〜 【フューネラル】 第5話 前編 〜
投稿者名:かぜあめ
投稿日時:(06/ 6/25)
――――――月明かりの下。黒い残骸の山。
彼女を、僕の海に沈めて…―――――――
〜pause.3 『殺戮者の肖像 U』
これはゲームだ。
囁くようにそうつぶやいて、【 】は砕けたガラスに瞳を映した。
白銀の舞う大気。蒼褪めた空。白色のコンクリートに囲まれる、醜い化け物どもの棲まう檻(おり)。
偏執的で、どこか病的な微笑を浮かべると、「カレ」は懐から一冊のノートを摘み出す。
眼下に広がる吐き気のする光景…。
それを見つめ思う。
唐突に…。
ただ、唐突に……。自分は違う、と。
《人》の皮をかぶった怪物たちの群れと、無様に潰れた屍たち…。その中にあって、自分はどこまでも、そして紛れもなく《人間》だった。
「ワタシは…違う」
その吐息…。一瞬、押し殺された声に感情が宿る。
憎悪にも羨望にも、あるいは恐怖にも歓喜にも聞こえるその呟きは…
どこか男にも、あるいは女にも……少年にも老人にも似た表情に塗りつぶされ…
それはおよそ、人の感情と呼ばれるもの全てを内包したかのような、か細い声音…。
…遠い、遠い視界にたたずむ青年を見る。
囁きに「殺せ」と告げて【 】は嗤(わら)った。
――――――…さぁ…深紅の海に溺れながら…お前はこれから、どんな恐怖に顔を歪ませてくれるのだろう…?
◆
『2.土曜日の静寂――― Silent on Saturday ―――』
――――ピチャン………ピチャン…………。
黒ずんだ闇の床面に、澄んだ雫が染み込んでゆく。
一つ、また一つ……砕けた壁からこぼれ落ちる、水の飛礫(つぶて)。薄暗い常夜灯の光の下(もと)、あたりを、錆びた鉄の匂いが充満する。
「上級魔族下位……おそらくはチュブラーベルと同系統の『霊体癌(エクトプラズム・キャンサー)』だろうな…」
白く霞む視界の向こうで、誰かが言った。一瞬の空隙とともに、どうやら自分が、数分の間 意識を失っていたことを理解する。
吐き気と頭痛…最悪の目覚めに苦笑しながら、横島はわずかに上体を起こした。
「…痛っ…てぇ…。…ったく……分かっちゃいたが、ここまで手も足も出ないたぁ……ホント、嫌になるぜ…」
吐き出された息から血の味がただよう。失血による寒気が、何度目か分からない眩暈(めまい)を生んだ。
朱のにじむ水溜りと、水面に映る自らの顔…。死人のようなその血色から、彼は反射的に目をそらす。
「……情けねぇな…。目の前で2人も殺されたってのに……結局、このざまかよ…」
―――――…何も出来ず…。立ち向かうことすら出来ずに……自分はただ、こんな所に転がるだけ…。
吐き捨てるようにつぶやくと、横島は拳を握りしめた。ひんやりとしたこの壁の手触りは、おそらく剥き出しのコンクリートだ。
何処とも知れないその部屋を、人工の闇が覆い尽くし…
…アルミ製の扉に寄りかかりながら、西条が浅く嘆息した。
「そう自分を卑下するな…。少なくとも今日の君に落ち度はなかったし…無様なら無様なりにまだやりようは有る。
何も出来ないというなら、今は息を潜めて、『奴』に対処することだけを考えればいい…」
「………。」
――――…閉鎖された廊下の奥から、呻き声が聞こえる。
白一色に塗られた病院の通路を徘徊する……悪意に満ちた意思。あのラピスラズリの怪物は、今も変わらず『見失った獲物』を探し続けているのだろう。
巨大な体躯と、喰い破った死骸を引きずりながら…。自分と西条の心の臓を抉り(えぐり)出すこと…ただそれだけを考えている。
「――――――――…。」
ロクに動かない左腕を見つめ、横島は深々とため息をついた。
どうにも分の悪すぎる逃走劇だが、あいにくとそう簡単に降りるわけにもいかない。
正面から刃を交えたことで、敵について把握できた事は幾つかある。
人間に寄生し、その内側から霊体構成を組み換える、霊体癌(エクトプラズム・キャンサー)。
その猛威にさらされた者は、紛れもなく人間の骨格を持ちながら、精神を人間以外の何かへとやつしてしまう。
筋力の異常発達や、凶暴化、理性の喪失……。意識を失い動けないはずの肉体が、なおも闘いを求めて、激しい痙攣を繰り返す。
それはまさに、強力な生命力を持つウィルスが、その生命力ゆえに『宿主』の肉体を蝕むさまによく似ていた。
そう…少なくともあの怪物は、まともな思考力を有してはいない。
目の前の標的に集中するあまり、やがて伸びるであろう追及の手についても、それから逃れるため脱出の術も……すべてを思考の隅(すみ)へと追いやっている。
あらゆる惨劇は隔絶された扉の内…。
院内から一歩踏み出せば、そこには闇に染まった街の夜と、静寂だけが広がっている……。
一見すれば日常と何ら変わりないその景色は……しかしその実、恐ろしく危ういバランスの上で成り立つ状況のように感じられた。
