ザ・グレート・展開予測ショー

栄光の手・目覚めの時!(4)


投稿者名:aki
投稿日時:(06/ 8/13)





「はい、横島さん、どうぞ」

「ああ、ありがとうおキヌちゃん」

おキヌが皆に茶と茶請けを出して、居間で寛ぐ、美神除霊事務所の平和な午後。

そのはずが、令子とシロはピリピリとした緊張感に包まれていた。
横島とおキヌの二人が発する、どこかしら甘い雰囲気に当てられていたからである。

「くっ、失敗だったわね…」

令子は小さな声で呟いた。

先の依頼を片付け、事務所に戻った令子達の目に映るのは、以前よりも優しい雰囲気を醸し出す二人。
別行動を取った先日の山奥での妖怪退治以来、一見以前と変わらない距離感でありながらも
どこか落ち着いたように思える。
先程おキヌが横島にお茶を渡す時にしても、さりげなく隣に来て手渡ししていた。
以前なら、テーブルの上に置くだけであった事を思えば大きな違いがある。

令子はおキヌに、シロとタマモは横島へと事情聴取を行ったものの、二人揃って答えは同じだった。

(心配しないで。別に…、何もなかったよ)

とりあえずその場では矛を収めたが、どこかしら優しい表情でそんな事を答えられたら怪しまない方が不自然だ。
いや、むしろ、何かなかった方がおかしい。行った先で何かがあったのはもう確定と見ていいだろう。

令子やシロは大体似たような事を考えており、最近は鬱屈した何かを抱えていたのである。
ちなみにタマモは、あくまでも中立を保っていた。
心の裡で何を思っているかは明らかではないが、一人だけ、自然体のままであったとも言える。

そんな自らの纏う空気を吹き飛ばすかのように、シロが声をあげた。
あるいは、先の令子の呟きが耳に入っていたのかも知れない。

「先生、修行に行きましょうぞ」

「おいおい、ちょっと待て、そんなに急ぐなっ。お茶くらい飲ませろよ」

シロは横島の手を掴み、文句など聞こえていないかのようにぐいぐいと引っ張っていく。

「あ、私も付き合うわ」

それを追いかけるように、タマモも立ち上がる。
令子が声をかける間もなく、三人は連れだって出て行ってしまった。

「ちょっ、あんたたち…って、あれ、おキヌちゃんは行かなくていいの?」

「私は別に…すごい能力なのは、仕事で見せてもらいましたしね」

そう言って微笑むおキヌの態度は、何かの余裕を見せつけているかのようにも見える。
そのように令子には思えてしまったが、それを口に出す事もなく、頭を切り換えて手元にある資料に集中する事にした。




事務所から離れた所にある公園で、三人は対峙していた。
まだ昼間であるにも関わらず人気のない公園は、修行の場としては最適である。
早朝であれば、同じ場所で一般人が武術の訓練をしている事もあるくらいだ。
しかし、横島の手から現れるモノを見たら、一般人はどう思うであろうか。
修行風景を見られた日には、即座に通報されかねない。
しかし、そんな事は誰も考えもせず、修行は開始された。

「よし、じゃあ行くぞシロ。構えろ!」

横島の手から、緑色に輝く栄光の手が発現する。
その指の部分が徐々に伸び、自在に動く五本の鞭のような姿へと変わる。
それに伴い、栄光の手全体が金色の輝きに包まれていく。
栄光の手・触手バージョン、略して栄光の触手の完成である。

触手が完成するのを待たず、シロは真正面から横島へと突進した。
シロの進行方向を塞ぐ形で、腰の高さから薙ぎ払うように触手が迫る。
まるで地を這うように身を低くしながらも、シロはほぼそのままの速度で潜り抜けた。

それを予測していたかのごとく、残りの四本が上下左右から同時にシロへ襲いかかる。
体捌きのみでは避けきれず、シロは素早く動き回りながらも霊波刀を用いて、四方から襲いかかる触手を打ち払う。
防戦一方に追い込まれたシロの抵抗は当然長くは続かず、限界が訪れてしまった。

「あっ」

シロの霊波刀が絡め取られ、同時に四肢を拘束されて地面へと打ち倒される。
何とか脱出しようと試みるも、暴れれば暴れる程に触手はシロの全身へと巻き付いていく。
こうなっては、さすがに人狼の身体能力でもどうにもできない。
シロは全身の力を抜き、抵抗をやめた。同時に、シロの口から吐息が漏れる。

