ザ・グレート・展開予測ショー

魂刃の錬丹術師 [3] 


投稿者名:夢酔
投稿日時:(06/ 7/21)

−1−


「知る者は言わず、言う者は知らず。その兌(たい)を塞ぎ、その門を閉じ、その鋭を挫き、その粉を解き、その光を和し、その塵に同じくす。これを玄同と謂う」――「老師道徳経」――


 「式神」を手に入れても、横島はやはり横島だった。

 そもそも、「式神」を手に入れた経緯が、「妙神山での修行中、死に物狂いになった弾みで、無意識に『式神』を『召喚』してしまった」という何とも判断に困る微妙なものだ。一応は『契約』が成立しているようだし、主従間の意思疎通は問題ないらしいものの、彼には「『式神』を『使役』する」という発想が完全に欠けていた。

 言い換えるなら、咄嗟の場合、彼は「式神」に命令を下すことなく、自力で何とかしようとしてしまうのである。勿論、彼の「式神」とて、ただ手を拱いている訳ではない。だが、彼は「式神」に主を庇う隙を与えないどころか、逆に「式神」すらも、無意識に自分の体を盾にして庇おうとするのだった。

 結果として、彼の「式神」は、「傍に居るだけ」ということになる。

 見た目よりも知能が高いらしく、「六道家の十二神将」のように「暴走」こそしないものの、除霊における戦力という観点から見る限り、「式神」としては全く役に立っていなかった。

 ただ、戦力としては役に立たないとはいえ、美神除霊事務所における彼の「式神」の評判はそれほど悪くはなかった。

 むしろ、かなり好意的だと言っても良かった。そして、その評価は、横島を知る者たちならば、誰もが共有するものだった。

 何故なら、「式神」を手に入れてから、横島がよく笑うようになったからだ。それも、場を和ませるための道化めいたものではなく、本当に心からの笑みを浮かべて。

 例えば、地平線が紫に輝きだす暁。

 まだ肌寒い空気の中、公園の木々に囲まれながら、少年がゆっくりと舞うように体を動かす。昇り始めた朝日を浴びながら、「式神」が彼の頭上をふわふわと漂う。朝の日課を終えた少年に、やや危なげな様子ながらも、「式神」がタオルを渡す。渡されたタオルで汗を拭きながら、少年は満面の笑みを零す。

 例えば、穏やかな日差しが射す昼下がり。

 事務所であれ学校であれ、彼が惰眠を貪るのは毎度のことだが、時折、何かに魘されるようになることがある。脂汗を浮かべ、誰にも聞き取れない程の微かに、けれども、聞くものの胸を掻き毟るような声で、少年は誰かの名前を呼ぶ。見るに見かねて、誰かが彼を起こそうとすると、何処からともなく彼の「式神」が現れる。そして、「式神」が彼の耳元に寄ると、少年は泣き笑いのような表情を浮かべ、再び安らかな眠りに戻る。

 例えば、空が茜色に染まって行く黄昏。

 学校からの帰り道や、本格的な夜の仕事が始まるまでの待機時間。機会が許す限り、少年は空を見上げる。彼の「式神」が淡い煌きを放ちながら、ゆっくりと主の周囲を舞う。そして、少年は、その輝きと夕日の両方を眺めながら、とても満ち足りたような優しい微笑を浮かべる。

 そんな光景が何度か繰り返された結果、彼の「式神」に文句を言う者はなくなった。

 勿論、不満の声が全く聞かれなかった訳ではない。それどころか、「式神」の登場は、彼を取り巻く女性陣が陥っていた膠着状態に、ある意味では、一石を投じるものだった。

 彼の一番弟子たる人狼の少女は、素直に嫉妬を露わにし、前よりも積極的に師匠たる少年の世話を焼きたがるようになった。

 彼の同僚たる巫女の少女は、秘かに対抗意識を燃やし、事務所での食事が気づかれない程度に豪華になったり、掃除や食事の差し入れに行く回数が徐々に増え出したりした。

 彼のクラスメイトたる机妖怪の少女、彼の隣人たる福神憑きの少女、彼の姉弟子たる竜神の姫君、彼の義妹たる蝶の化身の幼女など、彼に少なからぬ好意を抱く女性たちは、僅かな機会を捕まえては、何かと理由を付けて彼に構うようになった。

 だが、如何なる理由によるものか、彼の雇用主たる世界有数のGSは不気味な沈黙を保っていた。

 従業員たる少年と彼の「式神」の様子に、目くじらを立てることもなく、他の女性陣に対抗して少年を独占しようとすることもなく、時折、日記帳のようなノートに何かを書き付けるだけだった。

