ザ・グレート・展開予測ショー

涙雨、つられ雨


投稿者名:APE_X
投稿日時:(06/ 6/18)

 どんよりと垂れ込めていた曇天から、ついに雨滴がこぼれ落ちはじめた。
 初めはぱらぱらとまばらだった水の帳が、瞬く間に篠つくような音と密度とを備えてゆく。


「ヤダ、もう…!こんな時に限って…」


 手近な商店の軒先に駆け込んで雨宿りさせてもらいながら、おキヌは血色の良い唇を少し尖らせた。

 今日は金曜日。
 この週末は泊まりがけの除霊があって。
 その打ち合わせも兼ねて、今夜は横島も事務所で一緒に夕食を摂る事になっている。

 おキヌがいま両手に提げている買い物袋は、その材料がほとんどだった。
 と言っても、別に横島がいるからといって特別にたくさん買い込んだ訳じゃない。

 元々、美神令子除霊事務所には成長期真っ只中の食べ盛りが二人もいるから、いつだってお夕飯の買い物は大仕事。
 所長の令子は、いつでも車を出すわよ?、っと言ってくれているけれど。
 学校帰りのついでに済ませられる事でもあるし、忙しい所長に余計な手間を取らせるのも悪い。

 だからおキヌは、いつもこうして六女の制服姿のまま、両手に買い物袋を提げて事務所に帰るようにしている。
 その荷物の中身が、今日はいつもよりちょこっとだけ品数が多くて、単価の高いモノの割合が高いのは、彼女だけの極秘事項。

 どのみち事務所の(表向きの)財布はおキヌが預かっているのだし、それに普段との差額分は自分のおこづかいから補充しているし。
 いつも「美味しい」と言って食べてくれているシロやタマモ、それに美神さんには、少し悪い気もするけれど。
 このぐらいの《スペシャル》は、大目に見てほしい。


「お魚選ぶのに、時間かけすぎちゃったかなー…」


 一向に弱まる気配もない雨模様を見上げながら、呟いてみる。

 今日買ってきた食材は、ただいつもより高価なだけじゃない。
 どれひとつ取っても、炎の料理人・氷室キヌの名にかけて選りすぐった、ここの商店街で手に入る中では最高の品ばかり。
 特に本日のメイン、塩焼きにする予定のサワラは、形、鮮度、脂のノリ、その全てにおいて一切の妥協を許さず選び抜いた逸品だ。

 あまりにも真剣すぎるおキヌの様子に、行きつけの魚屋のオジサンがちょっとヒイていた、というのはどーでもいい話。
 そこまで気合いを入れて選んだ食材だからこそ、きちんと手間暇かけて調理してやりたいのに。

 味付け、火加減、出来上がりのタイミング。
 ぜんぶ完璧に、とは行かないけれど、それでも自分にできる限り、最高の状態で食卓を飾りたい。

 そしたらあの人は、美味しいって言ってくれるかな、なんて。

 ほとんど味音痴寸前、大概の料理は平らげてしまう彼女の思い人が、おキヌの手料理にケチをつける訳などないのだけど。
 それでもやっぱり、そんな想像に心が弾んでしまう。


「ここからなら、大した距離じゃないし…走っちゃおうかな」


 脇に挟んだカバンには、折りたたみ傘も入っているけれど。
 両手が塞がっている現状では、取り出す事もままならない。
 それに、携帯で美神に迎えを頼むより、少し濡れる覚悟で走った方が早い。

 今日は特別、急がなくちゃいけないんだから。

 覚悟を決めて、土砂降りの中へ飛び出しかけたところで───おキヌは予想外の顔を見つけてしまった。


「──…あれ、おキヌちゃん?こんなトコで…ああ、カサ忘れたのか」



***



 ざあざあと、カサの布地を叩く雨粒の音を聞きながら。
 フルサイズとは言い難い折りたたみ傘の下、横島と寄り添うようにして、歩く。
 古典的な、でもやっぱりちょっと心躍らされる、相合い傘。

