ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(12)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(00/ 7/19)

ピートは、自分の母親の事が嫌いだ。

ひょっとしたらそれは、最も適切な表現、では無いのであろう。
しかし敢えて簡潔に、加えて俗っぽく言い表わすならば、そう云う事である。

何故そう思うのか、ピートには口にするのはおろか、頭の中で思い巡らす事すら困難を極めた。
何故ならば彼の母親は、自分の物心がついた頃には、すでにこの世に居なかったからである。

時代が時代であるだけに写真は勿論の事だが、どうした事か 母親に関しては一枚の肖像画も存在していない。
それだけでは無い。奇妙な事に、彼女のかつての実在を証明できる物品は何一つ、残されてはいないのだ。
つまり、母親の事を思い出すどころか、彼女の在りし日を偲ぶことすら適わないピートが自分の母親を憎むその理由とは、母の死後、彼が経験した孤独な少年時代に因るものである……ピートは、人間の時間から見れば遠い昔に、そのように分析し、結論付けていた。

しかし、ピートの心の中に渦巻いているのは、『憎悪』では無く『嫌悪』であった。
自分をあの様な淋しい境遇へと導いた早逝の母を『慕った』り、その裏返しとして『憎んだ』りする事ははあっても、それで母を『嫌う』事になるとは、直接的には考えられない。
而して先の結論が誤っていると云う事に気が付いたのは、やはりあの女性に会って
からである。

握手の時、料理の話の時……彼女は事有る毎に、こちらに視線を送ってくる。しかも明から様に、自分と云う男への媚びを含んだ、実に煽情的な眼差しである。
少なくとも、ピートの瞳にはその様に映った。
彼女の目を意識している間、料理の味など分からかった。

『今、僕はこの女性を……母さんを、心の底から嫌っている。』
まさか自分が、時を越えてやって来た我が息子であるなどとは思っていまい 。それにあの蠱惑的なまなざしは……夫の面影を持つ男に対して向けられている。
そう、あの女性は、あの妄想狂の吸血鬼、ブラドー伯爵に心底惚れているのだ。

『なぜ、母さんは、僕を産んだんだろう。』
幼い頃より何度となく反芻してきた、答えを得る事は恐らく永遠に叶わない問い。
自分は半分人間、そして残りは吸血鬼ブラドー。
幼少から吸血鬼や自分と同様のヴァンパイアハーフの友人たちの中で暮らしていたお陰か、半分が吸血鬼の血である事に対しての偏見やコンプレクスは無い、積りだ。
寧ろ、人間など家畜同然にしか認識していないあの男の血が半分混ざっているという
事実が、大きな悩みの種である。

だがその上に、そんな男の子供を、あの男の跡継ぎとなる自分を産もうとした女性の血が混じっている点も、ピートにとっては同様の問題になってしまった。
今迄のピートの中に構築されていた母親は、自らは為す術も無く、ブラドーの手によって強制的に略奪された、悲劇の女性であった。
聊か創り過ぎの感も否めないが、恐らくは永遠に知る事の無いであろう母親に思いを
馳せる行為は、ピエトロ少年にとって数少ない心の慰めであった。

その様な感傷は、いともあっさりと覆されてしまった。
この女性は、『魅了』されている訳でも『吸血鬼化』している訳でも無く、自らの意思であの吸血鬼との愛の証を求めたのだ、と確信できる。
その証拠に今、この女性はブラドーの残像を、自分の中に求めているではないか。

『この女性は、あんな奴の為に、人間としての誇りと云う物を放棄してしまったのか?』
青年はただ一人、困惑を深めるばかりである。

あの女性が自分の母親であるという確信を得たのは、夜の闇と月の光の間を縫うように舞い飛ぶ、あの声を聴いた瞬間からだった。
唄うように、そして囁くように、闇夜の静寂の中、美しい輪を何重にも描いて止まない、あの声。

『唄うように?』
瞬間、遠い記憶の果てにしがみついていた、母と過ごした時の唯一の記憶が、突如淡い色彩を伴なって蘇える。
頭の天辺から腰のあたりまで、自分の髪を愛しげに、優しく撫でる、掌の温もり。自分の顔を眩しそうに、しかしながら真っ直に見積める、オーシャンブルーの瞳。そして、自分が寝就くまで枕元で唄って聴かせてくれた、メッツォソプラノの子守唄。
どんなメロディだったのか、どんな言葉だったのかは、思い出せない。
一つ確実なのは、子守唄を聴かされているその時間が、堪らなく苦痛であった事。
そして、深い微睡みの海の中に沈んでゆくその間際に耳許に囁かれる母の言葉……。

『あなたは、これからもずっと、私の側に居るのよ……永遠に……。』


「さてと、さっきから随分と調子が悪そうだけど、」
鈍い靴音に続き、ピートの視界の中にハイヒールと人影がはぼ同時に入って来る。
下を向いてただ漠然と皆の後について行きながら考え事をしたピートは、美神が自分の正面に来た事以外には正確に周囲の状況を把握できていない。どうやら自分に話し掛けているらしいと判断したピートは、何とか笑って顔を上げようとしたが、はっきり自覚できる程、それはそれは出来の悪い作り笑いだった。
「……私が診察してあげましょうか?」
「へっ!?」
美神の実に不敵な笑みの前に、ピートは急速に現実へと引き戻された。
色気の無いラフなブラウスの上からも視認できる程に豊満な胸部を反らして、右手を腰に当ててほくそ笑む美神の姿には、尊大な仕草の中にある種の自信が醸し出されている。
我に戻ったピートは、慌てて左右を確認したが、この空間の中には最早この二人しか残されていない事を悟る。橙色の照明の下、美神の微笑みの意味を理解できないピートの背筋には、得体の知れない悪寒が走った。

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