ザ・グレート・展開予測ショー

フォールン  ― 30 ―  [GS]


投稿者名:フル・サークル
投稿日時:(06/ 6/17)




 陸橋に入ると神内の車は西条達の車を追い抜き、その眼前へと割り込んだ。やがて西条達の車が減速しながら路肩へ寄せると神内もそれに倣い、次に彼らの手前ギリギリまで後退して来た。
 車を降りた神内は歩道に上ると、自分の車の後方――その、後ろの車へと――余裕を見せた足取りで向かう。前の席の西条とおキヌには目もくれない。彼の足は後部座席ドアの前で止まった。
 開いた窓からこちらを見ていた美神へ、神内はにっこり笑いかける。

「あんまり聞き分けがないのも・・・少し困りものですね」

 ドアが開き、美神が歩道には上がらないまま神内の前へと降り立った。

「同感ね。何度も言った通り、急いでるのよ私」

「何度もお尋ねしている通りです。一体、何をそんなに急いでいらっしゃるのですか?」

 西条とおキヌもそれぞれ降りて来て、美神の側へと向かっていた。二人に構わず神内は、彼女へ片手を差しのべる。

「この先に貴女の足を急がせる価値を持つものなど、何があると言うのですか?」



   ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ―



「大丈夫か?」

 もう、何度目とも知れない問い。雪之丞は、彼に支えられ歩く横島へと確かめた。階段に長く血痕の列を残しながら、それでも横島は答える代りに一段上へと足を踏み出す。
 前を行くカオスが屋上へのドアを開けた。三人の後ろでそのドアが閉まると、それまで周りの空気をも震わせていた騒音が少しだけ遠去かる。代わって重低音を伴う振動が、屋上の床一面から立ち上っていた。
 その中央で赤く大きく浮かび上がる最後の装置―――本召喚陣。
 微かに柵の向こうからマリアのロケットエンジン音や機銃音、人々のざわめきも聞こえて来る。横島はやがて雪之丞の肩から離れ、一人呼び寄せられるかの様に装置へと向かった。
 召喚陣の手前で立ち止まると、その中には入らず円の外周を右へと回り込む。やがて、陣と文字列や線で繋がれた2m程の五芒星が描かれてある場所へと行き着き、その上に立つ横島。
 カオスが雪之丞を促した。二人は陣を左側へ回り込むと、また別々に五芒星が描かれた場所へそれぞれ身を置く。雪之丞の立った星の周囲には何も描かれていないが、カオスの星には彼が立つと同時に、床にも――空中にも、四方へ文字と記号の列が展開されている。

「・・・・・・・・・」

 手元からの血を五芒星へ垂らしながら横島が口の中で長く詠唱すると、彼の足許から赤い光は紫がかった白いそれへと色変わりする。その変化は線や文字列を伝って召喚陣内部まで広がって行った。
 薄紫に染まる召喚陣を見届けながらカオスは膝をついて屈み、呪式の列に目を落とし言う。

「では・・・下と繋げるぞ小僧。揺れるからな、吹っ飛ばされん様にしてろ。繋げたら次に、三列立体陣を展開じゃ・・・そしたら始めろ」

ガコンッ―――――ドンッッッッ!!

「―――!?」

ガタガタガタガタッッ!!
ドドドドオォォォッ!!

 カオスが呪式の一列を消し、新たに一文を書き加えた時、突き上げる揺れが屋上の三人を襲う。
 コンクリートと鉄骨の、うち捨てられた室外機やタンクの、揺さぶられ軋んだ音も大きく響く。激しい揺れの中、召喚陣から――その周囲からも様々な色の光となって、霊的エネルギーが間欠泉の様に吹き上がった。
 振動をものともせずカオスは更に両腕を振り上げ、床や空中の文字列を書き加える。その双眸には爛々と光が宿っていた。





「う・・・わあああああっ!?」

 戦いのさ中にあった彼らは突如、地面を振り回す様な激震に襲われた。Gメン達、シロ、美智恵――敵味方問わず声を上げたりしながら身を伏せる。
 空中のマリアだけが冷静に、それでもどこか緊張の見られる顔と声で、今起こっていた事を告げていた。

「装置内・全てのエネルギー流通連動システム、稼働・開始。屋上召喚陣回転にて・作動スタンバイ完了。コントロール・及び触媒点設定完了。全装置稼働により建物内に・極度の負荷。周辺地表における・体感震度・・・7」

ガシャアアアンッッ!!