 跳ね上がった自分の鼓動を、雨音が隠してくれるような気がするのが、ありがたいような、でもちょっと残念なような。

 はみ出たら濡れちゃうから、なんて、一度は覚悟を決めたおキヌにとっては、ただの言い訳。
 肩と肩が触れ合う距離が、嬉しいだけ。


「───正直、助かるよ。マトモな食事なんて、ここしばらく、事務所でしか食ってない気がするし」
「やっぱり、いつもカップ麺とコンビニのお弁当ばっかりなんですか?…身体に良くないですよ」

「う〜ん…分かっちゃいるんだけど、メンド臭くってさ」


 会話が少し、お説教くさくなってしまうのは、致し方ない。

 横島の普段の生活態度に問題がありすぎる事でもあり、またおキヌにとっても、そういう話題が一番、当たり障りがない。
 ───本当は、もっとオトナっぽく、艶めいた話をしてみたい、とも思うけれど。

 相手の横島はてんで野暮天、自分には度胸がない。
 だから今は、こうして一緒に、触れ合えて笑いあえる、それだけで充分。

 今は、まだ。


「それにしても…相変わらず、スゲー量だよなあ。コレぜんぶ、今日明日で使い切っちゃうんだろ?」
「そーですね。───今日はいつもより、ちょっとだけ多めなんですけど」


 野菜を中心とした、少し重たい方の買い物袋を眼の前に掲げて、横島がちょっと呆れたような顔をする。
 話の流れに紛らせて、アナタのために、っと言外に含ませてみる。

 おキヌにしてはかなりの勇気を振り絞った、精一杯のアピール。


「ああ、そっか。悪い…──けどさ、ソレにしたって食い過ぎだろ?いくらアイツらが成長期っつっても、限度ってモンが…」


 だが、折角の奮闘も空しく、意に反して謝られた挙げ句、そそくさと流されてしまった。

 もう、ホントにニブチンなんだから、っと内心でちょっと落胆しつつ。
 でも同時に、なぜかほっとしていたりもして。

 横島の野暮は今に始まった事でもなし、充分に予想の範囲内。
 むしろ、こういう場面で上手に切り返されでもしたら、そっちの方が心臓に悪い。
 そんなの、おキヌの知っている横島じゃない。

 第一、横島にそんな事ができるようになったら、きっと彼の良さに気付く女性が急増してしまう。

 彼自身には可哀想だが、そんなのは御免蒙りたい、とおキヌは思う。
 今だって充分に、手強いライバルには不自由していないのだから。


「?、どーかした?…やっぱ、そっちも持とうか?」
「あ、いえ…いーですよ、悪いし…」

「いーからいーから」


 ちょっと物思いに耽っていた間、反応が遅れたのだろうか。
 気を利かせたらしい横島に、ひょいっ、と荷物を取り上げられてしまった。

 右手はカサをさしたまま、左手だけで、自分の学生カバンに、さっきから持っていた分と、もう一つ。
 おキヌの腕力では片手に一つずつが限界の重さを、何でもないかのように指先に絡め、まとめてぶら下げる。
 普段は情けない様子ばかりが目立つ横島だが、こういう時には、やっぱり男の人なんだ、と実感させられる。

 ───こういう時だけじゃない。

 単純なフィジカル面では、人狼のシロや妖狐のタマモに劣るけれど。
 本当に必要なだけの力はきちんと持っていて。

 何より、色んなモノを背負い込んで、本当は今にもポッキリと折れてしまってもおかしくないのに。
 それでも、変わらず、倒れず、いつもヘラヘラと笑って見せている、彼の背中。

