ザ・グレート・展開予測ショー

【遅刻的・夏企画SS】いずれもROMANTIC! / 後篇


投稿者名:ロックハウンド
投稿日時:(06/ 9/ 1)


 周囲の憶測や思惑というものは、得てして勝手に枝葉を生い茂らせていくものである。
 例えれば、尾ひれに背びれが付くようなものであり、場合によっては胸びれや尻びれまで付加してしまう事もある。
 弓たちと約束した集合場所へと向かいながら、昨晩のことを思い出すにつれ、おキヌは少々気疲れを感じてしまっていた。
 ちょっと『うっかりさん』だったかな、と軽い悔いが気持ちを少し重くしていく。

 ただでさえ噂が飛び交い易い美神除霊事務所内において、自らの失敗談を、しかも恋愛要素が多少といえども絡んだ事項を吐露してしまったのである。
 加えて映画に行けなかった事が悔しかったから、その腹いせに、などと思われるのも心外である。
 横島を責める気は毛頭ないのだが、思っていた以上に長引いている落ち込んだ心象風景が、おキヌには新鮮な体験でもあった。

 意外と嫉妬深かったんだなぁ、私。
 のほほんとした風情と、やや曇り空模様の気分で歩を進める。
 そもそも、今日は一日家事に勤しむつもりであったが、弓と魔理からせっかくの誘いもあったことである。
 気分転換を兼ねて、おキヌは外出していた。


 「でも、何かヘンだなぁ」


 こうして目的地へ向かう途中であっても、おキヌにしてみれば首を傾げたくなる事項がいくつか存在していた。
 始まりは今朝方のことである。朝食の準備を進めていた最中、味噌汁を作り終えた瞬間、美神に呼ばれたのだった。


 「おキヌちゃん、部屋で携帯鳴ってるみたいよー」

 「あ、はーい」


 コンロの火を止め、急ぎ足で自室へと向かう。
 再び台所へと戻ってきたのは、数分後のことであった。
 階段を下りてくる足音へと向かって、美神は声を投げかけた。


 「誰からだった?」

 「あ、弓さんからでした。何か用事があるとかでお誘いを受けたんです。お夕飯前にちょっと出かけてきますね」


 そんなやり取りとティータイムを経て外出したのだが、やはり疑問は消えなかった。難しく言えば懸念事項というやつである。
 弓からの電話はとりたてて珍しい事ではないのだが、うかつにも重要な気付きを得たのは事務所を出た後であった。

 そもそも、弓は今日、伊達雪之丞とデートなのではなかったか。
 何事か生じたのだろうか。漠然とした懸念がおキヌの脳裏に浮かぶ。
 考えてみれば、今朝方の弓は電話口で、待ち合わせは学校でと告げてきたのである。
 故にこうして制服を着込んだおキヌは、電車を乗り継ぎ、六道女学院校舎へと足を向けている。

 鞄も持たず、何より授業もないのに学校へ行くというのは、軽快でくすぐったいような、ちょっとした違和感を伴っていた。
 登校時間を遥かに遅く、昼の熱気が残った空気の中を荷物もなく、着慣れた衣服を身にまとい、散歩のような気軽さで歩く。
 横島あたりに言わせれば、寝てるほうがましじゃー、と寝惚け眼をこすりながら叫ぶことであろうが。
 口調が耳朶の奥で響いた気がし、おキヌは思わず笑いをこぼしていた。

 ふっ、と翼に風を得た鳥のように、気分が少し上向きになる。
 弾みをつけて、おキヌは見えてきた校舎の正門へと、小走りに速度を上げた。
 ケヤキとヒイラギの植え込みを抜け、花壇に囲まれた校名の石碑を横目に、自転車置場を過ぎる。
 奥まったところの林を抜け、女学院内の武道場と一目でわかる、平屋建ての木造建築が見えてくれば、待ち合わせ場所である。

 こちら側に背を向けた後姿は、もう何度となく見覚えがあった。
 腰まで伸びて、毛先も上品に整えられた、艶めく黒髪の持ち主はそういない。


 「おはようございます、弓さん。遅れて、ごめ、ん、なさ・・・・・・いぃぃっ!?」


 ゆっくりと振り返った少女へと挨拶を投げかけたおキヌは、声のトーンを急激に変化させていた。
 ジェットコースター並みの高低差である。語尾はほとんど悲鳴に近かった。


 「おはようございます、氷室さん。ご足労をお掛けしましたわね・・・・・・」


 静謐な道場の門前、しっとりとした空気と土の匂いが香る中、寒々しくも凛とした声音が響いた。
 鈴の音のような声が妙に圧倒的であり、おキヌは思い切り腰が引けていた。理由は単純明快、恐怖と驚愕のためである。
 六道女学院の制服を身にまとった、一人の鬼が眼前に居た。
 名前は弓かおりという。