 弾ける音と共に、ガラスの既になかった窓が窓枠ごと飛ばされた――そこから未加工の霊波と吸収されかけた悪霊とが、炎の様に建物外へと噴き出して来る。

「何て事・・・っ! あまりの内圧に私達の敷いた結界壁も・・・彼らの防壁も破けているんだわ!」

 事の次第を見たなら、シロとマリアの勝利であったと言えただろう。しかし、それを喜んでいられる状況でも、実感していられる状況でもなかった。
 地面に大きな亀裂が走り、その一つがシロの足元へと向かって伸びて来る。すぐにその場を離れようとしたシロだったが、振り返ると後ろに倒れていたタマモを抱え上げ、ギリギリの所で横飛びに地割れを避けた。
 結界から洩れ出た悪霊や妖怪達は、そのまま逃げようとするのもいたが、大半はそこにいた人間達へと襲いかかって行く。
 元々成仏させられなかったから封印された手合いだ、この場を逃げたとしてもその先で害をもたらす事になるだろう。Gメン達が横島達用の装備で、そのまま悪霊や妖怪の捕獲・迎撃に移っていた。
 妖怪の一体が空中から、一般人の野次馬めがけて急降下する―――その近くにGメンは一人もいなかった。

「ああっ!」

 未だ気付いてない彼らの代わりに、遠くからそれを目撃したGメンが叫び声を上げる。

「――おりゃああああああっ!!」

ザシュッ! ザシュザシュッ・・・バキャッッ!!

 野次馬達の頭上まで迫っていた妖怪。だが、まるで突然現れたかの様な素早さで、その鼻先にシロの姿があった。
 彼女は鋭い太刀筋で続け様に空中の敵へ斬りつけた後、派手に弾き飛ばしてしまう。
 敵意に反応したか、悪霊が二体三体と、シロと人間達のいる所へと飛来する。シロは臆する事なく身構えた。

ヒュウウウウッ!

 シロの目の前で悪霊の一体が、横から伸びて来た鎖に巻き取られた。

ドシュッ! ドシュッ! ・・・ドドドドッ!

 封霊効果を持つ銃弾を二方向から浴び、四散して消える悪霊達。シロは弾の飛んで来たそれぞれの方向に視線を走らせる。
 空に浮かび腕からの機銃を向けていたマリア。そして左手には、鎖使いと隣に封霊銃を構えたGメン――シロの仲間達。

「ミス・シロ、流出霊体への対応と避難サポート・引き続きお願いします。マリア、ドクター・カオスへこの件を報告・及び最終作業をサポート・します」

「承知したでござる」

 シロのその返事を待たずマリアは上昇し、何本もの光の噴水を立ち上げるホテル屋上へと飛び去っていた。





「ドクター・カオス!」

「おおマリアか。ちょうど良い所に来た、そのまま上にいろ・・・今、立体陣を出すからチェックするんじゃ」

 頭上からの呼ぶ声とロケットエンジンの音に、カオスは見上げると滞空中のマリアへ指示を出した。

「イエス・ドクター」

 彼女の返事にカオスは再び顔を目の前の文字列――とホログラフへと向けた。ホテル内の召喚装置のみを抜き出してミニチュア化した様なその立体映像には、数層に積み重ねられた魔法陣と、それを経由し一番上で蓄積される霊的エネルギーの流れとが表示されていた。
 結界からエネルギーと悪霊達の流出した辺りが赤く光り「ALART」を発している。

