ザ・グレート・展開予測ショー

【夏企画SS】姉のいた夏、いない夏


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(06/ 8/ 6)

姉さんがいなくなってから、二度目の夏が来た。





私の家族は離れ離れになってしまったが、それは私の望んだことでもあった。

パピリオは小竜姫の弟子となって、妙神山での修行に励んでいるらしい。
時折届く手紙によれば、背も少し大きくなったらしいが、本当かどうかはわからない。たぶんあまり変わっていないだろう。
会って確かめればすぐにわかることなのだが、未だに私はそれが出来ずにいる。
手紙の中のパピリオは、返事もよこさぬ私に文句のひとつも言わず、日々の些細な出来事を伝えてくれる。
だけど、本当に伝えたいことには触れようとはしない。

傍にいない家族は、より大きな力を持つ。
図らずも生き延びてしまった私は軍隊へ入り、厳しい訓練と任務に明け暮れて忘れることを願ったが、それは叶わなかった。
あれほど愛しいと思っていたアシュ様のことでさえ、忘れる時があるというのに、だ。

私は姉さんの姿を捜し求めた。
軍の兵舎の中で、または街の雑踏の中で似た姿を見かけるたびに、夢見る少女のように奇跡を願った。
でも、おとぎ話のような甘い出来事などありはしない。
私が見るのは、いつものように後ろ姿ばかりだった。





何故、あの家に行こうと思ったのか、今となってはもうわからない。
久方ぶりに貰えた休暇を手に、特に行くあてもなく暇を持て余していた。
夏休みというヤツのせいか、暑く照りつける不快なコンクリートの街にはやたらと人間の姿が多く、単にそこから逃げ出したかっただけかもしれない。
あるいは、あの日と同じ『まなづる』の文字を、コンコースに流れる電光掲示板に見たせいかもしれなかった。

そんなことをぼんやりと考えながらも階段を上がり、ホームに停まる二階建ての車両へと足を踏み入れる。
極限まで切り詰めたような狭い螺旋階段を昇ると、ほんの少し湾曲した低い天井と、広く大きな窓ガラスが私を出迎えてくれる。
家族連れや若者のグループの喧騒をよそに、私は右側の席へと身を滑らせた。

ほどなくすると列車は音もなく動き始め、窓の外に立つ人間たちが後ろへと流れていく。

反対側のホームに降りる、真っ黒に焼けた子供たち。
あるいは、部活動の帰りだろうか、大きなスポーツバッグを下げた高校生の群れ。
そして、去り行くこちらを見送ろうとする、制服に身を包んだ駅員。

その全てが過去のように流れ去ったとき、不意に私の視界へ真っ赤な墓標が飛び込んできた。
紫外線を防ぐためか、厚い窓ガラスに映るそれは幾分くすんで見え、先端が少し歪んでいた。
立ち並ぶビルの谷間から突き抜けて、天へと高く伸びるその墓標は、まるで私を咎めているかのようだった。


・・・ああ、そうだ。

私はこれから逃げ出したかったのだ――





話をする相手もいない小旅行は、ようやくに終わりを告げた。
前と同じ道のりのはずなのに、倍以上も時間がかかったように思え、まるで苦行を終えたかのように疲れを感じた。
ほんのすぐ近くだと思っていたのに、こんなに遠いとは思わなかった。

クスやシイの木が茂る、鬱蒼とした森の中を歩き、こじんまりとした別荘へと到着する。
このあたりは観光客が訪れることもなく、地元の住民もあまり近寄らないため、駅からそう離れていないのに静寂があたりを覆っていた。
それもあって”基地”としてこの場所を選んだのだが、今となってはそう使われることもなくなってしまっていた。

正直に言えば、まさかこの家が残っているとは思わなかった。
ヨコシマが逃げたあの日、私達がここを離れたあとに大挙してやってきたに違いない人間たちの手で、跡形もなく消し去られているとばかり思っていた。
それが、多少のほこりはかぶっているとはいえ、外観も室内も荒らされることもなく、家の前の庭も適度に手が加えられていた。
確かにこの家を買ったとき、維持管理も含めて高額な条件で地元の業者と契約をしたが、よもや魔族と交わした契約書を律儀に守っているとは、まったく呑気としか言いようがない。

中に入るや否やにカーテンをさっ、と開き、窓という窓を開け放つ。
午後の日差しに蒸された熱気は外へと逃げ出し、森からの涼しい風に取って代わる。
私は、まだ陽の匂いが残るソファに座り、風にそよぐ木立の緑を、何をするでもなく、ただぼんやりと眺めていた。





いつのまにか寝入ってしまったのだろうか、気がつけば太陽はすっかりと落ち、辺りは淡い闇に包まれていた。
ときたまにヒグラシがもの悲しげに鳴くだけで、他には何の動く気配もない。いつしか風さえも止んでしまっている。
ねっとりと絡みつくような空気の中、私はソファからなぜか重い身を起こし、開いたままの窓を閉めようと近づいていく。
開いた窓の取っ手に手が触れたとき、外に漂う微かな光が目に止まった。

「・・・蛍?」

暗闇に浮かぶ薄緑の光は、ゆったりと点滅を繰り返しながら、ゆらゆらと揺れていた。
近くに清水でも湧くのだろうか、こんな海の近くで見るのはめずらしい。
一瞬、姉さんかと思ったが、そんなはずはない。
あれはただの蛍であって、姉さんなんかじゃない。