「くぅーん、せんせぃ…」

「どうしたシロ、もう終わりか?」

シロの痴態と濡れた声は、ほんの少し前の横島なら赤面し動揺するには充分な威力を持っていた。
にも関わらず、横島の顔は至って真面目なままだった。
その様子を見て、シロの表情に少し動きが出るが、シロが次の台詞を言う前に横槍が入る。

「じゃあ、次は私ね」

「ん、わかった。じゃあシロ、少し休んでろ」

シロが場所を譲る間もなく、タマモは幻術を使い姿を隠しつつ、同時に分身を何体も作り横島を包囲した。
さらに数十個もの小さな狐火を空中に生み出し、同時に横島へと攻撃をかける。

「おおっと!?」

しかし、触手は横島の周囲を自由自在に蠢き、狐火を払っていく。
後ろからの攻撃も、まるで触手の先に目がついているかのように防いでいた。
狐火が全て消えると同時に、横島をガードしていた触手の一本が長く伸びる。
その触手は横島を包囲しているタマモの分身の全てを無視して、いつの間にか公園の端にいたタマモを捕獲していた。

「きゃっ、やんっ」

次の瞬間には、タマモはその一本の触手によって持ち上げられ、横島の目の前まで移動させられてしまう。

「もう、変な所触らないでよっ!」

「いや、腰を持つ分にはかまわないだろ?首根っこ掴んで持ち上げる訳にもいかんし」

そんなタマモの台詞にも、さほど動揺する事もなく横島は答える。
確かに、先程のシロはともかく、タマモは腰以外は触られていない。

少し前なら、少しからかうだけで無様な程動揺を見せていた男とは、まるで別人。
横島とおキヌの様子と、横島のこの落ち着きよう。
タマモの目から見ても、やはり何かあったとしか思えない。

(ますます面白くなってきたわね…)

そんな事を考えている事は当然表に出す事はなく、冷静な顔をしていたが
タマモの目は僅かな熱を込めて横島の顔を見つめていた。

「さて、次は二人同時でやってみるか。シロもタマモも、準備はいいか?」

「は、はいっ」

「いいわよ」

タマモは先程と同様に幻術と狐火を展開しつつ、同時にシロの姿も幻術で消し、さらにシロの分身までも作り出した。
今度は真正面から突貫することもなく、シロは慎重に横島の後方へと回る。
次の瞬間、幻術で作られた分身と狐火が同時に横島へと襲いかかった。

周囲が危機的な状況だというのに、横島は目を閉じて集中し始める。
横島の脳裏には幻術はごく薄い像として認識され、姿が見えないはずのシロとタマモの本体が鮮明に写る。

先程よりも不利であるはずの横島は大して動きも見せないまま、触手の操作に集中していた。
シロの霊波刀を払うのに二本、狐火を払うのに三本の触手を使って攻撃を防いでいく。
狐火が全て払い除けられた直後にタマモは捕らえられ、防御に回っていた残りの触手も全てシロへと向かった。

そして再び、公園に犬神達の嬌声が響いていく。

こうしてシロとタマモがまとめて縛り上げられるという結末で、修行という名のスキンシップは終了した。




「美神さん、全員戻りました」

令子が目を向けると、シロだけでなくタマモまでも、顔を紅潮させている。
一体、修行とやらで何をやらかしたのか。

シロとタマモの様子がおかしいというのに、何故か横島は落ち着き払った態度を見せている。
おキヌはそんな様子を見ても、何も反応を見せるどころか、微笑んだままだった。

シロよりも、タマモよりも、そして横島の様子よりも、おキヌのその落ち着きこそが令子には疑問だった。
疑問というよりも、むしろ不満と言ってもいい。
横島に何かあった時には、一緒になって嫉妬していたはずのおキヌが、まるで大人になったかのようだ。

おキヌにしろ横島にしろ自分よりも年下であり、そんな相手に先を行かれたように思う事自体、恥ずかしい。
令子は、冷静であろうとすればするほど、どこか鬱屈した感情を溜め込んでいってしまう自分を歯がゆく思っていた。




