ザ・グレート・展開予測ショー

紫穂は……(絶対可憐チルドレン)


投稿者名:ジャン・バルジャン
投稿日時:(06/ 7/14)



  
「紫穂は……」




 ふわりと風が吹いた。風は自分の顔にかかる髪を少しだけ揺らし、またどこかへ旅人のように消えてしまう。

 秋の日は落ちるのが早く、すでに風景は茜色に染まってた。それは確かに美しかったが同時に暗い夜の始まりを告げる色でもあるため手放しで喜ぶにはビビッドが足りない。自分の顔もその目の前にある彼のための食事も、全てその色で塗りつぶされている。

 自分は彼ともう二度と出会えない。

 彼のために用意した食事をみつめながら紫穂は唐突にそんなことに気づいた。















「それで話って何かしら。しかも二人きりなんてなかなか刺激的なシチュエーションで」
くすくすと笑いながらそんなせりふを向けたが、彼は黙って備え付けの小さな冷蔵庫から缶コーヒーを二つ取り出してくるだけだった。そしてひとつをこちらに放る。ブラックだ。皆本も同じ缶コーヒーのプルタブを開けて部屋の反対側にあるソファーに腰掛ける。仕方なく紫穂も黙ったまま彼の後ろについて皆本と対面する形でソファーに座った。ここはバベルの施設内にある皆本の、正確には皆本と自分たちに与えられた執務室だ。
「話というのは薫と葵のことでね」
とたんに紫穂は憮然とした表情となる。別にコーヒーが苦かっただからでは無い。ブラックのコーヒーしか常備してないのも、こっちに席をすすめもせずに勝手に自分だけがソファーに座ってしまうのも我慢できるが、本気で脳みその一部に神経が通ってないんじゃないか、とまで思わせるこのデリケートの無さだけはいかんともしがたい。皆本はこちらの表情に気づいていないのか、それとも気づいていながら無視しているのかわからなかったが、話を進める。
「なんかあの二人、最近変じゃないか?」
「………」
ようやっと気づいたんかい、このトーヘンボク。
 自分たちと彼との付き合いはもうかなりの年月になる。その時間の長さとその間に起こった事件とそしていくつかの事情や個々のパーソナリティーから鑑みてみると私たち三人が彼に惹かれてしまったのは当然の帰結といえなくもない。
 一ヶ月前から始まった皆本の言う二人の変調はそのあたりの要因と絡んでいる。もちろん紫穂はその原因をよく知っている。よく知っているのだが……