 また、あれほど目の敵にしていた筈の「現代の魔女」の店で食事を取ることが多くなった。その食事相手は、「世界有数の呪術師」や「日本を代表する式神使い一族の当主」であったのだが、『仕事の関係』と言われて、それ以上に追求する者はなかった。

 たった一人、彼女の被保護者たる妖狐の少女を除いて。

「『嵐の前の静けさ』って、こういうのを言うのかしら?」

 狐の姿のまま、ソファに寝そべっての彼女の呟きは、完全に正鵠を射ていたが、この時点では耳を傾ける者は皆無だった。


−2−


「緑の牧草を芽生えさせ給う御方、人間たちの女王よ! 万物を創造され、生きとし生けるものを正しく導き給う御方! 御身にとって、善と思われることを我が身に行い給うよう、我、御身に祈り奉る。……おお、我が女王よ! 我に我が行いを知らしめ給え、我に休息の場所をもたらし給え。我が罪を許し、我が面を上げさせ給え!」――「アッシリア・バビロニア文学選集」『女神に捧げる祈祷文』――


 瘴気が具現したような暗闇が周囲を覆い、命の息吹の枯れた茫漠たる荒野が広がる異界。

 再現された中世魔法技術によって創造された<領域>は、術者の心象風景の具現であるとも言え、その<領域>内にある限り、その主の力は通常とは比べられない絶大なものとなる。

 その主が、幅広の帽子にゆったりとしたローブという黒尽くめの格好で、指揮棒のように箒を振る。すると、何とも形容しがたい姿の影のような者たちが現れ、或るものは岩を積み、或るものは石を並べ、恐るべき速さで黙々と何かを作り始める。

 無言の影たちが環状列石とも前衛芸術ともつかない奇怪なオブジェを積み上げている中、その中央に一人の女性が陣取っていた。亜麻色の髪を振り乱しながらも、石で地面に「印」を刻み、要所に宝石を据え、巨大で複雑な「陣」を丹念に構築している。その眼差しは鋭く、極度の集中力を発揮しているのか、全く迷いを見せることなく、驚異的な速さで布陣を拡大していた。

「そろそろ休憩にしませんか、美神さん?」

 <領域>の主にして、魔法料理店のオーナー・シェフたる魔鈴めぐみが声を掛ける。彼女の傍らには、二人分のティーセットと焼き菓子を乗せた盆を持った箒が、侍従よろしく控えている。

「そうね。今日はこれくらいにしとくわ」

 限の良いところで作業を終了した美神令子が、彼女にしては珍しく、素直に応じた。

「では、こちらへ」

 魔鈴が指を鳴らすと、白い煙と共に丸テーブルと椅子が虚空から現れる。箒から受け取ったティーセットを操り、手馴れた手つきで紅茶を淹れる。爽やかな香りが漂い、それだけで周囲が霊的に清められる。

「ありがとう」

 恭しく椅子を引いてくれる箒と、女主人に感謝の言葉を述べ、美神が着席する。

「どういたしまして。でも、凄いですね。ここまで高精度かつ高密度な布陣はイギリスでも滅多に見られませんでしたから」

「そう? 魔法技術の第一人者がそう言ってくれるなら、第一段階はほぼ終了ね」

 穏やかな微笑を浮かべて手放しで賞賛する魔鈴に、照れを隠し切れないのか、微妙に表情の引きつった美神が答える。

「第一段階ということは、やはり『触媒』の入手がネックになる訳ですか?」

「ええ。彼方へと去った存在を『呼び戻す』以上は、それなりのモノを揃える必要があるでしょうね。あらゆるコネを使って、『腰布』・『腕輪』・『足環』は何とか手に入れたわ。『腰帯』と『胸飾り』は交渉中、『首飾り』は今度のオークションに出るみたいだから、何とか競り落とすしかないわね…」