 「ど、ど、どうかしたんですか、弓さん。何か、あったんですか?」


 口が回らなくなっていた。微笑んでいる彼女、弓かおりの笑みが深すぎる。
 見知っている相手、しかも親友と呼べる間柄であったはずなのに、今日の弓かおりは異様なまでの威を背負っていた。
 幽霊も腰を抜かさんばかりの、静かなる迫力である。その佇まいは戦歴豊かな剣士にも匹敵するであろうと思われる。
 日も高くなったとはいえ、林中の木々の緑や奥深い草木の香りの中にあると、尚の事、圧迫感が増す思いである。

 あまりの畏怖が視界を狭めていたのだろうか。
 物音一つ立てず、弓の後ろに立った人影に気付いた時には、むしろその人物がいることにおキヌは仰天していた。


 「い、一文字、さんっ!?」

 「おっす、おキヌちゃん。良い天気だよねぇ・・・・・・」


 天気は良いです。ええ、天気は。夕方ですけど。
 声は出なかった。おキヌは必死の思いで頭を頷かせる。ゴム仕掛けの人形のような速度であった。
 ゆらり、と柳のように、だが隙の無い身のこなしを一文字魔理は見せていた。
 武道の有段者が眼にすれば、『お主、出来るな』と賛辞を込めて評したであろう。

 おキヌとしては、評価や観察どころではなかった。はっきり言って昨日の彼女たちとはまるで別人である。
 テレビで見たスケバン物のドラマのように、校舎裏に呼び出され、顔はヤバイから『ぼでぃ』にしておけ、などという台詞付きで殴られることはまず無かろうが、それにしても怖い。
 本人たちは顔を赤らめて否定するだろうが、こうしてみると雰囲気といい態度といい、仲間や親友と書いて『まぶだち』と読ませる資格が十分にあるように思えてくる。

 脈絡の無い思考が終止符を打ったのは、先程発したおキヌの問いに、弓が答えたことによるものであった。


 「あの大馬鹿者。ドタキャンしやがりましたの」

 「右に同じく。せっかくの休日と計画がおじゃんだよ」


 剣呑。
 まさにその一言が、弓かおりと一文字魔理の全身を漂う雰囲気を、的確に言い当てていた。
 魚屋のおっさんでなくとも『ぎょ』と驚くことは確実であった。気の弱い人物であれば心臓麻痺を起こしかねない。


 「だ、伊達さんとタイガーさんが?」

 「あー」

 「ええ」


 整った顔立ちを思い切り顰め、弓かおりと一文字魔理の表情は一様にしかめっ面であった。
 返事をすることにすら忌々しさが滲み出ている。余程の濃い渋茶を飲んでも、こうまで仏頂面になるとは思われない。
 ほとんど怨敵と相対したような風情であり、苦虫を優に3桁は噛み潰している。
 ぎり、と聞こえる程に噛み締めすぎた歯茎からは、血が滲んで来てもおかしくはなかった。


 「で、でも、よっぽどの事情があったんじゃないんですか? そうでもない限り、あの2人が突然デートを止めるなんて思えませんもん」


 なぐさめにもならぬ事は、おキヌ自身が良く理解していた。だって、彼女たちは昨日の自分であったからである。
 が、それでも言わずには居れなかった。もっとも返答は無視ではなく、事態の理解を求めさせられたのだが。


 「ドタキャンたぁ良い度胸だよな、ちくしょう。せっかく見つけた『陸海空・全界制覇的具材・華麗なるカレー、4000g』、30分で完食すれば商品に賞金付きのタダなのに」

 「あなた、タイガーさんを殺すおつもり? 前から思ってましたけど、なんでデートで食い道楽なんですの」

 「く、食ってばっかいるように言うなよ! ちゃんと遊園地とかにも行ってらぁ! たまたまそこに安くて美味い食い物があるからさ。健康的でいいじゃん」

 「単純ですわね。まぁ、お似合いといえばお似合いですけど、太っても知りませんことよ」

 「人の事言えた義理かっ! お前だってデートのたんびに、映画は何が見たいかでもめてるらしいじゃねーか。理恵子から聞いたぞ。映画館前で口ゲンカしてる弓を見たって」

 「な、なんですってっ!?」


 ああ、せっかく乙女心が煌いている光景なのに。
 おキヌは不意に、目尻が潤んだ気がした。デートの計画に一喜一憂するって、なんて素敵なことなんだろう。
 そんな彼女の意味不明な喜びにも気付かず、咳払いを一つし、気まずさをすぐに隠した弓は、改めて話を続けた。


 「今朝方、電話をかけてきた雪之丞に詳しく問いただしたのですが、仕事仕事の一点張りでした」

 「で、弓もさすがに叫んだらしいんだ。『私と仕事のどっちが大切ですのっ!』って」

 「そ、そんな事、ひとことも言ってはおりませんっ!」


 漫才のような光景が、おキヌの、そして魔理の目に浮かんだ。
 確かに夫婦になっても『夫婦漫才』というくらいだから、犬も食わない仲睦まじさは在り得るのだろう。
 ひょっとしたら俗に言う『バカップル』かもしれないが、基本的に仲の良い事は美しいことである。
 世間の嫉視など愛の前には塵芥。瀬戸にお嫁に行った花嫁さんだって、愛があるから万事おっけいと言っている。


