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区民プールにて

夏休み初日、仕事もないとくれば本日は昼前まで布団の中の人を決め込んでいた横島なのだが。
午前8時頃に掛かって来た電話がもう五分も鳴っている。
「・・ったく、負けました。あぁ!負けましたとも!」
一人身の癖に誰かに聞かせるような怒り声を見せて電話に出る。
「はい!どちら様?」
すると、聞き慣れた綺麗な声が。
「あっ。すいません、横島さん、キヌです。寝てました?」
何処となくすまなそうな声を発するおキヌちゃんである。この声を聞いたのなら男であれば「怒」感情なぞ、入道雲の向こう側である。
「・・とおキヌちゃん?ううん。ちょっと外に出てて出るの遅れちゃったんだ。どうしたの?」
「えっと、突然なんですけど、横島さんにお願いがあって・・・」
「お願い?お金関係以外ならいいけど。どったの?」
「は、はい、えっと、横島さん。プールって知ってます」
こう聞いて横島少年は何を言ってるのか、理解しかねて。
「えっとプールって知ってるって質問?プールってのは」
横島少年、律儀にプールの定義を語っている。
簡単に言えば、黄金長方形の尺度を持って一メートル半程掘り、その周りを青色のコンクリートで固め、塩素を加えた水を満面に張り、
その中で水遊びをするという夏の風物詩である。
「特に、海の無い滋賀県や奈良県には多いって事だけど、そゆこと?おキヌちゃん」
「え、あー。そ、そうじゃないんですよぉ。このあたりにプールのある場所しりません?あと出来れば」
おキヌちゃん少し言い淀んで。
「安い所をさがしてるんです」
苦笑が電話越しに聞こえる。それなら、と横島が。
「市民・・って東京だから区民か。区民プールってのが安いと思うよ。確か」
自分のアパートから美神令子の事務所に至るまでの間に一つ、結構大きめな公園の中に区民プールがあるのを思い出す。
「大人400円ぐらい・・だったかな」
「えっ!じゃあ一人、500円切るんですね」
ほっとした雰囲気が電話越しでも理解出来た。更に歓喜を上げる声が響いてくる。
「ねぇ、おキヌちゃん、近くにシロとタマモいる?」
「はい、いますよ。で横島さん、そのプールの場所なんですけど」
「・・いいよ、もう判ったってば。あいつらが『プールにいきたい(で御座る)(わー)』って言ってるんだろ?」
「あはは。ご名答です。美神さんは面倒に思っちゃったのか、とっととどっかに逃げちゃうし」
無責任ですよねぇーとおキヌちゃんは思ったがのど元で消していた。
「OKOK!じゃ、今日一日はあいつらの相手するよ。確か」
区営プールはだいたい9時ジャスト始まりである。だから二人に9時前に俺のアパートまで来るように言うと。
「あの、横島さん、私も、行っちゃ駄目ですか」
そういわれて断る理由は微塵もない。

横島の知っている区民プールとは。
都内の大動脈の環状線から一区域離れた場所にあり、公園の周囲には等間隔で三メートルぐらいの木々が茂っている。
元々山を削ったのであろうか、軽い傾斜になっている。
公園自体は子供向けの交通公園の趣で、小学生までなら無料でペダル式の車の貸し出しを行っている。
警察関係者が交通マナー講習に使用しているとの事である。
もう一つ、こうの交通公園の特色は玩具の踏切が二つあることである。その踏み切り部分を直径にして丸い形で線路が敷いてある。
当然線路自体は現在JRで使用している物ではなくて、子供が電車ごっこにつかえるぐらいの幅で統一されている。
但し、駅を模した部分の奥にはお役御免となった蒸気機関車が置かれている。
地元民はこの公園を『きしゃぽっぽ公園』との愛称で呼んでいるようだ。
それ故、他の公園と違って役所関係の方も多く足を運んでおり管理が行き届いているようである。
そして公園の西側部分に区民プールが鎮座しており本日も水遊び日和である。
そこへ高校生の男の子に女の子が三人やってくるのである。
「ほら、こっちだよ。おキヌちゃん、シロ、タマモ!」
おキヌちゃん以下、シロ、タマモを引き連れてやってきたのである。
三人はこの公園の規模に少し驚いた様子であった。