「では、これで全部揃いますね」

 苦々しげに呟く美神に、悪戯っ子のような微笑を浮かべて、魔鈴が指を鳴らす。ワインの栓を抜いたような軽やかな音を立てて、『耳飾り』と『宝冠』がテーブルの上に現れた。

「こ、これは!」

「ええ、入手ルートはお教えできませんが、間違いなく『本物』です」

 驚愕に凍りつく美神に、晴れやかに微笑んで魔鈴が頷く。

「で、幾らなの?」

「御代は結構です」

「私を馬鹿にしてるの?」

 魔鈴の言葉に、美神の全身から殺気が迸る。

 しかし、その余波だけで紅茶に波紋が浮かぶような気迫を真正面から浴びても、『現代の魔女』は小揺るぎもしない。

「いいえ。これが、私の『贖罪』です…」

 微笑を僅かに歪め、儚げに首を振りながら、魔鈴が俯く。

「な…」

「『彼に命運を委ねた』という意味では、私達は全て同罪です。貴女だけが罪を背負うというのは傲慢ですよ?」

 言葉を失う美神に、司祭のような慈悲深い笑みを魔鈴が浮かべる。その眼差しは暖かく、優しい日の光が柔らかく包み込んでくるかのようだ。

 小さな嗚咽が漏れた。

 それが、前世の記憶すら無意識に封じ込め、愛する少年の一言で散らばった魂すら根性で繋ぎ止める『究極の意地っ張り』の限界だった。

 微かに震える瞳から、静かに雫が零れ落ちる。

 意地を張ることが上手くなっても、心の痛みに耐えられるようになる訳ではない。

 愛する少年の『苦渋の決断』を目の当たりにし、彼の『魂の奥底から迸る叫び』を耳にしたことは、成熟し切れていない彼女の心を苛むには十二分に過ぎた。

 雫は、途切れることなく溢れ続ける。気丈に振舞う影で、彼女が飲み込み続けた想いを代弁するかのように。

 『現代の魔女』は、無言で紅茶を取り替える。

 爽やかな香りがゆっくりと広がり、静かに泣き続ける女性を労るように、優しく包み込んだ。





『何とも可愛らしいお嬢さんだ』

 中性的な美貌の麗人が「三つ目の席」ごと現れる。

 柔らかな黄金の髪、磁器のような白い肌などは「絶世の美女」と呼んで差し支えないものの、強靭な意志を湛えた黄金の瞳は「歴戦の勇士」のような鋭い光を放っている。生憎なことに、背中の翼は折りたたまれているため、何枚あるかまでは分からない。

『お代わりはどうですかニャ?』

 客人の見送りに向かった女主人に代わり、彼女の『使い魔』たる黒猫が尋ねる。

『いや、結構だ。それに、君のご主人は…』

「お待たせしました、シャヘル様」

 性別不詳の麗人が答えるよりも早く、女主人が戻って来る。

『何とも懐かしい呼び名だが、そんなに気を使ってくれなくても構わん。それに、彼女も今回の件に無関係という訳でもないしな』

「でも、お客様をおもてなしするのはホストの勤め。『力ある方々』に礼を尽くすのは『魔女』の勤め。そういう訳にはいきません」

 手早く紅茶のお代わりを注ぎ、優雅に着席する。

「おや? 君は『悪魔と契約を結んだ魔女』ではなく、『古き神々を崇める女司祭』ではなかったかな?」

「ええ。でも、『古き神々』は和やかな側面と荒ぶる側面の二面性を備えているのが普通です。その意味では、私のような『本当の魔女』にとっては、神族も魔族も等しく礼を尽くすべき尊い方々です」

 茶目っ気たっぷりに訝しむ振りをする麗人に、魔鈴は満面の笑顔で切り返す。

「成る程。これ以上は却って失礼のようだ」

 麗人が居住まいを正すと、凛とした空気が充ちる。

「ご理解頂けて嬉しいです」

 魔鈴も真摯な表情になった。

「では、本題に入ろう。君を『現代の魔女』と見込んで頼みがある」

「どういった内容でしょうか?」

「何、ちょっとした『仲介』と『講義』をお願いしたいだけだ」

 冷や汗を浮かべながら尋ねる魔鈴に、淡く輝く透明な『結晶』を玩びながら、麗人は軽くウインクしてそう告げた。



−3−


「人を知るものは智なり、自らを知るものは明なり。人に勝つ者は力あり、自ら勝つ者は強し。足るを知る者は富む。強(つと)めて行う者は志(こころざし)有り。其の所を失わざる者は久し。死して而も亡びざる者は寿(いのちなが)し」――「老師道徳経」――


 地上で最も天に近い場所。

 サンスクリット語で「雪の住処」と呼ばれる山々が連なる純白の聖地。

 約4500万年前、南極大陸から分かたれ、北上したインド亜大陸はユーラシア大陸と衝突した。ゆっくりと北上を続ける亜大陸によって、狭間の大地は、遅々とした歩みながらも隆起を続けていった。今では、標高8000mを越す山脈が連なる世界最高峰の高地帯だ。