そうして事務所内が微妙な雰囲気に汚染されて早五日。
令子がより厳しい追及、あるいは何らかの対処を行うべきかどうか悩んでいる所に、電話の音が響いた。
その電話の音に、何か新たな波乱の訪れを予感し、一瞬受話器を取る事を躊躇する。
あるいは、これこそが解決への道かも知れない。そう思った時には、令子の手は受話器を取り上げていた。










〜栄光の手・目覚めの時!(4)〜










ゆるやかな波が足元を洗い流していき、水平線へと沈みゆく夕日が美しい。
漂着するごみもほとんどない美しい海岸線と、おだやかな波のおかげで遊泳には最適の場。
小間波海岸と呼ばれる土地に開かれた海水浴場が、今回の現場である。

事前情報では、夕方以降に何か怪物が動き回っている所を見たとの情報があり、調査は夕方から開始された。

「じゃあ美神さん、俺達はこっちを回りますんで」

「はいはい、行ってらっしゃい、気をつけて」

新たな依頼、それは臨海学校の下見であった。

以前おキヌが在学していた時、六道女学院で行われた臨海学校で事件が起こった。
学生の除霊実習には最適なレベルでしかなかった、例年の除霊作業。
しかしその年は、霊を統括する妖怪が居た為に、あわや大惨事となる所だったのである。
無論その事件は、インストラクターとして参加していたGS達の活躍によって事無きを得た。
しかし学院の運営側としては、今後の行事運営の際に慎重にならざるを得なかった。

今回の依頼はその六道の意向による、いわば美神除霊事務所による安全保障、お墨付を得るためのものである。
先のような事件が起こらないように事前調査を行い、大物が潜んでいないかを調査する。
当然、必要に応じて除霊までも行う契約であった。

「先生、拙者も…」

「駄目よ、あんたはこっち。タマモもね」

「今日はこの配置でいいの?」

「別に問題ないわ。…あの二人、落ち着いているみたいだし、仕事中に気を散らす事もないでしょう」

「でも、拙者は」

「だーめ。今年は、遊びじゃ済まない可能性があるのよ。その点、肝に銘じなさい?」

この依頼はあの事件以後、多少時期が変わる時もあったが、美神除霊事務所が毎年行ってきた。
臨海学校の本番、その際の指導と警護となれば話は別だ。
しかし事前調査であれば、わざわざ小笠原エミや六道冥子の手を借りるまでもない。
何事も無ければ、リゾート地でのんびり過ごす事ができる事と、見回り程度で済んでしまう事もあり
これまでは美神除霊事務所の夏休みといった風情で行ってきた依頼である。

しかし、今年は事前に何らかの怪異が予見されるとの情報もあり、令子は警戒を強めていた。
冥子も参加させようと六道理事長からの申し出があったが、それは丁重にお断りした。
以前と比べはるかに安定したとはいえ、攻撃を受けると暴走、あるいは気絶する癖が消えた訳ではない。
そういう意味では、いざ本番となった際の安全性は確保できたと言えよう。
令子はそれほどまでに、今回の依頼に関して警戒をしていたと言える。

「ま、事前調査なんだし、どっちにしたって手分けしなきゃ駄目だしね」

令子は、六道親子とのやりとりを思い出しながら、遠くへと歩み去る横島達の後ろ姿を見た。
額に井桁を浮かべているのは、その疲れるやりとりを思い出したからか、それとも横島達が原因か。

令子ですらそんな調子である以上、シロはどうにも落ち着かなかった。
そんな様子を見て、令子は溜息をつきながらも新たな指示を出す。

「シロ、タマモを連れてあっちの方を捜索してきなさい。走り回った方があんたの性に合うでしょ?」

その指示を受けて、シロは横島達の去った方向とは逆方向へと、無言のままで走っていく。

「私まで付いていくの?」

「そう、必要な事よ。わかるわね?」

「了〜解。シロの面倒は見ておくわ」

タマモも、シロほどの勢いではないが凄まじい速さで走っていった。
それを見送りながら、令子は再び溜息をつく。

「さて…私は夕日でも眺めていようかしらね…」

令子は見鬼くんを起動してから足元に置き、その場に佇みながら夕日を見つめる。
海から吹き上げる風が、令子の髪を解いていった。




「真夏でも、夕方になると涼しいなあ」

「そうですね…とっても良い風」

ゆるやかに打ち寄せる波頭が崩れる時に鳴る、かすかな音が聞き取れるくらいに穏やかな海。
波が濡らして歩きやすくなった所を、寄り添いながら歩く二人。
風を受けて、おキヌの長い艶のある黒髪が広がっていく。
その髪が、横島の顔をくすぐった。