気合の入った子供が既に列を形成しており、どちらかといえば
「拙者らは遅い方で御座るかなぁ」
とシロの言うとおり、男女混合の四組は後方に位地していた。
一番前の男の子は既に海水パンツを着用しており、まだ開かないのかという風体である。
「あー、俺も小学生の頃はあんな感じだったなー」
不意に昔を思い出し、口にした横島。するとタマモが。
「へー、ヨコシマも子供の頃は真っ先にプールに並んでたの?」
と質問する。
「あぁ、そういう事じゃなくて、家から海パン履いていたってトコ」
「えっ?それって普通じゃないの?」
「タマモお前家から水着付けて来てるのか?」
「うん、証拠にね」
タマモ嬢本日もワンピース風の洋服を召しておりスカートの端を指でつまんで、横島にたくし上げて見せる。
「拙者も、下は水着で御座るぞ」
タマモにまけじとこちらはシャツを脱ごうとするから。
「だ、駄目よ、シロちゃん、タマモちゃん!」
おキヌちゃんが慌てて二人を制していた。
「・・・、夏は暑いからな、ちょっと大胆になるんだろな」
こう横島は呟いた。
そんな事が時間つぶしになって、『・・公園区民プール開始しまーす』と、暑さにやられた様なスピーカー音が横島の耳に入ってきた。
「じゃ、俺はこっちな」
今の所とくに目ぼしい獲物がいないと見た横島、素直に男性更衣室に入っていた。

この公園自体、かなりの割合で役所の手が入っており、更衣室もちょっとした私営プール並みの状況にある。
通例、女の子の場合着替えが大変である。
下に水着を付けている二人は既に水着姿になっており、各々開いているロッカーに荷物を詰めて鍵を握り締めている状態に対して、
水着を手に持って、あたりを見回しているのはおキヌちゃんである。
「このプール個室もあるんですかー」
個室と言うよりは洋服屋の試着室のような物が5つほど有り、既に誰かが中で着替えているのであろう、外で数名が並んで待っていた。
よくよくみると全員おキヌちゃんよりも若い、小学生から、中学生にみえるかどうかの子供達ばかりなのだが女の子をしていると言えようか。
くすりと笑いながらおキヌちゃん最後尾に付けて。
「私は着替えに時間掛かるから、先に行っててね」
とおキヌちゃんはシロとタマモに言っていた。
二人が出ると同時に横島も男性更衣室から出ていていた。
「あ、せんせー、おキヌ殿は遅れるとの事で御座るー」
シロは念願のプールに来れて満面の笑みである。
タマモとて同様であった。

先ほど並んでいる時にシロとタマモの水着はちらりと見えていたが。
「へぇ、お前達、結構お洒落な水着してるんだな」
既にプールは開放されているが、おキヌちゃんを待つため、プールサイドの施設を確認しながら三人はてくてくと歩いていた。
然程ファッションに興味の無い横島でも素直に褒めている。
シロは水泳選手が練習用に使うような、スタイリッシュな水着である。
胸下から腰の辺りに入った一本のシュラッシュがアクセントになっている。
タマモは逆に足の付け根部分にフリルの付いたワンピースタイプの水着で、いくらか幼く見えている。
柄も青地に淡いピンクの水玉模様である事が子供っぽに拍車を掛けている。
そして二人に共通して言えるのが尻尾の部分を外に露出している。
「人間の水着をつけられるように自分達で研究したで座るよ」
「そ、シロは一本だからいいけど、私は尻尾一杯だから大変だったのよ、だから、こんな」
くるりとその場で廻って。
「小さい娘が付けるような水着しかなくて」
成る程、タマモの場合どうしてもお尻部分の布面積が多くないと大事になってしまう。
「そうか?結構似合ってるとおもうけど」
「ん?そう思う、・・ならいっか」
今までも笑顔であったのだが、更ににぱっと明るい顔を見せたタマモであった。
「でさ、ヨコシマ」
今まで三人とも同じ程度の速度を持ってプールサイドを歩いていたが、タマモが少し前に出て、こちらを振り返る。
「私と、シロ、どっちが可愛い?」
不意の質問に答えに窮した横島、目線をそらした先に。
「あっ、このプールレストランもあんのか!」
「質問から逃げたで御座る」
シロが畳み掛けたが逃げの一手を決め込んでいた横島であった。
他には外付けの固定シャワーが有り、プールそのものはメインの8レーンの50メートルプールに赤ちゃん用であろうか、
おおきな水溜りのような円形のプールが有る。その隣にはプール内なのに滑り台とブランコが備え付けてあり、その下には薄い水の層になっている。
なんのかんのと騒ぎ立て居る二人を半ば無視する形で一回りした三人の目の前に。
「遅れてすいません。横島さん」
女性更衣室から急ぎ足で出てきたおキヌちゃん。
「あっ!えっ、お、おキヌちゃん?」
横島が思わずぽかんとなるのも無理は無い。水着はパレオという奴で少しだけ大人びて見える。
それ以上に、
「どうしちゃったの。その髪型?」
ストレートヘアーがトレードマークのおキヌちゃん、この時は後ろで髪を束ね、ロングポニーテールである。
「はい。プールに入りますから。あのままだと、広がっちゃって大変なんですよ」
それを聞いた二人も慌てて髪を束ね始めるのだが。
こればかりは、用意してきたおキヌちゃんの一歩リードと言えるかもしれない。
「それよりも!おキヌちゃんが来たんだし、プール入ろうぜ!っとその前に準備体操、体操!!」
その前にちゃんと準備体操をするので律儀である。
水の中ではほぼ子供で独占されている。
向こう側にお金も無く行くところが無かったという大学生風のカップルがおり、二人とも横島の状況を奇異の目をもって見ていた。
「そういや美神さんは何処行ったの?」
水の中で近くに居たおキヌちゃんに尋ねると。
一瞬ぴくっと顔を引きつって見せたおキヌちゃんであったが、直ぐに笑顔に戻って。
「さぁ・・。なんでも秘密の憩いの場所を見つけたとか」
そこに入り浸っているとの事である。
「ふーん、どこなんだろうね。そこって」
元々そこまで興味も無かったのであろう、先ほどの殺気に似た気配を読み、その場で終わらせていた。

