ザ・グレート・展開予測ショー

【夏企画SS】カサブタ(絶チル)


投稿者名:すがたけ
投稿日時:(06/ 8/15)

 京都の夏は、格別に暑い。

 北に高く、南に低い盆地というこの古都の地形は、南―― すなわち太陽を正面に臨む方向に遮蔽物となるような目立った山を持たないがために、平安の昔からほぼ変わらぬ整理された街並みに遮ることのない日差しと地表からの照り返しによる熱をもたらし、唯一の風の受け入れ口である南から吹き込む熱風も逃げ道を奪われ、その熱をこもらせるばかりという、何かの作為に依るのではなかろうか、という数々の偶然が、京都にうだるような暑気をもたらせている。

 無論、市街地から離れたこの工場もまた例外ではない。

 事務所には申し訳程度にクーラーが効いてはいるものの、クールビズの一環だろう―― その設定温度は高めであり、応接室のソファに腰掛けた痩せぎすの眼鏡の男は、手にしたハンカチで汗を拭う。

 と、応接室の扉が開いた。

 熱を帯びた外気を引き連れ、夏物の作業着を纏った中年の男に―― 痩せぎすの男は立ち上がり、一礼をした。



 【カサブタ】



「いやぁ、えろうスンマヘン―― 野上はん!こんなむさくるしい所に社長自ら来ていただけるとは、ホンマご苦労はんです……ウチの跡取にもみのろうて欲しいモンですわ」
 やや寂しい頭の、中年の峠を越えようとしている男は、言葉とともに恐縮した素振りで頭を下げると茶碗の麦茶を飲み干し、汗の浮いた広い額をぴしゃりと叩く。

「いや、息子はんはようやってはるやないですか。若手職人のコンテストで優勝なんて、そうそう出来ることやありまへんよ」

「そうおだてんといてください。あらまだまだあきまへん。小手先ばかり達者なところに賞なんか貰うて天狗になっとりますし、人付き合いが下手で下手でしゃあないんですわ。
 何ちうたかて、職人いうモンは作った品を人様に買うて頂いてナンボやさかい、野上はんのようにしっかりと人様の心を掴んで、お客はんに喜んでもらうちうことの意味を理解せぇへん限り、なんぼコンテストでええ賞を取ろうとも意味なんぞあらしまへんわ」

 ―― その言葉に、野上の胸の奥が痛む。

 今は持ち直してはいるものの、野上が先代である父から今の会社の基となる呉服店を継いだ5年前、周囲の反対を押し切って海外に打って出たことが裏目に出、経営を傾かせたことはあまりにも辛く、重い記憶としてこびりついている。

「しかし、ウチに比べたら今村はんのところは幸せですよ。職人である父親の背中をしっかり見続けた息子はんが後を継いでくれるんやから―― ウチは後を継ぐ、ゆうても職人はんと違うて、同じ道を選ぼうにもおいそれと継げるもんとも違いますやろ?息子はまだまだ子供やし、娘は―――― まぁ、何ちうたかて何時かは家を離れるわけやから」



 娘―― その言葉に接ぎ穂を接がせるには、数瞬の逡巡があった。



 古くからの付き合いの目の前に座る男が、何よりも家族を思っていることを知っている今村は、その逡巡の正体を娘を持つごく一般的な父親の抱く感傷と見ていた。

 だが―― 野上の胸の内に渦巻く感情は、今村の見立てとは些か違いがある。

 その感情を色で表すならば、限りなく黒に近い藍色―― 無限に広がる闇色の海と呼ぶに相応しい色合いに染められた深い後悔が渦巻く感情を、逡巡という僅かな時によって辛うじて秘することに成功させた野上……だが、その表情は薄く、ごく曖昧な笑みを浮かべるだけしかできなかった。




 笑みの裏で、今もなお痛みに満ちた記憶がざわめく。


 会社を持ち直させ、且つ、その頃に先天的な心疾患を持つ未熟児として生まれた長男・ユウキの治療費を賄うためにはまとまった資金が必要だった。

 しかし、先代からの付き合いという脆弱なつながりよりも、無謀と言ってもいい攻めの経営で身代を傾かせたという野上の手腕を重く見た銀行が融資するはずもなく、資金を工面する手立てはなくなってしまっていた。


 否―― 手立てはないわけではない。

 その手立てとは…………5歳になったばかりの頃に転移能力者として飛躍的に能力を開花させた愛娘―― 葵をバベルの特務エスパー候補として契約させること。

 その天文学的な契約金があれば、傾きかけた会社の運転資金もユウキの手術費用も楽に工面出来る。

 だが、その方法は父親としての矜持を失うことと同義と言ってもいい。

 また、幼い娘の心に『自分の能力が疎ましく思われたのか?』『バベルに売られてしまったのか?』というトラウマを刻み込むことにもなるだろう。

 つまるところ―― 出来れば選びたくない選択肢であることは間違いないのだ。

 しかし……自分の至らなさで自分と同じく家族を持つ従業員や、その優れた腕を賭けてくれた今村のような職人を路頭に迷わせることもまた出来ない。

 悩みぬいた結果、辿り付いた結論―― 自分が娘に恨まれることで全てが丸く収まるのならば―― その想いが……野上に苦渋の決断を下させた。




 後悔はしないはずだった。

 しかし、その決断がもたらした別離の朝の記憶―― 行きたくない、と泣きじゃくる葵の泣き声は今もなお、針の飛んだレコードが同じフレーズをリフレインするかのように野上の耳に残って心を斬り苛み、月に何度か我が家に帰ってきた時に見せた、それまでの年相応の快活さを封じ込めた態度は、心に生まれた傷口に塩を塗りこむかのような痛みをもたらしていた。


