『乗越駅の顛末』
マーフィの法則曰く『幸運は一人で訪れるが不幸は友達連れでやってくる』
とはいえ不幸に見舞われた当人たちにとっては法則の正しさを立証したところで何の慰めにもなりゃしないものだ。
今の横島とタマモのように。
きっかけは本当に些細な日常の中の違和感だった。
何だかんだで留守番になった二人。
どういう経緯でそうなったかは本筋とは関係ないのではぶくことにする。
まあ、たまたま何かの拍子でそうなっただけに過ぎないということだ。
生活能力が皆無な二人を気遣っておキヌが食事を用意してくれているし、監視役として人工幽霊もいるのだから少し長めの留守番になったとしてもなんの心配もないはずだった。
食事とは言ってもわざわざ二人分つくるのは手間だったのか、台所のテーブルの上に乗っかっていたのは十個ばかりの稲荷寿司である。
おキヌが早起きしてタマモと横島のためにと手間をかけて作ったものだ。
もし彼女が昼頃に起きてきて大好物を見つけるや飛び掛らんばかりの勢いで食べ始めたタマモと、寝坊でもしたのか約束よりも随分と遅れてやってきてタマモに負けてはならんと貪り食う横島の姿を見たならその健啖ぶりを嬉しく思いながらもあまりに実も蓋も無い有様に肩を落としただろう。
何しろ彼女の力作は一分も持たずに消えていったのである。
空腹は最大の調味料という言葉もある。
ましてや料理上手のおキヌの作。
多少酢が利きすぎていた気もするが合格点の稲荷寿司を食べ終えて二人はやっと人の心を取り戻した。
どうやらよほど餓えていたらしい。
万年金欠の横島はともかく、少なくとも稲荷寿司に関しては妥協を許さないタマモが違和感に気がつかないほどには。
餓えにボケていた二人に違和感を音という形で伝えてきたのは彼らの腹の虫だった。
ピーヒャラピーヒャラピーピーピー
祭囃子だポケベルだってな感じに鳴る腹の虫はある現象が彼らの身に起きたと伝えてくれる。
もっともその頃には当人たちも自分たちの体に何が起きたかは気がついていた。
「くっ…タマモ…こ、これは…」
「ま、まさか…傷んでいたの…?」
顔色を青褪めさせる二人の腹からは激しい腹痛と列車の発車ベルのような快音が鳴り響いている。
ピリリリリリリリリリリリリリィ
「ぐおおおっ! ま、まちがいない…」
「そんな…おキヌちゃんの料理が傷んでいるなんて…」
ここでおキヌのために弁護しておくが材料その他に問題は無かった。
もし彼女に過失があったとするならばそれはタマモと横島が食べる時間を計算に入れていなかったこと。
朝食のつもりで作った稲荷寿司が昼まで放置されるとは考えていなかったのだ。
その証拠に冷蔵庫にはお昼用の稲荷寿司がちゃんと入っているのである。
ましてやたまたま台所の冷房が故障していたなんて彼女は思いもしなかったのだからおキヌを責めるのは酷というものである。
結論を言えば「寝坊」だの「遅刻」だのした二人が悪い。
自業自得を絵に描いた二人の脳内に流れるは駅の構内アナウンス。
ピルリリリリィィィィィィイ 下の関行き 下り特急 ただ今発車いたします。
終着下の関にはおよそ三分で到着の予定です。
「ぐわあああっ! いかん! 俺はもう辛抱たまらんぞ!」
「あっ! ま、待ちなさいっ!!」
こうして二人は腹と尻を抑え、色々なところを引き締めながらなるべく体を揺らさないように細心の注意をもってトイレまで全力で疾走することになった。
とはいえ足を踏み出せばそれだけ腹痛は強くなるし、引き締める関係上内股になるのは仕方ない。
艱難辛苦の末にそれでもなんとかたどり着いたトイレ。
だがそこに問題が潜んでいた。
個室は一つしか無いのである。
洋館風味の美神令子除霊事務所は各階にトイレがあるが、それでも各階にある個室の数は一つ。
今から他の階に行くのは不可能。
階段は思いのほか尻の筋肉に刺激を与えるのだ。
だから目の前にある唯一の桃源郷の扉にかかる手が二つなのは仕方ない。
ダクダクと脂汗を流しつつタマモと横島は睨み合う。
「タマモ…ここは新参者として先輩に譲らんか?…謙虚な女の子ってポイント高いぞ?」
「あんたこそレディファーストって言葉を知っているの?」
ギンと二人の間の空気が軋む。
今なら例え仲間とはいえやるだろう。
人と獣の尊厳を賭けた戦いを。
ピーヨロロロロロロ
「「ぐううっ!」」
しかし戦いのために力めばそこにあるのは身の破滅。
誰よりもそのことを知っている二人は無理矢理に浮かべた笑顔で妥協案を模索する。
「頼む…俺は今、新大阪なんだ…」
「私は姫路…」
タマモの方がピンチっぽい。