 そして、亜大陸の北上と、それに伴う山脈の隆起は、今もなお続いている。

 その意味で言うなら、この地もまた、大地を走る不可視のエネルギーたる『龍脈』が集結する『地球のチャクラ』の一つというべき場所だった。

 その吐く息すら凍る厳寒の中、一人の男が屹立していた。

 馬に跨っている様に深く腰を落とし、見えない巨樹を抱えるように腕を掲げながら、呼気と吸気の間に僅かな止息を交える独特の息吹を続けている。

 髪も髭も雪のように白いが、極限まで鍛えられた肉体は精気に溢れ、如何なる老いの陰も見られない。氷点下の暴風に晒されても微動だにせず、逆に、全身から発される熱気によって、周囲の氷雪が溶け出しそうなくらいだった。

「師父、お客様です」

 突然、何処からともなく、お団子頭に髪を結った美少女が現れ、可愛らしい声で来客を告げた。

 その声と同時に、黒い巨大な影が、音もなく男の目前に舞い降りた。額に一つだけ斑のある巨大な白虎と、その上に跨った道士服姿の老人だ。

「修行の邪魔じゃ。つまらん用なら、とっと帰れ」

 男は身じろぎもせず、本当に面倒くさそうに来客を睨み付ける。

「修行の邪魔をするつもりはないぞ。耳寄りな話を持ってきただけじゃ」

 だが、老人も然る者、飄々と殺気を受け流し、淡々と用件を告げる。

「なら、もったいぶらずに、とっとと話さんか」

「『蓬莱』に新たな『地仙』が生まれたようじゃ」

「だから、どうした?」

「そやつが、『欧州魔王』と『斉天大聖』の両方に『拝師』する、自分で生み出した『莫邪神剣』と『如意宝珠』を操る稀有な器だとしたら?」

「何じゃと?」

 茶目っ気たっぷりに話す老人の言葉に、男が目を剥いて叫んだ。

「そやつなら、お主の『拳』を継げるやも知れぬな…」

 含み笑いをしながら、老人は乗騎に跨った。老人が軽く首筋を撫でると、白虎が嬉しそうに喉を鳴らす。そのまま、主従はゆっくりと天を昇っていく。

「待て! 奴らは知っているのか?」

「さて? 『闡教』じゃ『截教』じゃと吠えようが、所詮『殺劫』からは逃れられぬ。『神魔』もまた然り。まあ、このご時勢じゃし、『命数』が尽きとる訳でもない。じゃが、先走る者が居らぬとは言えんて…」

 鋭い剣幕で問いかける男に、風に乗った老人の答えが届く。男が天を睨んだが、老人を乗せた白虎の影は何処にもなかった。

「『縮地』を使われたようです」

「分かっとる!」

 冷静な少女の言葉に、男が怒鳴り返す。だが、少女は意に介せず、微笑みながら男を見上げるだけだった。

 激情を堪えるように、男は瞑目する。

「……!」

 無音の呼気に裂帛の気合を乗せ、男が拳を放つ。天へと向かって、黄金の光柱が迸る。

 その輝きは、天を切り裂きながら重力の頚城を打ち破り、星辰の世界にまで到達したようだった。

「美星!」

「はい、師父!」

「山篭りは止めじゃ! これより、武者修行に向かう!」

「分かりました!」

 男の叫びに、少女が元気よく返事した。

 後ろを振り返ることなく、男がとんでもない速度で走り出す。だが、凍土には足跡一つ残らず、風を切り裂きながらも無音のまま疾駆する。

 続いて、少女が宙を舞う。軽やかに宙返りすると、少女の姿が消える。その代わりに、黄金に輝く『杵』が現れ、自分から男の腰帯に納まる。

「目指すは『蓬莱』じゃ!」

「そちらは『崑崙』です、師父」

 高らかに叫んだ男の意気込みも空しく、腰帯の辺りから、冷静な少女の声が響く。

「んなっ! うぉおおお!?」

 思わずつんのめった男は、勢いを殺しきれずに盛大な雪煙を上げて転倒する。

 その衝撃は、大量の位置エネルギーを蓄積していた氷雪たちの一群に、最後の一押しを与えるものだった。不気味な唸りが大気を震わし、凍りきった大地が小刻みに揺れ始める。

「『蓬莱』はあちらです」

「悠長に説明しとる場合かぁあああ!」

 暢気な少女の声と男の絶叫をかき消すように、氷雪の濁流が全てを飲み込んだ。





 その実力と報酬の高額さで、他に追随を許さない美神除霊事務所。

 建物そのものが意思を持つという本物の幽霊屋敷でもあるその応接間で、和やかに打ち合わせが行われていた。

 中央のテーブルを挟んで、姉妹にしか見えない親子が差し向かいで座り、その脇にそれぞれの関係者が陣取っている。ちなみに、何か別の用事で出かけているのか、犬神の少女達と同性愛疑惑のある小妖精の姿はなかった。

