ザ・グレート・展開予測ショー

【遅刻的・夏企画SS】いずれもROMANTIC! / 前篇


投稿者名:ロックハウンド
投稿日時:(06/ 9/ 1)


 少しづつ篭り気味だった温んだ空気が、今度も涼風に素早く押し流された。
 夏特有の、高い高い陽光の照射が、鬱陶しくなるほど緩やかに足下のコンクリートを刺し続けている。
 陽炎を生み出すほどではないにせよ、薄手のカッター・シャツをじわりと汗ばませる程には熱気も存在意義を主張できるようだ。
 三階建てを数える校舎の屋上にあっても、蒸し様が篭り易い夏の厳しさはまだまだ色褪せぬ時節である。

 六道女学院の生徒間で好評を博する名物の一つに、六道女学院校舎の屋上が挙げられる。
 日当たりの良さと、季節によっては吹き抜ける風の爽快さがそれであった。
 近年、校内施設の増改築や補強工事を行っていたこともあり、居住性、利便性の質的増加は、ちょっとした大学施設並みの充実と外観を有するに至っている。
 涼を求めて校舎屋上に足を伸ばせば、汗は掻こうとも、吹き抜ける風の洗礼とその展望を一際楽しめるというものであった。

 7月に入ってからは不規則気味であった夏の熱さも、ようやく本格的になりだしていた。
 見上げれば遥けき蒼穹と、綿菓子を想起させる入道雲。視線を下げれば建築物の並んだオブジェと、その上層から微かに顔を覗かせる緑の山並み。
 校舎内に植樹された林から、我こそが風物詩であります、と自賛せんばかりに合唱を繰り広げる蝉の大群。
 環境からして、夏ならば当然と無言のままに悟れよう風景が、六道女学院にも展開していた。


 「珍しいですわね」

 「珍しいよな」


 屋上の一角。木製のベンチに腰掛けていた弓かおりと一文字魔理は、異口同音に感想らしき一言を発した。
 期せずして共用してしまった発言も、普段なら角突き合いの発端になることがしばしばであったが、今回に限っては対抗意識に結び付かなかったらしい。
 弁当箱にサンドウィッチ、パック入りのバナナ・シェイクも単に手にしたままで、2人は両目を軽く丸めたまま、視線を同じ方向、かつ同じ対象へと投げかけている。

 2人の興味の対象は、真向かいで黙々と食事を進めていた。
 クラスメイトの少女である氷室キヌは、彼女達から投げかけられている視線にも気付かないでいるようだった。
 弓と魔理の向かい側に座し、食事を取っているものの、だが視線は動かぬまま、思考だけが別次元への旅程を辿っているようである。

 手製の昼食らしく、膝上に置かれた弁当箱の中にサンドウィッチが納まっている。
 ピーナッツバターとイチゴ、ボイルしたハムとチェダー・チーズ、薄切りの胡瓜にトマトとレタスという取り合わせは、彩りも鮮やかであった。
 両手で掴み、『もぐもぐ』というよりは『ばくばく』と表現し得よう速度で咀嚼を繰り返し、リンゴジュースで嚥下するという一連の動作をおキヌは黙々と繰り返している。
 まるで小動物の食事のようで、魔理などは『シマリスの自棄食い』などと思考の片隅で例えている始末である。
 齧り付く口元が大きなものでないのは、さすがに乙女として周囲の視線を慮っての事かも知れないが、そこまで判断が及んでいるかは、弓、魔理の両名とも正直疑わしく思っていた。


 「あれ?」


 10数分をかけて、丁寧なまでに食事の全てを平らげたおキヌは、不意に我に返ったらしく驚きの声を上げた。
 いつのまにか、というよりも意識せぬうちに食事を済ませていたこと、弓と魔理の視線に気付いたこと等々。ようやく周囲と己の意識の隔たりに意識が及んだらしい。
 きょとん、と丸まった両目に、周囲と2人の空気が読めている気配は無かった。


 「あ、あの、2人とも、どうかしました?」

 「これだよ、弓」

 「まるっきり気が付いてませんでしたのね」


 おずおず、とやや気弱げにおキヌは問い掛けてきた。
 穏やかな動作で、互いに顔を見合わせる弓と魔理。
 普段の彼女たちを知る者からすれば、珍しいほどの気の合い様である。


 「気が付かなかったのかい? おキヌちゃん、なんかちっとばかし膨れっ面だったけど」

 「一心不乱といいますか、無我夢中といいますか。とにかくわき目も振らないお食事振りでしたわよ」

 「そ、そんなにむくれてました、私?」


 ぎょっ、とした表情と背筋を伸ばした仕草から、本人が意識していなかったことは明らかである。
 弓と魔理も微苦笑交じりに改めて驚いたが、おキヌ自身もまた彼女たち以上に驚きの色を見せていた。
 目に見えて怯むおキヌの問いかけに、弓と魔理は隠し立てする気もなく、むしろ朗らかな口調で返答した。


 「うん」

 「河豚でしたわ」

 「えええっ!?」



 ―――お、お刺身やお鍋は高くて美味しいんですけど、でも毒があるんですよ!?