「流通連動システム稼働時の・衝撃により、結界壁・内部より損壊。流出した霊体にミス・シロ及び・オカルトGメンが除霊交戦中――」

「ガタガタなんじゃよ。ただでさえ建物がボロっちい上に、小僧もオカGもあちこちと妙な手の加え方しとったからのう。まあ・・・もうすぐ吸引・収斂力が桁違いに上がるて。そうなればもう洩れたりはせん。
 さて、お膳立ては最後じゃぞ・・・この先は、本番中の本番じゃ」

 カオスが素早くホログラフ周辺に何かを書き込んだ。すると召喚陣を、屋上全体を、正三角に切り取る青い光の幕が上がる。彼の手元のホログラフには、数層の魔法陣を縦に囲む三枚の更に大きな魔法陣が表示されていた。
 それと同時に大振りだった激震は小刻みなものに変わり、次の瞬間、召喚陣の線や記号、文字の一つ一つから三方の壁と同じ青く鋭い光が立ち上る。

「三列立体陣・展開完了。召喚陣との連結・異常なし。多層陣統合・正常に機能中。
 コントロールとの適応レベル・B。霊基移動・切断・保護における第二種サポート可。
 エネルギー吸引力、展開前の・415%、召喚陣にての圧縮率307%UP」

 上空からのマリアのアイセンサーにも、建物を透かして、カオスのホログラムと同様に横積みの魔法陣とそれらを三角に囲む立体陣とがキャッチされていた。

「さあ、行け小僧・・・・・・っ」

 カオスは召喚陣の反対側で蒼光を見つめていた横島へと、掠れる声で呼び掛けた。
 召喚陣をひたすらに見つめていた横島は、右腕に力を込め、掌を握り締めた。その手の中に霊力が集まり、一瞬だけ鋭い白光を放つ。
 指を開く――そこに現れた文珠、『受』の文字が刻まれていた。

「七人の王の名に於いて、欠けたる名を補いし横島忠夫の名に於いて、いと高き御方の栄光に請い願う。
 四精霊にて四元素を、捧げし瘴気にて力を、我が身にて要素を媒介とし、書に記されざりし者、大いなる魔界の記号******
 旧王アシュタロスが導きにて人界に出で生えしは我らの子ルシオラの、星と月と条件の揃いにて召喚をば請い願う」

 呪文と共に彼が召喚陣へその文珠を放り投げると、陣の上で小さな珠は見えない力に引き寄せられるかの様に円の中心へと収まり、夥しい量の放電を伴いつつ弾けた。

バリバリバリバリッ・・・!

 止む事がない稲妻は召喚陣から連結を伝い、横島の立つ星の周囲を取り囲んだ。
 横島は再び掌に霊力を集め文珠を生成する。二つめのそれに浮かび上がった文字は『送』。
 文珠は彼の足元、五芒星の中心に置かれた。屈んだ彼が文珠を炸裂させた時、放電の帯はベルトの様に連結ラインと星との周囲を高速で回転し始める。
 屈んだまま横島は立ち上がらず、顔の前に持って来た拳で最後の文珠を生成させ、指を開く。
 そこに浮かび上がった文字―――『蛍』
 指を開くと同時に弾ける。眩い光の後、彼の手の上では光で形作られた何匹もの小さな蛍の飛び回る姿が見られた。蛍の群れはやがて横島の手を離れ、一匹一匹連結ラインを召喚陣へと向かって羽ばたいて行く。
 全ての蛍が離れた時、横島は立ち上がり両手を構える様に召喚陣に向けた。“栄光の手”を出す時みたいに、突き出した右手の手首を左手で掴み、支えている。

「我、七人の王の権威に帰属し、これを以って命ず。
 呼ばれし者来たれ。捧げん力を、この身を介し、立ち現れよ。
 この身よ割けよ、我が呼び声故に、散る事勿かれ、至高の者の名誉に於いて」

