ザ・グレート・展開予測ショー

秋の雪


投稿者名:veld
投稿日時:(06/ 9/23)




 何かしてあげたい、と思う気持ちは、けっして間違いではないと思う。
 それが押し付けだとすれば問題かもしれないが、その気持ちは大切なものだと。

 秋風が吹きぬける季節になったのだ。強い台風の通過が、教えてくれた。
 強かった陽光の残滓は、澱んだ空には見受けられなかった。
 階段を昇りながら、キヌは逸る心を抑えている―――涼しいと言うよりも寧ろ寒い、今日と言う日は素晴らしいと思う。

 手縫いのトートバッグの中から突き出したネギの頭がふらふらと彼女の足取りと一緒に揺れている。
 一段一段を踏むのがもどかしく、大股で一段抜いて駆け出す。誰かに見られでもしたら、はしたないと思われるかもしれないが、それは仕方が無い事なのだ。
 何かをしてあげたいと思う気持ちは、何よりも優先されるのだから。

 ―――緩む口元から、漏れる吐息が若干熱くても。
 ただ、周囲の空気が熱を帯びるだけで、この気温が下がるわけでもない。
 それなら―――


 アパートの一室のドアの前で、彼女は立ち止まり、そっとドアの横の呼び出し鈴のボタンを押した。
 ―――いつもなら、どたどたどた、と駈けて来る物音が聞こえなかった。
 首を捻り、もう一度押す。誰かが出てくる気配がない。

 留守みたい・・・。
 彼女は肩を落とし、ドアの横の壁に凭れて、そのまま待つことにした。



 涼しいと言うよりも寒い。
 そんな気温はますます下がっていくようだった。
 手を擦り合わせて、息吹で暖める。
 吐息は白く染まっていた。
 空を仰ぐ。澱んだ雲は、黒色を多く混じらせている。
 雪が降るかも知れない。いささか早すぎる気がするけれど、降るかも知れない。
 先ほどまでの楽しい空想が、無残に砕かれていく音が聞こえる。
 部屋のドアに視線を向ける。
 しばらく待っているが、帰って来る様子は見受けられない。
 ―――何処に居るんだろう?
 不安になる。
 もしかしたら、知らない―――或いは知っている女性の所にいるのではないかと。
 隣の部屋に目を向ける。ドアの前に立つ。ドアに耳を寄せる。中の様子を窺う。
 気配が無い。同じように、気配が無い。

 (もしかして・・・)

 一緒に、お出かけ、してる、とか・・・。



 ドアから耳を離して、彼の部屋の方を見る。
 呼び鈴のボタンを一度押し、やはり、返って来ない反応に落胆した後、何気なくドアノブを掴む。

 (・・・)

 そして、捻り―――引く。
 鍵の硬い手応えはなかった。あっさりと、ドアが開き。
 部屋の中の景色が見えた。薄暗い部屋の中に、丸まった蒲団があった。


 「・・・横島、さん?」

 返事は無い。
 部屋の中に入って、ドアを閉め、鍵を閉める。
 蒲団の方に近づいていく。ドアの向こうには聞こえなかった低い唸り声のような欠伸が音を増していく。

 「横島さん?」

 もう一度声を掛ける。蒲団にすっぽりと身体を覆っているようで、彼の姿は見えなかった。

 「・・・なぁんだ」

 それでも、彼女には蒲団の中にいるのが彼であると確信出来た。
 そこが彼の部屋であるとか、そういうことは関係なく。
 たとえ、そこが、全然見知らぬ赤の他人の部屋であろうとも、それが彼である、と確信を持てたに違いない。
 おばあさんと狼が入れ替わっている事に気付けなかった赤頭巾ちゃんよりも、事に敏感である、というつもりはない。
 ただ、その対象が『彼』であるのなら、当然、解るべきであると思う。

 眠る彼の傍にいるのは心地良かった。そのままでいても、全然、構わなかったのだけれど。
 彼の部屋の前で待っていた時間は、思うよりも長かったのか、トートバッグの中のネギが首を傾げつつあった。