 桜色の血色が勢いも良く、両の頬に咲く。とっさに浮かんだツッコミは口にしなかった。
 思考の片隅で見知っている誰かが、こう告げている気がしたからである。
 ひょっとしたら『お笑いの神さま』かもしれなかったが。

 『そのツッコミは必ずすべります、おキヌちゃん』と。


 「ついでに食べる仕草はシマリスだったなぁ」

 「あら、私はてっきりラッコかと」

 「あああああ・・・・・・」


 唐辛子並みに赤らんだ顔を両手で隠し、おキヌは猫のようにふにゃふにゃと丸まってしまった。
 これはさすがに恥ずかしかった。何を考えて食事していたかを思い出せば、余計に羞恥心が増してくる。
 脳裏には河豚にシマリス、ラッコの着ぐるみを着込んだ自分の姿まで浮かんできた。くるくると湖の上を回りながら踊っている。
 木の実を齧る音や貝を割る音まで聞こえてくるのは、さすがに想像力過多ではなかろうかという気もしたが、そこまで思いを馳せる余裕は無かった。


 「ネコだねぇ」

 「ネコですわね」


 『ね、ネコであるだけまだましですにゃー』、などとどうして言えよう。反論にもならない反論である。
 というより正気の回答とは思われない。生暖かい哀れみの視線がやって来るのは必定と思われた。
 だって、ないしょないしょのお小言のつもりが、いつの間にやら顔に出てましたよ、はい。
 トマトの酸っぱさと林檎の甘さで幸せいっぱい、でも心はバレバレ。そんなんありですか?

 おキヌちゃんのお天気情報よりお知らせ致しますのは、桜ならぬ錯乱前線真っ盛り。
 で、暴風域はバンダナの少年が発生源と思われます。って、そっちもバレてますか?
 南極の氷も溶かす超高気圧は、俗に申します【High Pressure(ハイ・プレッシャー)】。
 お元気ですか、うっかりさんな私。とりあえず真っ赤なネコさんでいましょう。

 コンマ数秒間の予報を潜り抜け、結局、反論する気は起きなかったおキヌであった。










                    【いずれもROMANTIC!】










 季節が夏を迎え、肌寒さもすっかり形を潜めた今日この頃。
 弓かおり、一文字魔理、そして氷室キヌの3人は、天気の良い日を選び、昼食時のひと時を屋上で過ごすようにしていた。
 もちろん教室で過ごす事もあるが、陽光と涼風がいっぱいの場所を無視するというのも、生命力を助長してくれるような折角の季節感を見過ごしているようで、大いに勿体無い気分にさせられるのである。

 とはいえお年頃の乙女としては、日焼けが全く気にならないといえばうそになる。
 夏場だから海水浴でもない限り、小麦色の肌というのは見かけこそ健康的であろうが、お手入れの面倒臭さもまた半端ではない。
 一文字魔理のように、夏場には太陽と同質の爽快さと快活さを醸し出す、どちらかといえば体育会系のような活動的女子であればこそ、似合う外見である。

 翻って、家にこもりっきりのクーラー三昧という不健康な生活は、なおのこと美容に悪い。
 肌の白さと華奢さが先立つ弓かおりと氷室キヌとしても、衣食住はもとより、夏ばての予防には最大限の気を配っていた。
 植物の光合成ではないが、日差しがあってこそ作物は良く伸びる。人間もまた然りである。
 筍だって陽光へと向かってあれほどの高さを伸びきるのだ。

 紫外線の悪影響やら地球的環境の悪化という問題はさておき、シミ、そばかすや皮膚癌は確かに怖いし、『因幡の白ウサギ』よろしく、皮を焼かれて赤裸というのはぞっとしない。この時期にうっかり日焼け止めを忘れてしまったときほど、心身を責められる灼熱地獄はまたとないのだ。
 入浴は出来ない。衣服は痛い。布団に寝転がる事もかなりの苦痛であり、そもそも熱さと痛さで眠れなくなる。
 お肌のケアと健康のバランスこそが、灼熱に満ちる夏場を乗り切るための、ある意味夏休みの宿題なんぞ二の次と思わせ、全国の乙女たちの積極性を蜂起せしめる原動力なのであった。


