ザ・グレート・展開予測ショー

玉藻丼


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(06/ 6/ 6)

日曜日の昼近くになってから、ようやくにもそもそと起き上がる。

本当はだいぶ前から気がついてはいたのだが、今日は特にすることとてなく、寝床から身を離す気になれなかった。
暑くもなく寒くもない今の季節、開け放した窓から時折、カーテンの裾を伝って降りる風が頬を撫でる。
そのひやりとした心地よさに身を任せ、毛布を剥いだふとんに包まって、思う様に惰眠をむさぼっていた。

出来うるならばいつまでもこうしていたかったが、腹の虫が抗議の音を上げ、やむなく起き上がることを決意する。
僅かに気だるさの残る腕を上げ、頭の上で指を組んで大きく伸びをする。
知らず知らずのうちに大あくびを漏らし、眠みぃ・・・、と誰に言うでもない呟きが口をついて出た。
怠惰な様子を咎め立てる者もない、気楽で自由気ままな生活だったが、近頃は少し寂しさを感じるようにもなっていた。

大四畳半の宇宙には洗面台などあるはずもなく、台所の流しの上に置かれた揃いのコップと歯ブラシを一つ取って歯を磨く。
冷たさにためらわなくなった水で顔を洗うと、ようやくに目が覚めてきた。

ふとんを跨ぎ、たいして遮りもしない安物のカーテンをさっ、と開けると、曇天の色が目に映る。
幸いに泣き出すほどにはならなさそうだが、どうも外へ出掛ける気にもなれない白さだった。
何気なくいつもの着古した上着に手をかけるが、袖を通すことなく放り投げた。

畳を占領していたふとんを脇にどけると、幾分か部屋が広くなったように思える。
独り住まいの常で相変わらず雑然としてはいたが、一頃に比べればかなりましにはなっていた。
それでもまだ彼女には文句のひとつも言われたりするのだが、今はまだそれも楽しいやりとりのうちでもあった。



しばらくの間は、気のないテレビなどを見て過ごしていたが、さすがに空腹感に耐えかね、兼用の昼食をとることにした。
今日は簡単にカップ麺で済ませようとも思ったが、特売で買いだめしておいたのは食べ尽くしてしまったのを思い出す。

何かないかと冷蔵庫を開くと、タッパーに入った油揚げが残っていた。
彼女が同居人のために煮付けるお揚げは好評で、作るたびに稲荷寿司などと一緒におすそ分けがこちらにも回ってくる。
下の段にはうどん玉もあり、またいつものやつにしますか、と手を伸ばす。

タッパーを取り、うどん玉に手を伸ばすと、その横のパックの中に残っている卵が目に止まる。
特売で買ってきた卵はまだ新しかったが、残り三個というのは微妙に中途半端だ。
彼女がまた買ってくる前に食べ切ってしまったほうがよさそうで、ならば月見をプラスしようか、などと考えていると、ふと思いつくことがあった。

一旦冷蔵庫のドアを閉め、上に置かれた炊飯器の中を開けて見る。
すっかり忘れていたが、ゆうべ炊いたご飯が保温のままにまだ残っていた。
もう一度冷蔵庫を開けて見れば、上手い具合にねぎもある。
よし、と、卵とねぎだけを取り出し、流しの脇に置いた。

タッパーのふたを開け、色濃く煮付けられたお揚げをまな板の上に並べる。
一枚、二枚、三枚と数え、つと二枚だけ使って残りは夜にうどんで、とも考えたが、やはり思い直して三枚とも真中からふたつに切り、そのまま六段に重ね、短冊形に切り刻む。
お揚げは一旦タッパーの中に戻し、まな板と包丁をさっと水で流してねぎに移る。
慣れない包丁の手つきはぎごちなかったが、さすがに小口にはせず、薄く斜めにたっぷりと切っておく。
少し前まではたまねぎの甘さのほうが好きだったのだが、犬族の毒となれば入れる訳にもいかず、最近では食卓に上ることもなくなっていた。
今度、ふたりでこっそりと食べてみようか、などと考えてもみたりもする。

簡単な準備を終えると、一口しかないガス台に片手鍋を置き、これまた近頃常備するようになった昆布つゆを取り出して、割り下を作る。
ビンのラベルによれば1:3の割合だが、ほんの少し水を多めにしてうす味に仕立ててみる。
彼女の作るお揚げはおいしいのだが、生まれによるものか実家の味か甘辛い濃口の味付けで、うどんや稲荷には合うが、丼ものには少し塩辛い。
今はもうすっかりこちらの味に慣れてしまったが、初めて上京してきたときにはご多分にも漏れず、うどんつゆの黒さに悲鳴を上げたものだった。
子供の頃に母親が作ってくれた味を思い出し、見よう見真似で試してみる。



ここからはスピード勝負だ。

まずは邪魔をされないように玄関のカギを外し、前にどこかで買った対のどんぶりを引っ張り出し、ご飯を軽めに盛り付ける。
鍋を強火にかけ、出汁が少し泡立ってきたところで、まずねぎを入れる。
その間に卵を鉢に割り入れ、黄身をつついてざっくりと軽く混ぜる。
かき混ぜ過ぎると出汁をよう吸わん、という母親の言葉を思い出し、あまりがしがしとは混ぜない。

ねぎがしんなりとしてきた頃合に、刻んだお揚げを一気に入れる。
お揚げが温まってきたら卵を半分ぐらい入れ、出汁を充分に含ませるように箸を回す。
最初の卵がふんわりと固まってきたら、残りの卵を回し入れ、すぐさま火を止める。
卵を二度入れるのは、食べるときにとろとろにさせるためで、これは彼女に教わったやり方だ。
表面がまだ生のうちに丼に盛り付けてふたをする。
こうすることで、余熱のおかげで食べる頃にはちょうど半熟加減になるというわけだ。



二分もかからぬうちに出来上がった丼を持って振り向くと、予想の通り、いつのまにか部屋の中には見知った客がいた。
さすがに妖と言うべきか、いつもドアの開いたのも気づかせないままに上がりこんで、澄ました顔で座っている。
いったい、どこから嗅ぎつけてくるのか、ちょうど出来上がりの食べ頃になるとやって来る。
きっと、タッパーのふたを開けた瞬間に嗅ぎつけたのに違いない。

すっかり物がどけられたちゃぶ台の上にはお気に入りの箸が置かれ、用意の良いことに、これまた最近常備するようになった七味唐辛子が準備されていた。
本当はきつね丼には粉山椒が合うのだが、さすがにうなぎでも食うのでなければあまり使うこともない。
何も言わずとも早く、早く、と急かす目に促され、お揚げが少し多いほうを選んであげる。



もし気に入ってもらえたら、今度から山椒を買っておいてもいいかもしれない。

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