ザ・グレート・展開予測ショー

姑獲鳥 嘲笑う夜


投稿者名:犬雀
投稿日時:(06/ 8/31)

『姑獲鳥 嘲笑う夜』



寝苦しい夜だった。
クーラーはいつもの通り涼風を室内に運んでいるというのに、夜具に纏わり憑く熱を帯びた湿気が払われること無い。
そもそも自分の周りだけがまるでカイコの繭にでも被いつくされたかのように、不快な熱と湿気を止めている。
たまらなくなって梶山は胸に乗っている薄手のタオルケットを払いのけようとして、自分の手が何の反応も示さないことに気がついた。
感覚はある。
まるで見えざる手が自分の両手を必死に押さえ込んでいるかのような不快な感触が寝崩れた夜着を通して伝わってくる。

金縛りか…と考えて梶山は己の浅慮を恥じた。
当然、幽霊や妖怪などという存在がいるということは知っていたが、それらの怪異は彼の職業にとって存在を認められていなかった。
人や社会を法に基づいて判断する梶山たち裁判官にとって、物理的な常識をやすやすと凌駕し、人の法をあざ笑うかのように気ままな振る舞いをする存在を認めるわけにはいかない。
どこの国の法に空を飛ぶ箒を航空法で裁けるというのか?
誰が壁などないもののごとくすり抜ける幽霊を住居侵入で告発できると言うのか?

人の定めた法は正義である。
それなくして社会は立ち行かぬ。
故に法曹界は表向きは彼ら怪異を無視することに決めた。

世の中には霊能者というそれに特化した人間が居る。
国連も政府も人外の存在を認め、それに対応する組織を作っている。
だが人の定めた法によって幽霊や妖怪を裁くことはない。
実際に不可能だ。
それ故に法曹界は人外の存在を無視することに決めた。
法がそう定めたのなら梶山もそれに倣うだけのことであった。
法的に認知されないものは存在しない。
ただそれだけのことだ。

最初に梶山が疑ったのは脳障害だった。
先日、医療過誤に関わる判決を下したばかりで疲れが溜まっていたのかも知れない。
知らないところで脳内の血管に損傷が発生した可能性は充分にある。
医学のことは詳しくないが、それでも突然体が動かなくなるということは脳出血の症状としてあったはずだ。

試しに足を動かしてみると何の障害もなく動く。
ただ彼の両手だけが、まるで何かに縋りつかれたかのようにベッドのシーツから離れてくれない。
動かそうとする意志は通っているのか両手の指は普通に彼の意志を反映している。
ならば心理的なものであろうか?
そういえば心理的なストレスで身体が麻痺するという話も聞いたことがあった気がする。
裁判官という激務。
正義と法の執行者という責務。
その重圧が知らず知らず自らの精神に負担となっていただろうか?と考えて梶山は首を振った。
とりあえず隣で寝ている妻に異常を伝えようと首を傾けた梶山の耳に、どこかで泣く赤子の声がかすかに通り過ぎていった。






オカルトGメンの支部にある応接間で美神美智恵は白髪の男と向かい合っていた。
仕立ての良いスーツを着こなしているが、体から立ち上る独特の消毒液臭が殺風景な応接室を淡く漂う。
それが不快というわけではく、この人物、白井医師が自分の前で頭を下げている理由が飲み込めなくて美智恵を眉を顰める。

「つまり私に霊視して欲しいと?」

「ええ…申し訳ないがお願いできませんか?」

再び下がる白髪頭を見ながら美智恵は今までの話を脳内で反芻し始めた。
つまり白井総合病院に運び込まれた患者が霊障を受けているらしい。
それはわかるがなぜ自分のところに来たのかわからない。
そもそもオカルトGメンは霊的な犯罪に関する機関だ。
個人の除霊は民間Gメンが対応するという不文律がある。
GSに詳しい白井医師がそれを知らぬわけはない。
美智恵の沈黙を拒否ととったのか白井は慌てて脇においてあった書類を差し出した。

手にとって見れば「美神令子除霊事務所」の文字が印刷された茶封筒。
中を改めてみれば、厚めのファイルが入っている。

「これは?」

「実はですな…先に令子さんのところに依頼したのですよ。しかし先日、ウチでは無理と断られまして…かわりにと言ってあなたを紹介されたのです。」

それも不思議な話だった。
封筒の中のファイルはおそらく調査書類の類だろう。
この厚さからすれば相当に突っ込んだ調査をしたようだ。
それを一方的にキャンセルしたと白井は言う。
ならば契約にもよるが違約金が発生した可能性もある。
にもかかわらずこの依頼を放棄したと言うのだろうか?
娘の性格からすれば考えにくい話だった。