 昔、夏の人工海岸で、美神と一緒になって彼の肉付きが逞しくない、と指摘した事があった。

 より正確には、指摘したのは美神で、おキヌは慰めた───つもりで、トドメを刺していたのだけれど。
 今では、酷く恥ずかしい思い出だ。

 無闇にゴツいばかりが、逞しいという事ではないのだ、と。
 だらしなく丸められた、ちょっと猫背気味な彼の肩口を横目に見ながら、おキヌは思う。
 けれど、その背中は、やっぱり細身で。

 自分のそれよりは広い筈のその背中が、今にも儚く、脆く、壊れてしまいそうな。
 そんな錯覚に心臓を鷲掴まれて、おキヌは小さく息を吐いた。


「…え?───お、おキヌちゃん…?」
「…横島さん───」


 吐息ぐらいでは収まらない焦燥感に、おキヌは我知らず、眼の前の背中にしがみついていた。
 唐突なおキヌの行動に、戸惑ったような声を上げながら、横島が肩越しに振り返る。

 その瞳を見上げて。

 勇気も、度胸も───羞じらいも、関係ない。
 いま言わなければ、聞かなければ。
 きっと自分は、後悔する。

 そう、何かに急き立てられて、おキヌは口を開いた。


「───横島さんは、どこにも行きませんよね?
 …ずっと、一緒にいてくれますよね…?」
「───」


 なんて、バカげた質問だろう。
 彼を縛りつけ、引き留める、そのためだけの───まるで、呪いか何かのような。

 ───わたしって結構、イタイ女なのかも。


「…当たり前だろ。オレはドコにも行かないよ。
 美神さんにゃ年中コキ使われて、まだゼンゼン元取れとらんし。……第一、他に行くアテなんかねーしさ」


 けれど、わずかな間をおいて返された答えは、完全にいつも通りの声色で。

 彼のその、しまりのない半笑いのような、普段通りの表情に安堵して、おキヌもまた、いつもの自分に立ち返った。

 そうして見ると、今度は急に、自分の今の体勢が気恥ずかしくなってくる訳で。
 見る間にキューッ、とおキヌの顔色が茹で上がる。


「しかしまた、急に…何かあったのか?」
「ぁ、いえ…えっと、その…っ!」


 そんな事を聞かれても、答えられる訳がない。
 漠然とした不安が、衝動的に口を突いて出ただけなのだから。


「…おキヌちゃん?」
「な、なんでもないんですっ、ホントにっ…!」


 わたわたっ、と。
 狼狽えまくり、どもりまくりながら、慌てて身を離すおキヌに、訝しげな表情をする横島。

 少しは察してくれても良いのにっ、と理不尽にもちょっとむくれつつ。
 おキヌはそっぽを向いて、真っ赤に染まった表情を隠す。


「???…──イヤ、まあいーけど…」


 言いながら───横島は、当人としては気を利かせたつもりで、飛び退ったおキヌをカサの下に庇おうと、歩み寄った。

 が、やられたおキヌにしてみれば、たまったモノじゃない。
 体温は間違いなく跳ね上がっているし、心臓は胸の奥でタップダンスを踊っているし。


(こんなの、もし気付かれたら、わたしきっと恥ずかしくって死んじゃう───!!)


 その程度で死ぬような生き物が実在するかどうかはともかく。

 再び肩が触れ合った途端、跳び上がったおキヌは、後ろも見ずに逃げ出した。


「お、オイッ!?濡れちまう───って、聞いちゃいねーし…」


 呆然と、走り去るブレザーの後ろ姿をしばし見送ってから。
 横島は心底訳が分からない、っと首を捻った。


「何だってんだ、一体…──後で美神さんにでも聞いてみるか…」


 ───こうして、さらっと最悪手を選べてしまう、その鈍感さが、長所でもあり、短所でもあり。
 おキヌを困らせた要因なのだというコトに、彼自身が気づく日は来るのだろうか。

 そのカギは、やはり、『彼女』の度胸なのかもしれない。

今までの コメント:
[ 戻る ]
管理運営:GTY+管理人
Original GTY System Copyright(c)T.Fukazawa