プライド
投稿者名:ちくわぶ
投稿日時:(06/ 5/23)
人生、どんな出来事がきっかけになるかわからないものだ。私もかつて、そういう体験をしたことがある。今にして思えば笑い話かもしれないが、当時の私達には何よりも重大なことだった。その結果を私は後悔していない。妻を誰よりも愛しているし、娘は何物にも代え難い宝だ。娘を膝に抱きながらテレビを見ていると、ふと顔を上げて娘が尋ねてきた。
「ねーぱぱ、ぱぱとままはどーしてケッコンしたの?」
「おませさんなことを言うようになったなぁ、お前」
「ねー、どーして?」
「んー、それはなー」
くりくりとした可愛い目で見上げてくる娘の可愛さといったら。いや、頬をゆるませている場合じゃない。私はその頭を撫でながら、あの時のことを思い出していた。
「極楽に逝っちまいな!!」
横島が投げつけた文珠の爆風に巻き込まれ、不快な羽音を立てる虫の悪霊は消滅していく。ここ数日、下水処理場に人の血を吸う悪霊が現れるとの依頼を受け、高校を卒業したばかりの駆け出しGS横島忠夫は現場に赴いていた。そこに現れたのは、羽根をあわせたら2mはあろうかという巨大な『蚊』の悪霊だった。しかし所詮は蚊、大した敵ではなかった。なかったのだが。
「うわっ!?」
文珠でバラバラになった身体の頭部だけが、横島の首筋に飛びついた。細い針のような口吻を突き刺し、どこまでも本能を満たそうとする。少々面食らった横島だったが、もうひとつの文珠を出現させて残りを消滅させた。首筋には赤い跡が残ったが、特に痛みもなかったのでそのまま帰ることにした。だが、恐怖は翌日訪れたのである。
「な、なんじゃこりゃあああ!?」
翌日、アパートで目を覚ました横島は自分の身体の異変に思わず声を上げた。両腕の感覚が無くなり、まるっきり動かせなくなってしまったのである。横島はイモムシのように身をよじりながら起きあがり、どうしてこうなったのかその原因を考えた。
「やっぱり昨日のあれだな。あの野郎、変な毒もってやがったのか」
もう一度身体を確認してみるが、腕がまったく動かない以外に異常はない。とりあえず誰かに連絡を取って、どうにかしてもらわなければ着替えも食事も出来ない。パジャマ姿のままで外を歩くのは勇気がいるが、もはやそれどころではないと横島は決意する。ところが。手が使えないと玄関を開けることが出来なかった。口でどうにか開けようとしたが、立て付けの悪いこのドアは開けるのにちょっとしたコツが必要で非常に難しかった。悪戦苦闘しているうちにバランスを崩して倒れた横島は、後頭部を激しく打ちつけて気絶してしまった。
「――さん、横島さん」
「う……」
朦朧とした視界が次第にはっきりとしてくると、心配そうに自分を覗き込むおキヌの顔が目の前にあった。
「おキヌちゃん……どうしてここに?」
「横島さんがいつまでたっても事務所に来ないから、心配で見に来たんです」
「そっか、ありがとう。悪霊の毒にやられてこのザマでさ、両腕がまったく動かないんだ」
「困りましたねぇ。とりあえず玄関で寝てたら風邪引いちゃいますよ。立てますか?」
「あ、ああ」
横島はおキヌに肩を貸してもらうと、とりあえず布団の上に座り込んだ。
「しかしまいったな。文珠を作ろうにも感覚が無くて手のひらに集中できないし、いつ治るのかもわかんねーしなー」
「後で美神さんに相談するしか無さそうですね」
「あーあ、きっと怒られるだろうなー」
「でも、横島さんが無事で安心しました。きっとすぐ良くなりますよ」
「そうだな、他は何ともないんだし」
おキヌの励ましに相づちを打っていると、タイミング良く横島の腹の虫がなる。
「うふふっ、私、何か料理作りますね」
「うん、頼むよ」
おキヌは手際よく部屋を片付け、エプロンを身につけて料理を作り始めた。鼻歌を歌いながら台所に立つおキヌを見ていると、横島はおもわず頬がにやけてしまう。
(うーん、新婚ってこんな感じなんだろーか。いつ見ても楽しそうに料理してるおキヌちゃんって……)
こっそりと幸せな感覚に浸りながら、横島は料理が出来上がるのを待ちこがれた。
「おまちどおさま。たくさん食べてくださいね」
微笑みながらおキヌはちゃぶ台に食事を並べていく。それらは味噌汁やおひたしなど特別変わったものではないが、おキヌの腕にかかれば立派なご馳走である。喜んでそれを口に運ぼうとした横島だったが、次の瞬間ふと我に返った。
