7月7日
神田神保町近くの広場に並んだ夜店は、造物主の降臨を祝う祭りへの参加者で賑わっていた。
日中の蒸し暑さも収まり、緑が多く残る広場周辺では爽やかな風が人々に涼を運んでいる。
見上げれば、はるか彼方から旅してきた星々の光が、提灯の明かりに負けまいとけっして有利とは言えない戦いに身を投じていた。
ぶらっと訪れた仕事帰りの大人達は、二度と返らない日々を思い出し懐かしさと寂しさが同居した微笑みを浮かべる。
郷愁を誘う夏の夜の風景。
だが、保護者を引きずり回し夜店をハシゴする3人娘はそんな郷愁とは無縁だった。
その少女に会うまでは・・・
「あれ? あの女?のヒト・・・」
偶然すれ違った浴衣姿の少女に、紫穂は怪訝な顔をする。
彼女らしくない自信なさげな言葉を聞き、皆本に肩車した薫が反応した。
浴衣姿の肩車なので見た目にはもの凄いことになりそうなのだが、ミニスカートで慣れているせいか肝心の所はしっかりと隠れている。
皆本の左右の手を二人に渡すためには、肩車は絶対に必要なポジションだった。
「ん? 今の姉ちゃんがどうかしたか?」
「変わった髪飾りしてるなと思って視てみたんだけど・・・全く読めなかった」
紫穂に読めない存在。
常識で考えるならばかなりの高レベルエスパーだろう。
4人は振り返るとその少女に無遠慮な視線を向ける。
涼やかな青色の浴衣に独特のアクセサリー。
仲間とはぐれたのか、どこか所在なげにその少女は周囲に視線を走らせている。
手に持った金魚の水が彼女の歩みに合わせゆらゆらと揺れていた。
「アタシ達みたいな高レベルエスパーかな? そうだとしたら、テレポーターと見た!!」
「どういう意味や? 薫・・・」
皆本の手を握りながら、葵が薫に刺すような視線を向ける。
目の前の少女はどこか中性的な風貌をしていた。
少女と迷わず形容したのは浴衣の合わせや腰帯の位置からそう判断したに過ぎない。
まあ、つまり・・・少女は極めて凹凸のない体型だった。
「やめなよー二人とも」
言って見ただけの棒読みな台詞。
薫と葵の言い争いを止める気は全くない。
夜店の喧噪のなかでも一際目立つ口げんかに、少女の視線もいつの間にか4人に向けられていた。
二人の間に挟まれ辟易した様子の皆本に、慈しむような視線を向けると、少女は目があった皆本に向かい軽く会釈をする。
その姿に興味を引かれたのか、薫は皆本に進む方向を指示する。
コントローラーは左右の太股だった。
「コラ、止めろ、薫! 相手が何者かわからないのに!!」
首筋を挟む柔らかな強制に、皆本は抵抗を試みる。
少女がパンドラの工作員だった場合、迂闊な接触は危険だった。
「私は怪しいものではない」
「!」
急に近くから声をかけられ4人は驚いた顔をする。
遠巻きに見ていただけの少女は、いつの間にか手を触れられる距離にまで接近していた。
そして、そのハスキーな声と尊大ともとれる口調は、彼女に対してより中性的なイメージを喚起させる。
テレポートを疑い葵に視線を向けたが、葵は不思議そうに首を振るだけだった。
彼女の感覚はテレポートによる歪みを感知していない。
「大変だな3人もの相手は・・・ええと、皆本どの」
彼女の行った行為は、テレパスともサイコメトリーとも異なっていた。
ただスキャンするように皆本の姿を見回す。
それだけで彼女は皆本の名前を読み取ってしまった様だった。
「勝手に皆本さんを読まないで! 誰なの!? アナタ」
自分の事を棚に上げた不機嫌さを隠そうともせず、紫穂が彼女の体に触る。
その現実感のない感触に彼女の目が驚きに見開かれた。
「まさかお化・・・」
「違う。霊的存在は別のせか・・・いや、似たようなものかも知れないな」
取り乱しそうになった紫穂は、少女の浮かべた儚げな笑みに自分を取り戻す。
全く読めないものの、彼女の表情からは悪意などは感じられなかった。
「紫穂に読めない存在・・・君は何者なんだ?」
「それに男か女かもな! 葵にとってはもの凄く重要な問題なんだぞ!!」
「いい加減にせんかい!!」
再び再燃した体型ネタの争いに、少女は懐かしそうな微笑みを浮かべる。
皆本はその表情に何故か胸が締め付けられた。