 「まぁ、夏だからね。おキヌちゃんもいろいろと不平不満が噴出してきたかな」

 「江の島では盛り上がりこそすれ、進展はありませんでしたものね」

 「むー・・・・・・ひどいです、弓さん、魔理さん。他人事みたいにっ」


 男子は別に良い。むしろ日焼けが似合う男というのも、それはそれで粋である。
 ある意味、万年の暑苦しさを誇る男がいるとすれば、少女たちの脳裏に真っ先に思い浮かぶのが約2名。
 108の煩悩を具現化した少年こと横島忠夫と、希代の戦闘狂である少年こと伊達雪之丞が当てはまるであろう。
 夏場の暑さなど屁とも思わず、己が野望と煩悩をひたぶるに駆け抜ける戦士である。

 過日、日帰りの小旅行で江の島に出かけたことがあった。
 参加者は弓、魔理、おキヌ、横島、雪之丞、タイガーにピート。そしてピートを独占せんと欲し、新調した水着を引っさげてバイクで飛ばして来た小笠原エミという面子である。
 6月も終わりを迎えた時節に、季節柄、珍しくも熱気が肌を刺す天候が続いたため、せっかくだからと電車を利用して、涼気とのんびり気分を求めに出向いたのだった。

 最初のきっかけは、町興しのために夏祭りの一環として執り行なわれたプロレスの試合に端を発した。
 30度を容易く超えていた暑さの中、熱気をさらに倍増させるような筆致と暖色で描かれてあったのは海辺でのポスターである。
 それを見た瞬間、参加を即決していたのが、知己の中では言わずと知れた伊達雪之丞であった。




    『カレカノなんていらねぇよ、夏! 男なら目指せ、百人組手完遂!

           第1回・炎天下耐久プロレスリング 【バーニング・オルガン・トーナメント】開催!』




 切な過ぎて胸が痛くなるキャッチコピーはともかく、つまるところ我慢大会にプロレスを持ち込んだようなものなのだろう。
 炎天下の中で格闘技を行うという発想自体、うら若き乙女たちには正気の沙汰とも思えなかった。日干しになることは必定である。
 また【燃える内臓】という意味からして、かなりの暑苦しさである。モツ鍋を連想していた横島はさて置き、雪之丞の戦闘熱は既に限界突破で燃え盛っていた。
 賞金5万円と大型スイカを10個、という優勝者への特典に釣られた訳でもないだろうが、口よりもドロップ・キックが先に出る男として一部で有名な雪之丞は、海水浴用のパンツ一丁という出で立ちでリングへと上がったものである。
 結果、トーナメントの覇者として、勝利の栄冠を手にしたのは弓かおり嬢であった。

 もう一方の事例としては、飛込みで参加した地元協賛のライブに、観客の中からステージに上げられ、ヴォーカルとして参加した横島忠夫である。
 『勝手にシンドバッド』で会場を大いに沸かせ、終了時には打ち上げられた大輪の花火をバックに、1000人以上の観客から大喝采を浴びた。
 熱唱のために汗みずくになりながらも、観察能力の衰えは無く、最前列のねーちゃんたちの水着がハイレグで最高でした、と馬鹿正直に自己申告し、おキヌから強めに抓られたのはお約束であった。

 その後、リーダーこと小笠原エミの主導の下に、ピートはタンデムで強制的にお持ち帰りとなり、他の一同は電車で帰宅と相成った。
 よほど疲れ切っていたものか、隣に座ったおキヌに横島が、弓に雪之丞がそれぞれ寄りかかって鼾をかいていたのはご愛嬌。
 タイガーと魔理が携帯の写真に収めたものが証拠として残っていた。

 以上のように夏場はもとより、年がら年中、身体能力が飛び抜けており、行動意欲もアグレッシヴに富んだ男の子連中と付き合うことが多いのである。
 天秤の僅かな傾きが『容姿と健康』に比重を傾けている今、戦略戦術の粋を駆使して、己が理想像を築かんと欲する乙女の意地を何人が止められようか。
 故に7月初旬程度の熱気如きで、肌が焦がされること何程の事やあらん、という心境なのである。
 だって、家でのケアはバッチリだから、と内心の声も心を落ち着かせる昨今である。抜かりは無かった。


 「ところで何をそんなにむくれておられましたの、氷室さん? 差し支えなかったらで良いのですけど」

 「あ、い、いえ。その、怒ってたっていうか、思い出したらちょっと悔しかったっていうか」


 少し伏目がちになり、口ごもるおキヌの頬は、次第に淡桜色を帯び始めていた。
 スカートの上に残っていたパン屑を掃う動作も、せわしく、少しぎこちない。
 おキヌが躊躇する間、その一瞬の内に2人は理解していた。


 「またアイツかぁ?」

 「またあの方ですの?」


 名を告げずとも、加えて指示代名詞で、十分に意思の疎通が可能な3人である。
 育まれた友情ゆえにと見るべきか、それともおキヌのわかりやすさが悪いのか。
 同時に浮かんだ人物像は、口に出さずとも、その輪郭はもとより仕草も動作も口調も、殆どを思い起こすことが出来ていた。


