ザ・グレート・展開予測ショー

【夏企画SS】夏休み


投稿者名:豪
投稿日時:(06/ 8/ 2)




ずっと続けばいいと思っていた
いつか終わるものと感じていた

それでも、今を楽しむ事だけは忘れないで
それでも、昔抱いた想いだけは覚えていて


きっとそれは、掛け替えの無い時間だから















それはまだ、朝と言うにも早過ぎる時間。
早朝と言うに相応しい今、静かに昇る太陽が遍く世界を照らし始めている。
街のあらゆる場所が光に覆われる中、学校もまたそれは同じ。
無機質な窓ガラスを通して、陽光が教室内へと降り注ぐ。
夜の帳は音も無く上げられ、教室は輪郭を帯びてゆく。
机や椅子、黒板や床が、自らの色を取り戻す。
生徒の誰も知ることのない、教室が眠りから目覚める時間。



そんな教室の中で彼女は一人、机に座っていた。



上履きを履いた脚を投げ出して、古びた机の上に腰掛けている。
彼女の制服姿は、学校という場所には合っているのかも知れないが
時間帯が致命的にずれている為と、その長い黒髪との相乗効果で
何処か幽霊じみた雰囲気を醸し出していた。
自身の怪しさに気付いているのか、気付いていないのか。
彼女の視線は窓へ、更に外に在る黒から群青へと移り行く空へ。
差し込む朝日に伴って、蝉噪が窓を介して教室に響いている。
まだ時間は早過ぎて、グラウンドからは早朝練習の声も聞えない。
彼女の目付きは睨むようでもなく、しかし考え事をしている風でもない。

彼女はただ、ぼんやりと空を見ていた。
突き抜けるように深く蒼い、夏の色をした空を。










時は、八月某日。

この時期、学生には長期休暇が許されている。

所謂、夏休みという奴だ。





せっかくの纏まった休日である。
長ければ一月前後もある長期の休み。
旅行をする者も居れば、ここぞとばかりに引き篭もる者も居よう。
十人十色という言葉があるとおり、その行動は様々だろう。
だが、好き好んで制服を着て学校にやって来るような者は、普通居るまい。
補習や部活動のような、わざわざ来なければならない理由でも無ければ。

しかし、彼女はまるで当たり前のように其処に居た。
夏休み中にもかかわらず、校内を歩いている制服姿の彼女。
よいしょと背負っている机が、何やらコミカルではあったが
廊下を彼女が歩く様子は、何故だかとても自然な姿に見えた。

ふと立ち止まって、彼女は窓際へと歩み寄った
そのまま指先でそっと、廊下の窓ガラスを撫でる。
其処は、随分と前に張り替えられたガラス。
掃除の時間中、飛び込んできた箒によって割られた場所。
また、飛び出した際にも割られたので計二枚。
今は新しくなったガラスが、外と中とを隔てている。
ガラス越しに見える空は、何処までも蒼く澄み渡って
そんな空を支えるように、白い雲が聳えていた。
目を閉じれば、彼が空へと飛び出す姿が瞼の裏に映る。
悪いかなとは思いつつも、その時の光景を思い出してしまえば
小さな笑みが口元に浮かぶのを止められなかった。

瞼を上げれば、再び瞳に映る夏の空。
意識を今へと戻して、彼女は歩き出す。
掃除の喧騒も、生徒の会話も、今は無く。
当然、窓ガラスを割るような箒の襲撃なども無く。
ただ彼女が歩く音と、蝉の鳴き声だけが廊下に響いている。











今現在は使われていない教室へと、彼女は入る。
あくまで補習に使用されていないだけ、ということを示すように
其処には教壇を前にして、机と椅子とが整然と並べられていた。

目一杯、下手な落書きをされている机。
カッターか何かで、文字を彫られている机。
表面が部分的に剥がれている机まで在った。
そんな机と同様に、椅子も様々な個性を示している。
背もたれに落書きをされていたり、シールを張られていたり。
見る人が見れば、物を大事に、とぼやきそうな状態のものも幾つか在る。

