ザ・グレート・展開予測ショー

かわのせのなか


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(06/ 6/28)

     川の瀬に なびく玉藻の み隠れて 人に知られぬ 恋もするかな


                                    紀友則 古今和歌集 巻十ニ 恋歌ニ

















ちょっとした天の気まぐれか、久しく見ぬ青い空に、ほっと一息ついた梅雨の谷間――





「ん〜! いいお天気」

事務所の窓から身を乗り出し、見事な五月晴れの空を見上げるおキヌの口から、誰に言うでもない呟きが漏れた。
夜半に止んだ雨の気配はまだ少し残り、外に伸ばした腕の産毛が僅かだが水気を帯びるのが感じられるが、それもまた清々しくて気持ち良い。
そぼ降る小糠雨に濡れて歩くのも悪くはないが、雨上がりの朝の、気温の上がらぬ今のうちの心地良さは格別だ。
緑の濃淡が萌える里山の匂いは言うまでもないが、なかなかどうして、まだ東京にも緑の匂いは色濃く残っていて、露に濡れた葉がより一層薫り高くなる。

「おキヌどの、これもこっちでよいのでござるか?」

背中から声を掛けられ、おキヌは部屋の中を振り向いた。
廊下の向こうに、ふとんを両手一杯に抱えて階段を降りてくるシロの姿が見えた。
その様は足元が見えているとはとても思えず、ついつい余計な心配をしてしまう。

「だ、大丈夫、シロちゃん? 手伝おっか?」

「なんのこれしき。心配御無用にござる」

気負いするでもなくシロはからからと笑い、傍目には似合わぬしっかりとした足取りで階段を降りて手を離す。
夏物に替えたとはいえ、結構な量のふとんが、ぼふん、と威勢の良い音を立ててへたり込んだ。

「ありがと。 じゃ、そっちから干してくれる?」

「了解でござる」

おキヌの指示に従い、二人掛かりで次々とふとんをバルコニーの欄干に並べていく。
最近のマンションなどではパネル、というほうが一般的なのだろうが、明治期に建てられたこの建物には、やはり欄干といったほうが良く似合う。
そうこうしている間に、瀟洒なバルコニーはふとんと洗濯物ですっかり埋まっていた。
創建当時の家風からすれば、こんな光景なぞなかったかもしれないが、これもまた人が住んで生活している証であり、屋敷としても満足すべきものであった。

「ふうっ、やっと終わった!」

今日こそは溜まっていた洗濯物を干そうと意気込んでいたおキヌは、なんともすっきりした表情で汗を拭う。
空を見れば皆考えることは一緒らしく、ご近所の家々やマンションからも、満艦飾よろしく洗濯物がはためいている。
もちろん、室内にも乾燥機だってあるのだから洗えないことはないのだが、出来ることならやっぱり天日に干したいと思うのがおキヌの密かなこだわりでもあった。
それに、近頃は仕事の他にも家を空けてしまうことが多く、任されている家事がついおろそかになってしまうことに、後ろめたさみたいなものも感じていた。

本当は万年床になっている彼の部屋のふとんこそ干したいのだが、行けばきっと洗濯のことなど忘れて情事に耽ってしまうだろう。
せめて昼間のうちぐらいは我慢をして、家のことに専念しようと思うのだった。





フライパンの焦げ付き落としに夢中になっていると、いつの間にか太陽は天頂に高く上り、どこかの家のテレビから、ポーンという時報の音が聞こえてきた。

「えっ!? もうお昼?」

そうでござるよ、というシロの声を聞くと、急にお腹が空いてきたような気がした。
片付けはまだ区切りが良くないが、ここらでお昼にするのがよさそうだった。

「シロちゃん、何がいい?」

「ん〜、なんでもいいでござるよ〜」

日の当たるソファの上でゴロゴロとしているシロから、気の抜けたような返事が返ってくる。
なんでもいいって言っても、と、おキヌは少々不満そうに呟く。

今日はご飯も炊いていないし、朝の残りのパンじゃちょっともの足りない。
簡単にラーメンで済ませてもよかったのだが、間の悪いことにあいにくと切らしていた。
そういえば焼きそばがあったっけ、と思うが、まだ洗い終わっていないフライパンは使いたくない。

微妙に中途半端な食材に頭を悩ませていると、ふと、冷蔵庫の中のタッパーに気がついた。
可愛い仔狐のイラストが描かれたふたを開けると、おととい煮付けたお揚げがまだ二つ残っていた。

「ねえ、シロちゃん。タマモちゃんはどうしたの?」

「んん〜、タマモでござるか〜」

ソファの上であくびをしながら大きく伸び、むにゃむにゃとまどろみながら返事をする。

「タマモなら今朝から出掛けてるでござるよ。まったく、あのグータラギツネときたら、手伝いもしないで・・・」

本人が耳にすれば、「アンタだけには言われたくないっ!!」とか言って怒りそうだが、シロは一向に起き上がる気配がない。
武士にあるまじき、だらけきった様相を呈しているが、おキヌは苦笑いをするだけにとどめておいた。

「じゃ、おそばでもいいかな?」

「ん〜、いいでござるよ〜」

おそばだけじゃ足りないかな、とも思ったが、今日も朝から肉料理のフルコースを食べていたのをおキヌは知っている。
焦げ付きという、あの難攻不落の強敵を作ったのが彼女だということも含めて。