 「今度の、っていうか明日のお休みにどうかなって、この前映画に誘ったんですけど、用事があるとかで断られちゃいまして」

 「あ、あの横島がぁ!?」

 「ひ、氷室さんのお誘いを断ったとっ!?」


 あの女好きが断るなんて信じられない、という驚きと、おキヌからの誘いを断るとは、という義憤の二重の意味が彼女たちの叫びには秘められていた。
 身近な異性が寄せる好意を信じられず、百に一つの成功率も無いナンパに勤しむ少年が横島忠夫である。世に馬鹿は多かれど、風車を怪物と見間違えたドン・キホーテも呆れる人物がいるとすれば、それは彼をおいて他になかろう。
 薄情にして酷薄な言い様かもしれなかったが、乙女心は法律よりも優先されるのであった。


 「どんな用事か知らねーけど、棚から振ってきた特級ぼた餅を食い損ねたのな。あーあ、もったいねーったら」

 「で、何を観に行かれる予定でしたの?」

 「『ハリー・ポッターとカリブの海賊』です。商店街のくじ引きでペア・チケットが当たったので」


 ハリウッド資本による大作で、子供から大人まで大人気を誇る映画のタイトルには、弓と魔理にも耳馴染みがあった。
 恋あり笑いあり冒険ありという3拍子の内容は、こういってはなんだが、いかにも横島とおキヌという両名にはふさわしいように、2人には思えた。


 「ああ、そりゃ惜しいよねぇ。おキヌちゃんが怒るのも無理ねーか」

 「い、いえ、チケットの期限はまだあるんで、大丈夫といえば大丈夫なんですけど」

 「じゃ、なんで怒ってたのさ? 次回、誘えばよいことだろーに」

 「え、えと・・・・・・」


 スカートの端を弄くり、口はまたも重くなる。
 『もじもじ』とはにかむ様は、ああ、もうくすぐったいな、ちくしょうと文句を零したくなるほどに乙女チックであった。
 友は黙って先を聞くという認識が無ければ、口を挟んでいたかもしれなかったが、おキヌの答えは弓、魔理ともに、その予想を上回っていた。


 「最近、横島さん。あんまり事務所にいてくれないんです・・・・・・」


 セリフを耳にした途端、魔理はジュースにむせ、弓は天を仰いでいた。
 3人そろって【友人以上、彼氏未満。ただし現在進行形の発展途上中】という異性を持つ身ではある。
 が、それにしてもこの攻撃には、さすがの弓と魔理も意表を突かれていた。惚気は何度聞いても心臓に悪いものである。
 故にと言うべきか、弓と魔理によるツッコミのタイミングは、計ったように狂いがなかった。


 「うっわー、見事に惚気られましたよ、弓さん」

 「まさに灼熱の夏ですわね、一文字さん。ああ、お暑いこと」

 「ち、違います違います違いますっ。そ、そ、そーゆー意味ではなくてですねっ!」


 他にどういう意味に取れるのかはわからないが、赤面しての反論では、おキヌに説得力は無かった。


 「学生の身分で職場恋愛というのはあまり感心しませんわね」

 「オフィス・ラブってやつかぁ。やるじゃん」

 「んもー! だ、だから、横島さん。最近お夕飯食べたらすぐ帰っちゃうんですっ。単にそう言いたかっただけなんですっ!」


 冷静と情熱のツッコミの間で、必死で抗弁を敢行するおキヌである。
 船酔いにも似た感覚と、霧中を夢中で駆け抜ける必死さを抱いている己を感じていた。
 でも多分に冷やかされているので、余計に泥沼のような気がしないでもなかったが。


 「氷室さん。ここはひとつ、横島さんにきつく言ってあげたらどうですの? 甘やかしてばかりだと本人のためにもなりませんわ」

 「おっ、経験者は語るってヤツだね。デートで年中苦労しているだけの事はあるよなー」

 「あなたはひとこと多いんですっ!」


 弓かおりと伊達雪之丞。
 互いに譲れない主張は、確固たる意志をもって抗弁する2人である。
 デートの内容においても、例えば目的地、食事、交通機関等々を決めるやり取りは、丁丁発止と呼んでも差し支えなかった。


 「そういや、弓。明日は雪之丞とデートなんだって?」

 「ど、どこからそれをっ!?」

 「んー? タイガーから聞いた。わたしも明日、出かけるんでね」


 一文字魔理もまた、タイガー寅吉との交友関係を順調に発展させていた。
 互いに高校生という身分でもあるし、またGS業界に籍を置いてはいるものの、いまだ経済的に余裕があるわけではない。
 故に喫茶店はもちろん、カレーや牛丼といったファスト・フード・チェーン店での、大盛りで安価な食事の行脚を、デート・コースの一環として楽しんでいることもあった。
 ちなみに後者は、弓かおりいわく【食い道楽】という異名が冠せられている。


