ザ・グレート・展開予測ショー

みなばつれなく


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(06/ 7/14)

     夕されば 蛍よりけに もゆれども 光見ねばや 人のつれなき


                                    紀友則 古今和歌集 巻十ニ 恋歌ニ
















梅雨蒸れに早鳴きの蝉も声を潜めるような日のこと――



暦も半分を過ぎたというのに、まだ照りつけるような光は見えてこない。
夕暮れ時を狙って外へ出たにもかかわらず、湿気を帯びた風が歩くたびに絡みついてきて、シャツの下にねっとりとした汗を吹き出させてくる。
普段なら苦にもしない買い物袋の重さが、ずっしりと両の手に堪えてくるようでおぼつかない。
商店街からはほんの一駆けのところにあるはずなのに、仮初めの我が家への道はたまらなく遠くに思えた。

「ただいまでござる〜〜」

人工幽霊が開けてくれた玄関を跨ぎ、はち切れんばかりに膨らんだ鈴なりの袋を下ろし、シロはめずらしくも音を上げる。
暑さに強いはずの彼女も、だらしなく舌を出して息を切らす。

「重かった〜〜!」

「ごくろうさま、シロちゃん」

おキヌが差し出した冷水に浸してしぼったタオルで顔を拭き、首筋の汗を拭うと、ようやくに人心地ついた。
人目がなければシャツの中も拭いたいところであったが、さすがにそれは思いとどまった。

「もうすぐごはんでいい?」

大量に買い込んだ食材をより分けながら聞くおキヌの問いに、シロはやや気乗りしない返事を返す。

「あ〜、別にいいでござるが、拙者、あんまり、その・・・」

どうにもこの蒸し暑さに閉口したのか、めずらしく歯切れの悪い言葉で濁す。
暑くとも、せめて夏空だけでもあれば気も晴れるのだが、天に蓋をされたような天気ではそうもならない。
今日は、事務所御用達の肉屋の主人がいつもおまけしてくれる揚げたてのメンチカツにもコロッケにも、まったくと言って良いほどに触手が動かなかったくらいなのだ。

戸惑いがちに申し訳なさそうに話すシロの気持ちを慮ってか、おキヌが笑いながら言う。

「私もね、あんまり暑かったから、今日はおそうめんにしようと思うの。それなら大丈夫でしょ?」

「それならなんとか・・・」

「じゃ、これからすぐに茹でるからね。ちょっと待ってて」

そう言うとおキヌはぐったりしているシロを置いて、キッチンの奥へと姿を消した。
徐々に暮れてきた頃になって、ようやく微かに風鈴の鳴る音が聞こえ始めた。



ちりちりと鳴く蝉の声が途切れた頃、おキヌが茹で上げた素麺を持ってやってくる。
氷水をたっぷりと張ったガラス鉢はそれほど大きくもなく、一人分の素麺がそれぞれに泳がせてある。
端折って大鉢にきゅうきゅうと盛り付けてしまっては見た目にも暑苦しく、こういったちょっとした配慮がシロの食欲をそそる。
水に浮かせた木の芽と、ぽつんと描かれている水玉の絵付けが、より一層涼しげであった。

「おっ、うまそうでござるな」

氷の脇にちょこんと盛られている缶詰のみかんとさくらんぼを見つけ、シロはちょっと嬉しそうな声を出す。
味の取り合わせとしてはともかく、今となってはどこか懐かしささえ感じる組み合わせだった。

薬味にはわけぎにみょうが、おろし生姜に白胡麻など。
たまには趣向を変えて、山椒の実なども悪くない。

「では、さっそくいただくでござるよ」

「あ、ちょっと待って」

食欲がないと言っていたわりに、座るや否やに箸を持つシロにおキヌは待ったをかける。
さすがに素麺だけでは申し訳ないと思ったのか、小さな小鉢を一つ、二つと並べていく。

「これはなんでござる?」

旬の走りである小茄子の揚げ浸しや、胡瓜の雷干しなどに交じり、シロの気を引くものがあった。
切子調の器にはうすく色付いた出汁が張られ、緑色の星型をしたオクラの輪切りがたっぷりと浮かんでいる。
真ん中にはサイコロ大に切った豆腐が飾られ、白と緑のコントラストが鮮やかだった。

「まあ、ちょっとためしてみて」

そう言って勧められるままに、シロは恐る恐る口をつけてみる。
ほんの少し舐めるだけのつもりだったのだが、予想以上に粘る汁が、ずるずると口に吸い込まれていく。
口の中に広がる、たっぷりの鰹節で取った出汁の旨みと、しゃきしゃきとしたオクラの食感が目新しい。

「む、これはなかなか・・・」

冷たい出汁の風味と、ぬるんとしたのどごしに気を良くし、さらにもう一口と含むと、ぴりっとした辛味が舌を刺激した。

「これは――わさびでござるか?」

オクラとはまた違う歯ざわりと味にシロが問うと、おキヌは我が意を得たりとばかりに微笑んだ。

「そう、少しだけわさびの茎を刻んで入れてみたの。ちょっと多かった?」

「いやいや、これぐらいがちょうどよいでござるよ」

「昔から、夏には粘り気のあるお野菜がいいって言うでしょ?」

こんなときこそ精をつけなきゃね、と言うおキヌに、シロはからかい気味に返す。

「精をつけるのは拙者ではござらぬであろう?」

とたんに顔を赤くするおキヌを見て、シロは冗談でござるよ、と笑う。
あれほど大胆なくせに、どこかまだ初心なおキヌがいることに、シロは静かに安堵するのだった。



瞬く間に半分ほどの素麺を平らげ、雷干しをかじり、よく冷えた小茄子に箸を伸ばす。
軽く素揚げされた小茄子の紫が鮮やかで、白磁の器に色よく映える。
へたをちょいとつまんで口に運ぶと、茶せんに切られた実から甘めの冷たい出汁がにじみ出た。