「私たちはただの彷徨い人。尤も時を彷徨ったりはしないが・・・」
クスリと笑った少女の笑みが何を意味するのか皆本には理解できなかった。
しかし、彼女の言った言葉に皆本は彼女の仲間の存在に思い至る。
「私たち? 他に仲間がいるのか」
「主人たちとはぐれてしまったがいつもの事・・・・・・そのうち見つかるから心配はいらない」
「んじゃ、それまでアタシたちと一緒に回ろうぜ! いいよな! 皆本!!」
薫の発案に、皆本はこれと言って反対する気にはならなかった。
異質なものを何のこだわりもなく受け入れる懐の深さ。
何も考えて無いようにも見える薫の行動は、心配でもあったが逆に頼もしく感じる時もある。
皆本は出会ったばかりの少女に何かしらの縁を感じていた。
「そうだな、彼女の友人が見つかるまで・・・」
「やめたまえ女王。ソイツから離れるんだ!」
同行の申し出をしようとした皆本の声が、突然の闖入者によって遮られる。
その声は夜空に浮かんだ学生服姿の男から発されていた。
「京介! このネーチャンを知ってるのか!?」
「いや・・・だけど女王。僕のこの傷が、ソイツを見ると疼くんだ。ソイツからは離れた方がいい」
額の傷を押さえながら、兵部が憎々しげに呟く。
いつも飄々としている兵部らしからぬ物言い。
今夜の彼は何処か感情的だった。
「お前は何者だ! 何故お前はこんなにも僕を不安定にさせる!!」
兵部は傷の疼きによっていち早く少女の存在を感じ取っていた。
この場に急行したのは薫に会うためではなく、傷の疼きに引き寄せられた為である。
浴衣姿の少女の方も何か惹かれるものがあったのか、夜空に浮かぶ兵部をじっと見つめていた。
「彼は?」
「兵部京介、非合法エスパー組織の長だよ。危険だから下がった方がいい」
皆本は3人と少女を庇うように兵部と対峙する。
しかし浴衣姿の少女は、気遣い無用とばかりに皆本の前へと回り込む。
「可哀想に・・・」
彼女は手に持っていた金魚を薫に渡すと、その姿を一瞬で兵部の元に移動させる。
テレポート能力を持つ兵部でさえ彼女からは逃れられなかった。
「痛かっただろう・・・・・・君の痛みはよく分かる」
難なく兵部を捕捉した少女は、彼の額の傷にそっと指を這わせる。
その間、兵部は身動き一つとれなかった。
「不正確な予知によって断たれようとした命。ギフトである能力を自分の思うように使えなかった悔しさ・・・」
「貴様に何がわかるッ!!」
信頼していた者に裏切られ、命を奪われそうになった悔しさ。
しかもその判断が、予知などと言う不確かなものによって成されたという理不尽への憤り。
内面を読まれそうになった反発が、辛うじて兵部の体を自由にする。
荒げた息を整えようともせず、兵部は憎悪の目を少女に向けた。
周囲にいるチルドレンの目を気にする余裕すらなく、彼は少女に攻撃を仕掛けた。
「多分、君は私たちと無関係ではない。ギフトを持たざるものに抗おうとする君の頑なな戦いも・・・でも忘れないで欲しい、君のギフトを―――」
「言うなぁッ!!」
兵部の攻撃は少女に何の効果も与えなかった。
逆上し更なる攻撃を加えようと突進してくる兵部。
彼女は右手を一閃させると、兵部の体を何処かへと転送させる。
素粒子レベルに分解された彼の体は、遠く離れた彼の隠れ家で再構成された。
「あれ? 少佐、お出かけになった筈では?」
テレポートの波動を感じなかった真木は、自室の中央に立ちつくしていた兵部に不思議そうな顔をした。
記憶ではつい先程、兵部は確かに何処かへテレポートしていった筈だった。
どこか心ここにあらずといった様子の兵部も、不思議そうに自分の両手を見つめていた。
「ん、確かにそのつもりだったが・・・僕は一度ここから出ていったのかな?」
「どうしたんです!? まさか奴ら・・・黒い幽霊から精神攻撃を!!」
短期間の記憶を失っているらしい兵部に、真木は取り乱したようにその両肩を掴む。
真っ向から浴びせられた己を心配する視線に、兵部は居心地が悪いかのような表情を浮かべ視線を反らせた。
「いや、それはない・・・しかし、短期間の記憶が無いことは確かなようだね」
「念のため本部の施設でチェックを受けて下さい」
「僕の分析を出来るとは思えないが。君がそう言うのなら・・・」