なんとなく騙されたような気がして、私は少し荒っぽく窓を閉めた。
その勢いに驚いたのか、つがいの蛍はすうっ、と飛び去っていったが、また再び無神経な愛を語り始める。
私はわけもない不愉快さを覚え、部屋の電気をつけようと窓に背を向けた。

そのときだった。

 (―――ベスパ)

背中から聞こえてくる、あるはずのない声に私は足を止めた。
まさか、そんな―――そんなはずはない。
でも、あの声は―――

 (―――ベスパ)

再び響く、弱く、それでいてはっきりとした声に私の身体は震え出す。
間違いない、あの声は確かに―――

「姉さんっ!?」

思わず大きな声を上げて振り向くと、閉めた窓のガラスに、姉さんの姿がはっきりと映って見えた。
それは二年前のあの日、最期の瞬間に見た、覚悟を決めた姉さんとまったく同じ姿だった。

「・・・姉さん」

私は自分が見ているものが信じられぬまま、まるで引き寄せられるかのように、ふらふらと窓に近づいていく。
何気なく片手を窓に伸ばすと、姉さんも同じように手を添えてくる。
堅い窓ガラスの感触の上から、そっと姉さんの冷たい手が触れたような気がした。

「やっぱり生きてたんだ・・・」

思わず涙ぐみそうになる私の顔に、青白い姉さんの冷ややかな顔が重なった。

 (―――裏切り者)

「―――!!」

再会した姉さんの口から突然放たれる恐ろしい非難に、私の身体は雷撃でも受けたかのように硬直する。
何故? なんでそんなことを・・・

 (私を殺しておいて、なんでそんなに嬉しそうな顔をするの。私を殺しておいて!)

「あ、あのときは仕方がなかったじゃないか! そ、それに、あとでちゃんと姉さんの霊体も―――」

 (でも、結局集まらなかったじゃない―――ううん、違うわ。あなたは最初から集めるつもりなんてなかったのよ)

「そ、そんなことなんかないっ!!」

 (じゃあ、なんで集めることが出来なかったの? 私より先に死んだあなたが甦ることが出来たというのに)

「そ、それは―――」

 (あなたは私の存在が邪魔だった。密かに思いを寄せる相手と一緒にいる私のことが疎ましかったのよ。だから、あなたは―――)

何だ?
姉さんはいったい何の話をしているんだ?

「わ、私がアシュ様に思いを寄せていたって、それと姉さんとは何の関係も―――」

そう言おうとする私に姉さんは首を振り、そうじゃない、と言った。

 (アシュ様のことなんかじゃないわ。あなた自身気付いていないかもしれないけど、あなたが密かに思いを寄せていたのは―――)

やめろ。
やめてくれ。
それ以上言わないでくれ。

 (―――ヨコシマのほうよ!)

ガラス越しに手を掴まれた私は身動きひとつすることも出来ず、ただそこに突っ立って姉さんの非難を聞いていた。

 (私の命だけならともかく、ヨコシマまで奪って生きているなんて、絶対に許せないわ!)

「ち、違う! わ、私はヨコシ――ポチのことなんて、これっぽっちも―――」

 (あなたがヨコシマと寝たことを、私が知らないとでも思っているの?)

「な、なんでそれを・・・」

あのローマでのことは、私とヨコシマしか知らないはずだ。
もうすでに死んでいたはずの姉さんが知ってるはずがない。

これはいったい誰だ?
ここにいる姉さんは、いったい誰なんだ?

私は姉さんの魔の手から逃れようとして、無意識のうちにもう片方の手に力を込めていた。
それを姉さんが見逃すはずもない。

 (・・・また私を殺すっていうの? 一度ならず二度までも、この私を殺すっていうの? いいわ、だったら殺してみなさいよっ!)

姉さんは恐ろしい形相で私を睨みつけ、ゆっくりとした動きで襲いかかってくる。
窓ガラスの向こうにいるはずなのに、その手が段々と私の方へと伸びてくる。

やめて!
誰か助けて!
誰か―――

「助けて! ヨコシマ!!」

迫り来る姉さんの手に怯え、私は無我夢中で叫び、それっきり意識を失った。





気がつくと、私は列車のシートの中にいた。
窓から見える景色はまだまだ明るく、立ち並ぶビルが流れていく。
額に浮かぶ嫌な汗をぬぐうと、ようやくそのときになって、私を見つめる視線に気がついた。
それが制帽をかぶった車掌だと理解するのに、一呼吸以上も必要とした。

「・・・大丈夫ですか、お客さん?」

白い半袖のシャツに身を包んだ車掌が、気遣わしげな視線を向けてくる。
今までは夢だったのだろうか。

「・・・ああ、もう大丈夫さ。ありがとう」

「ご気分でも悪いのではないですか? なにかうなされていたようでしたが・・・」

もしかして寝言で言っていたのだろうか、そう思うと急に気恥ずかしさが込み上げてきた。

「いや、もう大丈夫だ。心配かけて悪かったね」

人の良さそうな中年の車掌は、なにか薬でも持ってきましょうかと言ったが、それは断った。
だいたい、私が人間の薬など飲んでも効くはずがない。

なおも心配そうな車掌の気を晴らすべく、ふと気になったことを聞いてみた。

「―――ところで、今はどのあたりだい?」

間髪を入れず答えた車掌の答えは、私には思いもよらぬ答えだった。

「はい、まもなく新橋に停車いたします」

その答えを聞くまでもなく、私の左側の窓に、赤く、高くそびえる東京タワーの姿が見えた。

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