実際に横島がテスト期間と称して仕事を断ったり、7月故のしょっぱい仕事が多かったりと少々疲れ気味の美神令子嬢だったのである。
一週間前ほどになるが書類関係をまとめていたら机の奥から一枚のカードが出てきた。
「あん?ナニコレ」
以前、とあるホテルにて除霊を行った際、現金以外の副収入として得ていたホテルの屋内のプール付きスポーツジムの会員権であった。
「そういえば、こんなトコ在ったわネェ」
ちょっと出かけて来ると告げて下見程度にしようとしていたのだが、どうした事か、そのプールが気に入り、
即座に水着まで購入し、屋内プールの人になっていた。
赤いビキニで美神令子のボディにマッチした物であると言えよう。
それが一週間ほど続いている。
無論多少は水に入るが、大半はプールサイドに設置された高級シートに本とウォークマンを携えて一日を過ごしているのである。
どうやら場所やら建物の形やらが複雑に絡み合い、霊的にリラックスをもたらす効果があるようである。
「ふぅ・・静かね」
何よりも片手で済む程度人間しか居ないのが、余程心地よく感じられていたらしい、ここ数日はである。
こんな少人数でもちゃんとプールバーを開き、朝から軽いアルコールがかなりの高額ではあるが提供されている。
こんな所を利用できる人間はそうはいない。先ほど入ってきたのは、品の良い、男性欧米人であった。
「・・男かそれじゃあジン・トニックにするか」
このプールに入ってくる性別で次は何を呑むか決めておくのが美神令子近頃の趣味のようである。
既に中年の峠にさしかかっていた男性で、御髪がやや薄めではあったが、なかなかの良い男っぷりであった。
忙しい中でもちゃんと身体を鍛えているのであろう、プールで泳ぐ姿が綺麗であった。
「・・はぁ、ちょっとたい・・・」
独り言をいいかけて自分で制している。
『退屈』と言ったら駄目だと、自分ルールを作っているようだ。
仰向け状態からうつ伏せ状態に変えてみた。
イヤホンが引っ張られウォークマンががこんと大きな音をたてて落下していった。

「ま、まさか拙者が負けるとは・・無念無念」
無念と言いながらプールにぶくぶく沈み行くシロ、
先ほど、横島から。
「なぁ、シロどっちが早いか競争しようぜ」
と提案があり、負けないで御座ると張り切っていたのだが。
これが障害物の無い競泳であればぶっちぎりでシロの勝ちである。
ところがこの区民プールは既にイモ洗いに近い状態になっている。
小回りの利く方が勝つ試合であり、慣れも必要である。
気が付いたら反対方向へ泳いでいたシロに勝ち目はなかったのである。
「はっははっ、まだまだあまいなシロ君」
「あうー」
別段ペナルティーがあるわけではないので、悔しさもそこまで滲み出ないシロであった。
不意に。
横島のお腹から空腹を知らせる腹の音が響いてきた。
碌な食事もとらないで水泳していれば当然とも言える。
「あぁ・・腹ぁ、減ったなぁ・・」
時計を見上げると10時になろうとした時に。
向こう側にあるレストランのシャッターが開き、軽食やお菓子の販売時間になったという。
しかしながら。
「・・・金が無いはぁ」
横島のため息も仕方があるまいか。
薄給の横島に加え、
「あのー、水着と浴衣でお金がすくなくなっちゃって」
と笑いながら告白したおキヌちゃんである。
四人合わせて300円に満たない状況は少々不幸である。
このプール内で販売しているジュースも人数分購入出来ない有様である。


No2へ続く
忠告承りました。 トンプソン
近日中に行います。

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