「これ呪文かよ? 日本語で唱えてるけど、大丈夫なのか・・・?」

「あやつらラテン語で喋っとったか? そーゆー事じゃ。言霊をより正確に再現出来てれば問題ない・・・小僧の頭じゃ意味不明の外国語でなど憶えられんじゃろうしの」

「事、成せり。事、成せり。
 星座の迷宮よ、忘れ去るべきものを忘れよ。
 事、成せり。四精霊よ、汝らの理は今ここにあり。
 事、成せり。冥府の主よ、上位の闇在りしを思え。
 事、成せり。我らの子は我が呼び声へ応えよ」

 横島はそこで呪文を一旦切る。蒼く光る召喚陣の上、蛍の群れはふわりふわりと舞っていた。
 この場の壮絶さには似つかわしくない程、平和で幻想的な眺めでもあった。それらは無邪気に遊ぶかの様に―――彼を、何処かへ招き寄せているかの様に。
 ゆっくりと深く息を吸い込む。顎を引くと再び召喚陣の光を強く見据え、最後の呪文を口にした。

「万物と大いなる力と智恵と意志とを以って!
 我身に眠りし我子目覚めよ。
 横島忠夫の名に於いて、ルシオラよ、ここにあれ!
 全ては事成せり――――!」

 カオスは短く、来るぞとだけ叫んで地面に這いつくばる。何がだと尋ねようとしつつも予感はあったのか、雪之丞も考えるより先に魔装術を装着し構えを取った。





 閃光   衝撃波

   世界の壊れる音




 雪之丞はその時、召喚陣にミサイルが命中したのかとさえ錯覚する。





 庭園入口や駐車場まで待避していた彼らにとっても、それは屋上からの爆発と爆風であった。
 口々に悲鳴を上げ、吹き飛ばされそうになりながらも、身を伏せて土煙に耐える人々。

「―――先生っ!?」

 シロが顔を上げた時、内部に渦巻くエネルギーで震え続けるホテルの屋上から、建物を圧し潰すかの様な直径数十mの青い光の円柱が、天高くどこまでも伸びているのを見た。

「とうとう・・・始まったのね・・・・・・!」

 シロより少し遅れて光の柱を目にした美智恵が、息を呑んで呟く。

「想像以上の出力だわ。私が空母の上で戦った時の装置にも比類する―――」

 その時向こうに乗っていたのは、彼とあの子だった。
 俺は認めんからなあっ。そんな言葉をふと思い出す。

ゴゴゴゴゴゴゴゴ―――

 風がそれまでの地面の揺れと共に止んでも、遠い雷鳴の様な音は延々と轟き続けていた。



   ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ―



「そういう事じゃないのよ」

 差し出された手に、美神は首を横に振って答える。

「そういう事じゃない、とは?」

 神内はその手も表情も動かさず、返す刀で尋ねた。尋ねた後、答えを待つよりも先に自ら考え込む。
 しばらく目を伏せていた彼だが、再び彼女を見ると口を開いた。

「念の為、確かめておくとしましょう・・・打算を越えた愛、とか、そう言ったものを信じてみたくなられたとか? 明晰な貴女になら御理解頂ける事でしょうが、それは、フィクションですよ」

「・・・君が、そう思いたいだけなんだろう? 何があったかは知らんが、そうでなければ君が耐え難いのさ」

「貴方には何も尋ねてませんよ、西条捜査官。私は彼女と話しているんです――」

 微笑み諭すみたいな彼の言葉へ西条が冷ややかに横槍を入れたが、それを遮り一蹴すると、神内は向き直って語り続ける。

「さて、フィクションであると言う事は、それがフィクションの中にしか存在しないとか言う事ではなく、それそのものが一つのフィクションだと言う事です。
 それを言ったら国も会社も家族も法律も一緒なんですが、少なくともそれらのものには金も物も動くし、それ故に人の欲望と利害に支えられる」

 言葉を切って間を置くと、再び問いかけた。

「貴女の行動には、彼の元へ走る選択には、欲望があるのですか? どの様なメリットをお考えなのでしょうか。
 無論、金だけが全てじゃない。しかし、プライド、刺激、将来、安心・・・その選択に何が期待出来ると言うのです?」