近頃はタマモに合わせてうどんにすることが多かったが、どちらかといえばおキヌは蕎麦のほうが好きだった。
生まれ故郷の御呂地の在はもともと地味が乏しく、寒冷な気候であるため稲作には向いていない。
そのため、古くからソバを栽培し、米の代わりに主食としてきた経緯があった。
当時は蕎麦がきにして食べることのほうが多く、打ち蕎麦は大晦日や祝い事など、いわゆる晴れの日に食べるものだった。
それが今では、いつでも好きなときに食べられるのだから良い時代になった、と今さらながらにしみじみ思う。

いろいろな料理を幅広くこなすおキヌだが、さすがに蕎麦は打ったことがない。
当時はたいてい、どこの村にも名人と呼ばれる者がいて、晴れの日に蕎麦を打つのはその者の役目となっていた。
身寄りのないおキヌを引き取って育ててくれた寺でも蕎麦打ちが盛んで、僧たちが手際良く蕎麦粉をこね、麺棒で伸ばし、大きな包丁で切り分けていくのを良く見ていたものだった。
実家に帰ると必ずふるまわれる田舎蕎麦を食べるたびに、遠く懐かしいあの頃に戻ったような、そんな気がするのだった。

「シロちゃ〜ん、ごはんよ〜」

「ん〜」

寝ても寝足りない顔をして、目をごしごしとこすりながら、シロがのそのそとやってくる。
食卓の上に並べられた、二つの丼から立ち上る蕎麦つゆの香りがシロの鼻を刺激する。

「おっ、きつねでござるか。でも、今日はタマモは――」

留守の間に勝手にお揚げを食べてしまうといらぬ恨みを買うかもしれない、そんな心配をするシロにおキヌは大丈夫、というふうに手を振る。

「もう、これだけしかなかったし、タマモちゃんには新しく煮付けておくから」

「左様でござるか。では、遠慮なく」

「はい、どうぞ」

向かい合って椅子に座り、いただきます、と声に出して箸を取る。
おキヌは小ぶりなひょうたんに入った一味唐辛子を、四振り、五振りと、結構なほどに振りかける。
シロは一度だけ真似をしてえらい目にあったことがあり、それ以来恐る恐る慎重に、一振りだけかけるようになった。

鍋にたっぷりの湯で茹で上げた蕎麦は丸抜きを使った更科で、きりっとして咽喉ごしの良い江戸前をツルツルと手繰っていく。
大きい四角なお揚げをかじると、薄い生地の気泡から、じゅわっと出し汁の旨みがにじみ出る。
時折、つゆを口に含めば、うどんのときとはまた違う、濃口醤油に本味醂、白双糖を加えて寝かせたかえしに、一本釣りの鰹節だけでとった出汁の、すっきりとした辛めの味わいが広がる。

「普段のうどんも美味いでござるが、やはり、蕎麦でござるなあ」

「そうねえ」

寒国の生まれのおキヌもそうだが、シロもまた、どちらかといえば濃い味付けを好んでいた。
武家の名残りが色濃く残る人狼の里では、食文化においても武家の食卓、ひいては江戸料理の影響を強く受けていた。
また、一方ならぬ膂力を発する人狼は、身体を維持するためにも塩分を多く必要とし、どうしても塩辛い味付けとなるのは当然のことだった。

だが、現代人である美神や横島たちは、いくら身体を動かす職業だといっても、昔のような濃い目の味は食べ慣れない。
さらにタマモにおいては、元来彼女が上方に伝わる妖怪でもあるためか、昆布で出汁を取らないようなきつねうどんは受け付けない。
だから、美神除霊事務所の食卓においては、自然と皆に合わせた味付けになるのも仕方のないところであった。

「タマモがいたら食べられないでござるからなあ」

「うふふ、狐の居ぬ間のなんとやら、ね」

皆の居ない間に食べる蕎麦の味は、ちょっとした二人の秘密の味わいとなっていた。





「それにしても、タマモちゃんはお昼どうしているのかしら?」

食べ終えた食器を下げ、熱いお茶を手にしておキヌが言った。
のんびりとした午後の時間、流しでの戦闘を再開するにはまだ早い。

「最近、気がつくとどっか行っちゃうのよね」

もしかしたら、遊園地で知り合ったという男の子と遊んでいるのかしら、などとぼんやり考えたりもする。
ただ、学校が休みになると、とはさすがに思いもよらない。

「大丈夫でござるよ。タマモなんて放っておけばいいんでござる」

「でも・・・」

「心配ござらぬって」

シロはまたもソファでごろ寝をしたまま、適当な返事を混ぜ返す。
昼餉の後の午睡は剣士の心得、と言ったのは誰であったかは知らぬが、とてもそうには見えぬ有様だった。

「どうせ、日が暮れる頃には「おなかすいたー!」とか言って帰ってくるのでござる。気にするだけ損でござるよ」

またひとつ、大きなあくびをかみ締めてシロが言うと、どうにも釈然とはしないながらもおキヌは、そうね、と言ってお茶を一口飲み、フライパンに最後の闘いを挑むべく立ち上がる。
タマモがどこから帰ってくるのかシロは言わなかったが、おキヌは特に気にもしなかった。

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