珍しく自分の進言を聞き入れた兵部に真木の困惑は更に深まった。
兵部は彼を保護したときと同じ微笑みを浮かべ、彼の困惑を打ち消そうとする。
「心配するな・・・と言う方が無理か。昔を思い出して少し感傷的になっているだけだよ」
「昔?」
「ああ、僕の能力を支持する大勢のノーマルがいたってね・・・昔の話だ。この傷を受ける前のね」
「今もいますよ。それだからこそ我々は奴らとも戦える」
「そう願いたいものだね」
兵部は力なく笑うと真木を伴い自室を後にする。
不思議と気分は悪くなかった。
目の前で消失した兵部に、皆本たちの目は驚きに見開かれていた。
謎の浴衣少女は兵部の攻撃をものともせず、あまつさえ彼を何処かに強制排除したように見えた。
「葵、今のテレポートか?」
「いや、全く別な何かや」
垣間見た少女の力に身構える4人。
少女は心配ないとばかりに慈しむような微笑みを浮かべた。
「特に危害を加えた訳ではないので心配はいらない。ただ、今日という日に思い出して貰いたいことがあっただけ・・・・・・尤も私に関する記憶は抹消させて貰ったが」
「君は本当に何者なんだ?」
じっと見つめる皆本から視線を外すと、少女は夜空に視線を向ける。
遙か成層圏の彼方にその答えがあるとでも言うように。
そんな彼女の目が夜空を横切る流れ星を目にする。
彼女はそっと手を組み、流れ星に願いを託した。
「何を願っているの?」
何も読めない少女に向かい、紫穂は自分の言葉で質問する。
それが滅多にないことだと気付かないまま、少女は言葉少なに答えた。
――― Forget-me-not
「君たちは気にする必要はない。ただ私たちが別な世界で変わらず元気にやっていると思って貰えれば・・・どうやらお別れの時間が来たらしい」
遠くから聞こえてきた声は彼女の名だったのだろうか?
賑やかな一団に向けられた皆本たちの視線は、その後すぐに眩い光に包まれた。
「今、何か光ったか?」
「さあ・・・」
薫があげた不思議そうな声に、皆本たちも不思議そうに首を捻る。
幾ばくかの時間が経過した感覚はあるのだが、4人はその間の記憶を失っていた。
「薫ちゃん、金魚すくいなんてやったっけ?」
紫穂の指摘に、薫は初めて気づいたように右手にかけた袋に視線を向ける。
そこには大きな金魚がゆらゆらと泳いでいた。
「あれ? おっかしいなー」
「そうやな、薫がやったら一匹じゃすむわけないし」
奇妙な感覚に首を捻るも、薫はまるでそれが大したことでもないように金魚を目の前に持ち上げる。
「まあいいや! コレも何かの縁ってことで・・・お前今日からアタシたちのペットな! 名前は、えーっと・・・ギョ(ピー)ちゃん!!」
「お前のネーミングセンスはどうにかならんのか?」
ギリギリどころではない金魚の名前に呆れたような顔をした一同は、夜空からクスリと笑いかけられたような気がしそちらに視線を向ける。
一際目立つ光点がゆっくりと夜空を横断しているのが見えた。
「あ、皆本はん、大っきな流れ星!!」
「いや、あの速度は人工衛星だろう・・・でもあれほど目立つ衛星は聞いたことないけど」
「皆本・・・そんな夢のない事ばかり言っていると禿げるぞ!」
「なっ!!」
頭頂部に息を吹きかけた薫に、非難めいた視線を向けようとした皆本だったが、流れ星に願いをかける薫の様子にそのまま言葉を呑み込む。
左右の手を握っている葵と紫穂も、そっと目を閉じ星に願いをかけていた。
彼女たちにならい皆本も心に浮かんだ願いを胸の中で呟く。
―――また会えますように
「不思議ね。4人ともそう思っている・・・会うって誰に?」
「さあ、でも何故かそう思っちゃうんだ」
紫穂の疑問には誰も答えられなかった。
不思議な感覚に包まれながら、皆本たちは微かな郷愁を胸に夜空を見上げていた。
目で追いかけた光点は、一際眩い光を放つと何処かに姿を消していく。
その輝きはいつまでも皆本たちの心に焼き付いていた。
まるでその光がそう望んでいたかの様に。
―――――― Forget-me-not ―――――
終
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