 「で、ですが僥倖と申しますか、一文字さん経由で情報は入手できました。彼らはここ、六道女学院へと向かったというのです」

 「唐巣神父さんの教会に電話したら、神父さんが教えてくれたんだ。何でか知らないけど、ピートさんもタイガーも、ここに行くってね。そんで、横島も一緒なんだと」

 「よ、横島さんがっ!?」


 現実逃避気味のイマジンは、風の前の塵に同じく、いとも容易く吹き飛ばされていた。
 やはり現実は厳しいことを、魔理は痛感していた。
 横島とデートできなかった理由、という名の現実の荒波に飲まれ、呆然としていたのはおキヌだけである。


 「事情はさておき、ピートさんも参加するとの情報からして、確かに仕事かもしれません。ですけど、それにしたって前以って連絡を入れるのが筋と言うものでしょう。違いますか?」

 「意義なし」

 「は、はい・・・・・・」


 『ホーホケキョ』、とウグイスの囀りが聞こえた。
 静けさが岩どころか、林全体に染み入っている気がする。
 なのにどうして私たちの周りだけ、気配が怖いんだろう。おキヌは黙って天を少しだけ仰いだ。


 「ここに私たちが集ったのも、いわば宿命というもの」

 「で、電話で呼び出されただけなんですけど・・・・・・」

 「そういう言い方も、国によってはあるかもしれませんわね」


 詳しい理由も告げられずに、せっかくのデートがご破算になった事が、相当に腹に据えかねているのだろう。
 弓と魔理の両人ともその両眼に宿る輝きは、動物番組で見た肉食獣の迫力をおキヌに連想させた。


 「我ら3人。生まれた場所も歳月も違えども、志を同じくする者として、今ここに集いたるは天命の定むるところなり」

 「桃園ならぬ、竹林の誓いだな。燃えてくるねぇ」

 「ちょ、ちょっとちょっとぉ!?」


 突然に力強く手を握られ、おキヌは軽くよろめいた。
 足元に線を引き、3人を結べば三角形の頂点に、それぞれ佇む形となる陣形が生まれた。
 中心で3人の両手が固く握られる。おキヌだけが、意図も理由も、加えて納得も出来ていなかった。


 「乙女の名のもとに、鉄槌を下しましょう」

 「委細承知したぜ、弓将軍」

 「あああああっ!?」


 両腕を抱え込まれ、ほとんど引き摺られるようにして、おキヌは校舎へと向かった。
 向かわされた、という方が正しかったが。


 「おキヌちゃん、この期に及んで、自分一人だけ彼氏と仲直りしようだなんて、抜け駆けはなしだよー?」

 「私たち、同志ですものねぇ。ほほほほほ」

 「ひーん! よ、横島さはーん!!」


 意図的、しかして一部強制的に結ばれた誓いの元に、乙女たちは歩を進めていく。
 世にいう『六道三国志』の開幕であった。





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 誓いの儀式を無事終えた3人は、校舎の中へと入り、敵を待ち伏せすることにした。
 文化祭が間近いこともあり、その準備のためと称し、鍵は用務員さんと当直の女性教師の承諾を経て、レンタルを済ませてある。
 普段からの素行が、とりわけ弓かおりの評価がものを言ったものか、ほぼ顔パスであったことも幸いしていた。
 おキヌにしてみれば、不幸の熨斗紙付きのような気がしていたが。


 「さっきからそわそわしっぱなしだね、おキヌちゃん。そんなに心配か?」

 「浮気現場を押さえるわけですから落ち着いてもいられないのでしょう。助太刀ならいつでも引き受けますわよ、氷室さん」

 「え、遠慮しときます・・・・・・」


 口調こそ落ち着いているものの、3人の中で気合の入り様が最も半端ではないのが、発言者たる弓かおりであった。
 浮気と決まったわけでもないのに、敵たる男子を殲滅する気概が、既に全身に満ち満ちている。
 覚悟は十分と言わんばかり。手には道場から持ち出してきた私用の薙刀を構えており、なんとなれば弓家格闘術・秘奥義『水晶観音』をも起動する気であった。
 いまや外面如菩薩・内心如夜叉の彼女であり、心底から討つべしと切望する相手は、伊達雪之丞ただ一人である。

 かたや、一文字魔理もまた木刀を片手に、戦闘態勢は十二分に整えてあった。
 六道女学院の学生服に武器という取り合わせが、ある意味シュールに映るかもしれなかったが、実用性が一番重要である。
 ファッションショーなどではないのだから、魔理にとって他者からの評価など知ったことではなかった。