生まれたばかりの『奴』にとって、世界の全てとは、つまりこの「病院」という閉じた空間に他ならないのだ。
敵の注意が自分や西条のみに向けられている現状なら、まだ救いがある…。だが、一度でも奴が他の人間の存在に気づいてしまえば……
…もしも自分と西条が、扉の『向こう』へと逃げ出してしまえば…
「…先の見えない鬼ごっこ、か…。童心に返るなら、もちっとマシな遊び相手が良かったんだけどなぁ……」
…敵に『外』の存在を気取られてはならない。
かばうように腕を組み直し、横島は頭上の時計をのぞきこんだ。
―――午前零時十七秒。
日付の上での『今日』が終わる…。件の高位魔族が現れてから、時間にしてすでに半日以上が経過していた。
…結局、まともに言葉を交わすヒマさえなかったが……あの後ピートたちは、食堂から上手く逃げおおすことができたのだろうか?
愛子はどうだろう?夕刻から全く顔を合わせていないし、診察室でも出会うことはついになかった。
タマモは………まさかアイツ、ひどい怪我とかしてないだろうな…――――――。
――――――…。
そこまで考え…
何故か不意に。
意識の片隅で、あの妖狐の少女の声を聞いた気がして……
…横島は、かすかに双眸を緩める。
綺麗で、なのに鋭く、冷たい…。不器用で、だけど少しだけ優しい…。
まだあどけなさの残る、彼女の声…。
タマモがもしもこの場に居たら、身動きすら出来ない自分を前に、一体どんな言葉を口にするだろう?
泣き顔なんてイマイチ想像できないから、きっとまた、いつものつまらそうな瞳のまま……
どこか虚ろな表情で、ジッとこちらを見つめてきて…
そうしてやはりいつも通りに、起伏の無い声でこうつぶやくのかもしれない。
―――――――『………ふぅん…』
……。
…………。
(ハハッ…言いそう…。でも、ひっでぇな〜)
いかにも有りそうなそんな光景を思い浮かべ、横島は我知らず吹き出していた。
なんとなく気づく。自分の心を彼女が占めている部分……それが、決して小さいものではないということに…
拒絶されても、どんなに冷たく突き放されても……心の何処かで、彼女の笑顔を見てみたいと思う自分が居る。
氷のような少女の想いに、触れてみたいと願ってしまう自分が居る。
ようするに天の邪鬼(あまのじゃく)なのだ。自分も。…多分、彼女も…。
交せるはずの言葉があるのに、互いの距離を縮められない…。拒まれることを恐れるあまり、互いの溝を深くしていく…。
(……俺がこんなじゃ、タマモに無視されるのも当たり前か…。らしくねぇな…今さら女の子に嫌われるとか…んなこと気にする柄でもないだろうに…)
半眼で笑うと、横島は静かに息を吐き出した。先刻までの陰鬱な気分が、嘘のように自分の内から晴れてゆくのが分かる。
…次にタマモと出会えたら、今度はもっと真剣に、彼女の心と向き合ってみよう。
今までずっと目をそらし続けてきたが……必要なら、もう一度自分の過去を見つめてみてもいい。
自分の思っていること、抱えている不安、それ以外の、本当にささいなこと……。
ただ素直に、そんな心の声を伝えることが出来たなら……それはきっと、ありきたりだが、何より強い絆の証で……
――――――…。
「…?どうかしたのか?さっきから独りでニヤニヤして…」
突然、背後から声をかけられ、横島は反射的に顔を上げた。振り向けばそこには、訝(いぶか)しげに眉をひそめる西条の姿が在る。
…気味が悪いな。
しれっとした調子でそんな風に続ける彼を尻目に、横島は一つ、肩をすくめた。
「…うるせーよ。ほっとけ」
「どうせまた、得意の妄想にでも華を咲かせていたんだろう?その調子で霊波を高めて、行ってゴリラのように暴れてきたまえ」
「それじゃあ、俺が死んじゃうだろうがっ―――――――!?って、痛ぇなオイ!!」
すかさず突っ込みを入れた瞬間、横島のろっ骨に稲妻が走る。
はぅあっ!?と情けない叫び声を上げながら、彼はそのまま床に突っ伏し…
「…うぅ、そういえば骨にヒビ入ってたんだっけ……なんか俺、さっきから無駄に体力使いまくってるような気がするですけど……」
ぜーぜーと息を吐き出して、投げやりにそんなことをつぶやいた。
せっかく気持ちが前へ向きかけた直後にこう言うのもアレだが、もうここまでシンドイと、全てのことがどうでもいいような気さえしてくる。
本当に得意の妄想にでも華を咲かせて、行ってゴリラのように暴れてきちゃおうか…。
一瞬、そんな素晴らしい誘惑が横島の頭を駆け巡ったが……しかしそれから数秒後、痛みとともに、彼は再びコンクリートの床へとヘタリ込んだ。
「…って、やめやめ。あー…もう、疲れた。
こういう時に限って横に居るのは西条だし……。まったく何の因果で、こんな最悪なイベントが続いてんだか…」
「…同感だな。不運もここま立て込むと、誰かの作為を疑いたくなる…」
大儀そうに一つ首を振り、西条は小さく嘆息した。
…?