「・・・・・・」

 美神は何故か黙ったままだ。その横で西条が「彼女をお前のふざけた世界観と一緒にするな」と言いたげな視線で神内を睨む。

「現世利益最優先。それこそが貴女が貴女である証ではありませんか。その貴女までもが口先弄ぶ様な詰まらぬ精神論に踊らされる必要はない・・・」

「当然よ」

 しかし、ふいに返って来たのはそんな、彼にとっても予想外の返事。神内は少し眉を寄せて尋ねる。

「メリットとデメリットを思考放棄して、彼への愛を選ぶのではなく?」

「だから、“そんなんじゃない”のよ・・・そんな陳腐な台詞を口走る女に見えてたのかしら。それは残念ね」

 美神はため息混じりに薄く笑って見せる。

「では・・・彼に私が用意する以上の、私の想像し得ない何があると?」

 神内の表情からは笑みが消えていた。しかし、動揺や混乱とは違う、何かに苛立ちながらも、探り、追い求める視線。
 その視線をゆっくりと受け止めて、どこか困った顔を作りながらも微笑んで首を横に振った彼女。

「そういう事でもないの・・・・・・元からね、貴方を選んでアイツを選ばないとか、何もかも捨ててアイツを選ぶとか、誰を愛してるとか、誰がふさわしいとか・・・これは、そんな話じゃなかったのよ」

 愛してる、とかじゃないのよ。そう最後に呟いて彼女は瞼を閉じる。数秒程そうしていたが、ぱちっと目を開くと神内を真っ直ぐに見つめた。

「貴方には分からないかしら・・・分かる事かもしれないとも思ったんだけれど」

 神内は眉を寄せたまま首を傾げる。彼女はそんな彼の反応に頷きかけた。

「そうかもね・・・分からない事だったかもしれないわね」

 美神は神内から視線を外し、西条とおキヌを見回す。多分、あんたらにも分かりかねるんでしょうね。そう言っているみたいな眼差しで。
 踵を返して歩き出そうとする彼女。だが神内がそこで呼び止めた。

「待ちなさい。たとえ理解されなくても・・・貴女には言葉で伝える義務があるのではないですか」

「義務・・・?」

 もう一度美神が神内へ振り向くと、彼は頷きながら言う。

「ええ、だから私はここまで追って来て、わざわざ貴女の足をお止めしたのですよ」

 言葉の直後、ばさばさと彼らの頭上で羽音が響いた。誰からともなく、全員が空を見上げる。
 夜、樹木もない車道の上だと言うのに、三羽の小さな鳥が円を描いて旋回していた。少し妙だと感じつつも今それ程気を取られる様な事でもない。先に視線を戻していた美神へ神内は向き直って尋ねる。

「それでも・・・愛じゃなくても・・・彼に求められなくとも、貴女には彼が必要だと言うのですか? それは何故・・・」

「必要? あんな奴、いなくても別に不便な事なんてないわよ」

「美神さん・・・っ」

 神内の言葉途中で当たり前の如く言い放つ彼女を見て、おキヌが表情と同じ位に不安げな声を洩らす。
 二人にも美神が何を言おうとしているのか、彼女の出した答えがどういうものだったのか、未だ分かってはいなかった。分かっていたのは、横島の許ヘ向かうと言う行動についての選択ばかり。
 西条は苛立たしげに元々駐車されていたトラックと神内の車とに挟まれた自分の車を一瞥する。どちらかが動かない限り、乗り込んだ所で出す事は出来ない。
 ふと、その向こう、少し混み合いながら車が流れて行く車道の果てに視線が向いた――うっすらと、霧が立っている。

「霧・・・?」

 この季節、こんな場所に前触れもなく霧など立つものだろうか。頭上の羽音はさっきよりもうるさくなった様な気がする。
 違う一点を凝視していた西条から、おキヌが彼の視線の先を目で追って、その不自然な霧の存在に気付いた。霧が濃くなるにつれて、羽音も更に騒がしさを増す。おキヌは再び空を見上げると、小声で彼に告げた。