 もし他の女と一緒に居た時には、ストレス解消のサンドバッグくらいにはなってもらおう。
 木刀による魔の千本ノックという手もあるかもしれない。バッターはわたしだ、ボールは君だ、という歌詞が脳裏に浮かぶ。
 あるいはカレーの3杯4杯、お代わりくらいは当たり前。強制と書いて『お薦め』と読ませる。それが慎ましい愛情なの。

 だんだん発想が急転直下に危ない方向へと走っている気もするが、魔理としても、そこは乙女心の戒律が優先なのである。
 愛こそ全てと、どこかの誰かは歌った。ならば愛を損なった奴には、それ相応の報いをくれてやるべきだろう。
 振るう木刀は、唸りを上げて空気を斬り裂いた。

 一方、おキヌはといえば、席に腰を下ろしたまま、手持ち無沙汰の最たるサンプルを提示していた。
 そもそも手渡された武器からして、手近にあった『ぴこぴこハンマー』なのである。
 これで何をしろというのか。そもそもこういうのを武器と呼ぶのだろうか。
 考えれば考えるほどに、おキヌは疲労感に囚われた。


 「横島さんのえっちぃ! お覚悟ー!」

 「話せばわかるー! って、ぎゃー!」


 えいえいえい、という掛け声とともに、おキヌはハンマーを振り下ろす。
 ぴこぴこぴこ、と可愛らしい音が響く中、横島は流血するのである。
 そんなばかな。おキヌは軽い頭痛をも感じ始めた。

 時計に目をやれば、既に7時を回っていた。
 夏場なので、まだ日は残っているが、それでもうっすらと東の方から暗くなってきている。
 お夕飯の準備、遅れちゃうなぁ、としょげ返りそうになった途端、弓の声が耳朶を打った。


 「来ましたわっ!」


 囁きが鋭くうねる鞭のように、魔理とおキヌの耳に届いた。
 きり、と歯軋りが、薄暗くなってきた教室の中に響く。
 日の明かりだけで視界の確保には十分すぎたから、物音を極力立てず、3人は静かに教室を出た。
 彼女たちの視界で、左から順に雪之丞、タイガー、横島にピートと並んで、植え込みの角を曲がるのが見えたのは、数分ほど後のことであった。

 いよいよ作戦決行の時である。
 言い訳要らずの問答無用でお仕置きを執行するつもりであったから、意気も軒昂。自然、呼吸も速くなる。
 大石内蔵助が率いた赤穂浪士たちも、斯様に一日千秋の思いで、吉良の屋敷に討ち入ったのであろう。
 弓、魔理は今まさに、乙女心の仇討ちをせんと欲し、己が大義を示さんとする武士であった。
 横島さんにはなんて言って謝ろうかなぁ、と考えていたおキヌだけがある意味、不忠者であったが。


 「何しとんねん、君ら」

 「き、鬼道先生っ!?」


 よく腰が抜けなかったものだと、後になって3人は思った。
 物陰から横島たちを監視していた自分たち。その自分たちに声をかけてくる者がいるとは、まったく予想外であったからだ。
 藍色と山吹色が重なり始めた空の下、訝しげな視線で誰何してきたのは、六道女学院教諭の鬼道正樹であった。


 「文化祭の準備か? 熱心で結構なことやけど、遅うなったらあかんよ」

 「あ、はい、すみません。その、ふ、不法侵入者を見かけましたので、これから折檻・・・・・・いえ、確保に向かおうかと」


 とっさに出た言い訳としては、自賛物だと内心、弓はほっとしていた。魔理とおキヌも同様に、溜めていた息をついている。
 手にした武器の言い訳も立つからであった。まさかデートしてくれなかったから殴りに行きます、とは言えるはずも無い。


 「何やて、不法侵入者?」

 「はい。他校の生徒ですけど」

 「ああ、ひょっとして横島たちのことか。それやったら心配あらへん」


 明るく告げる鬼道教諭の言葉に、3人の目は揃って丸くなっていた。


 「え、ご存知なんですか、先生?」

 「そらそうや。あいつら呼んだの、ぼくやからな」


 こっちやで、と声をかけ、先に歩き出した教諭の後を追いかける。
 そんな基本的なことをうっかり失念してしまうくらい、3人の少女たちは呆けていたのだった。





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 踊る水の宮殿。
 遡る流水階段(カスケード)。
 水で出来たお城。

 視界にその光景が飛び込んできた瞬間、少女たちの心象風景に記された言葉であった。

 六道女学院の新設プールは、南国の風景を基調とした造りになっている。
 その構造もあってか内部は熱気を溜め込み、植樹された椰子等の植物が勢い良く根付いていた。
 霊的訓練施設としての利用も視野に入れているのか、司令室、制御室等の設営された部屋や機材もかなりのクオリティを誇っている。
 あの後、鬼道教諭に案内されたのは、今夏に開かれる予定の新施設なのだった。


