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からっぽのきもち

からっぽのきもち


 っくしゅん!
 肌寒さと自分のくしゃみの音で、初音は目を覚ました。寝そべったまま、あくびと共に大きく伸びをする。
 同時に、腹の虫が高らかに鳴きだした。
「うみゅ…あきらぁ、お腹すいたー…」
 傍らにいるであろう相棒に声をかけ、再び布団に顔を埋める。干したばかりの布団はふかふかで、お日様の臭いがしてとても気持ちがいい。
 もう一度眠りに誘われそうになるが、空腹がそれを阻害した。
「明ー、ご飯ー!」
 二度目の呼びかけにも応える声はなく、訝しむように初音はようやく身を起こした。
 洗濯物と共に取り込まれた布団の上に転がり込み、明に文句を言われたのが確か3時前。そのままリビングで寝こけているうちに、お日様はすっかり真っ赤に染まり、初音の影を長く長く引き延ばしている。
 けれど、その夕焼けの世界に明の姿はなかった。

『晩飯の買い出しに行ってくる。腹減ったらこれでも食ってろ』

「なーんだ、居ないのか」
 食卓に置かれたメモ書きを眺めながら、傍らの大皿に山と積まれたドーナツを次々とほおばる。初音の好みを熟知した、ほどよい甘さに幸せな気分が胸の中に広がる。
(そういえば、明が一緒にいないのって久しぶりかも)
 いつの頃からか、明は初音の世話係として彼女の傍にいた。流石に四六時中とはいかないが、何かの際にはいつだって近くで初音の面倒を見てくれている。
 普段なら些細な買い物にだって連れて行ってくれる。今日は寝ている初音を起こさない様に、そっと一人で出かけたのだろう。
 ――気遣ってくれるのは嬉しいけど、起こしてくれればよかったのに。
 ふとそんなことを思い、何故だか急に寂しくなってきた。
「…明、早く帰ってこないかな」
 ひとりぼっちはつまらない。
 口笛吹いて空き地に行ったら、誰か遊んでくれるだろうか。
 …けれど、いつも大抵子供達は、初音の獣じみた言動に脅え、泣き、逃げていってしまう。
 明は違う。怒り、愚痴を言い、迷惑そうな顔をしてはいても、いつだって初音と共にいてくれる。初音の甘えと我が侭を、彼なりの優しさでそっと受け止めてくれる。
 …らしくない、こんな気持ちになるなんて。
 大皿のドーナツはすっかり空になり、小腹は幾分落ち着いたけど、心は少しも満たされない。
 その時、視界の端に何かが映った。そちらに目をやれば、ソファーの背もたれに脱ぎ捨てられたエプロンがある。
 そっと手に取り、抱きしめる。エプロンからは、先ほど食べたドーナツと、ほのかに明の臭いがする。それだけで何だかほっとする。
「…あきらぁ…」



「やっべ、遅くなっちまった…」
 少しでも安い食材を、と普段より遠くの店まで向かったのがいけなかった。
 気づけば辺りはとっぷり日も暮れて、ほのかな月明かりと薄暗い街灯、家々から漏れる光だけが少年の姿を映し出している。
「ただいまぁ…」
 まだ呑気に寝ているかもしれない初音を起こさないよう、声のトーンを落としてそっと玄関から様子をうかがう。空腹で暴れたりこちらに飛びかかってきたりしない事から考えるに、やはり起きていないらしい。
 案の定、出かけた時と同じようにリビングで寝そべる彼女の姿があった。食卓の大皿が片付いている辺り、一度空腹で目を覚ましてはいる様だ。
「ったく、いつまでもんな格好で寝てっと風邪ひくぞ」
 苦笑しながら、羽織っていたパーカーをそっと初音に掛けてやる。
 どこか寂しそうだった彼女の寝顔が、パーカーに残る彼の臭いとぬくもりに包まれて穏やかなものに変化したことには、明は気づかなかった。
(んじゃ、騒がしいのが静かにしてる間に、ちゃっちゃっと晩飯の支度に取りかかるか)
 そう考え、買い物袋の中身を食卓に広げて、調理の手順をまとめだしたところで、
「…あ、あれ?」
家を出る時に外したエプロンが無いことに気付く。
「おっかしいな、確かソファに掛けてったはず…」
 疑問に思いながらも部屋の中を見渡すが見当たらない。
 その時、視界の端になにかが映った。即座にそちらの方を向く。
 そこには何かを大事そうに抱えて丸くなる、初音の姿。
 まさかと思い、彼女を起こさないようにゆっくりとパーカーをめくる。
「…やっぱり…」
 彼女の腕の中には、くちゃくちゃに丸まった明愛用のエプロンが収まっていた。

 眠ったままで抵抗を続ける初音を刺激しないように、苦心しながら明がエプロンを取り返すのには、実に20分以上もの時間を費やしたという。 
 初めましての初投稿です。
 明初っていうと明が初音に振り回される話が基本ですが、たまには明の方が(無意識に)初音を振り回すのもいいんじゃないかと思って書いてみました。
 …初っぱなから変化球ってのもどうなんだろう自分。

 そしてこそっと混ぜてみた昔の国営放送教育番組ネタは、果たしてわかる人がいるのだろうか…

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