だが、そんな様子を見た彼女が顔を顰めることはなく。
一つ一つを眺めながら、机と椅子とを撫でて行く。
それらは、机が積み重ねてきた年月。
それらは、椅子へと刻まれた歴史。
学校で過ごした、高校生活という時間。
青春と呼ばれる期間の証が、此処には残されている。
だから、彼女は頬に優しげな笑みを浮かべたままに
我が子を慈しむようにして、机や椅子にそっと手を置いて行く。
ただ稚拙な猥褻画を見た時に、消すか否かで迷ったのはご愛嬌。

外を見れば、太陽は既に空高くへと昇っていた。










そんな風にして幾つかの教室を回って、その足は音楽室へと。
中を覗き込んでみたところ、音楽室には当然のように誰も居ない。
しかし、誰も弾いていない筈のピアノは軽快に音を鳴らしていた。
弾き手の無いままに白と黒の鍵盤が上下して、一つの旋律を奏でる。
彼女は何をするでもなく、入り口に立ったままで流れる曲に耳を澄ます。
人によっては不思議な光景であっても、彼女にとっては見慣れたものに過ぎない。
普段の学校では、授業の邪魔や騒音などで問題にもなろうが
休みの間に弾くだけであれば、誰にも迷惑をかけはしないだろう。
そして曲が終わると同時、彼女は室内へと足を踏み入れた。
ピアノには、やはり誰も座っていない。

他と比べると防音の設備が整っているのか。
今も外では煩く鳴り響いている蝉の声が、この中では小さく聞える。
少しだけ夏が遠ざかったかのような錯覚を覚えるものの
窓から差し込む陽射の強さと仰ぐ青空の高さは、やはり暑い季節を示していた。
背中に机を背負ったままで、彼女は他の教室でしたのと同様に
音楽室の机と椅子とを、順に眺めていく。
そうして全て見終えた後に、黒板の前のピアノに視線を移した。
思い出すのは、ハーフバンパイアの彼がやって来た頃のこと。
彼が転校してきて暫く、生徒の間では紅顔の美青年の噂で持ちきりだった。
天才的な音痴という短所もまた、女子生徒を中心に好意的に受け入れられていた。
それを皆に知らしめた『校舎内窓硝子全損事件』も、今となっては懐かしい。
ピアノを見ているとそんな記憶が一つ一つ思い出されて、自然と顔が綻ぶのを感じる。
もっとも彼の弾くピアノだけは、もう二度と聴きたいとは思わないけれど。

最後にピアノを一撫でした後、外に出ようとして前触れ無く再開した音を背中で聴いた。
一度だけ振り返ってみると、ほんの一瞬見えたのはピアノを弾く誰かの姿。
けれど、それは夏の陽炎のように消えて、後には曲だけが残る。
聞かせる為ではなく、弾く為に弾く彼は、わざわざ姿を見せることすらしない。
そんな彼が少しの間だけでも静かにしていたのは、彼女に気を使ってのことだろうか。
考えた所で理由が解るわけも無く、解らなくとも特に問題も無い。
彼女は音楽室から一歩出て、少しの間だけ、室内から漏れる音に耳を傾けていた。

まだまだ外は明るく、一夏を奏でる蝉の鳴き声は激しく。










更に幾つかの教室を経由して、下駄箱へと到着。

外に近付いているせいか、蝉の声がより大きくなった気がした。
ロッカーには蓋が付いているために、中まで見る事は出来ないが
夏休みである以上、その多くには上履きが入っているのだろうとは予想出来る。
中は上下に分かれていて、上履きと靴とを入れられるようになっており
彼女もまた、自分用に学校指定の靴を持っていた。
学校こそが帰る家であり、住む場所でもある彼女。
わざわざ靴を持つ必要は、無いといえば無いのかもしれないけれど
友達と遊んだり、何か買い物に出掛けるためには、やっぱり必要なわけで。
先生と生徒のカンパで購入された靴を、彼女はとてもとても大事にしていた。
そして、此処までやって来たのと同じ様に、彼女はロッカーを一つ一つ眺めていく。
といっても、わざわざ開けたりまではせず、外の蓋と名前のプレートを見るばかり。
何の変哲もない無機質なロッカーを、何処となく楽しそうに。
そして、何処か懐かしそうに。