 「ふぅぅ、いいですよね、2人とも」


 やや曇天気味の空気を背後に感じさせながら、おキヌは幾度目かの溜息をついた。空の青さが目に沁みる。友情より愛情といったのは何処の誰であったか。
 弓、魔理、おキヌの3人に対し、雪之丞、タイガー、そして横島という全員がそろっての行動、というかデートが多かったので、今回のように別行動をとることは珍しいと言っても良かった。
 加えて正直寂しい気もするのである。誰を責める訳でもないが、微かな仲間外れの感は否めない。


 「まぁ、そう落ち込まない落ち込まない。ケンカしたわけじゃないんだし、次回があるから大丈夫だって。わたしならパンチの一発で許してやるけどなっ」

 「どうしてあなたはそう血生臭い交友しか出来ないんですの?」

 「ケンカばっかしてるよーな言い方すんな! わたしだってデートくらい健全なのが好みだいっ!」

 「はいはい、わかりました。じゃ、今度は皆で行きましょうか。ニュースで聞いたのですけど、もうすぐデジャブー・シーで新しいアトラクションが開かれるとのことでしてよ」


 2人のやり取りも可笑しかったが、さりげない優しさはおキヌに元気を取り戻させていた。
 その後、弓が口にした事もあってか、話題は自然、デート・スポットについてのことへと移行していた。
 森林公園だの、ブティックにコスメショップだの、流行の映画だのと知っている限りの情報が提示されていく。


 「あ、いえ、それは横島さんが悪いとかって言うんじゃないんです。私ももう少し、お出かけする時に情報とか知っておいた方が良いのかなって」

 「出かける先? まぁ、適当でいーんじゃないかなぁ。わたしはその場の気分任せだけど」

 「相手が考えるのは良いですけど、決めるのは私の方。たまにはそういう決定権を遠慮無く行使してみたいものですわ」

 「でもときどきは思っちゃいますね。どこに連れて行ってくれるのか楽しみにしていたいって気持ちもあるんです」

 「気配りは嬉しいんだけどな。ここが良い! って押しの強さもたまには、まぁ、見せてくんないかなーなんてさ」

 「贅沢すぎますわ、2人とも。こっちは始終口喧嘩ばかりだというのに」


 女性が駆使すべき色恋沙汰の手練手管としては、まだまだ初歩の初歩という範疇に含まれるのだろう。
 駆け引きなどと上等なものではないが、男の一生懸命さを応援していたい今は、胸腔の奥底を軽く擽られるようなこの甘痒さを味わっていたかった。
 それがどれだけ、男たちの必死さを笑いのネタにすることであろうとも、である。


 「なぁ、おキヌちゃん、弓。こんだけ話してて、いまさら言うのもなんだけどさ」

 「え、はい?」

 「何ですの、いきなり」


 不意に、何かに気付いたような魔理が、2人に呼びかけていた。
 空を見上げ、細められた視線は薄く染まりだした頬と相俟って、どことなく羞恥心に彩られている。
 つぶやき、というには朴訥さが強い声音が、数秒と待たずに魔理の口から押し出されていた。


 「なんだかわたしたちさぁ。亭主の甲斐性無さに愚痴ばっか垂れてて、でもちゃんとらぶらぶってる新婚の奥さんっぽくねーか?」


 シンクロという表現の通り、おキヌも弓も同時かつ突然に、うっ、と息を詰まらせていた。
 大きく仰け反る反応も加え、頬どころか首筋にまで、林檎のように赤々とした血流が広がっていく。
 涼風の吹く屋上であるはずなのに、汗がじわりと滲んできているのが、傍目にもはっきりとわかる。
 魔理自身も胡坐をかき、腕組みする様も悠々といかめしく。だが染まった頬と汗はやはり隠せていない。

 暑さを倍増しにしてくれた沈黙の中に、3人は固まったままでいる。
 ひうぅ、と耳元で音を立てて風が吹き抜けていく。妙に寒々しい音であった。
 校庭から響く喧騒とは切り離された無言劇の中、蝉の鳴き声がさざめく笑い声に転化した気が、少女達にはしていた。





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 「デートの打ち合わせが転じて、愚痴をこぼす奥さんの井戸端会議ってのは言い得て妙よねぇ。あぁ、可笑しい」


 事務所オフィス内の空気を波打たせながら、美神美智恵はひとしきり爆笑を零していた。
 次女のひのめを伴って、Gメンからの仕事帰りに美神除霊事務所へと顔を出すのが美智恵の常である。
 肺機能を全開にしての笑い声は、おキヌによる相談交じりの雑談を耳にしたことがきっかけであった。


