ザ・グレート・展開予測ショー

先生を迎えに


投稿者名:とおり
投稿日時:(06/ 9/17)






「ううん・・・」

自然に、うっすら目が開く。
枕に顔を二度三度、仰向けになってぱちぱち。
薄暗い部屋をほのかに照らす光が、枕元に柔らかく届いていた。
めっきり冷え込んできた初秋、カーテンの隙間から差し込む朝日が朧気に暖かい。
屋根裏部屋に同居する隣のねぼすけを起さないよう、そっとタオルケットをめくりベッドからすうと足をおろす。
寝間着をそそくさ手早く着替え(Tシャツとジーンズのおきまりの格好だが)、化粧机に出してあったブラシを取って軽く髪を整える。
身支度が終われば、抜き足、差し足。
そろりそろり扉に近づいて、部屋を出る。
事務所の階段は古い上にちょっとばかり斜度がきつい。
どれだけゆっくり歩いても、ぎぃぎぃ染みこむような音がする。
音がだんだん軽くなってきたら、階下まで来た証拠。
洗面所でそっと蛇口を回して、きりり冷たい水を受けて一気に顔にかける。
毎朝の洗顔は気持ちが良くて、鏡に映った自分の顔は自然に笑いが浮かんでいる。
小さめの声で人工幽霊一号に朝の挨拶すれば、大扉が開く。
事務所の手前に張ってある芝生の上で深呼吸をして、ゆっくりと息をはき出せば、体はもうすっかりと目覚めて早く早くとせっついてくる。
でもそんな自分を焦らすように、ぎゅっぎゅ、湿った土の感触を楽しむのが密かな決まり事。
靴が馴染んだことを確かめてから、登り始めた光で薄桃に色づいた雲を見、薄く朝靄がかかる街をゆっくりと歩き出した。










アスファルトで固められた道は周りの暗さにとけ込んでいて、でも確かにトントン歩く度に規則正しく声をあげて、たまにわざとその声をずらしてみたりして歩くのが楽しい。
ガァー、側をトラックが勢いよく通り抜けていくのに驚いて、自分の驚きが伝わったのか。
電線で休んでいたカラスたちがばさばさ飛び去って、青と言うには黄色みを多分に帯びた空に消えていった。
申し訳ない、そう思いつつも、おろしたばかりのスニーカーはきゅっきゅきゅっきゅ嬉しそうで、つい歩調が早まっていつの間にやら歩道の真ん中を歩いていた。
この時間は自転車もよく通る。
いけないと脇に寄ると気をつけなさいとばかりに、さぁと風が過ぎて髪を撫で、さわさわと街路樹が揺れる。
秋の気配が色濃くなってきたこの時期、もうすぐすればきっとはらはら葉が散るのだろう。
夜のうち汚れも落ちた空気が、どうにも美味しく感じる。
一体なんでだろう。
でもすぐにそんな考えは頭から消え、ただその美味しさを満喫する。
いろんな曲がり角を、直角に、鋭角に、時にはわざと大回りしてみたりと遊んでいると仲の良い犬が声をかけてきた。
わんわん、はっはっは。
朝から自分に負けず元気で、こちらも元気に挨拶を返す。
リードを引いた飼い主のおばさんともすっかり顔なじみで他愛もない話をあれこれと、すると家々からはトントンカン朝支度の音が聞こえてきた。
足下のマンホールにはざぁざぁ水が流れ始め、その音に気を取られていると不意に角から新聞配達のスクーターが飛び出した。
おばさんをかばい避けると、相手はすみませんと声を上げ、また次の配達先へブロロロロと急いで走っていく。
改めて見渡すと先行く道は低い影が目立ち始め、わずかにではあるが空も青みを取り戻してきた。
街も空も、いそいそと静かに昼間の準備をしている。
でも自分にはそれはお見通し、わかっているぞと街に問いかけるようにつぶやくと、なぜか少し可笑しい。
あらご機嫌ね、とおばさんがにっこり笑って、自分も笑い返して、別れた。
元気なあいつは、リードを引っ張ってぐいぐい進んでいく。
全く、どちらが飼い主なのやらわからない。