手を後ろ手に組んだまま、順繰りに眺めていくうちに
あるロッカーの前で、少しだけ彼女の笑みに苦味が混じった。
視線の先はロッカーの一番上。其処は、彼女の背よりも少しだけ高い。
脳裏を過ぎるのは、バレンタインデーでの一騒動。
せっかく外出までして、こっそり買ってきたチョコレート。
落ちたりしないようにと、机によじ登ってまでロッカーの奥へ入れたのが間違いの元。
送り主は男だの、挙句の果てには彼自身だのと頓珍漢な推理が交わされ
結局、言い出すこともできないままに、時ばかりが過ぎてしまった。
振り返った彼女が見るのは、窓の先に在る中庭。
その窓の近くへと近付いて、誰一人居ないその場所に瞳を向けた。
夏の陽射に揺らぐ中庭に、彼女は幻視する。
夕暮れの中でしゃがんでいた彼の姿を。

日は、少しずつ傾き始めていた。










更に教室を幾つか回り、彼女は出発点である教室へと帰って来た。
補習授業で用いられている教室を避けつつ歩いていたので
朝一で動いていたというのに、思いのほか時間が掛かってしまった。
既に時刻は黄昏時。教室内は夕陽の朱に染め上げられている。

夏休み。
休むのは何も生徒や先生ばかりではなく、学校自身もまた休むのだ。
そんな校舎内を見詰めなおすのは、昔の時に触れるのと同じ。
背負っていた机は既に下ろしており、それに座った彼女は愁いを帯びた顔で。
焦点の合わない瞳は、今ではない何時かを映しているかのようで。

この教室で、皆と学校での時間を共有してきた。
音痴なのがたまに傷な、紅顔のバンパイアハーフ。
人を圧倒する外観と違って気の小さい、巨漢の虎。
人間でありながら最も個性の強い、バンダナの彼。
彼女自身も含めて、個性の豊か過ぎるクラスメートの面々。
けれど、過ごしてきた時間の大半はごく普通の学校生活。

色々な授業を受けた。
印象深いのは美術の授業、拙いながらも彼の絵を描いたこと。
しかし、他の科目が嫌いだったわけではなく
得手不得手はあったものの、どれも確かに大切な時間。
この教室で皆と出会い、皆と過ごした。
黒板を見て、引き戸を見て、窓から夕焼け空を見て
そして、次第に暗がりに浸されつつある教室全体を眺めながら
過去に在った出来事を思い返し、その一つ一つを噛み締める。

染み渡るように響くヒグラシの鳴き声に、彼女は静かに微笑んで
夕陽に溶けるかの如くに、微笑だけを残してその姿は掻き消えた。
後には、昼とは違う静けさに満ちた蝉の鳴き声が響くばかり。










夜の帳が落ちれば、もう蝉の声は聞こえない。
黒の濃淡で描かれた教室の中、人の姿は一人とて無く。

教室には、整然と並べられた机と椅子。
それらの中で一際目立つ、古ぼけた組み合わせが一つ。
年代物の机には、有り触れた落書きがあった。
簡単な一筆書きの下、線を隔てて名称が二つ。
より正確に言うならば、片方は名前で、もう片方は名字。

そのどちらも、この学校の卒業生の名前。
とてもとても控え目に書かれたそれは相合傘。
愛子、横島の名は、今もなお色褪せぬ想いと共に。


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