横島とおキヌは、長い影を連れながら、岬の方へ向けて海岸沿いを歩いていた。
このような場所で、かつて激しい戦いが演じられたとは到底思えない。
そんな風景を二人で歩く様は、彼らの同僚達に良からぬ感情を与えてしまうだろう。

とは言え、彼らとて仕事時間である事は忘れてはいない。
最初は何となく方角だけ決めて歩き始めた横島だったが、次第に強く感じられる何物かの気配に向けて歩いていた。
しかし害意は感じられず、またどこかで感じた覚えのある気配であった為に
横島とおキヌはさながらデート気分のままで歩き続けていた。

「!…横島さん」

「ああ」

おキヌが横島の腕を全身で包み込むようにして寄り添う。

同時に、海中から、人影のようなものが立ち上がる。
ずるっ、ぺた。ずるっ、ぺた、と音を立てながら、その人影は横島達の前へと現れた。

「あれ、あんた、どっかで会った事ないだべか?」

「ああ、やっぱり。奥さんは元気にしているか?」

「え…?あ、あの時の半魚人さん?」

以前、横島達と接触のあった半魚人の姿が、そこにあった。
浮気が原因で人魚の妻に逃げられ、それを追って地上に現れた事で騒ぎになった半魚人である。

「で、お前、なんでこんな所に?」

何らかの情報を得る為、横島達は近くの岩場に三人で腰を下ろし、じっくりと話を聞く事にした。

「子供たちも大きくなったから、引っ越しただよ。教育の為に、割の良い仕事も欲しかったしな」

「それはまた、なんとも現実味の溢れた話だな。おばけにゃ学校も試験も無いんじゃなかったんだ」

「そんなに甘くはないだよ。わしらには人間社会ほどじゃないが、それなりに文化があるだ」

それからしばらくは、かつては幽霊だったはずのおキヌが生き返っている事、子供の様子などを話し合っていた。
お約束として、横島はかつて自らを誘惑した人魚について聞こうとしていたが、おキヌに抓られて沈黙させられていた。
少々緊張感に欠けるようにも見えたが、横島もおキヌも必要以上に場慣れしているからであろう。

「ところでそっちこそ、なんでこったらとこに?」

「ここで毎年夏になると、女子高生達が除霊してるんだけどな。
何年か前に、海坊主が霊を率いて攻めてきた時があって、それ以来、毎年調査しているんだよ」

「海坊主…ああ、なんか霊を集めてただよ。また、なにかやらかすんじゃねえか。でも、それどころじゃないだよ」

海坊主がまた出てきた事も驚きだが、それ以上に面倒な事があるらしい。
横島達は表情を引き締めた。

「てことは、海坊主とは別件か。それが地上に来た目的か?」

「そうだよ。ちと海でやっかいな事が起きたから、人間に警告に来ただよ」

「それじゃ、最近このあたりを夜になると歩いていた怪物って」

「オラの事だと思うだよ。普通の人間じゃあすぐに逃げてしまって話もできんかっただが、除霊師なら話もできるだ。
これでやっと警告を伝えられるだよ」

「それでその警告ってのはなんだ?」

「御神体が動き出しただよ」

「御神体?」

横島とおキヌの、驚きの声が重なる。

「そうだよ。海の者の一部が崇める御神体だあ。
いろんな神様がいるけども、一番動いちゃいけない御神体が動いてしまったんだあよ」

「それって石像か何かか?つか、どこの神様なんだよ?」

「確かにただの石像だったんだども、今では生き物みたいだよ。どこの神様かは知らねえだ。
日本の神様じゃないからな。ただ、良い神様じゃないらしいのは皆知ってるだよ」

何故海外の、しかも邪神像が海底にあるのか。それを横島は疑問に思ったが、口には出さなかった。
神の出自を知らない相手が、その経緯を知っているはずもない。

「邪神像って事かよ…。なんでまたそんなもんが動くんだ?理由はわからないのか?」

「うーん、はっきりとはわからないだども、最近海底を網でまるごと抉るように漁をする人間がいただ。
それで、御神体を納めていた神殿が傷ついてしまっただよ。
神殿には天井は無いし、御神体はもともと剥き出しだったし、御神体も傷ついたかも知れねえだ」

