ザ・グレート・展開予測ショー

うたたねにあふ


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(06/ 7/ 9)

     うたたねに 恋しき人を 見てしより 夢てふものは たのみそめてき


                                    小野小町 古今和歌集 巻十ニ 恋歌ニ
















夕暮れに轟く雷鳴に揺り起こされる。



「えっ!? 雨!?」

つと覚ました目には蒼や紅など見えず、空はすでに黒一色に塗り込められていた。
最初のうちはぽつり、ぽつりと垂れていた気配も、瞬く間に夕立となって道行く人を激しく責め立てる。

「大変! 早くしまわなきゃ!」

干したてのふとんの誘惑に負け、つい居眠りをしてしまったおキヌは声を上げ、急いで身を起こす。
跳ね起きたおキヌの姿を見て、部屋の奥からシロが声を掛けた。

「大丈夫でござるよ。もう取り込み申した」

落ち着き払ったシロの声につられ、欄干に目を向ければ、役目を終えたものほし竿だけが大粒の雨に打たれている。
窓の外では、にわかに降り始めた夕立に慌てて洗濯物を取り込もうとする家々の様子が見えた。

「――ああ、よかった。シロちゃん、ありがとね」

おキヌはほっ、と胸をなでおろし、丁寧に洗濯物を畳んでいるシロに礼を言う。
その言葉にシロはにんまりとし、幾分得意そうな顔で笑う。

「なに、急に雨の匂いがしてきたので、これは降るな、と思ったのでござるよ。人狼の嗅覚は伊達じゃないでござる」

「起こしてくれれば一緒に手伝ったのに・・・」

「いや、気持ち良さそうに寝ていてござったから、なんだか起こすのも忍びなくて」

「そんなに寝ていた?」

ほんの少しまどろんでいただけのつもりだったのだが、いつのまにやら寝入ってしまっていたらしい。
まだぼんやりとする頭で思い起こせば、かれこれ二時間ぐらいは寝ていたようだ。




今日こそはちゃんとやろうと思っていたのに、またさぼってしまったようで、おキヌは少々ばつが悪い。
せめて畳むのだけでも手伝おうとするのだが、シロにやんわりと止められた。

「もうすぐ終わるからいいでござるよ。たまにはゆっくりと休んでくだされ」

「でも・・・」

シロは片手をひらひらと揺らし、起き上がろうとするおキヌを制する。

「おキヌどのは近頃、増して寝不足気味にござるからな。拙者、些か心配にござるよ」

どうせ今夜も逢うのでござろう、と続けるシロの声には、微かだが揶揄するような響きが含まれていた。
そう、夜が来れば、と思い、おキヌは僅かに身をよじらせる。
その様を見て、シロは今度ははっきりとわかるようにため息をつく。

「――おキヌどのだけじゃないのでござるから、無理はしないでほしいでござるよ」

遥か年下のシロにたしなめられるのも赤面の至りだが、恋しく思う気持ちは止められるものでもない。
うたたねの夢の中にても逢いたい、抱かれたい、恋したい。
図らずもそれを妨げる雷神様でさえ、いっそ恨めしく思えた。

もう一度寝ればまた見られるのだろうか、半ば本気でそう願うおキヌは、自分に掛けられていたタオルケットにようやく気がついた。
使っている本人は狼だと言い張るのだが、可愛らしい子犬の柄が散りばめられたタオルケットは、シロがお気に入りのもののはずだった。
まだ下ろしたばかりのはずなのに、何故か使い古しのようにしわくちゃになってしまっている。

「これ、シロちゃんが・・・?」

わざわざシロが掛けてくれたのだろうか、小首を傾げておキヌが聞いた。

「いくら夏も近いからといって、何も掛けずに昼寝するのはよくないでござるよ」

シロは洗濯物を畳む手を休ませることなく、顔も上げずに答える。
それは、他愛もない話題に触れるかのような、本当に何気ない口ぶりだった。

「ややこに障るやも知れませぬからな」

「え・・・」

虚をつかれて言葉に詰まるおキヌの様子を、シロは伝わっていないと誤解したのか、もう一度改めて言い直す。

「冷やすとお腹の赤ちゃんによくないでござるよ」

「――えっ!」

思いもよらぬ台詞に驚きの声を出すおキヌの様に、シロは眉をひそめて顔を上げる。

「――ひょっとして、ご存じなかったのでござるか?」

シロは一瞬、しまった、という表情を浮かべるが、滑らせてしまったものは最早どうになるものでもない。
それに、ろくに避妊もせず、始終あれだけまぐわいを重ねておいて、今さら驚かれるのも腹が立つ。
朝な夕なにおキヌが漂わせている情事の匂いを、知らず知らずのうちに嗅ぎ分けてしまう己の鼻を、疎ましくさえ思わされていたのだった。