 「ああ、君らには教えるの初めてやったかもしれんね」


 教諭の声が届いているのかいないのか、少女たちの視線は固定されたままである。
 視界に飛び込んできたそれは、あまりに幻想的に過ぎたからであった。
 緑の木々を掻い潜って、水の飛沫が意志を持っているように、水面上を滑り、そして弾ける。
 幾本もの水柱が、僅かな瞬間に築かれていき、透明な宮殿の内装を描き出していた。

 そんなオカルティックな現象の中で、横島たちは歓声を上げていた。
 しかも彼女たちを驚かせたことには、彼らはプールの中心で、水面にしっかと立っているのだった。
 聖者でもあるまいに、どんな奇跡だというのか。
 瞠目して、少年たちを見つめ続けていた少女たちは、教師が指し示した指先に、その原因を見た。


 「あの子が『ウンディーネ』や」

 「ウ、ウンディーネって・・・・・・あの、元始の精霊ですかっ!?」


 真っ先に答えを口にしたのは、弓であった。
 おキヌと魔理は、口を利くことも忘れたように、ひたすら視線を投げかけている。
 そこには一人の幼い少女の姿が、水で設けられた玉座らしき形の上に在った。

 可憐にして繊細。その一言に尽きた。
 その衣装も肢体も、脈々と流れる生命感に溢れており、一挙手一投足の度に、水流に優雅なうねりが生じるのである。
 衣服もまた精緻を極めた、品格のあるもので、喩えは悪いかもしれないが蜘蛛の巣のような細密さと、刺繍細工のような編込み模様。そして薄く張った水の幕のような肌理の細やかさが光っていた。


 「せや。元始より現在に至りて、万象遍く満ち溢れる四大精霊の1人、『水のウンディーネ』。その幼生体。まぁ、はっきり言えば子供やな」


 ウンディーネ【Undine】は、四大元素の一角を担い、人界に在っては水を司る精霊である。
 『風のジルフェ』、『大地のノーム』、『炎のサラマンダー』を加え、四大精霊と称される。
 名称には様々な説や、言語、国、地域の伝承といった様々な要素が絡み合い、明確に定められたものではない。
 だが現実に、神話や伝承の中の存在を目の当たりにしてしまうと、名称などどうでもよくなる気がしてくる。


 「な、なんでまた六道女学院のプールなんかに? 人里を遠く離れた湖や川に住んでいるものとばっかり・・・・・・」

 「それがどうも、ひょっこり人里にやってきたらしいんや。子供の好奇心っちゅーのは、どこの種族も変わらんもんやなぁ」


 水の上に立ち、不意に盛り上がった水から、トランポリンのように跳ねていた精霊は、横島の背中へと飛び乗っていた。
 楽しげな様子も表情も、何一つ人間の幼子と変わりがない。肌の色、瞳の色、艶やかさに満ちたオーシャン・ブルーの頭髪。
 横島も肩車をしたり、そのままバランスをとりながら、水の上を滑るという器用なまねをしている。


 「ほれ。先日、横島たちにプール掃除のバイトを頼んだことがあったやろ? どうもあの時に知り合うたらしいんや」


 バイトの件については3人にも記憶があった。
 事の発端は、彼らが夏場に行った六道女学院内施設のプールから始まった。
 鬼道教諭が誘ったこともあったが、プールの清掃バイトを横島たちに依頼した時の事である。

 一通り、掃除を終えた彼らが帰り支度を始めた時、突然の霊反応がプールに張られた水の中より生じたのだった。
 噴きあがる水の奔流に、シャワーから流れ出す数百本もの水のロープが、彼らの眼前で踊った。
 それが水の精霊である『ウンディーネ』のいたずらであった。


 「理事長にも話は通してあるよってな。明日にはGメンに保護されて、国家特別保護区に向かうんや」


 Gメンという呼称に、一番早く振り向いたのがおキヌであった。
 横島がウンディーネを軽やかに放り投げ、雪之丞とタイガーがキャッチし、さらにまた放る。
 最後にピートがお姫様抱っこの形で、水の精霊である少女を受け止めていた。


 「いくつか候補はあったんやけど、昨日、飛騨高山の奥地に決まったらしいわ。今朝早うにGメンの美神隊長はんから連絡があってな」

 「た、隊長さんが!?」


 ということは、美智恵はすべてを知っていたのだ。
 今更ながらにおキヌは頬を膨らませていた。


 「それじゃ、彼らは」

 「うん。今日でお別れになるから、今朝早く、ぼくが皆に連絡したんよ」


 どっ、と肩の辺りから力が抜けた気がした。
 3人とも、思わずその場にへたり込みそうな疲れ振りである。
 水の流れが、足元近くまで押し寄せてきているのも、腰を下ろさせない要因ではあったが。


 「なんや知らんけど、あの子・・・・・・ウンディーネやけど、妙にあいつらに懐いてしもてなぁ」


 鬼道教諭のしみじみとした声に、3人の少女たちは両眉を微かに顰めていた。 
 無言の境地が、一際深みを増したように思われた。


 「おまけにえらい音楽好きになってんねん」


 語りかけた言葉は、足早に歩み去る少女たちの背中に、あっさりと弾き返されていた。
 いや、青春やねぇ、という感想も加えて。





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 「ほれほれ、ディーネ。この歌好きかー? わっはっはっ、ええ子ええ子」