「とりあえず受ける受けないの前にこのファイルを読んでもよろしいですか?」

「ええ、お願いします。ですが無理を承知でお願いしたい。お嬢さんは「この除霊はママにしか出来ない」とおっしゃってましたので…」

「私にしか?」

「ええ…あと…「こんな除霊を横島君たちに見せるわけにはいかない…」とも…まあこれは独り言のようでしたが。」

違和感はますます強くなる。
そこまで言うからには令子はこの現象が霊障であること、そしてその原因を掴んだと見て間違いあるまい。
にもかかわらず自分で除霊をしないのは不自然だった。
そもそも横島やおキヌに見せられないものとはなんなのか?
自分の娘ながらその真意が読めないという稀な経験に美智恵の顔に苦笑が浮かぶ。
冷徹とも噂される指揮官の笑みをよい知らせと思ったのか白井がまた頭を下げた。






白井が辞した後、美智恵は西条が気を効かせて持って来たコーヒーを片手に令子の作ったファイルを読み進めていった。
余計な装飾や迂遠な表現を一切排したその文章は調査書の見本のようなできばえで、思わず心の中でこれを作った娘に及第点を与える。
まだ満点とはいかないがそれはいずれ経験が補うだろう。

「姑獲鳥と令子は結論付けているわ。」

「姑獲鳥ですか?」

「ええ…依頼者の梶山さん本人は否定しているようだけど、彼が入院してから白井総合病院の周辺では子供の泣き声が聞こえたとか大きな鳥を見たとか言う証言がでているそうね。」

「しかし…それにしては奇妙ですね。」

美智恵に渡されたファイルに目を落としながら西条が疑問を口にした。
「姑獲鳥」は様々な伝承のある妖怪である。
それゆえに霊能者なら知らないものはない。
だが姑獲鳥が梶山というクライアントに起こっている霊障を引き起こした事例など西条の記憶にはなかった。
そもそも姑獲鳥には諸説あり、出産に耐え切れず亡くなった母親の霊が変じたものとか、元々は鳥妖で子供を攫って育てるなどと言うものもある。
鳥の姿で空を飛び、地に降り立つと子供を抱いた女性の姿へと変じて「この子を抱いてください」とねだるという話もあるが、人の自由を奪うということは伝承にも記録にもないはずだった。

姑獲鳥は確かに強力な妖怪である。
この世で最も強い想いである母の子へ愛が変じた妖怪なのだからそれは当然だろう。
だが倒せない相手ではない。
ましてや魔神とさえ戦ったことのある令子たちならば、楽ではないにしろ除霊は可能なはずだった。
つまり令子は「勝てない」からキャンセルしたというわけではない。
単純に「したくない」からしなかったのだろう。
そしてそれは白井の言っていた言葉からも明らかである。

考え込む美智恵の無言を先を促したものと思ったのか西条は自分の疑問点を完結明瞭に並べ立てた。

一つ、梶山氏はすでに初老の域に達した人物である。調査書にも明記されているが子供も居ない。つまり姑獲鳥との接点がない。

一つ、梶山氏の夫人は健在である。故に彼女が姑獲鳥に変じたとも考えられない。

確かに西条の言うことはもっともだ。
美智恵の中でも梶山という裁判官と姑獲鳥はどう考えても結びつかない。
唯一可能性があるとすればファイルに朱記された一文であろう。

『梶山氏は30年前に子供を心臓疾患で早逝させており…』

おそらく令子はこれを判断の決め手にしたに違いない。わざわざ目立つように朱記してあるのがその証拠だ。
だが美智恵にはこれが姑獲鳥の存在の確証となるとは思えなかった。
考えを纏めようと美智恵は冷め切ったコーヒーを口に含みながら西条を見ると彼はようやくファイルを読み終わったのだろう。
それを再び茶封筒に納めようとしてかすかに眉を跳ね上げると袋の中からもう一つ別な封筒を取り出した。

どうやら薄い封筒だったので見落としていたらしい。
西条を促して中を改めてみれば、何の変哲もない新聞の切り抜きが出てきた。
ほんの十行程度の囲み記事は裁判の判決を伝えたもののようである。


【0月〇日】

〇〇地裁は本日、市内総合病院勤務の産科医にこの病院で出産した患者に対し、400万円の支払いを命じる判決を下した。
この医師は患者に対し出産前検査の必要説明を怠り、結果として患者が先天性異常の子供を産むことになったことに対する責任を問われていた。
判決の中で梶山裁判長は「親には正常な子供を産みたいという期待権があり、医師の行為は患者が選択する機会を喪失させこれを阻害した」と判断し慰謝料の支払いを命じた。