 「そ、そんなに笑わないで下さいよぅ、隊長さぁん」

 「ごめんなさいごめんなさい。でもあと一回だけ笑わせて」


 ぷぅ、とふくれるおキヌの返事を待たずに、またも美智恵は笑い声を上げた。
 供されたダージリンの紅茶も、ティーカップ半分の量を残してすっかり冷め切っている。
 よほど可笑しかったものか、数分間をかけておキヌへ好意的な視線と笑い声を、美智恵は投げかけていたのだった。


 「笑い過ぎよ、ママったら」


 実母のはしゃぎっぷりに、呆れた声音で苦言を呈した美神令子である。
 先程から聞いていたおキヌの話にも、当初から少しばかり両眉のしかめようを見せていたが、話が済んだ今となってもむくれ模様は消えていなかった。


 「そうね。あぁ、楽しかった。でも、おキヌちゃんにとっても、満更でもないことだと思うわよ」

 「なによ、それ。デートの申し込みを袖にされて、何が満更でもないの?」


 正直に言えば、美神令子としても、心中穏やかならざるものがある。
 だが、常日頃公私を問わず、妹分として信頼も尊敬もしているおキヌであるから、心底から苦言を申し立てる気にはなれなかった。
 どちらかといえば、矛先を向けたくなり、かつ向けるべき相手として認識するのは、丁稚扱いの男子の方なのである。


 「それにしても一番の問題はあの馬鹿よ。横島のくせして、おキヌちゃんからの誘いを断るなんて大した了見じゃないの。身の程知らずも良いとこだわ」

 「泣きながら謝ってたらしいから、何か本気でしなきゃいけないことでもあるんでしょ。気にしない気にしない」


 冷め切った紅茶を口に含み、微笑みながら語を投げかけてくる美智恵であるが、令子としては絶対の確信を見出すことは出来かねた。
 横島忠夫という人物に対し、仕事以外における本気というものを想起できるのは、はっきり言ってかなりの難事である。
 例えになるかは分からないが、日中に晒されても溶けないアイスクリームにも等しい在り得なさなのだ。


 「アイツがぁ? どうせナンパか煩悩養成修行の旅でもする気でしょ」

 「横島君だって年中ヒマなわけでもないでしょう。いいじゃないの、一回くらい。それに女の子の方だって一度は断られた方が、特にこういう形だと相手に貸しを作ることになるでしょ? なら主導権はほとんどこっちのもの。次の機会までに想いが一層募るというものね」


 自分で認めるのも業腹だが、確かに美神令子は色恋沙汰というものに疎い。それは良く分かっていた。
 オカルトGメンの日本支部長として公務を全うし、私生活では2人の娘を育てている美神美智恵であるから、その発言を真っ向無視するのは一GSとしても、また実の娘としても無意味といえた。
 一家言というべき重みがそこに在ることを認識せざるを得ない。それが、自分がこれまで軽視してきた色恋沙汰についてであろうとも。


 「やけに横島クンを庇うわね、ママ。アイツが何してるか知ってるの?」

 「固定観念は禁物と言っているだけです。故事に曰く『男子、三日会わざれば刮目して見よ』って知らないの?」

 「三日どころか三年経っても、馬鹿は馬鹿のような気がするんだけど」

 「それは浅薄」


 令子は不満の色をありありと浮かべ、ぶぅ、と頬を膨らませた。
 おキヌがなんとなく嬉しそうな表情を浮かべたのも、理由の一つであったかもしれない。
 夕食後の楽しみとして飲んでいるコニャックの、新たな一杯をグラスに注ぐことで、令子は緩やかに言葉を打ち切っていた。


 「で、おキヌちゃんとしてはどうしたいの? 後をつけて調べるとか」

 「し、しませんよ、そんなこと。横島さんには横島さんの事情があるでしょうし」


 3杯目となる一口を含み、令子はおキヌへと問いかけた。
 無論、意地悪で聞くのではないが、気になるのも確かである。
 おキヌとしても、自分が望んでいる答えがどこにあるものか図りかねている様で、口調は少し拙い。
 そんな2人を微笑ましげに、目を細めて見つめるのが美智恵の楽しみでもあった。


 「おキヌちゃんに横島君はもちろん、伊達君に弓さん、タイガー君に一文字さん。夏場にふさわしく、皆、青春してるわね。結構結構。なんか嬉しくなっちゃうなぁ」

 「ママが年取ったからじゃないの?」

 「現実逃避と言ってちょうだい。金銭欲にまみれまくった愛娘の人生行路を見るにつけ、なんだか余計に切なくなっちゃってねぇ」

 「し、失礼ねっ。守銭奴みたく言わないでっ!」


 吹き出し笑いとくすくす笑いが、オフィスの一角から聞こえた。
 おキヌは令子に背を向けて、だが微かに肩辺りが震えているから、やはり笑いを噛み殺しているのだろう。
 とりあえず令子は、今も笑いを隠さない少女たちへと苦言を投げかけることにした。