 有線放送から流れてくる音楽は、ポップス色が色濃く加味されたロック音楽のイントロを流し始めていた。
 芯の通ったドラムスが響き、ギターのカッティングとベースのリズムが後を追うように協奏していく。


 「しっかし人懐っこいですノー。ほんとに妖精じゃろーか」


 光芒を放ち始めたプール内の水が、次第に浮き上がっていく。
 『ぷるぷる』『ふるふる』と波打つウンディーネの衣服が、
 水織物とでもいおうか、透き通った羽衣が幾重にも折り重なり、空間を自在に踊っている。


 「お前、それなんべん言ってんだよ、タイガー。精霊だってぇの」


 シンセサイザーから紡がれる、星砂を擦り合わせたように煌びやかな音色が、ドーム内の壁面と水の奔流へと吸い込まれていく。
 砂の一粒一粒に音色を乗せ、空の高い所から風の無い時を選び、流し落とす。


 「ほら、こっちにおいで、ディーネ。ピートお兄ちゃんと踊ってくれるかい?」


 歪みを少し抑えたギターは、エフェクターを効かせ過ぎないクリーン・トーンで、聴き手にステップを誘発してくる。
 幾本ものアーチを形作り始めた水流に吸い込まれ、耳元を掠めれば耳朶の奥まで透き通り、鼓膜から脳を経由して、四肢の運動機能を刺激する。

 制服姿の皆は、素足だった。
 折角の清水に沈む事無く、両足で立つ事の出来る機会である。靴越しなどで清冽な感覚を体験するなど勿体無さ過ぎる。


 「こういう事でしたの、雪之丞」

 「げっ、弓っ!?」

 「つれないよなぁ、タイガー。わたしに何も言ってくれないなんてさ」

 「まっ、魔理サンっ!?」

 「よっこしまさんっ!」

 「堪忍してください、おキヌちゃんっ!」


 きょろっ、と目を丸め、小首を傾げるウンディーネは、横島の背中に飛び乗っていた。
 ピートの言葉に反応したものか、音楽に合わせて、その小さな身体を揺らしている。
 次の瞬間、ウンディーネが右手を高く差し上げ、人差し指を翻した。

 勢い良く咲いた花のように、水の柱にリボン、ドレープの効いたウォーター・カーテンが広がっていった。
 オペラの開幕のように、音楽をさらに装飾する演出効果が、木々の緑と相俟って少女たちを迎え入れる。
 突然の来客を歓迎したものであろうか、横島の背中から覗くウンディーネの表情は、興味深げな笑みが浮かんでいた。

 ふと、ライトアップのような輝きが一層増したように感じられた。
 釣られるように天井を見上げた一同は、驚きと歓喜の声を上げていた。
 空を透かして見える強化プラスティック・ドームに、内側から水の幕が張られているのだった。
 屈折率のためか、拡大された星空は眩いばかりに天井全てへと広がり、天の川は宝石の輝きよりも明るい光芒を放っていた。





 ―――あら、雪之丞。制服姿なの?

 ―――う、うっせぇな! この格好じゃねぇと学校に入れねぇんだよ

 ―――横島さんにでも借りたのでしょう、うふふっ

 ―――わ、悪いかよっ





 水で出来た鏡が幾枚、幾十枚と生じ始め、ドーム内のあちこちに展開し始めた。
 口する言葉も、長く伸びる響きを持ったようで、胸の奥底まで良く響く。
 ぼうっ、と蛍のように自ら光を放つ水のオブジェは、幻想的な効果を生み出していた。





 ―――し、仕方ねぇだろ。精霊たぁ言え、懐いてくる子供を無碍にもできねぇし。

 ―――うん、あなたのそういうところ、わたくし、けっこう好ましく思っていてよ?





 ウォーター・ミラーとでもいうのか、水の薄壁が隔てた向こう側は透けているのに、自分達の姿もきちんと映し出されている。
 これが本当の『水鏡』かしら。古典の題名に思いを馳せながら、弓はゆっくりと雪之丞の手を取っていた。
 上半身の動きに従って、首から肩越しに長い長い髪の毛が、水と触れ合っていく。
 雪之丞は、少し慌てた素振りで、水色に輝く頭髪を見つめた。

 幾百にも弾けた清冽な雫が、2人の全身に降り注ぐ。
 星々と海と木々の狭間で、一組目のダンスが始まった。





 ―――なぁ、タイガー・・・・・・お前ってさ。けっこうロマンティック、だったのな?