 「・・・横島さん?」

 まるで目を覚ます様子が無い。
 揺り起こすのは可愛そう。
 何故なら、部屋の中は外ほどではないにせよ、酷く寒いから。
 こんなに寒いのに、この部屋には暖房器具など一つも無く、彼が包まっている蒲団をその中にいれるとするなら、それが唯一のものであった。
 そう、こんなに寒いのに、この部屋には、蒲団一式しかありはしないのだ。
 部屋の中にいる彼を外で待ち続けていた彼女を暖めるものも『それしかない』―――。

 寒い気温による反発故か、彼女の頬は酷く熱く火照った。
 このままではいけない。風邪を引いてしまう。
 それでは、本末転倒ではないか。
 お世話を焼きに来たのに、逆に迷惑を掛ける、というのはいかがなものか。
 暖めなけねばならない。しかし、蒲団は残念ながら、一式しかないのだ。
 それでは、一人しか暖まる事は出来ないではないか。何故なら、一式しかないのだ。
 けれども。
 例えば、吹雪の中、山小屋の中、凍てつくような冷気の中。
 一組の男女―――互い、憎からず思っている男女がいるとして。
 彼、彼女らは、果たして、その自然の脅威の前に為す術も無く屈するのだろうか?
 否。断じて、否。
 もがくはずだ。一部の例外を除き、人間は、『生きること』を優先させねばならない。
 その為には、一時の羞恥心などに捕らわれてはならない。
 そう、今、この時は危機的状況であるのだ。
 危機を脱却するには、どうするべきか?

 彼女は考えた。今、自分がすべき事。
 一番正しい事とは何か、を。
 考える。考える。考える―――

 
 ―――フリをした。『結論は既に出ていた』のだ。
 と、言うよりも、行動にもっともらしい言い訳を―――彼女自身を納得させる理由を作ろうとしていただけのことだった。


 「・・・横島さんが、悪いんですからね」

 彼女自身にも良く解らない台詞を吐きつつ、そっと、掛け布団を捲り上げ、彼の背中を抱くようにして、目を閉じた。









 横島が目を覚ました時、美味しそうな匂いが鼻を突いた。
 葱と肉と豆腐と白滝と白菜と―――他にも色々と灰ってそうな匂い。
 彼はがばっ、と身を起こした。蒲団を跳ね除け、匂いの元を辿る。
 ぐつぐつぐつ・・・と食欲をそそる音が、匂いの後に聞こえてきた。

 「・・・鍋!?」

 「はい!」

 思わず叫ぶように声を上げると、それに対する返事がそれにあわせるように響いた。
 ちゃぶ台の上に載せられたホットプレートの中の鍋が生み出す湯気でかすんで見える。
 それでも、彼にはそれが誰の姿なのかはっきりと解った。

 「おキヌちゃん?」

 「はい!」

 何時もの彼女の調子とは幾分違う気がする。妙に顔が火照っているのはどうしてだろう?
 彼は考えた後―――真っ赤になった。何度か拳を握り、自分の頭を殴りつける。

 「ど、どうしたんですか?横島さん?」

 「い、いやっ、気にしないで! 何か、ちょっと、変な夢見ちゃったんだ」

 「へ、変な、夢、ですか? どんな夢、ですか?」

 あはははは、と笑って誤魔化した後、横島は目の前の鍋に視線を移した。

 「あ、美味しそうだね、この鍋」

 ついでに、話題も移せるように期待する―――。
 彼女はなぜか少し、残念そうに顔を曇らせた後、また、顔を紅潮させた。

 「そ、そうでしょうっ。一生懸命作ったんですッ。も、もう、食べ頃ですから、よ、よよよよ・・・横島さん、どうぞ!」

 「う、うん」

 傍目から見ても明らかなほど動揺して見せる彼女の姿に戸惑いつつも、ほっ、と安堵の溜息を漏らす。
 夢の事はあまり追求されたくはなかった―――思春期の男の夢は、時に恐ろしく頭の悪いものになることがある。
 そして、その対象が本人に近しい女性になることは、仕方の無い事なのだ・・・多分。
 だとしても、その対象になることを好ましく思う女の子がいるわけがない。
 好ましく思っても―――欲しくは無い。多分。