「ほ・・・ これは思わず酒が欲しくなるような――」

いっぱしの酒呑みのようなことを言うシロを、今度はおキヌがからかうように言う。

「あら。なんなら一本つけましょうか?」

「されば一献」

飲めもしないシロがなんとなくその気になっている様に、自然とおキヌの顔から笑みが零れる。
夕暮れ時に差し向かいで呑む酒は格別だが、あいにくとふたりにはまだ早い。
今ここにはいない主が聞いたなら、きっとそう言うに違いなかった。



食欲が落ちていたにしては結構に食べ、酒の代わりに熱い茶をすする。
いくら暑いとはいえ、冷たいものばかりでは身体にもよくはない。
おキヌが無意識のうちにお腹をさするのは、食べ過ぎたというわけではなかった。

「――それで、どうするのでござる?」

やさしく手を添えるおキヌの様を見つつ、シロはおずおずと尋ねたいことを切り出した。
傍目にはまったくわからないせいか、それはふたりだけの秘密の会話のように思えた。

「何が?」

「ややこのことでござるよ」

「それがどうしたの?」

シロの聞きたいことを知っていてとぼけるおキヌに、少し茶を含んでから言葉を搾り出す。

「――堕ろさないのでござるか?」

「なんで?」

「なんでって、その――」

シロの告げる残酷的な勧めにも戸惑うことなく、おキヌはじっとシロの目をやさしく見つめている。
今はなき母をも思わせるその目に問われると、あたかも自分の立場が逆になったような気さえしてきた。
再び乾いた口に、幾分ぬるくなった茶を含んでのどを湿らせる。
それでもなお、乾いてくるような感じがした。

「――お腹の子は魔族にござろう?」

否定も肯定も必要としない問いにおキヌは答えようとはせず、黙ったまま空になった急須に湯を注ぐ。
その何気ない仕草にさえ、シロの目が微かに怯えるのが浮かんで見えた。

ふたつの湯のみに交互に茶を注ぎ、雷干しをひとつ口に運んで音を立てる。
ぽりぽりと小気味の良い音が止み、熱い二番茶をすすると、ようやくにその口を開く。

「ふたりとも、普通の人間なのにねえ」

ふと、自分の経歴を見ると普通じゃないのかな、とも思うが、純粋な人間であることは疑いようもない。
それなのに、お腹の子供はまず間違いなく純粋な魔族であるというのだから驚きである。
自分の師にもあたる神族の調査官がいろいろな説明をしてくれたが、今となってはそんなことはどうでもよかった。

「――まさに執念、にござるな」

人づて話に聞くだけで会ったこともない女魔族のことを思い、シロは思わず身震いをする。
いかに心底惚れた間柄とはいえ、それほどまでの思いを抱けることに空恐ろしささえ感じていた。
はたして自分にそんな思いが貫けるのか、とても想像だに出来なかった。

「生むわ」

傍目にも顔色を悪くしたシロをよそに、おキヌはきっぱりとした口調で言い切った。
その凛とした態度に、シロの顔がますます白くなる。

「――しかし、それではおキヌどのに万が一のことが」

そうまでして果たした思いの末に、単に娘として生まれてくることを易々と受け入れるとは思い難い。
半妖たる自分ですらも人とは違う衝動があるというのに、まして純然たる魔族となればいかような動きに出るか知れたものではない。
最悪の場合、母体であるおキヌの身体を損ねるような形で生まれ出てくることも充分に考えられる。
そうなってしまったとき、目の前に座るこの愛しい恋敵は、命はおろか魂でさえも呑み込まれてしまうやもしれなかった。

「大丈夫よ」

恐ろしい考えに取り憑かれて青ざめるシロの肩に、おキヌがそっと手を触れる。

「たぶん、上手くいくんじゃないかな、きっと」

少し気難しい姑ぐらいを相手にするかのように答えるおキヌの声に、シロは自分の顔がやんわりと色付いてくるような気がした。
この人なら大丈夫だろう、不思議とそう思えるようにさえなってくる。



「すると後は――」

幾分顔色を取り戻したシロの言葉に、今度はおキヌの顔がさっと曇る。

「――あとは美神どのだけでござるか」

この期に及んでもおキヌのことに気づかない、いや、気づかないようにしている主のことを思い、またもため息をつく。

「――今さら私の口からは言えないし、気づくのを待つしかないんじゃない?」

「待つと言っても、普通ならもうとっくに気づくと思うのでござるが」

「そうよねぇ・・・」

シロの指摘につられ、おキヌもため息をついた。
別に不倫でもするカップルのように隠しているつもりもないので、少しカンを働かせれば誰にでも気がつくだろう。
事実、それほど顔を合わせるでもない彼女の母親のほうが、何もかもすっかりお見通し、といった感じだった。
このまま黙っていたとしても、あと少しもすれば目に見えて嫌でもわかるようになる。
そのとき彼女は一体どうするか、お腹の魔族の子以上の難問に、ふたりは揃ってまたため息をついた。

窓の外はすっかり暗くなり、しっとりとして重い風がぬるりと吹いていた。

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