 ―――や、や、そ、そういうワケでも、ないんです、がのー

 ―――へっへっへ。照れるな照れるな。ちょっと見直しちまったしなっ





 水で出来たマイク・スタンドを、横島が振り回す。
 水流、雫、飛沫の乱舞が、緑から蒼へとプリズムの彩りを見せ、緩やかな放物線を描きながら、足下の小さな海へと着水していく。
 月の光を受けたクリスタル・グラスが粉々に砕け散り、幾百幾千にも分けた光輝を星のように力強く孕んでいる。
 火花を散らさずに破裂したシャンデリアが、花火の大輪よりも新円の広がりを見せ、螺旋をゆっくりと描いて上昇していった。

 水で出来たエア・ギターに触れているピートは、心底から嬉しそうだった。
 音痴であることも関係ない。タイミングが外れても問題ないのだ。ビートが水を通して、身体に直接触れてくる。
 タイガーは水で出来たドラムらしきモノを、魔理と一緒に水のスティックで叩いている。
 音楽は、水と共に在った。

 薄皮一枚分の水のカーテンが、おキヌの眼前に紗のように滑り込んできた。
 何万何十万という数の細やかな泡を内に上らせながら、カーテンはゆらゆらと小刻みに、だが柔らかく揺れる。
 ドーム内全体が、淡いウォーター・クリーン・ブルーに発光している中、透かして見える横島の姿がスローモーションで映った。
 静かな呼吸のように明滅を繰り返す、それでいてほのかな煌びやかさに区切られた額縁の向こうで、歌声が水へと吸い込まれていく。





           Ta Tatta La La

           Lu Lu LaLa-Luw Lu La La





 彼の歌声を、ウンディーネが追いかける。
 あるいは彼女のファルセットに、横島がアドリブでバックアップする。
 シンセサイザーの煌びやかな音色が水を伝わって、空気と植え込みの植物達を踊らせていく。





 ―――むー、横島さんってば、こういう浮気しちゃってたんですね

 ―――う、浮気ぃ!? そ、そりゃいくらなんでも濡れ衣だよっ、おキヌちゃん!

 ―――へーん、ひどいですよぅ。私との映画よりも、ウンディーネちゃんとデートだなんてぇ

 ―――だ、だって、ちっちゃい子だし、明日にはお別れだしさ。おキヌちゃんを無理に誘っても・・・・・・。





 横島の頬っぺたを、おキヌは両手できゅっとつまんだ。
 水のカーテン越しに差し出されたその手は、冷たくて、とても気持ちよかった。
 頬に冷やりとした涼感が染み透ってくる。水で濡れることも気にならない。





 ―――それは【無理に】じゃないです、横島さん。【仲間外れ】って言うんですよ?





 両手を少し上げて見れば、自らの身体もぼんやりと輝いていることに、横島は気付いた。
 オーロラに包まれて、視線を交わす自分たちは、人魚でも魚でもなくて。





 ―――あ、その、えーと・・・・・・ごめん、ね

 ―――はい、お仕置きはしませんから。誠意は見せてくれます、よね?

 ―――うん。映画に行きましょう!





 マイク・スタンドを振りかざし、サビへと差し掛かったメロディに、再び声を乗せた。
 ウンディーネが追いかけてくる。クリスタル・ヴォイスがガラスで出来たベルのように響いた。





          Everything is ROMANTIC now
          I know you turn around
          Let's talk about ordinary style
          Yeah, It's a song for Lovers





 凪いだ水面を素足でのステップが叩けば、しずくが跳ね上がり、煌く。
 氷蒼色(アイス・ブルー)の上で、少年と少女のダンスは荘重さと稚拙さと、なによりも歓喜に満ちていた。
 舞台監督と演出は、親愛なる精霊にお任せである。ほのかに光り、香る自然界の滋味が身を包み込むようだ。

 ステップに添えられた波紋が大きく広がった。
 幾重にも重なり、フレーズを伴って、最後の楽章を追いかけていく。
 ギターとベース、ドラムスにシンセの一気呵成がすぐそこまで来ている。

 ラストのワン・フレーズが決まった途端、少女たちは雫の中で煌いていた。
 男性陣のバンド・アクションが添えられた、最高の瞬間であった。
 そして一同に聞こえた声は、耳馴染みに過ぎた。


 「やっほー。おじゃまするでちゅよー」

 「先生、いけずでござるぅ! 水遊びなら、拙者も誘ってくれたって良いではござらんかぁ!」

 「皆にないしょで遊ぼうなんて、考えが甘いわよ。横島っ」

 「ああん、ピートったらぁ。エミのこと、誘ってくれたって良いじゃない♪」

 「あーら、楽しそうじゃない。横島クン、おキヌちゃん」


 掛けられた言葉は宣言のように響いた。
 ヒールの足音も音高く、腕組みは偉容と共に。


 「出たぁーっ!!」

 「出たとはなによ、出たとはーっ!!」

 「こらこら、プール内での土足は禁止やで、美神はん!!」


 その夜は一晩中、ウンディーネの微笑みが絶える事はなかった。





 ――――――――――――――――――――――★――――――――――――――――――――――





 骨折り損のくたびれもうけ。だが、少しばかりの利益はあり。
 今回の騒動に感想をつけるとすれば、まぁ、こんなところだろう。
 微苦笑とともに、おキヌは窓の外で大きく膨らんだ雲を眺めながら、想起していた。