「ひょっとして、それで神様が怒ってしまったんですか?」

「そうかもしんねえけども、違うかもしんねえ。
でもどっちにしても人間が傷ついたら可哀想だしな、こうして見張っているだよ。
それと人間に逃げるように伝えるために、こうして出てきただ」

話を聞きながらも、横島はいくつかの可能性を考えていた。
動き出した石像がどのような物かはわからないが、それが動いたとなればただ事で済まないのは確実。

「それはつまり、御神体とやらは地上に向かっているってことか?」

「いろんなとこうろうろとしてるから、必ずこっちに来るとは限らないんだども。
でも、今居るあたりからはここが一番近くて、しかも人間が多い土地だよ」

「うーん。どっちにしろ、皆と合流して情報を伝えないとな」

そう言って、岩場から立ち上がる横島だったが、それと同時に不穏な気配を感じてしまう。
未だ沖合の方、かなりの距離がありそうに思われるが、その距離を無視するかのように強い圧迫感が感じられた。
横島は美神達のいる方向に向けて駆け出しながら、矢継ぎ早に指示を出す。

「半魚人、お前はどっか隠れてろ!おキヌちゃんはホテルへ連絡、念のため避難するように伝えて!」

「横島さんはどこにっ!?」

「美神さん達と合流する!とにかく、守りの体制を固めないと!」




一方、別方向への探索というよりは持久走に向かっていたシロとタマモであったが、ようやくそれも終わりを迎えていた。

「シロっ!いい加減止まりなさい!」

その声に、ようやくシロも足を止める。

「タマモ…拙者は、どうすればいいのであろうか」

夕日を背後にしている為、タマモからはシロの表情が読めない。
しかしタマモは、シロの心を正確に掴んでいた。

「あんたは、どうしたいのよ?」

「それは…」

「あのね、人間社会は、結婚したってそれで終わりじゃないのよ。
大昔から離縁する夫婦なんていくらでもいる。
しかも、おキヌちゃんと結婚するって決まった訳でもないのよ?」

「………」

シロは無言のまま、今度はゆっくりと歩き出す。
タマモはその後ろにぴったりと付き添うようにして、歩調を合わせた。

「あんたは、横島に大事にしてもらってるわ。付け込む隙は、いくらでもある」

「………」

無言ではあったが、シロが唾を飲み込む音をタマモは聞きつけた。
すかさずタマモは追い打ちをかける。

「狼の狩りは、そんなに簡単に獲物を諦めるものなの?違うでしょ」

シロは夕日の方を向き、絞り出すように話し出す。

「では…拙者に、おキヌ殿から先生を奪え、と?」

「必要とあれば、そうするべきだわ。少なくとも、私ならそうする」

これはタマモの本音でもあるが、しかしタマモは全てを語る事はない。
例えば…共有すればいい、などという本音は隠したままだ。

「まあ、とにかく。その方向で考えてみなさいよ。何ができるのか。相談くらい、いくらでも乗るから」

ここでシロが諦めても面白くないし、共有などという形で上手くいくのも今は面白くない。
相談に乗っているようでいて、今後も状況を引っかき回す。
その動機とも言える本当の本音は、タマモ本人も気がつかないでいた。

「すまんで…いや、感謝する、タマモ」

にかっ、と爽やかな笑顔を向けるシロに、タマモも照れてしまう。
が、赤くなった顔は夕日に照らされる事で誤魔化された。

「ふんっ、あんたは一応、私の相棒よ。元気になってもらわなきゃ困るわ」

そうして二人は笑いあっていたが、唐突に海の方へと身体を向ける。

「タマモ…何か、海の方で異変が!」

シロは深い海の底に何かの気配を感じていた。

「…本当だ。海の深い所みたいね。ちょっとこれは、まずいんじゃない?」

シロとタマモの超感覚は横島達よりも先に、また正確に海中での怪異を感知していた。

「ふう…まだ、どうにもすっきりとしないでござるが…」

「今はそんな事を言っている場合ではないでしょ。とにかく、戻りましょう」

「そうでござるな」




地上を喧噪が満たす、ほんのわずか時間を遡った海中でもまた事態は動いていた。

「くくく、今年は負けん。戦力が違うからな!」

数年前、素潜りの世界記録に迫る勢いで潜水した横島の手により排除されたはずの海坊主が
またも船幽霊やメロウを率い、今年も上陸を果たそうとしていた。

数年前の戦いにしても、何か明確な目的があって上陸を果たすという訳でもなかったのだが
今年の場合は復讐を果たす事が主目的になっているようだ。
一応は、海に暮らす人外の者の勢力圏を拡大するといった錦の御旗はあるのだが。