「西条さん、鳥じゃありません・・・・・・蝙蝠、です」

「なに・・・そんなバカな!?」

 彼女の言葉に西条も顔を上げる。夜空に羽ばたく何十もの小さな影――全て、この付近に生息している筈もない蝙蝠だった。
 増々濃くなり周囲の視界を遮り始めた霧。神内もようやくその場の異変に気付く。
 バカなと口にしながらも、西条は心当たりの様なものを感じていた――こういう現象に、こういう現象を起こす者には憶えがある。
 美神は顔を上げる事もなく、蝙蝠達の羽音の中に別の音を聞いていた。遠く、次第に近付いて来る、聞き慣れたエンジン音。

「それでも」

 耳を澄ましながらも美神は言った。その一声に神内が注意を向けると、彼女は車と段差との間を歩き、車を回り混んで奥の車線へと出ようとする。
 神内は歩道から降りて彼女を追う。しかし、また逃げるつもりではなかったのか、彼が近付くと彼女は足を止める。

「・・・美神さんっ」

「神内さん、また、お誘い頂けるかしら?」

 余裕が感じられなくも見える神内。勢い余って彼女の腕を掴んでいた。そんな彼へ美神は少し困った様に微笑んで言う。

「それでも・・・愛じゃなくても、必要なパートナーなんかじゃなかったとしても、アイツがあんな風にしている時、私はその場に行かなくちゃ・・・いけない。だって、アイツは―――」

―――バサバサバサバサバサッ!
ォォォ・・・・・・ブロロローーーッ・・・オオオオッ

 美神以外の者にも今やその低い排気音は、蝙蝠の羽音の中近付くのが聞こえていた。
 濃霧の向こうから現れたヘッドライトと流線型のボディ。コブラがブレーキ音を響かせ彼らの前を滑り込んで行った時、蝙蝠の群れが彼らの間を通り過ぎた。

 ざざざざ・・・っ!
 ばさばさばさばさばさばさばさ!

「きゃあああっ!?」

「うわっ!」

 おキヌ達が悲鳴を上げた瞬間に、蝙蝠と霧は跡形もなく掻き消えていた。急に晴れた視界。
 唐巣神父が運転していたオープンカー、その助手席には変化を解いたばかりのピートが立ち、後ろの席には神内の秘書が抵抗も身動きもせずに座っていた。もし近くに寄って見たなら彼の首筋に噛み痕、口元に牙を見る事が出来たかもしれない。
 ご足労でした。ピートがそう声を掛けると、身体の自由を取り戻した秘書は車を降りてフラフラと神内達の方へ向かう。

「申し訳ありません社長・・・美神様の車に乗った所を彼らに・・・!」

ぱし・・・っ、

「―――!」

 神内が呆気に取られてコブラと自分の秘書とを見渡した時、美神は容易く彼の手を弾き、腕から振り払っていた。そのまま一歩、後ろに距離を空ける。
 しまった。
 神内の視界に写る彼女は、微笑みながらも不敵な、実に彼女らしい眼差しを向けて言った。

オオオッ! ブオオオオンッ!!
「だって、横島クンは――――」



ブオオオオオォ・・・ッ!!


「               だから」





「何ですって・・・・・・それは・・・」

 間近に響く排気音の中でも、彼女の言葉は神内にははっきりと聞こえていた。
 今度こそ背を向けて彼女が駆け出した時も、しばし表情も変えずに固まっている神内。だが、彼女が秘書と入れ違いにドアも開けずコブラの後部座席へ飛び乗ったのを視界に認めると、青ざめた顔で駆け、自分の車の運転席へと向かっていた。

だだだだっ・・・ばたんっ! 
――ブロオオオッ!
ブロロロオッ!