「だ、だけど俺はなんか特急っぽい…」
「私は新幹線…」
ピーーーーーーヒョロロロ
「「はううっ!」」
異音とともに二人の顔から流れる汗の量が増える。
列車は終着にむけて加速した模様。
「い、いま…倉敷になったかも…」
「お、俺もだ…」
追いついたらしい。
とにかく終着駅はもう近いことに間違いない。
ピーヒャラピーヒャラ パッパパラパ
「「その擬音は駄目えぇぇぇぇ!!」」
確かにパッパと開放してしまってはまずかろう人としてキツネとして。
その瞬間、「はっ! そうだ! タマモはキツネじゃないか!」と横島の脳に浮かぶ天の閃き。
そうなのだ。野生のキツネがいちいち便所にいくか?いかない。
ならばタマモとてキツネ、トイレにこだわる必要はあるまいと横島は下腹に力を込めて息を整える。
「お、お前はキツネにもどって外の茂みでしてくれば…」
「私に女として死ねと言うのっ! はうっ!」
実際にはキツネに戻る余裕すらないのだがそれを言うのは恥ずかしいと「女」の部分に力を込めたゆえの不覚かタマモの顔色が一気に悪くなる。
慌ててお尻に回した手がとてつもなく嫌な予感を漂わせる。
深く追求するのは人の道に外れるだろうが聞いておかなければ自分の立場がヤバくなる気もする。
「ど、どうした?」と恐る恐る問いただせばタマモはダクッと擬音とともに涙を迸らせた。
「こ、小倉に…」
「乗り越しちまったんかっ?!!」
「あ、ちがうっ! えーと…と、徳山?」
慌てつつもどこかホッとした彼女の表情からすれば紙一重だったらしいと横島も安堵の息を漏らす。
と同時に襲う次の腹痛。列車はダイヤ通りに運行中。
「そ、そっか…俺も広島ってところだ…」
「だったらお願い横島っ! 私に58秒だけ時間をちょうだいっ!!」
瞳に涙、額に脂汗の美少女から懇願されて断れるような横島は横島じゃない。
それに体が小さい分タマモの方がピンチらしいのではと心の一部が囁きかける。
秒単位でのタマモの懇願が彼女の切実さを伝えてくる。
およそ一分、それさえもてば良いのだ。
一分だけ下の関を死守すればその先には目の前にあるにもかかわらず遥かに遠い理想郷が待っている。
「わ、わかった…信じて…信じているぞタマモぉぉぉぉぉ!!」
「あ、ありがと横島! あんたのこと愛していたわあぁぁぁぁ!!」
芝居じみたやり取りを経て理想郷はパタンと扉を開けてタマモを招き入れた。
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昔、漁師さんが自分の職場のことを「板子一枚下地獄」と呼んでいた。
そして今、美神令子除霊事務所では扉一枚で天国と地獄が分かれていた。
地獄の亡者がドアを乱暴に叩き続けているが無駄に頑丈なドアはビクともしない。
(タマモぉぉぉぉぉぉ!! もう二分、二分じゃないかぁぁぁ!!)
ドンドンドンと太鼓の乱打音に混じってピーヒャラララと笛の音が聞こえてきて、気分はすっかり夏祭り。
(タマモっ! 山口っ! 今、山口いぃぃぃぃ!!)
カリカリカリと言うのは扉を引っかく音。ついに叩く力もなくなったらしい。
(ああああっ! 車掌さんがっ! 車掌さんが放送で「毎度ご乗車ありがとうございました」とか言っているうぅぅぅ!!)
終着駅は近いらしい。何方様もお忘れ物のないように…。
「タマモおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
漢泣きの混じった悲鳴をBGMにタマモは虚ろになった目からポツンと一つ大粒の涙を零す。
桜色の小さな唇は弱々しく震え、うわ言のように「ごめんね横島…ごめんね…ほんとにごめんね…」と呟いている。
焦点を結ばない彼女の視線の先では空っぽのペーパーホルダーが冷徹な光を放っていた。
結局、タマモがウォシュレットの存在に気がついたのはそれから二分ほどたって外の悲鳴がすすり泣きに変わった後のことだったのである。
おしまい
おまけ
惨劇から間もなく、帰って来たおキヌは風呂場で子供に還ったかのように泣きじゃくる全裸の横島の背中をこちらも「ごめんなさいごめんなさい」と泣きながら洗ってやっている水着姿のタマモと言う奇妙な光景に出くわしてしばし固まることになる。
帰宅した他のメンバー総動員の裁判で二人は怒涛の涙を流しながらも頑として黙秘を貫き、映像の提供を求められた人工幽霊も守秘義務を盾に動かず、結局真相は洗い立ての一枚のパンツに秘められることになったのだった。
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