ザ・グレート・展開予測ショー

二人の錬金術師


投稿者名:高寺
投稿日時:(06/ 5/29)

 錬金術――狭くは卑金属から貴金属、特にも金を練成する事を目的とし、広くは様々な物質、人間の体、魂を練成する事を意味する。
 そして、その至上の目的は、賢者の石を創り出し、至上の錬金術師となる事である。
 十八世紀――ヨーロッパにその至上の錬金術師に、最も近づいた男がいた。
 男の名はDr.カオス。ヨーロッパの魔王と畏れられた、不死を得た錬金術師である。


 未だに自然を多く残す、ドイツの片田舎。そこに、小さな邸が建っていた。
 小さな、と言っても、周囲には雨風を凌ぐのがやっとの様な農家が数件散らばっているだけなので、それらに比べたら、大邸宅と呼んでも差し支え無い。
 その邸の、一室。華美な装飾など一切省いた、質素な寝室に二人の男がいた。
 一人は、椅子に腰掛けた黒衣の外套を身に纏う老齢な男で、もう一人はベッドから半身を起こしている壮年の男だった。
「Dr.カオス、マリア君の姿が見えないようだが?」
 壮年の男の言葉に、老齢の男――カオスは哂って答える。
「マリアは、今頃儂の邸の掃除をしておる。男と男の会話に、余人は要らんじゃろう。ましてや、三百年来の知人とじゃ――のう、ジェルマン」
 それもそうだな、と壮年の男――ジェルマンがつられて哂う。

 ジェルマンとカオスが出会ったのは、おおよそ三百年前。カオスが隠遁し、研究活動に専念している時だった。
 魔術結界を張り、何人も訪れる事が出来ないカオスの邸に、御高名なDr.カオス殿に面会しに来たと事も無げに言って現れたのが、当時自称二千余歳を数えたジェルマンだった。
 カオスと違い、ジェルマンは驚く程に無名であった。
 独力で不老不死の術を会得した者が――ジェルマンの言を信じるなら、二千年も生きて来た者が無名であるなど、考えられない事である。その為、カオスは訝しんだ。それ程までの力を要しながらも人界で無名であるなどと言うのは、魔族の類だと感じたからだ。
 しかし、当初はマリアを用いてジェルマンを追い払っていたカオスも、暫くしてから自分の認識が誤りだと気付かされた。
 数度目の訪問の折、ジェルマンが瀕死の重傷を負っていたからだ。それも――魔族による。

「しかし、あの時は驚いたぞ。まさか魔族の類だと思っておったモンが、その魔族によって殺されかけておったのじゃからな」
 昔の事を懐かしみながら語るカオスに、ジェルマンはフンと鼻を鳴らした。
「当事者の私が一番驚いた。まさか、魔族に狙われていたなどと、露程にも思わなかったからな。それに――」
 ジェルマンの頭には、あの時自分を襲った魔族の名が浮かんでいた。嘗て、自分の師であるソロモン王が使役していた魔族の名だ。
「――アスタロトなどと言う高名な魔族が、よもや自分の命を狙って来るなどと思う者がこの世にいるものか」
 それもそうだ、とカオスは声を上げて笑った。
 この様な遣り取りは、二人が歓談する時に必ず行われた。研究活動にその命を捧げる錬金術師にとって、未来に関する発言などは無用の長物であり、彼らが見つめるものは、強大な神や魔術師が存在した悠久の過去、そしてそれに近づく為の今でしかない。その為、二人の会話は常に自分達の研究や世界の過去に関するものばかりだった。

「それで、お前さんの命を狙ったのはソロモン王の弟子だから、と言う訳じゃろう? お前さんのホラは、悪魔まで騙す事が出来るのか」
「騙すとは失礼だな。正真正銘私はソロモン王の弟子であり、齢はとうに二千を超えている」
 呵々とカオスは笑う。
「だとしたら、お前さんは錬金術師よりも魔術師じゃろうが。彼の七十二柱を使役した王の弟子が、その七十二柱に遅れを取ったと王が知ったら、如何に嘆くか想像するだけで笑いが込み上げて来るわい」
 カオスの言葉を受けてジェルマンは憮然とした表情になりながらも、瞳に憧憬の色を交えて言った。
「王は希代の術師だった。悪魔どころか精霊さえも完全に操れる術師など、私は聞いたこともない」
 
 口ではなんだかんだ言いながら、カオスはジェルマンの言葉が嘘ではない事に気付いていた。自分の知識を総動員して造った魔術結界をいとも容易く潜り抜け、アスタロトに狙われながらも生還する事が出来たのは、一重にその魔術のお陰だからだろうと悟ったからだ。
 悲しいかな、未だに錬金術では悪魔に対抗出来ない事をカオスは身を以って知っていた。下級魔族ならまだしも、アスタロトのような上級魔族を相手にした時、自分が間違いなく殺されるであろうと言う想像は難くない。

 思考に没頭していたカオスの耳に、ジェルマンの真剣な声が響いた。
「なあ――何故お前は私の話を信じてくれるんだ?」
 切羽詰ったようなジェルマンの瞳とカオスの瞳が向かい合う。
「私は、今までも知人には自分の正体の事を告げてきた。しかし、信じるものはただの一人もいなかった――お前を除いては」
 ジェルマンは決して鈍くはない。と言うより、人より幾倍も心の機微を察する事に長けていた。その為、口調とは裏腹にカオスが自分の言を信じていることを感付いていた。だからこそ、彼は不思議でならなった。誰もがホラ話だと信じない自分の話を、何故目の前にいる錬金術師は信じるのか。