軽薄を装い、いつも通り、どこか皮肉げな色を帯びたこの男の口調。
だがこの時ばかりは、上辺だけ取り繕うかのような彼の声音に、横島もかすかな違和感を覚える。
それは、タマモを気遣う夕刻の姿と、温度を持たない今の表情が、あまりに対照的な光を放っていたからかもしれない。
感情をたたえぬ西条の言葉を、彼はもう一度、心の内で反すうした。
「……。そういやお前…初めて『宿主』の顔を見た時、何か知ってるような素振りだったな…。こんな状況だってのに、妙に冷静なのもひっかかる。
俺の勘違いじゃないないんだったら、答えろ。『作為』ってのはどういう意味だ?」
――――お前は何を知っていて、何を俺たちに隠してる………?
「……。」
荒々しい炎のような横島の視線と、無機質で凍てつく西条の視線が、数瞬の間、交錯する。
わずかな沈黙。…やがて降参したかのようにため息をつくと、彼は懐から一枚の写真を取り出した。
…それをコチラへ投げてよこす。
「矢上 彰吾…という名に聞き覚えは?」
「?…いや」
血で汚れたポートレイトに映るモノ……それは、一人の男の姿だった。横島とは特に面識もない……しかし、確実に見覚えのある若い男…。
そう……自分と彼は、確かに直接出会っている。それも数時間前……あの惨劇の幕開けとなった食堂の中で。
彼は……横島の目の前で魔族に体を食い破られ、怪物へとその身を変貌させたあの青年……
「――――先刻、言っただろう?タマモ君と今日この病院で出会ったのは、僕にとっても完全な予想外だった。
僕がココへ来た本来の理由は、Gメンの簡単な事後処理……その写真の男の『検死結果』を受け取りに来たという、ただそれだけの用事なんだよ…」
「な…に?」
死という単語から呼び起こされる簡単な連想…。ぼやけた思考の中、横島は、結論がそう複雑なものではないことを理解する。
つまりは順序が逆さまなのだ。横島と出会った時、『エクトプラズム・キャンサー』の宿主はすでに死んでいた。
食堂で見かけたあの体はすでに生ける屍《リビングデッド》と化していた…。
「…事件が起こったのは昨夜、深夜0時。街外れの廃屋で、男の変死体が発見された。遺体発見時の損傷状況から、死亡推定時刻は2日前の、やはり深夜…
発見時の簡易検査では、エクトプラズム・キャンサーの感染は確認されず…」
「…?ってことは、つまり…」
「何者かが彼の死体に『種』を植えつけた…そう考えて間違いないだろう…。それも、病院へと搬送された後の、わずか数時間のうちに…」
「……。」
死体が運ばれる以前に事態を把握し、病院内への侵入を試みる……Gメン職員を除けば、そんなことが可能な人間は一人しかいない。
二日前の殺人と、今回の騒動…犯人はおそらく、同一の人物…。だがこの推論には、同時に大きな疑問が存在する。
―――――『理由』が無いのだ。
仮に犯人が、何らかの目的でこの矢上彰吾を殺したとして……わざわざ危険を省みず、病院にまで出向く必要性がどこにもない。
そもそも『霊体癌』の寄生種子など、植え付けたところで何のメリットが……。
結局、この場に生み出されるのは……多くの生命の残骸だけ…。今の院内の風景には、誰が見ても分かる、不毛な殺戮の空間しか残されていないというのに…。
意味もなく量産される”死 ” 流される”血 ” 。
その裏に隠された、とてつもない『悪意』…。
(あるいは…)
――――――”それ ”が狙いか……。
唇をきつく噛みしめると、彼は吐き捨てるようにつぶやいた。
鋭く瞳を細めた後、ヨロヨロと立ち上がる横島の姿に……西条もまた、何かを言いかけ……
…そして……床に落ちた霊剣を、瞬時に傍らへと引き寄せる。
「―――――…やれやれ、鬼ごっこの再開か…。まだ話は途中だというのに…」
瞬間。
彼らの背後に残っていた病室の窓が、一つ残らず粉砕した――――!白い壁が大きく二つに切り裂かれ、亀裂からラピスラズリの醜顔がのぞく…。