 夏休みを目前に控え、六道女学院の生徒たちも動きが慌しい。
 宿題はもちろん、霊障も例年通りというべきか、その発生率を上げるだろう。
 七夕も間近であることから、教室内では風が吹くたびに、さらさら、と涼やかな音が鳴る。
 室内に置かれた、一本の笹が葉を触れ合わせているのだ。加えて幾枚もの短冊が協奏している。

 一人の生徒が、教室内でちょっとした話題を口にしたのは、その時であった。
 手にしているのは、笹の一番てっぺんに結ばれた短冊である。
 短歌が記されてあるのだった。





         『天の河の 溶く雪の香に 唯起きぬ 寅鞠知れど 今も文月』





 「鬼道先生ー。この短歌、先生が詠んだんですか?」

 「うん。結構いけてるやろ。あんま上手くないけど、でも自信作や」

 「よくわかんないけど、なんか綺麗ですね。意味は何ですか」


 風が、緩やかに流れ込み、笹を揺らす。
 風鈴にも似た軽やかさが、夏の熱気を軽減してくれるようだ。


 「宿題やね。夏休みの間に考えておいでー」

 「えー、ずるいー」

 「ずるかぁないやろ。古典の先生に怒られるで。解釈は自由やから」


 楽しげな鬼道教諭の表情に、少しばかりの不満の色を滲ませた生徒は、静かに短冊を放した。
 幾度か文面を覗き込み、首を捻りながら推敲を繰り返している。
 周辺の違和感に気付いたのは、数分後のことであった。


 「あれ、弓さんたち、顔赤いですよ」


 背後に据えられた座席で、肩を寄せ合うように着座しているのは、弓、魔理、おキヌの3人であった。
 密かに『六女の名物トリオ』などと囁かれていることは、まだ内緒である。


 「ち、ちょっと、軽い暑気当りですの」

 「あー、なんでもないって。あっついだけだよ」

 「そ、そ、そうです。暑いだけなんです」


 3人の返答に、クラスメイトの少女は推敲時以上に首を捻っていた。


 「涼しいけど?」


 変わらず赤面している弓、魔理、おキヌの3人。
 むしろ赤色の度合いがじわりと広がっているようである。


 「いずこもいずれも、ロマンティックってな」


 鬼道教諭の一言に、やはり首をかしげたのがひとり。
 そして程度の差こそあれ、睨みつけたのが3人分であった。
 しゃわしゃわ、とさざめく蝉の合唱が、やはり笑い声に聞こえてくる。

 頬杖に仏頂面を乗せながら、窓の外遥かにそびえる雲を眺める一文字魔理。
 艶めく直髪を手で梳かし、天井を見上げ、申し訳程度に唇を尖らせる弓かおり。
 伏目がちで、手を膝の上で揃え、もじもじと落ち着きのなさを繰り返す氷室キヌ。

 頬を薄く朱に染めた少女たちの夏は、どこまでも暑かった。


 「あ、頭良いヤツのいじめって、かなり性質わりぃよな・・・・・・」

 「き、鬼道先生。罰だとしても、かなりお恨みしますわ・・・・・・」

 「事務所で、い、意識しないでいられるかなぁ・・・・・・ど、どうしよ」


 アイスキャンディーのバニラかストロベリー味の、無性に冷え切った空気と甘さが欲しい。
 火照ったミネラル・ウォーターや、温くなったアイスティーみたいな気分は、たくさんだ。
 きらきらと木漏れ日を添えた蝉時雨を浴びながら、樹木の下で熱気と水気の交差する世界に焦がれる。
 それはうら若き乙女の詩情として看過して欲しい。切実にそう思う。

 宿題だとしても、どうして真正面から取り組めようか。
 自分たちの名前が隠された短歌など。


 「ほな頑張ってな。弓くん、一文字くん、氷室くん」


 莞爾として笑う教諭のセリフを受けながら、3人はまたも吐息を胸に溜めた。
 隙間無く照らされている天上の蒼と、見えぬ地平線から伸びた入道雲を背景に、期せずして同じタイミングの中、3人の少女は溜め息をついた。
 物憂げなようで切なげな、真夏に咲いたそれは、だが確かに喜色を伴った桜色の吐息であった。









 ―――天の川の雪解け水が香るようなこの季節。誘われるようにして、私はただ起きています。
    鞠で遊んだ月日(3月3日、女の子の日)も、寅の張り子を見た月日(5月5日、端午の節句)も、思い出となって過ぎ去ってしまいました。
    ですけど、いまだにこうして7月だけは待ち遠しくて、とても楽しみにしてしまうのです。
    あなたからのお手紙が来ること。今日、あなたとお会いできること。

    ほら、今でも文好き(ふみずき)な私たちですから。













                           おしまい

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