 「今日は、随分と寒かったですね」

 「そうだね。俺なんか、冬眠し掛けた位だよ。そのまま永眠するかと思った」

 「私、呼び鈴何度も鳴らしたんですよ? でも、横島さん、出てくれないから・・・」

 「あ、ごめんな」

 申し訳無さそうな彼の顔を見て、彼女は慌てて頭を振った。

 「私が勝手に来たんですもん。そんなこと言っちゃ、駄目でしたね」

 「そんなことはないよ。凄く有り難いし・・・それに、おキヌちゃんが来てくれるのは、俺、嬉しいし」

 「本当、ですか?」

 じっ―――と見つめられる。
 横島はまじまじ、とキヌの顔を―――目を直視しないように、眺めた。
 凄く、可愛い。清楚で、素朴で―――可憐、という言葉は、まさに彼女の為にあるんだと思う。
 ―――そこまで考えて、急に、『夢の中の彼女』が頭の中に浮かんだ。
 慌ててそのイメージを消そうと頭を振る。
 何となく頭の上の方に、噴出しが浮かんでそうで、思わず手で頭上を払う。
 もしもある特定の人にばれたら半殺しどころじゃすまない想像だった。

 が、目の前の少女の顔がみるみる青ざめていくのを見ると、彼は自分のした事に気付いた。
 質問に、頭を振った。
 『いいえ』と言う意味のジェスチャーをした。
 限りなく、真逆の方向の答えである。

 「・・・嘘ですか?」

 んなわきゃないじゃん!? 

 「違うッ!もう、本当に、嘘じゃないっ。本当に、心からッ。おキヌちゃんが、好きで・・・」

 「え!?」

 キヌの顔が驚きの色を含んだ。
 自分の言った言葉をまた振り返り、頭を掻き毟る。

 (今度はちょっと行き過ぎた!?)

 「あっ・・・いや、その、それはっ」

 「・・・好き・・・?」

 ぽつり、と呟くように溢して、上目遣いに彼を見つめる。
 愛らしかった。
 清楚で、素朴で、純情で、優しくて。
 手を、出せない、出しちゃいけない。
 汚してはいけない、唯一無二の女の子。

 胸に染み入るような思いがあった。一体どこからそんな思いが溢れ出てくるのか、全く持って不可解で。
 それで居て、その思いの出所が解っている様な不思議な気分で。

 彼は思わず、部屋の中に目を泳がせた。何か無いかッ、何か、何か無いかッ!
 視界の隙間に、漆黒の闇の中に、ちらほらと舞う白いものが見えた。

 雪だった。

 「あっ、見てごらんッ、お、おキヌちゃんっ。ほら、空からシロイヤツガオチテキテルヨッ!!」

 「雪ですね」

 「そう、雪! ちょっと、外に出て、見てみないカイ!?」

 「良いですね」





 「綺麗ですね・・・」

 「そうだね。初雪か・・・。九月に雪、ってちょっと早すぎるなぁ」

 「横島さん」

 「な、何かな?」

 「私、こうして横島さんの隣にいるのが好きです」

 「・・・あ、う、うん」

 「横島さんも―――」

 「な、何かな?」

 「横島さんも、私の隣にいるのが、好きだったらいいな・・・って。そう、思います」

 「・・・」


 さっき、答えることが出来なかったのは。
 明確な形にするのが、酷く怖かったからだった。

 

  
 
 何かしてあげたい、と思う気持ちは、けっして間違いではないと思う。
 それが押し付けだとすれば問題かもしれないが、その気持ちは大切なものだと。



 「俺だって、おキヌちゃんが、俺の隣に居るのが好きだったら良いな、って思ってるよ」

 「今までも、これからも」

 言った後で。
 彼の顔は酷く熱を帯びた。。

 (凄く、馬鹿なことを言ってるんじゃないか?)

 と言う思いが浮かんできて。
 不安と共に。
 彼は彼女の顔を窺った。
 少女は彼と同じように顔を火照らせて。
 潤んだ眼差しをそっと彼の方に向けた。
 凍える空気の中で―――。
 彼女は唇をそっと優しく緩めた。

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