『ウふ…♪ミツ…ケタァ……』
異形の笑顔。グロテスクにぬめる巨大な体躯が、部屋の骨組みを破壊していく。高位魔族の圧倒的な霊圧が、横島たちの存在そのものに突き刺さり…
――――…。
「話ができるうちに、もう一つだけ追加の情報を伝えておくよ。」
「…!?」
淡々と言葉を紡ぐ西条に、横島は目だけで振り向いた。こんな時に、一体なんだ…?そう問いたげな横島の顔を、彼はかまわず一瞥する。
「…この惨劇を作り出した何者か…。ヤツは少なくともこの半月で、3人以上もの人間を殺害している。
犠牲となった遺体全てに、弾痕のような巨大な空洞を刻み込んで……。」
「―――――――」
「素性も性別も掴めない……その正体不明の殺戮者を、とりあえず僕たちはこう呼んでいる。」
死体を次々に創り出す…それはまるで、不浄を呼び込む忌み事のように……。
「【フューネラル【葬列】】…と――――――――――…」
◇
〜pause.4 『その瞬間のこと』
「―――――…死んで」
雪の舞い散る屋上で
ポツリと、少女はそんなことをつぶやいた。
◇
―――――――始めに響いたのは、ドン、という何処までも鈍く奇妙な音。
白く染まる意識の中、目の前で、異形の頭がはじけ飛ぶ。
二度、三度。
不快な音が鳴り響き…そのたびに、怪物の体から血しぶきが上がる。
苦痛でくぐもる断末魔も、感情を孕んだ悲鳴すらなく…。次の瞬間、あまりにも呆気なく魔族の体は『崩れ落ちた』。
ドシャリ――――…。
血の海の中で、音がする。
「 !? な っ !?」
広がる静寂。横島はその信じられない光景を目にしたかのように、慄然とその場に立ち竦んでいた。
一体……何が起こっている―――…。
化け物が死んだ。その、かつて胸部があった部分には、ポッカリと巨大な空洞が口を開けている。
殺されたのだ…。自分では手も足もでなかったこの強大な生物が…さらに強大な力を持つ、何者かの手によって…。
…ではその『何者か』は、一体ドコに潜んでいる…?
そんな疑念に思い至った瞬間、横島の背筋を冷たいものが走り抜けた。
「――――――――――っ…くそ…っ!」
彼は立ち上がり、怪物が現れた亀裂の向こうへ―――――出口ではない、さらなる絶望の広がる院内の『奥』へと駆け出していく。
「!?…待て…!横島君、一体ドコに行くつもりだ!」
「中にはまだ、タマモや愛子が残ってるかもしれないんだぞっ!こんなヤバイ場所に、これ以上アイツらを置いておけるかっ!」
悪ぃ、とりあえずココ頼む…!
そう叫ぶ横島の声はすでに遠い。残っている「かもしれない」…たった今、放たれた彼の言葉。
大切な人間の命が奪われる「かもしれない」未来……その可能性…。
そんな不確かなもののために、自らの命を賭けることができる――――…西条の知る『横島忠夫』という青年は、そんな、あくまでも純粋で、そしてどこまでも稀有な人間だった。
(『不確か』…か。そういった打算を働かせている時点で、僕にはとても真似できない芸当なのかもしれないが…)
苦笑とともに、男は髪をかき上げた。血の海に沈む、異形の屍骸……その体に刻まれているのは、予想通り、弾痕のような深い空洞…。
冷ややかな瞳でそれを認めて、西条はくわえた煙草に火をつけた。
(ほぼ即死…といったところか…。だが高位魔族相手にココまでやるとは……ますますもって正体が掴めない……)
―――――…敵は本当に人間なのか…それとも別の何かなのか……
いずれにしろ、葬列の夜はまだ明けそうにない…。
闇に立ち昇る紫煙を見つめて、西条は薄く息を吐いた。
今までの
コメント:
- お久しぶりです。かぜあめさん、元気にしていましたか?。
なにわともあれ、また、かぜあめさんの作品を読めるのが
ホントうれしいいです!。では続きを読ませてもらいます。 (GTY)
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