ザ・グレート・展開予測ショー

つゆのあだもの


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(06/ 7/19)

     命やは なにぞは露の あだものを あふにしかへば 惜しからなくに


                                    紀友則 古今和歌集 巻十ニ 恋歌ニ
















梅雨明けの間際に、名残の雨が降りしきる。



僅かばかり強くなった雨を見ようとして、おキヌは無意識のうちに窓のほうへと手を伸ばす。

「つっ・・・」

途端に火傷を帯びた腕に痛みが走り、思わず顔をしかめるが、引きつった皮が悲鳴を上げ、そのままベッドへと身を臥した。
今夜は久しぶりの仕事が入っていたというのに、この腕じゃとても役に立ちそうにはない。
もっとも、この様子では雨も止みそうになく、依頼されていた仕事は来週に持ち越しになりそうでもあった。

雨の日は休み、などと言うと大名商売だと揶揄する人もいるが、幽霊だの霊障だのといったものも、雨となれば鳴りをひそめるものだ。
人ならずとも、動物だとて雨の中を好んで動き回ろうなどとはしない。
それは、死んで我が身が無くなった後もなお、生前の記憶として霊に受け継がれる。
よしんば雨天の日に好んで活動する霊など、せいぜい蛙の霊ぐらいのものではなかろうか。

特にやることもなく、ただ寝て過ごすのは退屈だった。
それでも、つい先日まで溜まっていた陰鬱とした気分とは違っていた。

おキヌは無事なほうの手を伸ばし、すっかりぬるくなってしまったタオルをずらして火傷の跡をしげしげと眺めて見る。
顔の左頬から腕にかけて続く部位は、赤く熱を帯びてはいたが、幸いなことに水泡は出来てはいない。
数百度にも達する火球を受けたにしては驚くほどに軽傷で、じっと冷やしておけば済みそうであった。

「ひょっとして、うそをついてたのかな・・・」

赤く色の変わった皮膚の縁を指でなぞり、おキヌはそっと呟いた。
燃やし尽くす、と言ったタマモの言葉も、今となってはしおらしくさえ思えた。



「あー! ダメでござるよ、おキヌどの!!」

部屋に入ってくるなり大声を上げるシロに驚かされる。
おキヌははしたないところでも見られたかのように手を離し、ばつが悪そうな顔をしていた。

「まだ冷やしとかないとダメでござるよ。まったく、もう・・・」

なにやらぶつくさと文句を言いながらも、シロは冷たいタオルを交換し、首筋の火傷のまわりに浮かぶ汗をそっと拭う。

「ごめんごめん。でも、なんかもう大丈夫そうだったから・・・」

「大丈夫そうに見えても、タマモの狐火は普通の火ではござらぬ。甘く見ていてはダメでござるよ」

「はいはい」

普段とは立場が入れ替わったようなやり取りにおキヌはくすり、と笑い、せっせと手当てをしてくれるシロの成すがままになっていた。



丁寧な手当てが終わると痛みも和らぎ、いくらか楽になってきたような気がした。
心霊治療が出来るとは言っても、自分の怪我は治せないのが難儀でもあったが、やはり他人に看護してもらえるというのは嬉しいものだった。

「うん、だいぶ楽になったみたい。ありがとね」

「本当でござるか? まだ痛いところがあれば――」

「ううん、もう大丈夫」

「でも、もう少し冷やしとかなければダメでござるぞ?」

「うん、わかってる」

それから、と、シロはまだいくつか小言を述べ、ぬるくなったタオルを片付け、乱れたベッドを整える。
甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるシロの背中に、おキヌは横になったまま声を掛けた。

「ねえ・・・ タマモちゃんはどうしてるの?」

「タマモでござるか」

シロは片付ける手を休めることなく答えた。

「タマモなら屋根裏部屋に篭って臥せているでござるよ」

「え・・・ 大丈夫なの?」

タマモが自分に追わせた火傷のことをよそに、自分がつけた傷のことを心配するおキヌに、シロは思わず苦笑する。

「傷のほうは別に大したことござらぬ。まあ、一、二日もすれば直るでござろう。それよりも・・・」

「ま、まだ他に何かあるの?」

「たった一尾とはいえ、おキヌどのに切られたことのほうがショックのようでござっての。何を言ってもふとんから出て来ないのでござるよ」

シロの返事を聞いて、おキヌは思わず吹き出してしまった。
知らぬ間に何か大変なことをしてしまったのではないかと心配したのに、要は負けたのが悔しくて拗ねているのだという。
まるっきり子供のようなタマモの反応に、おキヌは頬の痛みも忘れて笑い転げるばかりだった。



