ザ・グレート・展開予測ショー

うらみくずのは


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(06/ 7/21)

     秋風の 吹き裏返す くずの葉の うらみてもなほ うらめしきかな


                                    平貞文 古今和歌集 巻十五 恋歌五
















湧き立ち昇る入道雲が、夏山に負けじと高くそびえている。



立秋の頃を控え、少し出遅れた夏が慌てて追いついて来た。
盆休みを前に、人骨温泉や奥曾野湖へと向かう観光客の喧騒を、シロとおキヌは少し離れたところで眺めていた。

「あー、次のバスはまだしばらく先でござるな」

所々さびの浮いた古ぼけたバス停の時刻表を見て、シロが困ったような声を出す。
御呂地村へ向かう村営のバスは本数も少なく、次のバスにはまだ二時間ほどもあった。

「いかが致しまする? タクシーで参りましょうか?」

「ううん。そんなに急ぐわけじゃないし、来るまで待ってましょうよ」

「拙者は別に構わないでござるが・・・」

そうは言うものの、シロの顔には懸念じみた表情が浮かぶ。
いくら東京よりは涼しいとはいえ、陽の出ている日中のさなかはやはり暑い。
自分一人ならそれこそ走って行ってしまえば済むのだが、おキヌが一緒ではそうもいかなかった。
その大きなお腹をみると、あまり暑いところに連れて行きたくはない。

「ね、ちょっと歩いてみない?」

「大丈夫でござるか?」

シロの気遣いをよそに、おキヌは強い光の中へと足を進める。
古くてひび割れたアスファルトからは熱気が照り返し、道の先にあらぬ水たまりが浮かんでいた。



古い民家や商店が並ぶ旧街道は、静かながらも人気がないというわけではない。
その風景に懐かしさを求めてやってくるのか、訪れる人にはわりと年配の人が多く、若いおキヌやシロの姿はよく目立つ。
さほど広くはない道をそぞろ歩き、時折古い商家などに立ち寄って中へ入ると、皆嬉しそうに話しかけてくる。
当然のようにお腹の子供の話題となるたびに、傍に立つシロは気が気でないのだが、当のおキヌは戸惑うこともなく、人生の先達者からの励ましやアドバイスに耳を傾けていた。
生まれてくる子の母にはなれぬこと、さらにはその後にもなれぬことを知りながら。

「ふうっ」

少し歩き疲れたのか、おキヌはとある茶店の席に座り、軽く息を吐いて上を仰ぎ見る。
元は享保の頃に創業した旅篭だったというこの家の天井は高く、黒ずんだ太い梁が長い年月を感じさせる。
遠来の客を暖かく迎えたであろう火鉢の煤が、かつての賑わいを彷彿とさせた。

「さすがにちょっと疲れたわね」

「もうしばらくすればバスも来ますゆえ、ここで待ってましょうぞ」

昼どきを過ぎて静かになった茶店に座り、シロはどこか願うようにそう言った。
汗のひとつもかいていないその顔は、疲れたなどとは語ってもいない。

おキヌが、そうしましょうか、とやさしく答えると当時に、店の女将が店の自慢だと言う葛きりを出してくれた。
裏手の井戸でよく冷やした葛きりには黒蜜がたっぷりとかけてあり、黒糖の甘さとぷるぷるとした食感とのどごしがたまらない。
暑さを忘れさせてくれる涼味をゆっくりと味わいつつ、つと目を外に向ける。

細木で組まれた格子窓には葛のつるが絡み、紫紅色の花が咲いている。
その向こうには行き交う人の姿もなく、打ち水を張った石畳がじりじりと乾いていくだけだった。



しばらくの間、ふたりしてじっと動かぬ景色を眺めていたが、やがてシロがぽつりと呟いた。

「・・・やはり、美神どのにはかないませなんだなあ」

「・・・そうね」

どこか実感の湧かない様子でおキヌは答える。
つい三日ほど前のことだと言うのに、おキヌにはもっと昔の出来事のように思えていた。
それこそ、この家のように三百年も昔に生きていた頃の、古い古い記憶のように思うことさえあった。

あの夜、タマモが泣きながら詫びを言いに来たとき、ついに美神と対峙する運びとなった。
今さら譲るつもりも謝るつもりもなかったが、これでもう終わりだろうと覚悟はしていた。
もしかすれば殺されてしまうかもしれない、そんなことさえ考えていたが、不思議と恐いという気持ちは持たなかった。
逆に、自分たちの間で怯えるタマモをなだめるほうが手を焼いたくらいだった。

すでに何もかも知っていることを聞かされているときも、美神は何も言わなかった。
予想していた神通棍も鉄拳も飛んでくることはなく、非難めいたことさえ口にしない。
おキヌの話を全て聞き終えたあと、ただ一言、恨むわ、と言うだけだった。

美神のあまりの意外な反応に、今度はおキヌのほうが落ち着かなくなった。
彼のことが好きではないのか、と逆に詰め寄るおキヌに対し、美神は、また千年待つわ、と小さく笑うのだった。

「あそこまで意地っ張りだとは思わなかったでござるな」

「・・・やっぱり、美神さんにはかなわないわ」

自分には恋しい人を諦める気持ちなど、これっぽっちも持てなかった。
魂に生まれ変わりがあるとは知っていても、いつ逢えるかもわからぬ転生に未来を託すことなど思いもよらなかった。
千年待ってようやく巡り逢ったというのに、意地を通してまた千年待とうとは、よほどの覚悟がなければ出来はしない。
美神令子という女性の強さに、自分はすっかり負けたのだった。



蕩けるような惑いに浸っていると、ボーン、と鳴る古めかしい柱時計の音に気付かされる。
時計の針に目を向けると、バスの時刻が近づいていた。

「あら? もうこんな時間?」

気をつけて、と言う女将に礼を述べ、店の外へ出ようとして眩しさに一瞬足が止まる。
シロもまた、両の手に荷物を下げたまま、眩しそうに顔をしかめた。

半乾きの石畳から立ち昇る熱気に蒸されつつ、少し早足で駅の方へと歩いていく。
さらに暑さを増した日差しの中で、おキヌはふと思ったことを問いかける。

「そういえば、シロちゃんはどうなの?」

「何がでござる?」

「私のこと」

急ぐ足は止めずに、シロはおキヌのほうにちょっと顔を向ける。
白く、大きなつばの帽子の影で、その表情は見えなかった。

「うーん、まだわからないでござるよ」

「わからない?」

「拙者は先生のことも、おキヌどののことも好きでござる。それに、美神どのやタマモのことも。なれど、誰かを選ぶことは出来ませぬ。ましてや恨むことなど」

ひとつ先のバス停につくと、まだバスの姿は見えてはいなかった。
乗り遅れずにほっとして息をつくと、粗末なベンチの隣に腰掛けたシロがそっと小さな声で囁いた。

「――でも、これからは出来るやもしれませぬな」

おキヌはシロの囁きに答えようとはせず、じっと前を見つめている。
いっぱいに手を広げたつるの先で、葛の葉がゆらゆらと揺れるたびに白い葉裏がちらりと映る。



そよと吹く風は柔らかく、秋の訪れが近いことを告げていた。

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