「『ダッシュ爺』?」

「高速道路とかで、『走って車を追いかけてくる妖怪』でしたっけ?」

「それを言うなら『ダッシュ婆』よ、おキヌちゃん。男性タイプは『Uターン爺』だったかしら? それなりに珍しいけど、せいぜいが中級程度の妖怪ね」

 広げられた写真を見て、横島が思わず漏らした呟きに、同僚の巫女少女と雇用主のGSが答える。

「いいえ、令子。これは別口というか、偶々、行動が似通っただけの、全く別の存在よ。甘く見ていると、怪我だけでは済まないわ」

 だが、その解答は、オカルトGメン日本支部長によって否定された。

「どういうこと、ママ? ただの妖怪じゃないの?」

「西条君?」

「最初に目撃されたのは、ネパールだ。その後、中国、ミャンマー、タイ、ベトナム等のアジア各国で目撃され、国によっては警察どころか軍隊まで出動したが、捕捉できずに終わったそうだ」

 娘の質問に自分では答えず、美智恵は教え子にして部下たる男に説明を任す。

「西条、そいつは何かやらかしたのか?」

「いや、高速で走行中の車やトラックに併走しながら、道を尋ねただけだ。直接的な被害は何も出ていない。驚いた運転手が事故を起こした例や、捕まえようと頭に血を上らせた警察や軍の関係者が自滅した例もあるが、罪に問うのは難しいだろうな」

 横島の言葉に、西条は首を振りながら説明を加える。

「何だか凄い『迷子さん』なんですね」

 おキヌの暢気な感想に、場の緊張が緩みかけた。

「いや、問題は、彼の『目的地』だ」

「どういうこと、お兄…西条さん?」

 苦虫を噛んだように顔を顰める西条に、仕事用へと意識を切り替えた美神が尋ねる。

「彼は『蓬莱』への道を尋ねたそうよ」

「……!」

 部下に代わって答える母に告げられた事実に、美神が息を呑む。

「あの〜、『蓬莱』って何処っすか?」

「昔の中国で日本を指す呼び名です。日本史の授業で習うでしょ、横島さん」

 だが、場の空気を読まない横島が素人丸出しの質問を投げかけ、『天然』の才能を遺憾なく発揮したおキヌが苦笑交じりに説明する。

「へ? それって、つまり…」

「先ほど、中国海軍から、海上保安庁に宛てて通報があったそうだ。『海上を疾駆する老人が日本へ向かっている』、と」

 溜息まじりの西条の言葉に、皆が一斉に沈黙したのだった。



−4−


「御身は美しき世界を、逞しき拳もて打ち砕きたり。世界は倒れ、崩れたり。半ば神たる人、打ち毀ちぬ。我らその破片を虚無へと運び、失われし美をうち嘆く」――ゲーテ「ファウスト」――


 I・C・P・O(国際警察機構)超常現象対策課―― 通称『オカルトGメン』は、悪霊や妖怪といった「人間に危害を及ぼす超常的存在の排除」を主要任務とする公的組織である。従って、原則だけを言うならば、人間に危害を及ぼしていない存在への対応をすることは基本的にはできない。

 だが、現実はそんなにも単純ではない。原理原則を墨守する傾向が強いのは官僚組織に共通する性質ではあるが、何事にも例外は存在する。そして、オカルトGメン日本支部は、その例外の代表とも言えた。

 海上保安庁から巡視艇、防衛庁から哨戒機を借り出し、中国海軍の報告に基づいて割り出した予想ルートを中心に警戒に当たらせる。警察、消防、地元自治体などにも話を通し、民間人の避難や救護などの体制を整え、万一の事態に備える。さらには、GS協会に応援を要請するだけでなく、個別に優秀なGSに当たり、任務への協力を依頼する。