この瞬間、この時間が綺麗で好きだ。
少しずつ、少しずつ、色づいていく街は息吹を取り戻していく。
夜と昼と、その狭間。
日が昇り始めた街はまだまだ静かで、しかし徐々に輪郭と色がはっきりしていく。
ゆっくり変わっていく様を見るのは自分しかいない、そう思え街全体を独り占めにしているかのような錯覚に捕らわれる事が、不愉快で無い。
想いふけっていると、道沿いの家人だろうか、かららら窓を引く音がする。
つられ振り向くと、ランニングをするおじいさんがたったった、後ろから追い抜いていった。
軽くあごを引いて会釈し、その健脚を見送る。
足では負けない。
その自信はあるけれど、どうも今日はゆったりと行きたい。
時間と共に音が増えて街がざわめいていくのがわかるが、さりとて目的の家は逃げるわけでもない。
そうだ、やっぱりゆっくり行こう。











坂の上りきったあたりで、不意に音が消えた。
このあたりには大きい道もなくて細かい道が入り組み、せいぜい自転車か、大概は歩く者以外はいない。
そのせいでこのあたりの住人も、あの狐と同じでねぼすけなのかのしれない。
もやに緑の香りがとけ込んだ誰もいない道脇の公園、その草むらからコオロギだろうかキキキキ鳴き声が聞え、耳を傾ければ、その声は一つではない。
椅子に腰掛けしばらく体を虫の音に預けると、一層周りの静けさが際だってくる。
十分聞き入って、良しと立ち上がると今度は、いってらっしゃいとばかりに蝉が鳴いた。
みんみんみんみんみん。
その声は、夏を郷愁を感じさせるものに変えていく。










大通りに出ると、まだ数の少ない車がトラックに混じりスピードを上げてシュンシュン通りすぎていく。
それに加えてカツカツ、ザッザ、いろんな人のいろんな足音が車に混じって聞こえて、ずいぶん賑やかだ。
駅に向かう人の流れはこれから日が昇っていくにつけ、どんどん多くなっていくのだろう。
だけれども、自分が向かう先は別の所。
流れに背を向け、また脇道に入ってふんふん鼻歌を歌い歩く。
すると、車庫のシャッターががらららゆっくり開き始めた。
しかしそれもすぐに収まって静まる。
そこに飛び込むように、じっじっと街灯が点滅し光が消えた。
お疲れ様。
声をかけても誰が聞いているわけでない。
歩く速度をゆるめ伸びをしてみると息が漏れ、腕をおろし息をはぁ、また吸い込む。
まだまだ、美味しい。
一人でくすり笑い、目的地を目指す。
道を曲がると、目に強い光が入る。
手をかざし見、幾分か白く輝いている。
もうすぐ、もうすぐ。
太陽のわずかな抵抗を排除して、前へ、前へ、歩く。
幾分かくすんだ、いやダシの効いたとでも言えばいいか。
いかにも安普請のアパートが見えてきた。
外側についた階段は、事務所以上に音がする。
ゆっくり歩いてもカンカン、遠慮せずに上がればガンガン。
部屋には振動すら伝わる。
ゆっくり音が立たないように手すりを伝って、忍び足で上がっていく。
これなら、気づかれる事もないだろう。










部屋の前に立つ。
ブウーブウー、耳に入るのは二件隣の換気扇だろうか。
一階からは炊事の音か、水がじゃあじゃあ流れ時折止まるのが聞こえた。
自分の目的の部屋からは、物音一つない。
胸に手を当てもう一度、深呼吸をしてどきどきする胸から手を離し、ドアノブにかける。
いつもの様に鍵もかかっていない。
あれほど注意しているのに、全く不用心で、だけどそのおかげでこうして部屋に入れるのだから、どうしたものか。
少しだけ考えて、えいや、思い切りドアを開けた。
玄関と言うには小さい場所で靴を抜いで、ずかずかと入り込んだ部屋には、人がいる。
寒かったのか頭から布団をかぶり、ぐうぐうと寝息を立てるこの人を起すのが、自分に取ってなによりの楽しみだ。
だからこそ、ここまでゆっくりと歩いてきたのだから。
そして、その後の事も。
そっと布団をめくって行くと、盛大に寝癖の付いた黒髪がはい出てきた。
くうすう上下する胸を眺め、気づかれないように鼻をつまむと苦しそうだ。
手を離し、どうしても笑いを模る口を言い聞かせるように大きく開いて一気に、腹の底から、声を出す。
この人の耳に届くように、街全体に響かんばかりの大きな声で。










「せんせぇーっ! サンポにいくでござるよっ! 」









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