記事はそれだけである。
特に変わったこともない。どこにでもある民事判決だと西条には思えた。
今後、これが判例化するかどうかはわからないが、とても姑獲鳥と関連があるとは思えない。
考えを纏めるためにとポケットの煙草に手を伸ばしそうとして西条は美智恵の顔に理解と悲しみの色が浮かんでいることに気がついた。

「先生?」

いぶかしむ西条には応えず、美智恵は爪を噛む。
その顔になんとも言えないやりきれなさとかすかな怒りを感じて口を閉ざす西条に彼の師は一言だけ告げた。

「行くわよ西条君…」

「はい…」

後にも先にも除霊現場へと向かうのにこれほど躊躇いを見せる美智恵を西条は始めて見た。









白井総合病院の個室は意外と殺風景な作りになっている。
シャワーや電話、液晶テレビなども用意されているがそれが使われた形跡はない。
梶山は個室のベッドに座りながら無愛想に暮れ始めた窓の外を見ていた。
まさに謹厳な裁判官の象徴のようなその顔は霊障のせいかかすかにやつれている。
両手が動かないのは確かなのだろう。
美智恵たちが入ってきてもベッドの脇に投げ出されたままである。

「初めまして…オカルトGメンの美神美智恵です。こちらは私の部下の西条と申します。」

「梶山です。」

梶山は一応、形式的な挨拶はするがすぐに目を窓の外に向ける。
その様子は自分の身に起きた不可思議な事態に戸惑っているというわけてもなさそうだった。
警察の現場などで見慣れた反応は単純に梶山の意識が霊能というものを認識するのをこばんでいるのだろうと言うことは西条にも理解できた。
美智恵も当然理解しているのだろう。だが彼女は表情一つ動かさずに梶山の横にイスを出すと腰掛け彼の手をとる。
驚いた梶山の顔からすれば令子の調査や白井の話どおり感覚はあるのだろう。

美智恵はしばらく無言のまま梶山の腕を撫で続けていたが、やおら立ち上がる彼の目を見てまるで聞き分けのない子供に言い聞かせるかのように静かに語り出した。

「結論から申し上げます。間違いなく霊障です。」

それに対して梶山は薄く笑うだけである。
つまり信じてはいないと言うことなのだろう。
人は見たものをそのまま認識はしない。
認知するということは「それがそこにある」と認めることから始まるのだ。

「あなたの手を動かなくしているのは…怒りです。」

梶山は不思議そうに美智恵を見る。
しかしすぐに冷笑を浮かべ口を開いた。

「私がなにに怒っていると言うのだね。」

「いいえ…貴方ではなく怒っているのは姑獲鳥です。」

「姑獲鳥?」

おそらくこんなことにならなければ一生涯聞くことの無かったであろう固有名詞に梶山は不思議そうな顔をする。
まるで被告に弁明してみろとでも言いたげな鋭い視線が美智恵を射抜くが彼女はそれをかけらも意に介さず淡々としたまま、それでも目に真摯な光を湛えて梶山の顔を見据えた。

「この霊障にあわれた日…あなたはある判決を下しましたね。その判決が姑獲鳥の怒りをかったと思われます。」

隠そうともせず梶山は鼻で笑う。

「私の下した判決に化け物が文句を言いたい…その結果がこの病気とでもいうつもりかね。」

「そうです。」

「馬鹿を言ってはいけない。私は常に弱者の味方として法廷に望んでいる。判決は私の信念に基づいたものだ。居るか居ないかも知れない化け物ごときに非難されるいわれはない!」

不快感をそのままに梶山が言葉を吐きつけた瞬間、部屋の電気が激しく点灯し、窓ガラスが大きく震えて弾け飛び、驚きのあまり目を見張った梶山の前へ一羽の巨大な鳥が飛び込んできた。

「姑獲鳥!」

咄嗟に身構える美智恵に目もくれず、妖鳥は血の色をした目を爛々と輝かせ、耳まで裂けた口を威嚇するかのように梶山に開いてみせる。
その口から赤子の泣き声にも似た声が放たれ、病室にいたすべての人間は体の自由を失った。

動かぬ体に自由を取り戻そうと必死に霊力を練り上げる美智恵と西条。
目の当たりにした妖鳥の姿に言葉を失い目を見開く梶山。
そして衝撃で腰を抜かした白井をその魔眼で一瞥すると姑獲鳥は再び啼く。

その途端、梶山が大きく悲鳴を上げた。
自由を取り戻した目だけを動かしてベッド見た美智恵は、顔から血の気を無くし自分の手に縋りつく幼子の霊を凝視している梶山の姿に息を飲んだ。