「詳しくは診てもらったほうがよいでござるが、まず間違いはござらぬ。拙者の見立てでは二ヶ月がとこ、といったところでござるか」

「そうなんだ・・・」

まさか、シロの口からそのようなことを告げられるとは思わなかったので驚いてしまったが、おキヌはその事実をあっさりと受け入れた。
心当たりといえば、それこそいつだかもわからないほどにあり過ぎたし、なによりこうなることをおキヌ自身が望んでもいたからだ。
外に出したほうがいいのかと戸惑う彼の不安を、いつも優しく拒絶してきたのは他ならぬおキヌの方であった。

おキヌは掛けられていたタオルケットをはだけ、お腹のあたりにそっと手を添える。
傍目には何の変化もなく、当然ながら胎動も感じられないが、そこに命が宿っていると思うだけで愛しさがつのる。
まだ聞こえるはずもないが、ついぞ懐かしい子守唄を口ずさむおキヌのことを、シロは慈しむようにも憎むようにも見える目でじっと見つめていた。



「それにしても、どうしてわかったの? 私は全然気づかなかったのに・・・」

お腹に触れる手はそのままに、おキヌがふとした疑問を口にする。
普段の自分のことを思い浮かべても、妊娠したような兆候は見受けられなかった。
三百年の永きに渡って身体が眠っていたせいか、もともと生理不順の傾向があり、その症状もさして重くはない。
気持ちが落ち着かないというわけでもなく、特に疲れやすくなったということもない。
食欲も普段通りだし、よく言われるように吐き気がするというわけでもない。
口惜しいことに、胸が大きくなっているわけでもなかった。

「いやいや、人間にはわからないかもしれませぬが、おキヌどのの体臭は変わってきているでござるよ」

明敏な人狼の嗅覚を持ってすれば、ごく僅かな変化の兆候を捉えるのは造作もない。
それがためにおキヌが契りを交わしたことも知り、今また赤子が出来たことを誰よりも早く察する。
シロは人とは違うのだということを、おキヌは改めて思い知らされた。

「それに、匂いならずとも明らかでござる」

味覚でござるよ、と事もなげに言い放つ。

「え・・・ でも、別に酸っぱいものが食べたいわけじゃ・・・」

「俗にはそう言いまするが、そうとばかりとは限らぬでござるよ」

「と、言うと・・・」

「おキヌどのは最近、辛口好みになったではござらぬか」

ここからは見えないが、昼に食べたときに食卓の上に置かれていた一味唐辛子を指差して言う。
確かに、ここ最近は四振り、五振りと、少々度が過ぎるほどに掛けるようになっていた。
自覚していなかったが、それは明らかに以前とは違う好みの変化だった。

「里でもややこが出来ると甘いものや酸っぱいもの、そして辛いものを好むようになる者は多かったでござるよ。狼と人では違うやも知れませぬが、まあ、そう大して変わりありますまい」

意外な面持ちのおキヌをよそに、シロは最後の服を畳み終えると、つと腰を上げて立ち上がる。
奥のキッチンへと姿を消したかと思うと、すぐさま両手に冷えた麦茶を持って立ち戻る。
寝汗のせいか、心乱れるせいか、のどの渇きを覚えていたおキヌは、礼を言うのも忘れて一息に飲み干した。

「とは言っても、あまり辛いものを食べ過ぎるのも体に毒でござるからな。これからはしばらく控えられたほうがよろしかろう」

そう言ってシロは取ってきたひょうたんを掲げてみせ、軽く左右に振る。
まだ半分ほどは残っている唐辛子がさらさらと乾いた音を微かに立てた。

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