自らの敷いた布陣に陶酔していた海坊主だったが、副官である海賊の霊の声で中断させられる。

「司令官、駄目です!例の石像、制御が効かなくなりました!」

「なに!我らの祈りで動くのではなかったのか!?」

「暴走したとしか思えません!今はもう、我らの軍勢を蹴散らして海上に向かっています!」

海に棲む者の祈りに答え、動く石像らしきもの。
その実態はゴーレムか、はたまた別の存在か、詳しい事はわからない。
自らの復讐の念に動かされたと海坊主は信じていたが、動きだした事も
海坊主の意図に従って動いていたように見えた事も、全ては偶然に過ぎなかった。

「ちぃ、なんという事だ…って、もう来た!?」

「うわぁぁ!」

何を目的に動いているかもわからない石像に、海坊主も副官もはじき飛ばされてしまう。

海中に布陣していた軍勢が、巨大な石像に真っ二つに裂かれ、押し流されていく。
石像の侵攻と共に地上に上がれれば良いのだが、残念ながら海岸線を守る結界は除霊実習中しか解除されないので
それも不可能である。そもそも結界を越えられる実力があるならば、このような事態を招いていない。
仮称・海坊主軍は、海底から上がってきた石像に大部分が排除され、自然に解散させられてしまった。




令子は数年前と同じ気配、即ち海坊主が海中に潜んでいるのを既に察していた。
横島たちと合流次第、ボートを用意して敵陣を強襲する事を考えていたが
海の底から上がってくる、異様な霊圧に警戒を強める。
見鬼くんがびこびこと五月蠅く警告音を鳴らし始めた。
最早、必要のない見鬼くんを仕舞い込み、武器を装備する。

「ちょっと…これどういう事?下手な魔族よりも余程強い力を感じる!」

海中から、巨大な泡が上がってきた。
恐らくは、これだけの泡を立てられるだけの巨大な敵。
急いで神通棍と破魔札を構える令子の眼前に、不気味な巨体が浮かび上がる。
徐々に地上へと近づいてくる、その巨体が立てた波が、令子の膝下まで届いた。

その姿は、まるで巨大なオウム貝。全長は20m以上はあるだろうか。
触手を伸ばせば、どれだけの長さになるかは見当もつかない。
いや、厳密には…オウム貝の下に、さらに蛸が張り付いているかのような形状。
その全身は銀色に輝き、赤く輝く不気味な目が光っている。

このような姿の魔物は、博識な令子も見た事はない。
しかし、その姿と圧倒的な霊圧から、推測をする。

「まさか、ディープワン?いえ、ダゴン…だとでも言うの!?」

幸いな事に、目の前の敵は明確な敵意も持たず、じりじりと後退りする令子を追撃する様子は無い。
謎の敵は、その場から動かないものの令子も下手に動けない。
膠着状態の中、シロとタマモが砂煙を上げながら令子の元へと戻って来た。

「なんなのよこいつは!?」

タマモの疑問の声が響く。一方シロは、令子の前に出て構えを取った。
流石のシロも、無闇に攻撃は出来ないでいる。ただ、前方を警戒するに留まっていた。

「ひょっとしたら、ダゴン…旧支配者とも、ペリシテの神とも言われるけど…要するに、古い神よ」

「まさか!アルテミス様のような古い神が、こんな所に?本物でござるか?」

そこまで古い神ともなれば、正確な姿形の伝聞も残ってはいない。
いくら令子が博識といえど、失われた知識まで知る事は出来なかった。

「いや、眷族か、分霊か。そもそも全く違うものかも知れない。クラーケンの子供とか…。
いくらなんでも本体は、こっちの世界になんて来られないはずよ。
あるいは、古代の兵鬼か何かかも知れない」

しかし、令子の推測は正しかった。伝説にしか残らないような存在が、そうそう地上に現れる事など無い。
現象としては、御神体として海底神殿に納められていた石像が動いた、ただそれだけなのである。
しかし、その石像の出自が謎にしても、目の前の敵から発する霊圧は圧倒的だ。
メドーサ、あるいはそれ以上の敵であると感じられる。