 だが、家族の下から離れての生活を強いられた葵を常に重ね合わせて他人と接することで、先代から受け継いだ会社をさらに大きくしようと我武者羅に突き進むだけの攻めの経営から脱却し、崩れかけた社内の結束を強めることが出来たこと―― そして、その結束が一時の逆境を跳ね返すだけの急成長を遂げさせ、中堅のアパレルメーカーとしての基盤を固めることが出来たことは皮肉と言うより他にない。


 ―― 何度『もう行かなくてもいい!』と言おうとしただろう。

 ―― 伏目がちな仕草で家族からも距離をとる葵に、しない心算でいた後悔を幾度したかはもはや数知れない。


 こうして今村と秋冬物の新たなデザインの詰めをしている今もなお、昏く、澱んだ後悔は、その錆の浮いた刃先で、絶えず野上の精神を覆うかさぶたを小さく穿ち続けている。

 だが、それが出来ないことであり、しても詮無いことなのだ、ということもまた判っている。


 この歳にして、愛娘は半ば自分の手を離れてしまっていると言っても過言ではないのだ。

 なにより、葵はもう己の世界を手に入れている。端から見るとちっぽけだが、同じ境遇の親友によって織り成された絆が築き上げた『不可侵の世界』を―― 。

 それを奪うことは、親であっても出来ない。

 塞ぎこんでいた葵が徐々に快活さを取り戻す切っ掛けになったのは、親の預かり知らぬところで出来上がった、その『世界』があってのことだから――。



 僅かばかりの寂寥と、それを大きく凌駕する喜びに浴する野上……その意識を切り替えたのは、卓上に置かれた携帯電話の振動であった。


「野上はん……葵ちゃんからだすか?」

 ニ、三秒振動し、持ち主に対する主張を終えた携帯の小さなサブディスプレイに映る、胸にあしらわれたブルーのリボンが特徴的な、涼しげな色合いの制服を纏った眼鏡の少女の画像に思わず頬を綻ばせた年若い社長が醸し出す一刻も早くメールを読みたい、という雰囲気を汲んだ年長の職人は、『ああ、ええですよ』とばかりに微笑みと右手で促す。

 その促しに恐縮しながら携帯を開く野上に、その人好きのする微笑みを崩すことなく、今村は呟いた。
「葵ちゃんも大変やなぁ……文部科学省の“天才児育成カリキュラム”やったか……5歳で選ばれたんはええけど、お陰で京都に帰ってくるんも盆暮れ正月関係なしで、月に一度あればええ、いう話でっしゃろ?」
 
 極秘であるが故に、親戚同様の付き合いを続けている今村に対してもそのような嘘を吐き通さねばならないということに対する心苦しさはある。

 だが、待ち受け画面にある愛娘の笑顔を―― そして、葵とお揃いの制服を纏った『ザ・チルドレン』の三人を卑劣なテロリズムから守るためにも、この嘘は突き通さなければならない。

 が、その葛藤をおくびにも出さず、野上は苦笑いを浮かべ―― 言った。
「まぁ、確かに寂しいですけど……娘も向こうでの生活を苦痛に思わんと、楽しんどるんやから、しゃあないですわ」

 “それに……離れているからこそ判る絆いうんもありますし――。”あまりに照れ臭くて、口にすることは憚られたものの、離れていることで崩れるようなやわな絆でないことは間違いない。

「ははっ!『ウチのハニーと一緒に帰る』そうですわ。いやぁ……『ハニー』やて……最近の子供はマセてますわ」
 新しい『チルドレン』だろうか?しかし、前に帰ってきたときにはそれらしい話はしなかった―― 疑問はあったものの、その引っ掛かりを瑣末なものとみなし、野上はメールに添付された画像を開く。

 

「はっはっはっ!同級生のボーイフレンドを『ハニー』だすか―― 可愛らしいやない……です……か?」

 今村の笑顔が、凍りつく。

 否―― 効きの悪い冷房によってさほど温度が下がっていない部屋の空気そのものが、氷結していた。


 ―― ぎりっ!ぎりりりっ!!
 野上の右手に握られた携帯電話が悲鳴を上げる。

「の……野上はん?」

「いや、なんでもあらしまへんよ……なんでも」

 野上の言葉とその身に纏う気配とのギャップに戸惑う今村を尻目に、覚悟を完了した表情の野上によって握り潰されかけている携帯電話のディスプレイには、メールに添付されていた眼鏡の青年の画像が……やや困った表情を浮かべていた。

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