「それにしても、よもやおキヌどのから魔力が出るとは思いもしなかったでござる」

ひとしきり一緒になって笑ったあと、感心したようにシロが言う。

「あれにはさぞやタマモも驚いたことにござろう」

「あ、あれね」

おキヌは照れくさそうにして答える。

「もう、夢中でなんだかよくわからなかったんだけど、突然こう、手のひらから――」

そう言いながらおキヌはシロに向けて手の指を開き、腕を前に突き出して構えてみせる。
当然、そこからは何の力も光も出てこない。
タマモの尾を切り飛ばしたその強烈な力はあのとき限りで、そのあと何度真似てみても出来はしなかった。

予想通り不発に終わった構えを解き、おキヌはお腹に手を添えてさする。
寝ていてもそれとわかるお腹は一夜のうちに緩やかな膨らみを帯び、もはや妊娠していることは誰の目にも隠すことは出来なかった。

「やっぱり、この子の影響なのかな・・・」

「その子とても無意識のうちに身の危険を感じたのでござろう。生まれる前に一緒に死んではなんにもなりませぬからな」

まさか水子になるわけにもいきますまい、と言うシロの冗談は妊婦にするにはあまりにも無神経な話だが、おキヌは、ひどいわ、とか言いながら一緒になって笑っていた。
たとえ後には敵になるとしても生まれるまでは一蓮托生、いわば運命共同体のようなものであることはおキヌも充分承知していた。
それゆえ、まだ見ぬお腹の子に助けられたことに、ほんの少しだけ感謝するのだった。

「だけど、これで何もかもバレてしまいましたな」

そう言ってシロはほんの少し顔を曇らせる。
売り言葉に買い言葉でタマモと口論しているのも聞かれてしまったし、なによりお腹の子の正体がすっかり露見してしまった。
まだ何一つ自分の口からは説明していないというのに、もうこれ以上説明することは何一つ残ってはいない有様だった。

しかし、意外なほどにおキヌの様子は落ち着いている。
今さら取り繕ってみてもどうにもならないというのもあるが、ずっと抱え込んでいた重荷を下ろせたことによる安堵感がまず大きかった。
事ここに至っては流れに身を任せるより他はなく、ある意味開き直ったとも言える強さがあった。

「ああ、これでもう、シロちゃんともお別れね。生まれてから今日まで三百と十余年、短い人生だったわ」

「それだけ生きれば思い残すこともないでござろう。迷わず成仏なされよ」

芝居掛かった台詞を言い、互いに顔を見合わせたかと思うと、またも二人して大笑いする。
その様子はよもや人生の苦境に立たされている者とも思えず、むしろ隣の部屋の主のほうが苦悩しているに違いなかった。
シロは壁の向こうにちらり、と視線を送り、ちょっと肩を揺らしてみせる。

「まあ、美神どのも今日のところはどうすることもありますまい。せっかくだから、ゆっくり休んだほうがよろしかろう」

「でも、そろそろ晩ご飯の支度をしないと・・・」

その言葉にシロはあきれた顔をしてみせる。

「おキヌどのの手料理なぞ、今日の二人が食べるはずもないではござらぬか」

あ、と今さら気づいたように小さく声を上げるおキヌを見て、シロはやれやれ、と息を吐いて肩を落とす。
この人はどこまでお人よしなんだか、そう思うと全身の力が抜けていくばかりであった。



シロはもう一度ベッドの脇に屈み込み、また少し熱を帯びてきたおキヌの火傷に丹念な治療を施していく。
その心地良さにおキヌはいつしかすやすやと寝息を立て始め、シロは前を合わせてそっと立ち上がる。
音を立てぬように部屋を離れ、静かにドアを閉めた。

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