃみんな、始めましょ」

 それぞれ繋いだ手を離したまま宙に浮き、おキヌを中心に四方を守る。おキヌは銀のフルートを唇に当て、目を閉じてゆっくりと吹き始めた。

(何百年も暗い場所にいる気持ち、私にも分かります。だから、もうそんなに哀しまないで――)

 おキヌの思いが音色に乗り、慈愛に満ちた霊波となって広がっていく。一つになった羊皮紙に描かれた旋律は、ほとんど自我を失いかけていたテンタクル・ジョーンズの遠い記憶を呼び覚ました。

「ううう……マ、マリー。いるのか、そこに」

 血走った赤から元に戻った瞳で、テンタクル・ジョーンズはおキヌを見た。時を経て少し色褪せたドレスに身を包む彼女の姿は、暗い海の底で求め続けたそれであった。

「愚かだった。あの時、君を離すべきではなかった……許してくれ」

 闇の海をさまよい続けた男が悔いの言葉を口にした時、どこからともなく一羽のカモメが飛来した。風に乗って滑空するカモメは、光の球となっておキヌの中に飛び込んだ。刹那、おキヌに金髪の美しい娘の姿が重なり合った。

『いいのよヴァン。私はずっとあなたを見ていた……あなたは海に彷徨う魂を救い、罪を償ってきた。それを私は見てきたの。だから、もう悲しまないで――』

 優しい旋律に乗った彼女の思いが、テンタクル・ジョーンズの姿を元へと戻していく。

「そうか、そうだったのか……俺はずっと勘違いをしていたのだな」
『このドレス、私のために作ってくれたのでしょう?』
「ああ。俺たちの結婚式に、君に着てもらいたかった」
『それだけで満足よ……』

 おキヌの身体からドレスを着た女性の霊が飛び出し、小さくなっていくテンタクル・ジョーンズに寄り添う。巨大な上半身は元の大きさに戻り、テンタクル・ジョーンズはただの男の姿に戻っていた。

「俺を呪われた姿に変えたのは神ではなく、俺自身だったのだな。皆にもすまないことをした……」
『大丈夫、みんなあなたのことが好きなのよ。だから許してくれるわ。さあ、行きましょう――』

 二人は腕を組み、ゆっくりと天に昇っていく。
 見送りながらフルートを吹き続けるおキヌも、天竜童子も娑婆鬼も、ケイもパピリオもみんなが泣いていた。
 そして、フライング・ダッヂマン号でも異変が起きていた。

「お、お前ら――!」

 人間と海棲生物の混じった姿の船員たちは、普通の人間の姿へ戻っていく。不気味な船の外観も、立派な帆船へと変わっていた。

「これで俺たちも成仏できるってわけか……長かったような、短かったよーな」

 こざっぱりした顔のトーリが、頬を掻きながら笑う。

「よ、良かったんだな。船長嬉しそうだったんだな」

 丸い顔のディックは、相変わらず口が半開きである。

「愛だよ、愛。これに勝るモンはねぇやな」

 顔に深いしわを刻んだロック・ジョーは、目を細めて頷いた。
 戻ってきたおキヌらと共にボートに乗り込み、横島たちは天へ向かうフライング・ダッヂマン号を見送った。

「じゃーなお嬢ちゃん! 次の人生では俺とデートしてくれよな!」
「さ、さよならなんだな」
「俺の海図、大事に扱えよ小僧。それから達者でな、白い髪のお嬢ちゃん」

 フライング・ダッヂマン号はゆっくりと進み、光に包まれながら天に昇っていく。そして、美しい光の粒子となって散り、成仏した――



 後日、美神除霊事務所に博物館からの電話が入る。それはフライング・ダッヂマン号から持ち帰った海図と、ケイとパピリオが見つけてきた箱の中身についての話だった。
 受話器を置いた令子に紅茶を出しながら、おキヌが尋ねる。

「手紙には何て書いてあったんですか?」
「うん、なんか男が浮気ばっかりするから、自分は仕返しに旅に出てやるって。でもその後は、本当はあなたのことをこんなに愛してる〜とか延々ラブラブなことが書いてあるんだってさ」
「そ、それって」
「要するに、事件の原因はただの痴話喧嘩だったみたいね。ま、男と女の関係なんて、今も昔もあんまり変わらないってことかしら」
「うふふ……そうですね。まるで誰かさんみたい」

 そう言いつつ、二人はシロとタマモとTVゲームに興じるバンダナの男を見る。

「……へっくし!」

 美神除霊事務所は、今日も平和だ。



「なんかまあ、微妙に余の影が薄かったわけだが」
「そうでちゅね」
「人数がやたら多かったからのう。皆にも出番を与えてやらんと、上に立つ者としての器が」
「今回は特に大したことしてないじゃないでちゅか、あんた」
「ぐっ!? こいつ、痛いところを――!」

 座禅を組みながら、天竜童子とパピリオがブツブツと話し合っている。そこへ、小竜姫の雷が落ちた。

「無駄話をしない! さあ、精神を集中して」

 ドラゴンに変身して大暴れしたあげく、我に返るまで海に放置されていた小竜姫は、他の色々な事情もあってすこぶる機嫌が悪かった。

「お、落ち着け小竜姫! 体罰はいかんぞ?」
「子供はもっとのびのび育てるべきでちゅ」
「うちは叩いて伸ばす教育方針ですから」
「いつまでも海のことを引きずりすぎじゃ!」

 海という単語に、小竜姫はビクッと身体を硬直させる。

「う、海なんて、海なんて……海のバカーーーーー!」

 海は、小竜姫にとっては切ない思い出しか残らなかったようだ。
 妙神山は、今日も平和である。






 〜終わり〜
どうも、ちくわぶでございます。ちゃんと文も書けます(笑)
総量100kbとか、アホみたいな文量のお話にお付き合い頂きありがとうございました。
久しぶりに二次創作を書いてみたら、筆が進む進む(ノ∀`)
好き勝手に書いたので色々見苦しい点もあるかと思いますが、お祭りSSといった感じで気軽に読んで頂けると嬉しいです。
この話はちくわぶが昔書いた子供たちが冒険するSSの設定である「天竜童子・娑婆鬼・ケイ・パピリオが友達関係」という状態が続いていますが、他は直接繋がりはありませんのでご容赦ください。

イラストには、足岡様の素晴らしいイラストを使わせて頂きました。
http://gtyplus.main.jp/cgi-bin/gazou/imgf/0038-img20070727035251.jpg

まさかここまで広がるとは自分でもびっくりです。
それから、後でB面ストーリーも投稿する予定です。
それでは、どうかよろしくお願いします。

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