 「こら、そこの年少組。聞いてないようで聞いてるなんて、ちょっと趣味悪いわよ」


 年少組と呼ばれたのは、寝間着に着替えたシロ、タマモ、パピリオの3人であった。全身からは石鹸とシャンプーの香りを漂わせ、温かい飲み物が満たされたマグカップを3人ともが手にしている。
 パピリオは可愛らしい三つ首の魔犬がプリントされたパジャマで、シロはスポーティー・タイプのタンクトップにバミューダパンツ。
 タマモは膝下までの丈に裁断されたレモン・イエローの貫頭衣にナイトキャップ、という姿である。

 風呂から上がって間もないのか、湿った頭髪はバスタオルで覆われ、ほんのり赤く染まった頬の血色が林檎のようで、顔とパジャマから覗く手足は艶めく火照りを見せている。
 テレビの画面に視線を投げかけていた少女たちであったので、てっきり会話を耳にしてはいないと思っていた令子は再びむくれることになってしまった。
 そんな様が美智恵とおキヌに、やはりくすくすと笑われてしまったことがちょっとくやしかった。もちろん不快なはずも無いが。


 「さすがの美神どのも御母堂には勝てないでござるな。やはり弱肉強食とゆーもんでござろう」

 「世の中、天敵って確かにいるものよね。美神さんも例外じゃないってことか」

 「バランスが取れてて、いーんじゃないでちゅか。世の中、甘くないってことでちゅよね」

 「ひ、人を動物か何かみたいに・・・・・・」


 形無しである。
 生意気というより小憎らしさが先立っているから、真剣に怒る気にはなれない。それが余計に美神令子の不平面を色濃くさせた。
 加えて言えば、実母の爆笑が拍車をかけていたのだが。


 「ダメよ、3人とも。美神さんだって女の子なんだから」


 笑いながらも嗜めるおキヌに、3人は素直に返答を返していた。
 なんでおキヌちゃんばっかり、とぶつくさ零している美神令子からは、事務所所長としての威厳は薄れている。


 「でもおキヌちゃんの言う『女の子』って、毎月毎月『ぜーむしょ』と戦うもんでちゅかね?」

 「えうっ!?」

 「わかってるでちゅよ。『女の子』代表のおキヌちゃんは、何より今度のお休みに横島とデートできれば幸せなんでちゅよね。いーでちゅいーでちゅ。ちんちくりんなわたしたちは、将来に向かっておとなしく爪を研ぐことにするでちゅよ。にょほほほ」

 「あ、いえ、その、あの」


 会話の流れを全く把握できないままに、おキヌとパピリオの形勢は至極あっさりと逆転していた。
 というか、ほとんど言い掛かりのレベルである。さすがは魔族というべきか。そんな評価すら美智恵には浮かんでくる。
 片や母親の視線に圧され、机に突っ伏した美神の悶絶模様と、顔面唐辛子色に染まり上がったおキヌの両名は、既に行動自体が敗北宣言に等しかった。


 「事の次第はともかく、先生も水くさいでござる。何かお困りなのであれば、いつでも言ってくだされば良いのに」

 「アイツだって全く無能ってわけじゃないんでしょ? 何とか出来ることなら自分でするわよ、きっと」

 「む。いざとなれば、拙者のこの嗅覚で後を追う所存でござるよ。弟子として師匠の不行状は見過ごせぬでござるからな」

 「へぇ。不行状ってことは、横島が悪いコトしてるって思ってるんだ」

 「埒も無いことを言っちゃダメでござるよ、タマモ」


 反論を唱えようと身を乗り出したシロであったが、場の空気にチェックメイトをかけたのはパピリオであった。


 「オンナ、でちゅな」


 蜂蜜がたっぷり入ったホット・ミルク・ティーを飲みながら、パピリオは高説宜しく、厳しい表情と口調で断言していた。


 「だって、だーれも横島に『コックローチ』かけないじゃないでちゅか。こういうのは先手必勝とゆーもんでちゅ。誰かが先んじたとしてもおかしくないでちゅからねぇ」

 「それは『アプローチ』ってのよ。コックローチはゴキブリ。確かにゴキブリみたいなヤツだけど」

 「あ、そーでちゅか。まー、それはともかく」

 「あ、あっさり流しやがったわね」


 受けて流す手管が、最近富に卓越してきた感がパピリオにはあった。
 うっすらと汗をかく美神令子である。のほほんとした風情でお茶のお変わりを注文する美智恵とは裏腹に、少し焦りが見え始めた令子とおキヌは、思い思いの作業に身を動かしながらも、耳だけはオフィスから離していない。
 テレビ番組から目を離さないタマモはともかく、シロもまた、穏やかならざる心境に捉えられ始めたようであった。