 「ダッシュ爺」という間抜けな呼び名に比べると、それは厳重すぎると言えるほどの慎重な対応だった。

 その結果、唐巣神父とその弟子たるダンピールのピート、魔法料理店のオーナー・シェフを兼任する魔鈴めぐみ、六道家の当代当主たる六道冥子、「ヨーロッパの魔王」の異名を持つ錬金術師Dr.カオスと自動人形のマリアが呼ばれることになった。

 勿論、人選の基準は、対象の陸上・水上を問わない非常識極まりない走破性に鑑みた「飛行能力」である。

 現場の指揮を任せられた西条の指示で、ピート・魔鈴・冥子・マリアがそれぞれ四方に散る。神父と錬金術師はオブザーバー兼予備兵力として指揮所に詰めることとなった。

「そう言えば、美神君たちの姿が見えないが、彼女たちは?」

「彼女なら、自前の船で警戒にあたって貰っています」

 周囲を見回しながら神父が尋ねると、西条が不機嫌そうに答えた。

「何か問題があるのかね?」

「美神さんは、横島さんと二人だけで乗っているんです…」

 神父の疑問に答えたのは、そこはかとなく黒い雰囲気を纏った巫女少女だった。

「正体不明の存在が相手だから、君の安全を優先したんだよ」

「最近は、それらしい素振りを見せてなかったのに… ズルいです、美神さん…」

 冷や汗をかきながら、神父が必死のフォローを入れるが、巫女少女の耳には届いていないようだ。

「な! こやつは!」

 突然、資料をチェックしていたカオスが叫び声を挙げた。

「どうしました、ドクター?」

 血相を変えたカオスに、西条が問いかける。

「不味い! 小僧たちを呼び戻せ! 今すぐだ!」

「は、はい!」

「分かりました!」

 恐ろしい剣幕のカオスの言葉に、おキヌが通信室へ走る。

 カオスの表情だけで、対象の危険性を理解した西条もその後に続く。

「ど、どういうことです!」

「こやつは妖怪なんて生易しいもんじゃない! 人の形をした災害じゃ!」

 無意識にロザリオを握り締めながらの神父の確認に、カオスの不吉な言葉が返された。





「ちと物を尋ねるが、『蓬莱』はこちらの方角で合っておるかの?」

 違法改造したクルーザーに平気な顔で併走しながら、髪も髭も白く染まった功夫着の男が尋ねてきた。腰帯には、黄金の『杵』が無造作に挟まれている。

「な!?」

 さすがの美神も、その非常識な光景に言葉を失う。

「はい! 合ってるっす! どうかお気をつけて!」

 だが、男の危険さを本能的に察知した横島が、持ち前の卑屈さを遺憾なく発揮して、素直に男の質問に答えた。

「うむ。では、御免!」

 横島の答えに満足そうに頷くと、男は一段と速度を上げ、海上を疾駆する。その後姿に、横島は思わず手を振っていた。

「素直に見送ってどうする、この馬鹿!」

「たわばっ!」

 再起動した美神が、既に条件反射と化した裏拳で突っ込みを入れ、お約束通りに横島が甲板にダイブする。

 男を追うべく、クルーザーのエンジンが咆哮する。しかし、男との距離はなかなか縮まらない。

「ニトロ・オン!」

 業を煮やした美神が、ニトロ・ターボのスイッチを入れる。

 爆発するような轟音を上げ、船体を軋らせながら、クルーザーが飛ぶような勢いで男を追い上げ、何とか横に並ぶ。

「ねえ? あんたは何者? 何で『蓬莱』を目指してるの?」

 美神が大声で男に声を掛ける。

「わしはただの武術家よ。武者修行のついでに、『弟子』候補を探しに行く」

 最初は無視していたが、しつこく問い続ける美神に、渋々と男が答える。

「じゃあ、何でそんなに急いでるの?」

 男の目的がそれほど危険なものではないと判断し、美神が質問を変える。彼女とて、無意味な争いは避けたいのだ。平和的に解決できそうなら、この男に協力するのも吝かではない。

「そやつが狙われるかもしれんからじゃ」

「そいつの名前は? 条件にもよるけど、探すのを手伝ってもいいわよ?」

「ん? おお、それは有難い申し出じゃ。何と言ったかな、美星(mei-xin)?」

 美神の問いに、名前を思い出せないのか、男が腰の『杵』に尋ねる。

「『横島忠夫』です、師父」

 何処からともなく、可愛らしくも冷静な少女の声が響く。

「へ? 俺!?」

 状況が分からずに呆然としていたところへ、急に自分の名前を呼ばれたため、思わずといった様子で横島が間抜けな声を上げた。



−5−


「番人よ、さあ、お前の門を開け。お前の門を開け、私は入りたいから。お前が門を開かず、私が入れないならば、私は戸を打ち破り、杭を打ち壊す。門柱を打ち破り、戸を打ち砕く。私は、死者を起き上がらせ生者を食べさせよう。生者より死者が増えるようにしよう」――「イシュタルの冥界下り」――