「ゆ…由佳…なのか…由佳なんだろ!」

幼子の霊は梶山の問いに悲しげに頷く。
短いおかっぱ髪がふわりと揺れ、この4歳ほどの幼女の霊をいっそう可憐に見せた。
由佳と呼ばれた霊は哀しそうに目に涙を浮かべ、静かに口を開いた。
音ならざる声がその場にいた全ての人間の心に染み渡る。

オトウサン…ゴメンネ…

「由佳…なにを謝るんだ!?」

ゴメンネ…チャント産マレテコレナクテ…スグニ死ンジャッテ…ゴメンネ…

「ち、違う! そんなことを謝らなくてもいいんだ! お前の心臓が悪かったのはお前のせいじゃない!」

オトウサンノ…キタイ…ノゾミ…カナエラレナクテ…ゴメンネ…

「違う! 違う!! お父さんはそんなことを望んでなんかいなかった! 産まれて来てくれて…短い間だったけどお前と暮らせてお父さんは幸せだった!!」

血を吐くような梶山の声に幼女の霊は悲しく頭を振ると握っていた父の手を放す。

「由佳!!」

必死に伸ばした手は幼女の霊をすり抜け空を掴む。
自分の体を通り抜ける父の手を悲しそうに見つめると幼女の霊はユラユラと漂うように姑獲鳥の元へと流れて行った。

オトウサンノ…ノゾミ…由佳ガ…チャント…普通ノ子デ産マレルコト…

「違う!」

叫びとともに伸ばされた手と由佳の間に姑獲鳥が割って入る。
いつしかその顔は妖鳥のものから哀しげな女の顔へと変わっていた。
氷を思わせる冷たい唇が嘲笑の形に歪む。

貴様ガ、コノ娘ヲ手放シタ…貴様ハ生キルコトノ出来ナカッタ子供タチ…体ニ苦痛ヲ抱エ…ソレデモ生キルコトヲ望ンダ子供タチ…トモニ子供ト苦シミヲ分カチ合オウトシタ親タチニ唾ヲ吐キツケタ…

「私はそんなことをしていない!!私は法に従っただけだ!!」

もはや悲鳴と化した梶山の叫びも姑獲鳥の嘲笑を溶かすことはなく、爛々と赤く輝く目を向けたまま姑獲鳥は梶山を弾劾する。
不可思議な音だったはずの声はいまや普通の人の声となり、病室の中を静かに侵食していった。

期待とはなんだ? 親が子に望むのは生きること…例えどれほどの障害を抱えようが生きてくれればそれ以上の何を望む? どうせ死ぬなら生まれる前に殺せと…それを親に選ばせろと…お前はそう言った…それが娘を手放すことになると気づきもせず…愚かな男よ…お前に子供を抱く資格はない…お前の娘は私が連れて行く…

「待ってくれ! 由佳を! 由佳の霊を返してくれ!!」

この娘の想いを手放したのはお前だ…お前は「法」とやらを抱けばよかろう…



そして姑獲鳥は高らかに梶山を嘲笑うと幼女の霊をその翼に包み込み、すでに夜の帳が降り始めた窓へと近づく。
ベッドから転げ落ちるように飛び降りた梶山を鳥の顔で一瞥し勝ち誇ったかのように一声啼いて姑獲鳥は空へと飛び出していった。

体の自由を取り戻した美智恵が駆け寄った窓の下で梶山はただただ泣き続けている。
濁った夜空のどこにも姑獲鳥の姿は無く、そして二度と現れることは無かった。













秋の陽が穏やかにベビーカーを照らしている。
都内の公園で都会の空を飛ぶ赤トンボを無邪気に目で追うひのめを見る美智恵の顔は激務を任された隊長のものではなく、ただの一人の母親のそれであった。
風が秋桜の香りを運んでくる。
緩やかに流れる時間を楽しむ母と娘に遠くから男の影が近づいてくる。

男は美智恵の前で立ち止まると軽く会釈してベビーカーを覗き込んだ。

「あなたのお子さんですか?」

「ええ…」

「抱かせてもらってもよろしいでしょうか?」

「どうぞ…」

微笑む美智恵に深々と頭を下げ、わずか数週間で倍以上も老け込んだ男は震える手をベビーカーの中で遊ぶひのめへと伸ばした。
紅葉を思わせるひのめの手と枯れ木を思わせる男の手が触れ合う。
男は自分に子供を抱く資格があるのか?とでも言いだけに手を引っ込めたが、意を決したように目を閉じ、それでも細心の注意を払ってひのめを優しく抱き上げた。


男の目からあふれ出す夥しい涙をその腕に抱かれた赤子は微笑みながら見つめていた。



                   ─ 終 ─

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