 「うう〜・・・・・・む、難しい問題でござる。『あぷろーち』とやらの奥義は、未だ拙者が見知らぬ境地。歯痒い限りでござるっ」

 「あんたはまだいいの、シロ。逆効果は目に見えてるわよ」

 「み、美神どのはそう仰るでござるが・・・・・・先生ってば最近冷たいんでござるもん。散歩だって、こないだからご無沙汰でござるし・・・・・・」

 「こないだって?」

 「2日前から、かな。朝だけしか連れてってくれないんでござるよ」

 「それは『一昨日』って言うの! 何よ、もっと間が空いていたのかと思えば。大げさね」

 「くぅ〜ん、やだやだでござるよぉ。毎日、朝と夕方の2回はかならず行きたいんでござるぅ!」


 しっとりと濡れそぼった白銀と深紅の頭髪は、血色の良い素肌と相俟って、年齢にそぐわぬ淑やかさと色気を醸し出していた。
 が、べそをかく寸前の表情に『ふにふに』と身を振りながらのわがままは、やはり年相応と言うべきか。
 2杯目の紅茶を口に含みながら、美智恵は娘に向けるような眼差しをシロに注いだ。


 「ふふふ、横島君も大変ね。トライアスロンより過酷なお散歩だこと」

 「ひとりで行きゃいいじゃないの、馬鹿ね」

 「何を言うか、タマモ。ひとりじゃつまんないでござるよ。散歩もお出かけも、誰かといっしょだから楽しいのではござらんか」

 「ったく! そろいもそろってあんなヤツに甘えすぎ!」


 ぷい、と顔を背ける美神令子の表情には、ほんのりと朱色が差している。
 酒精の勢いだけでない事は、誰よりも美智恵がすぐに気付いていた。
 気に入ったおもちゃを独占できないので、わがままで素直じゃない女の子がおかんむり。そんな風情である。


 「横島ってバカだけど悪いヤツじゃないでちゅからね。まー、美神の気持ちもわかんないでもないでちゅよ、へっへっへっ」

 「含みのある笑いはやめなさいっての、パピリオ。横島クンみたくスケベ面になっちゃうわよ」

 「別に問題ナッシングでちゅ。似たもの同士でらーぶらぶ♪」

 「へ、へこまないガキねぇ」


 パピリオのホームステイが始まってからというもの、美神令子としては、どうも彼女に調子を狂わされること度々であった。
 報復という名のお礼参りを、どのように静かに、効果的に成し遂げるべきか。傍目からでも令子の膨れ顔はそう語っている。
 腕組みをしながら考え始めた令子を、美智恵とおキヌだけが苦笑しつつ見守っていた。
 年少組年少組と呼びかけこそするものの、実際のところ美神令子自身も、メンタリティはシロ、タマモ、そしてパピリオたちと根幹を同じくしているように思えるからである。

 数刻を数えないうちに、時計のベルが鳴った。
 時計の針は、夜の9時を回ったことを告げている。


 「ほらほら、年少組は就寝時間。カップを片付けたら歯を磨いて、さっさと部屋に行くこと。夜更かしは厳禁よ!」

 「はーい」

 「はいでーちゅ」

 「はいでござる」


 まるで幼稚園か小学校のようだと、美神令子に頭痛の種として芽生えているのが、この有り様であった。
 気にならないのは美智恵を筆頭に、おキヌ、横島という、有り体に言えば令子以外の人間であったが。


 「おやすみなさい、みんな」

 「おやすみでちゅ、おキヌちゃん。今度はデートできると良いでちゅね」

 「う、うん。あ、ありがと」


 ああ、まっかっかーで、うぶで良いでちゅねー、と、パピリオはご満悦である。
 パピリオがおキヌを大好きな理由のひとつが、このからかい甲斐のある部分であった。
 逆を言えば、それだけパピリオがこましゃくれているのだが、色恋沙汰で楽しめるのが人生の妙味というものである。
 難しい言葉を知らなくても、嬉しさとはにかむ様で頬が染まるのは、年齢と世代、そして種族を問わず良いものであることをパピリオは知っていた。


 「んで、パピリオとしては、どういう作戦を考え中でござるか?」

 「うっふっふっ。んなもん決まってるじゃないでちゅか、シロ」

 「また悪巧み? ヒマねぇ、アンタら」


 シロとパピリオの共闘戦線は、不文律のうちに成立していると言っても良かった。
 パピリオの口の端に浮かんだ笑みは、『にんまり』と猫のように曲がっている。
 芸術的にして数学的な美しさの曲線であった、と後に人工幽霊一号は語った。










                               続く

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