 甲板上では、二人の戦士が華麗に『死の舞踏』を繰り広げていた。

 拳士の突きを、剣士の袈裟斬りが薙ぎ払う。

 剣士の刺突を、拳士の蹴りが逸らす。

 『拳』と『剣』が火花を散らし、攻撃の余波だけで大気が悲鳴を上げる。

 その攻防は苛烈で、余人の介入を拒んでいた。下手に介入すれば、介入した者だけでなく、介入された者も命を落とすのは間違いない。

「どういうことよ! あんたはそいつを守りに来たんでしょうが!」

 無駄とは知りつつも、美神は声を荒げずにはいられない。

「わしに『拝師』するに足る男か見定めるまでよ。女は引っ込んでおれ!」

 だが、男は素気無く退け、必殺の打撃を次々と繰り出していく。

「死ぬ! 本当に死んでしまう〜!」

 涙と鼻水を垂れ流す横島は、情けない台詞を喚きながらも、あるものは「栄光の手」やサイキック・ソーサーで防ぎ、あるものは紙一重ながらもぎりぎりで躱す。

「無駄な動きが多いが、『聴剄』は悪くない」

 そう呟くと、男が攻撃の速度を上げていく。

 横島も必死に致命打だけは凌ぐが、全てを防ぎきることは出来ない。瞬く間に防戦一方となり、満身創痍と化してしまう。

「どうした? 『如意宝珠』は使わぬのか?」

 攻撃の手を緩め、男が横島に問いかける。

 その行為は、傍ら見れば絶好にして唯一の「隙」に見えたのだろう。

「止せ!」

 突然、横島が大声を上げ、文珠を投げる。

 振り返りもせず、無造作に背後へと放たれた男の裏拳が乾いた音を立てて弾かれた。

「その若さの割には、大した『宝貝』よ。咄嗟の反応も悪くない…」

 『護』と刻まれた瑠璃色の宝珠が不可視の壁を生み出し、背後から男を襲おうとした「光球」と美神を庇う。

「じゃが、詰が甘い!」

 大喝と共に、拳を一閃。

 一瞬だけとは言え、目前の敵から意識を逸らしてしまった横島に避ける術はない。

「ぐはっ!」

 鮮血が飛び散り、横島が吹き飛ぶ。

「横島クン!」「ヨコシマ!」

 絹を裂くような悲鳴が『二つ』上がる。

「『護る』と決意したなら、相手も自分も諸共に護ってみせい! 中途半端な覚悟で己の命を投げ出すとは心違いも甚だしいわ!」

 雷鳴のような怒号が、大気だけでなく、魂をも揺さぶった。





 時が歩みを止めた。そう錯覚するほど、時間の流れがゆっくりと感じられる。

 目の前で、最愛の少年が血飛沫を上げながら、宙を舞っている。

 それは、ぞっとするほど現実感がない光景だ。

 思わず、目を逸らしそうになる。

―『逃げるのですか?』

 だが、現実から逃避することは許されなかった。

 何処からともなく響く短い言葉が、自責と恐怖に竦む者たちを断罪する。

―『それとも、戦いますか?』

 断固とした、それでいて慈愛の篭った言葉が、暖かに抱きしめ、彼女たちを解きほぐしていく。

「「私が…」」

「横島クンを…」「ヨコシマを…」

「「護る!」」

『二人』の叫びが重なる。

―『<力>を望みますか?』

 『二人』の選択に満足げながらも、何処か悪戯っぽい声音。

「「はい!」」

 だが、彼女たちは迷わずに断言した。

 魂の奥底から、<力>を望んだ。

 自分たちを庇って、自らを傷つけ続ける最愛の少年のために。

―『<力>を望むなら、与えましょう…』

 慈愛と威厳に充ちた声が、厳かにそう宣言した。





 <領域>に築かれた魔法陣が独りでに「起動」した。陣の中央に据えられた「結晶」が極彩色に輝き、無尽蔵であるかのように膨大な魔力を供給する。

 「契約」の呪を通して、横島から大量の霊力がルシオラに流れ込み、斉天大聖老師が施した「拘束術式」が勝手に開封されていく。

 背中合わせに美神とルシオラが立ち、彼女たちの頭上で、『太極図』を内包した瑠璃色の宝珠が眩い閃光を放つ。

 二人の姿が重なり、黄金の輝きを放つ女性のシルエットが浮かび上がる。