突如、敵が動き出した。
赤い目を輝かせながら、口元と思われる位置から生えた、数えるのも馬鹿らしい数の銀色に輝く触手が令子達へと迫る。

「くっ…!敵の情報も何も解らないまま戦う事になるとはねっ!」

そう言いながらも、令子の動きは止まらない。
華麗に、舞うように動きながら触手を避け、神通棍で弾き、敵から遠ざかっていく。
タマモは幻術で分身を作りながら後退し、シロはタマモと令子を庇うように霊波刀で触手をなぎ払う。

しかし、きりがない。

横島との修行で、自在に動き回る触手を打ち払う技術を高めていたシロにしても
そのあまりにも圧倒的な数を捌ききる事は不可能だった。

徐々に逃げ場を奪われ、ホテルのある高台へと逃げる事も出来ない。
いつの間にか、三人は海を背にした配置へと追い詰められていた。

「くっ、横島クン、さっさと手伝いに戻りなさいよっ!」

令子が気合を入れながら神通棍を振るい、自らに迫る触手を払っていくが、数本を打ち漏らす。
その時、別方向から金色に輝く触手が銀色の触手を絡め取った。

「美神さんっ!またとんでもないのが来ましたねっ!」

仲間の、しかも女性のピンチに颯爽と現れるヒーローの手には、金色に輝く触手。
なんとも絵にならない場面だが、誰もそんな事に突っ込みを入れる余裕は無かった。

「横島クンっ!」

「こいつは、どっかの神の像らしいです。さっき、半魚人に聞きました!」

「くっ、まさかそんなものが動き出すなんて…原因は!?」

「わかりません。で、こいつはなんです?」

「もしかしたら、ダゴンの眷族かも知れないわ。でなきゃ、クラーケンの子供か何かか」

「いあ、いあ、だごん!ってやつですか?」

その横島の台詞に、さすがの令子も顔が青ざめていく。
敵の正体は不明だが、もしこれで敵の力をより強めてしまったらまずい事になる。
いくら正式な呪文ではないにしても、下手に刺激するだけでもまずい。

「アホかー!呪文唱えてどうする!?」

「ええっ、禁句だったのか!?うおっ!」

令子が神通棍で突っ込みを入れるよりも早く、敵が積極的に動き出した。
横島へと向けて無数の触手が、うじゅるうじゅると不気味な音を立てながら迫り来る。

「くっ、触手はこっちで押さえます!みんな下がって!」

横島は5本の触手を上手く使い、数の上では圧倒的に負けている銀の触手を全て押さえ込む。
令子たちは、その隙に海から離れ、敵の後ろへと回り込んだ。
横島が前面で触手を押さえ込んでいる間に、後方から攻撃を試みる。

しかし、令子の神通棍やお札も、シロの霊波刀も、タマモの狐火も、全く通用しない。
効いているのかも知れないが、敵の移動手段となる太い触手や胴体部分にも
敵の急所を守っていると思われる甲羅にも、全く傷が付いた様子はなかった。

そうこうしている内に、横島にも限界が訪れる。

「美神さん、そろそろやばいです!…くそっ、なんでこっちにばかり!さっきの呪文のせいか!?」

「横島クン!文珠は!?」

「触手の制御で手一杯です!出している暇が!」

位置を入れ替える暇も、小細工をする暇も無ければ、恐らくは通用もしない。
こういったピンチの際に生きる文珠は、その使い手が封じられている。

「待って、援護するわっ!」

横島をフリーの位置にしなければ、最大の戦力である文珠を使う機会が奪われる。
令子は横島を敵の正面、前衛位置に配置してしまった愚を悟ったが、もう遅い。

「く、くそおっ、支えきれんっ」

横島の操る金の触手を数で蹂躙し、ついに銀の触手に横島が囚われる。

「も、文珠っ!ぐはぁっ」

文珠を使う暇もなく。

ゴリッ、と…嫌な音が、響いた。

静かな海岸故か、殊更に大きく、皆の脳裏に響き渡る。

「横島クン!」「先生!」「横島っ!?」

三人の時間が一瞬止まる。

動かなくなった横島に興味を失ったのか、横島の身体が銀の触手から解放され、崩れ落ちた。

そして、敵は令子たちへと向きを変える。
遮る物の無い中、無数の触手が三人に襲いかかった。





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