 くだらない事を聞くものだと、カオスは内心で呆れ果てた。しかし、同時に哀れでもある、と思った。目の前にいる、自分よりも遥かに時を駆けて来た男には、才に恵まれても人に恵まれなかったのか、と。
 ふと、カオスの頭に今頃自分の邸を掃除しているであろうマリアの顔がよぎった。はたと気付く。もしマリアを創っていなかったら、あの面影を持っていた愛しい姫君に自分が出会う事が無かったら、自分は目の前の哀れな男と同じ状態になっていたのではないか。
 カオスにとって、それは嫌な想像ではあった。しかし、頷けるものも確かにある。少なくとも、自分には心に住まう人がいる。彼女がいたからこそ、今の今まで――そしてこれからも自分らしく、心が手折られる事無く生きていけるのだと実感した。
 そうであるならば、とカオスは目の前の男を思う。自分は、彼の心を支える事が今何よりも重大なのだと。

「――お前さんには、心に住んどる奴はいるか?」
 ジェルマンの瞳が微かに揺れる。
「いない。その質問は、私の問いに関係あるのか?」
「関係ある。大ありじゃ。のう、ジェルマン――儂の心には、一人の女性が住んでおる」
 カオスは、誰にも打ち明けた事の無い昔話をした。彼女と何時出会い、どの様に過ごし、何時恋に落ちたのか。そして、気丈な彼女が自分の為を思い、どの様に生きてくれたのか。
 カオスは思う。自分の言葉によって少しでも彼が心を開いてくれれば、彼の心に友人として自分が住むことが出来れば、彼は少しは幸せになれるのだろうかと。
「儂は、姫がおったから今、此処におる。姫が心に住んでおるから、例え世界の全てからそっぽを向かれても、儂は生きていける」
 カオスは思う。儂じゃ、お前さんの心に友として住めんかの、と。

 ジェルマンは過去を振り返る。自分には、果たしてカオスの姫に相当する人物がいただろうかと。敢えて名を挙げるのならソロモン王に違いのないのだが、ジェルマンにとってソロモン王はあくまで師であり、精神的な支柱ではない。
 そのせいだろうか、とジェルマンは思う。カオスには、自分と違い常に若さが溢れている。活き活きとした躍動感と言い換えても良いだろう。世捨て人の様に生きて来た自分と違い、カオスは常に前進を続けている。その前進が、たとい僅かなものであっても、カオスは自己を見失わない。それは、彼女がカオスの心に住んでいるからなのだろうか。
 そうして、ジェルマンは気付いた。確かに、師を失い、幽鬼の様に生きて来た自分にとって、一番充実した時間は何であったのかと。
 この三百年こそが、自分にとって何よりも充実した時ではなかったのかと、ジェルマンは実感する。カオスに会い、語らい、時に議論を交わした時間が、何よりも自分らしかったのではないかと思い至る。
 ――だから、彼は微笑んだ。目の前の友に向かって。

「くだらない事を言って、悪かった。今頃、気付かされた――カオス、お前はとっくの昔に、私の心に住んでいた。私が、気付けなかっただけだ」
 ジェルマンの言葉にカオスも微笑む。これで心配ない。ジェルマンはこれからも自分の友として生きてくれるのだと確認できたから――自分が言葉を弄した甲斐があったのだと、実感できたから。
 男達は、再び他愛の無い話に華を咲かせた。この、くだらなくも尊い時間が自分達にとって、大切であると感じながら。


 辺りがすっかり暗くなった頃、カオスは腰を上げた。
「さて、儂はそろそろ帰るぞ。このままだと、何時までも此処にいそうじゃからな」
「そうか、分かった。お前と話せて、此処まで楽しいのは初めてだ。感謝する」
 ジェルマンの言葉に、カオスが気恥ずかしげに頬を掻く。
「まあ、何じゃ……そんなに気にするな。儂も楽しかったし、お前さんも楽しかった、それでいいじゃろう。また来る時は、研究課題についてでも話し合おう。それまでに、身体を治しておけよ」
 身体を治しておけよ。その言葉に、ベッドに身体を置いているジェルマンの顔に翳が差すのを、カオスは気付かなかった。
 ジェルマンが微笑む。
「それは楽しみだ。何、少し体調を崩しただけだから、今度お前が来る時には元気な姿になっている。楽しみにしてるぞ」
 カオスは、オウと言って部屋を後にした。その後姿に、ジェルマンは掠れた声で感謝の言葉を投げかける。
「本当に――感謝しているぞ、親友」







 サンジェルマン伯爵――フランス王ルイ十五世に仕え、後のフランス革命を予見した希代の錬金術師は、その夜眠る様に息を引き取った。
 享年二千八十四歳。死因――アスタロトの攻撃による霊基構造の損傷、及び身体の劣化。
 ソロモン王の弟子として才を開花させながら、二千余年の長きに渡り心の支柱を得なかった哀しき男の死に顔には、満足気な微笑が浮かんでいた。








 薄暗い研究室で魔術書を読んでいたカオスの頬に、一筋の涙が伝う。
「――馬鹿モンが。会えぬなら会えぬと、そう言え。また会おうなどと言ってからに……死んでから挨拶に来るなど、儂は何も嬉しくないぞ――」
 辛うじて上半身を残すのみとなったジェルマンの霊体がすまなそうに笑う。
 カオスは犬猫でも追い払う様な仕草をしながら言った。
「フン、目障りじゃから早く消えろ。儂は研究で忙しいんじゃ。お前なんぞに構っとる暇はありゃせん」
 ジェルマンは、もう一度すまなそうに笑うと、その姿を保てない為か、完全に霊体が消滅した為なのか、スッと掻き消えた。


 カオスが、悔しそうに呟く。
「馬鹿モンが――遠出する時は、行く前に儂に一言掛けておけ……その時ぐらい、見送らせろ、馬鹿モンが」

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