 『腰布』・『腕輪』・『足環』・『腰帯』・『胸飾り』・『首飾り』・『耳飾り』・『宝冠』が虚空から現れ、豊満ながら完璧に均整の取れた肢体を包んでいく。

 それが、美と愛と戦いを司る『忘れられた女神』が降臨した瞬間だった。





 横島の体が盛大な音を立てて甲板に叩きつけられる。

 追撃を叩き込もうとした男が、神速の反応で身を躱した。男の居た位置を白光が貫き、その余波だけで男の右腕が死んだ。

 ウェディングドレスともバレエのチュチュともつかない純白の衣装に身を包み、『虹色の輝く弓』を構えた『女神』が、何本もの『光の矢』を番え、男に狙いを定めている。

「『太白精』じゃと? 厄介なモノを呼び寄せおって!」

「師父とは相性が悪すぎます。傷も浅くありません。ここは、一度退くべきです」

 忌々しそうに舌打ちする男を、何処までも冷静な少女の声が諌める。

 男が横島を見やる。

 横島は、全身を自らの血で赤く染めながらも、気力を振り絞って半身を起こし、左手で支えた右手を真っ直ぐに男へ突きつけていた。

 彼の額からは血が滲み出し、右手に具現した「栄光の手」の甲の部分、太極図のような文様が浮かんでいた辺りに、何時の間にか瑠璃色の宝珠が収まっている。

 その瞳は、壮絶なまでの決意に輝き、闘志に溢れていた。

「『戦意』に体がついて来ておらん、か…」

 『女神』が次々と放つ無数の光線を、最小限の動きで躱しながら、男がそう呟く。

「小僧、勝負は預けた! 次までに、その『宝貝』を使いこなせるようになっておれ!」

 そう叫ぶと、右腕をだらりと垂れ下げながら海へと飛び出した。

 盛大な水柱が上がり、周囲が霧で覆われたようになる。

 視界が戻った時には、男の姿は消えていた。

「ぶは〜」

 大げさに溜息をついて、横島がひっくり返る。「文珠」を『装填』した「栄光の手」が、僅かな煌きを残して消える。

「しょ、小便ちびるかと思った…」

 先ほどまでの勇姿と、同一人物とは到底思えない発言が如何にも彼らしかった。

「って、美神さん! ルシオラ!」

 ようやく正常に機能し始めた頭が、最愛の女性たちの安否を確認するよう要求する。

「へ?」

 だが、横島の頭脳は、再びフリーズを強要された。

 陽光を浴びて煌く黄金の髪。

 処女雪のように白く、極上のシルクの手触りを思わせる瑞々しい肌。

 何より、彼の煩悩を刺激せずにはおかない、完璧に均整の取れた豊満な肢体。

「生まれる前から愛してました〜!」

 お馴染みの台詞と共に、伝説の怪盗の名を冠されたダイブを敢行する。 

「あらあら、『婿殿』はとても情熱的なんですね」

 茶目っ気たっぷりの楽しげな声と共に、柔らかな双丘が横島の顔を包み、蠱惑的な甘い香りが脳髄を蕩かす。

「ぼ、ぼかぁ〜、も〜!」

 拒まれなかったという衝撃的な事実も、『婿殿』という言葉の意味も、最早、理性を揮発させてしまった横島には届かない。

「私は構わないんですけど…」

 熱く滾る情熱に突き動かされ、若さを爆発させようとする横島。

「でも、『娘』たちが哀しみますから…」

 本当に「イイ笑顔」を浮かべ、するりと身を躱した。

「ぞ、ぞんな〜!」

 血涙を流して抗議しようとした横島が硬直する。

「横島クン?」「ヨコシマ?」

 『女神』は何処かへと姿を晦ましており、入れ替わるようにして、満面の笑みを浮かべた二柱の魔神が降臨していた。

「堪忍や〜 し、仕方なかったんや〜」

「「問答無用!」」

 二人の声がシンクロし、一瞬で横島を真紅の肉塊に変えた。

「私のことは、『エステル』とでも呼んでください。あ、『お義母さん』でも良いですよ?」

 美神の胸元からそんな楽しげな声が響いたが、横島の耳に届くことはなかった。

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