 自分の問いに対して紫穂はしばらく黙ったままだった。それは自分の質問に対する答えを探しているというよりは見つけた答えをどう伝えるべきか、ということに重点を置いて思考しているようだった。弱った。素直にそう思う。こういう状態に陥った時、彼女は一番頑固だ。他の二人ならなだめすかせば答えを聞きだせることもあるが、彼女に対しては無理に聞き出そうとして成功したためしがない。だから皆本は何も言わずただ待った。やがて彼女は手に持っていたコーヒー缶をことりとテーブルに置いた。それで皆本は彼女が話し出すのかと思って顔を上げたが、紫穂はあいかわらずだまりこくったままだった。
「何も知らないのか?」
さすがに沈黙に耐えかねて皆本がそう聞く。それに対し、紫穂は一瞬沈黙を保ったがやがて首を横に振った。
「知ってることはあるけど教えられないわ」
「どうして?」
「どうしても」
皆本は頭を抱えるしかなかった。いつにも増して彼女の態度は頑なだった。一方、苦悩する皆本を尻目に紫穂は優雅な所作で髪をかきあげる。
「でも、しょうがないからヒントだけ教えてあげる。そうでもしないと永久にわかってくれなさそうだから」
紫穂の言い方は少し妙だ、と皆本は思った。『わかってくれる』という言い方はその対象が三人称であるはずの薫や葵ではなくむしろ……
「皆本さんは一つ勘違いしているわ」
彼女はそういって立ち上がるとテーブルを回って皆本の隣のソファーに座る。
「勘違い?」
自然と皆本の顔も横を向くこととなる。
「そう。皆本さんは当事者が薫ちゃんと葵ちゃんの二人だけだと思っているかもしれないけど、これはあの二人の問題ではなく、私たち三人の問題なの」
「え?」
「やっぱり気づいてなかったのね。ちょっと期待してたんだけど」
彼女はそういって乾いた笑みを浮かべる。
「まあ、私は薫ちゃんほど自信家でも、葵ちゃんほど無邪気でもないから気付かないのもしょうがないかな」
「どういうことだ?」
皆本は怪訝な顔をして聞き返すが紫穂はそれにはこたえず、話題を唐突に変えた。
「昔ね、猫を飼っていたの」
「はぁ?」
ますますわけがわからず皆本は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「飼ってた、というのは正確じゃないのかもね。ある時庭先に野良猫に勝手にえさを与えていただけなんだから」
小さい頃から卓越した超感覚を持っていた彼女にとっては人の相手は疲れるばかりだった。そんな時、たまたま庭先に現れた野良猫に面白半分にミルクを与えたのが始まりだった。猫の思考を読むことはできても、それは超現実的な絵を見た感覚に似ていてその意味するところがまったくわからず、人と付き合うよりずっと楽だった。紫穂にとって家族を除いては初めて気楽に付き合うことのできた存在だった。猫は猫でそこに来れば餌にありつけることに気づいたのか、それからしばらくの間毎日のように紫穂の元を訪れた。
「でもね、ある日からぱたりとこなくなったの」
兆候はあった。数日前から少しづつ猫の思考に妙な色が流れ込んでいた。それが次第に大きくなってゆき、そして猫は再び紫穂の元に現れることは無かった。猫が消えた日、紫穂は夕日が沈むまで猫のために用意した食事をじっと見ていた。
「理由がなんだったのかはいまだにわからずじまい。多分、繁殖期か何かじゃないかなって勝手に思ってる。その時、初めて思ったわ。この力をもっと強くしたいって。この力がもっと強かったらあの子がいなくなるって事をちゃんと前もって知ることができたのにって」
そう言ってきゅっと皆本のスーツの袖をつかむ。
「でもすぐにこうも思ったわ。この力が強くなってあの子がいなくなるって事をちゃんとわかってて、それでどうなるんだろうって」
そこで紫穂はふうっと息を吐いた。
「薫ちゃんなら力でしばりつけることもできたでしょう。葵ちゃんなら逃げられてもどこまでも追っていくことができたでしょう。でも私はそんなことはできない」
「紫穂……」
「私はね、大切なものが自分の手からいなくなる時、それを知ることはできてもそれを縛り付けることも追うこともできないの。ただ知ることができるだけ」
皆本はその時不意に気付いた。自分と紫穂の距離が、近い。互いの顔の距離は10センチも無かった。紫穂の表情はガラス細工のようにはかなげで、それでいてまなざしだけは灼熱のような熱さを帯びていた。
「ねぇ、皆本さん。次に大切なものが自分の手から離れてしまうってわかったら私はどうしたらいいのかしら」
すっと紫穂の手が皆本の顔に伸びる。皆本は紫穂の瞳に縫いとめられたように動けない。紫穂の手は皆本の頬を軽くなでてから少しづつ下のほうに動かしていく。
「壊しちゃえばいいと思わない?」
いつの間にか紫穂の手は自分の首にあった。表情は先ほどと微塵も変わらない。悲しみと情熱と諦めと恍惚とが同居したような、としか言いようがない一吹きしたら消えてしまいそうな蜃気楼のような表情。
「いなくなっちゃうなら、いっそ自分の手で……ね?」
皆本は何も考えられなかった。紫穂の瞳で体の動きだけでなく脳の働きまで止められてしまったみたいだった。それに続いて呼吸まで。違う、これは彼女の目ではなくて肩から伸びる手のせいだ。息が……苦しく……
「くすくす、なぁんてね」
近づいてきた時と同様に自然なしぐさですっと紫穂は手と顔を皆本から離す。
「ヒントはこれでおしまい。後は自分でちゃんと考えて」
会話を切り捨てるように紫穂はそう言ってソファーから立ち上がる。そしてそのまま部屋の出口に向かった。
「お、おい紫穂」
その頃になってようやく皆本は慌てたように呼びかけるが紫穂はそれに答えず、扉を開けて部屋から出て行った。
 後にはぽかんとした顔をした皆本が部屋に残されるばかり。













 今ほどこの力を恨めしいと思ったことは無い。葵はある意味で幸せだ。あの子は自分のように皆本さんの心を読むことはできない。だから彼が薫に対してどのような感情を持っているのか知りようが無い。だから無邪気に張り合うことができる。無邪気に振舞うことができる。知ってしまった自分はそんなことはできない。でもあきらめることはもっとできない。
 薫はひきつけることに成功した。
 葵はそれをひたむきに追い続けている。
 自分は?
 退くことも進むこともできず、戸惑いながらその場にい続けるだけ。全てを知りながら、いや知っているからこそ立ち尽くすしかないのだ。もうどんなに手を伸ばしても届くことは無い。欲しいものは薫が引っ張っていってしまったのだ。葵はそれを手に入れようと必死に追い続けているが、いつまでも追いつけていない。
 バベルの廊下は最近の省エネ運動の影響なのか、ひどくうすぐらい。視線を落とすと自分の長い影がリノリウムの床に伸びている。当然ながらかげは真っ黒だ。真っ黒なのだ。目を背けたくて振り返る。すると廊下の端の窓から西日がさしているのが目に入った。あの日と同じように。








 ふわりと風が吹いた。風は自分の顔にかかる髪を少しだけ揺らし、またどこかへ旅人のように消えてしまう。

 秋の日は落ちるのが早く、すでに風景は茜色に染まってた。それは確かに美しかったが同時に暗い夜の始まりを告げる色でもあるため手放しで喜ぶにはビビッドが足りない。自分の顔も視界の隅にある彼の部屋の扉も、全てその色で塗りつぶされている。

 自分は再び大切なものを手放すことになる。

 彼の名前が書かれたネームプレートが次第ににじむのを見ながら紫穂は唐突にそんなことに気づいた。

今までの コメント:
[ 戻る ]
管理運営:GTY+管理人
Original GTY System Copyright(c)T.Fukazawa