 鍵を入れすぐさまエンジンを吹かす。
 コブラの上、唐巣、ピート、美神はその音に神内の車を見た。そして新たにそこへ駆け寄る者の姿を見付け、美神が声を上げる。

「―――おキヌちゃんっ!?」

 同じく彼女の名を呼びながら西条が――引き止めようとしたのか、後に続こうとしたのか、遠目には判別しかねたが――追って走る。
 おキヌは神内の車の前に立ちはだかると、両手をボンネットについた。まるでそうやって車を押し止めようとしているかの様に。
 長いクラクションの音が途切れる事もなく彼女を威嚇して響き渡った。

「何やってんの!? いいからこっちに来なさい!」

 美神は思わず怒鳴っていた。それまでは誰かを連れて行くとか、まるで意識していなかったにも関わらず。
 しかしおキヌは動かない。車体に両手をついたまま真っ黒なフロントガラスを一心に見据えていた。

パァアアアアッ!
パパパァーーーーッ!

 断続的に何度もヒステリックに鳴らされるクラクション。そして空しく轟くエンジン。
 ハンドルを握る神内からは、今にも走り出そうとしているコブラと手前で行く手を遮るおキヌの姿がはっきりと見えていた。
 美神に告げられたあの言葉、意味を受け止めきれない内から、衝動的に車に乗り込み彼女を追おうとしていた。そして、今なおそれを妨げる少女に対し込み上げて来る怒りの衝動――憎悪と言っても良い程の。

「おキヌちゃんっ!」

「―――美神さん! 行って下さいっ!」

 再び呼びかけた美神へ、おキヌは振り返って鋭く訴えた。

「早く! 大丈夫です・・・美神さんが横島さんを・・・私はそれが・・・! 走って――走って下さいッ!!」

 必死で叫ぶおキヌを美神は凝視する。
 だが、すぐに表情を引き締めると小さく一度頷き、その場から視線を離す。向き直り、唐巣に呼び掛けた。

「先生っ、出して!」

ブロロロロロロォーーーーッ!

 返事の代わりに唐巣は無言でアクセルを踏み込みコブラを急発進させた。

ドゥルルルオオオッ!!

 それと同時に神内の車から不吉な排気音が響き出す。西条が彼の意図を予感し顔色を変えた。

「まさかっ・・・っ!」

 青ざめたのは西条だけではない。フラフラとこちらに歩いて来ていた秘書も足を止める。

ドォォォ・・・ッ! ドゥロロロロッッ!!

「邪魔するな・・・・・・どいつもこいつも・・・どけ・・・この、クソガキ」

 ボンネットの向こうからこちらを睨み付けて来るおキヌ、そして遠ざかるコブラを睨み返しながら、神内は小さく口の中で罵り続ける。
 別人の様な形相。疑問、答え、美神、横島、計画、GS、ヒューズが飛び、全てを忘れ去っていた。
 今はただ、自分が走り出せない事、それが目の前の彼女のせいだと言う事だけがひたすらに許せなかった。何故許せないのかも思いだせなくなる程に。
 彼にとって彼女は無神経さか自分への悪意で設置された遮蔽物としてのみ写っていた。無意識の内に口の端が歪む。制御されない衝動の中、彼は笑っていた。

「なら・・・・・・飛べよ」

 おキヌを見据えたまま、笑う神内はハンドルを握り直し、アクセルの上の足に力を乗せて行く。

バンッッ!!

「―――社長っ!」

 突如、勢いよく開いた運転席のドア。いつの間にか猛然と車に駆け寄っていた秘書は、そのまま神内の体を車内から引きずり出す。
 手加減しながらもアスファルトの上へと強く押さえ込んだ。

「ぐっ・・・!?」

 秘書の腕と地面とに挟まれ、神内は全力で抗い身を起こそうとする。しかし、押さえ込む力の方が強く、僅かに上半身を浮かせるばかりでびくともしない。
 ふいに神内が身体の力を抜いた。その弾みで再び地面に強く押し付けられる。

「社長・・・?」

 彼はゆっくりと上げていた顔を伏せる。やがてアスファルトの粗い凹凸を見つめながら、静かに口を開いた。

「分かっている・・・ああ、分かっていたとも・・・・・・彼女がそう言った時点で、私の負けだと。彼女と私が同じであったなら、そんな答えもあり得たと・・・」

 さすがは美神さんですよ。最後に苦笑しながらそう呟き、神内は黙り込む。

「あの・・・私・・・」

 今轢かれる所だったんですか。我に返ったおキヌが少し震えながらボンネットから離れ、西条へと近付いて来る。
 無我夢中で、何も考えてなかった。美神を行かせる事、それだけをひたすら思っていた。

「あまり無茶しないでくれ。僕が令子ちゃんや・・・横島君に、合わせる顔がなくなる」

 溜息混じりに彼女へ言う西条。おキヌは耳を澄ませ夜空を見上げる。未だ微かに聞こえていたコブラの走る音が完全に掻き消えた所だった。
 彼女は今走り始めた人の名を、小さな声で呼ぶ。

「美神さん・・・」

 祈る様に。





 車の少ない大通りを、美神の愛車は猛スピードで走り抜ける。
 ハンドルを握る唐巣。元々彼の車であったその赤いオープンカーは、美神の運転にも引けを取らない激しさと巧みさで、弾丸の如く目的の場所へと向かっていた。
 灯に輝く亜麻色の髪は強い向かい風に流れる。
 彼女はただ前だけを見ていた。








   ――――――――――――――

        F A L L E N
    ――RUN REIKO RUN――

   ――――――――――――――








 妖しい光に照らされつつ立ち込める埃と煙の中、あの爆風だけは止んだと判断した雪之丞が、伏せていた身体を起こす。
 五芒星の中であらかた守られていたとは言え、この世の終りみたいな有様を体感していた。念の為、魔装術は解除せずにおく。

「しょっ・・・召喚陣は、どうなった・・・? 横島・・・横島は・・・」

 ようやく晴れて来た煙、うっすらと見える色とりどりの霊波を頼りに辺りを見回し、やがて、さっさと同じく星の上に手足をつき一方向を凝視していたカオスを見つけた。
 彼の見ている方向へ顔を向けた雪之丞は、そこにあった光景に目を奪われる。

「何だ、こりゃあ・・・蛍・・・が」

 召喚陣の上だけではない。その周囲にも、彼らの2〜3m前までも、無数の蛍火が舞い狂っていた。
 そして召喚陣から伸びた馬鹿でかい青い光の円柱。その向こうに小さく、激しく、火花と共に霊波を放っている場所がある。
 そこに両腕を突き出して立つ者――言うまでもなく、横島だった。
 横島から放たれていた光はラインの上を辿って円柱へと送り込まれている。円柱に光が流れ込むのに合わせ、蛍火の群れは一層ざわめきを増していた。そして―――――
 円柱の中、召喚陣の中央に何か朧げなものが浮かんでいた。透き通って虹色に光るそのシルエットは、雪之丞にとっても少しだけ見覚えのあるもので。

「――――!」

 その姿は少しずつ鮮明となり色濃くなって行く。
 下から上への青い光の流れの中、自ら動く事もなく揺らめいていたが、彼らの知る“彼女”の形を取り戻し始めている。
 しかし、真っ直ぐそれを見つめている横島の顔に未だ表情はなかった。

「むむっ・・・・・・」

 カオスの唸る声で雪之丞は我に返った。視線を移すと、屈んだままのカオスが、傍らの宙へ表示された数列を前に、一際険しい顔を浮かべている。

「どうした?」

「こりゃ・・・マズいかもしれんぞ。やたらと、異常な数値が出ておる・・・現在のうちから三ヶ所も劣化ノイズの増殖も見られる・・・」

「何だよ、そりゃ・・・どうなるって言うんだよ?」

「例の、小僧の霊体固定じゃ・・・つまり・・・」

「何・・・だと」

 雪之丞はカオスの手元の数列を凝視してから、再び円柱と横島とを見る。
 召喚陣に浮かぶそれは今や朧げな虹などではなく、紛う事なき“彼女”―――あの、ルシオラの、白い現身となっていた。







   ― ・ ― 次回に続く ― ・ ―

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