「そーいや……手が動かせないんだった」
「あっ……」
おキヌも料理作りに没頭してそれを忘れていたらしく、すこし戸惑った。が、すぐに気を取り直してにっこりと笑って言った。
「じゃあ、私が食べさせてあげます」
「えええ!?」
おキヌの提案に思わず横島は声を上げる。まさかここで、あの有名な『あれ』を体験できるとは思っても見なかったからだ。
「もちろん俺は嬉しいけど……い、いいのかい?」
「はい。だってそーしないと食べられないじゃないですか」
「うおおー!!ありがとうおキヌちゃん」
おキヌは器用に料理を箸で取り、嫌な顔ひとつせず――むしろ嬉しそうに――食べさせてくれた。もちろんお約束の『はい、あーん』も忘れない。小さな野望のひとつが実現した横島は、つい目から溢れ出す汁で料理をしょっぱくしてしまうのだった。
「ごちそうさま。もうお腹一杯胸一杯って感じだよ」
「ホントはちょっと恥ずかしかったんですけど、横島さんに喜んでもらえたから」
「お、おキヌちゃん……」
少し顔を赤らめながらそう言うおキヌの顔は、まだまだ女慣れしきっていない横島にとって凄まじい破壊力を秘めていた。効果音を付けるならば間違いなく『きゅん』となっていたことだろう。しかし悲しいかな、横島の両腕はまったく言うことを聞いてくれなかった。
(ちくしょー、なぜこんな時に限って……こ、こんなと……き……!?)
自らの身体に迫る変化に、横島は戦慄を憶えた。それは誰も逃れられぬ定め。生けとし生けるもの全てが支配される現象。
尿意。
その生理現象は容赦なく横島を遅い、体内の筋肉を収縮させてそれを誘う。だが、今の横島にとってそれは死刑宣告にも等しいことであった。
(手が使えんのにどーやってしろってんだぁぁぁ!!)
このままではいい歳して○禁という、決して背負ってはならぬ十字架を負うことは免れない。さらに目の前には女性が、それもおキヌが。心身共に汚れてしまう前に、どうにかこの状況を切り抜けなくてはならなかった。
「お、おキヌちゃん……一度帰って美神さんに……」
「お茶が入りましたよ横島さん」
「ぬああっ!?」
「ど、どうかしたんですか?」
「い、いや……なんでもないよ」
「冷めないうちに飲んでくださいね」
「あ、ありがとう……」
明らかに声が震えているのが自分でもわかる。しかし、ここで悟られるわけにはいかない。悟られてしまったら、さらに恐ろしいシナリオが待っていることを横島は知っていた。お茶をひとくち口にする度に、肉体からの欲求が加速度的に強烈になっていく。
「おっおおお!?」
「やっぱりヘンですよ横島さん。どこか具合が――」
(あ、あかん、こらあかん。この手は使いたくなかったが、もはや選択の余地はないっ!!)
「……横島さん?」
横島の顔には脂汗が浮かび、目は血走り、唇をきつく噛んで震えている。尋常でない様子に思わず息を飲んだおキヌに、横島は切羽詰まった声で言う。
「おキヌちゃん!!」
「は、はいっ?」
「お、俺のこと……好きかい?」
「へっ!?」
「もしそうなら……今すぐ俺の前から消えてくれないか!!」
「あ、あの、横島さんの言ってることがよくわかりません」
「だからっ、俺を好きだと少しでも思ってくれるなら、今すぐ出て行ってくれっ!!」
「わ、私……出て行きません」
「うおおーい、マジっすかー!!なんか生きる気力を激しく削がれたんですけど!?」
「横島さんが苦しんでるのに置いてくなんて、絶対出来ません」
「ものすごーく優しくて嬉しいセリフだけど、今はとことん迷惑なんだよそれがぁぁぁ!!」
「だからっ、どうしてなんですかっ。それを聞くまで私はここを動きません!!」
「それを言ったらもっと恐ろしいことが起こるから言えないんだよっ!!」
「私は何があっても構いません!!」
「俺が構うんじゃぁぁぁ!!」
もはや臨界点は目の前に迫っていた。横島の体は激しく震え、内股気味になって必死に堪えている。だが、そのポーズがおキヌに閃きを与えてしまった。
「も、もしかして……トイレに行きたいんですか?」
「うああああ!?」
その反応から図星だと理解したおキヌは、かあっと顔を真っ赤にして黙り込んでしまう。しかし、意を決したように顔を上げて横島を見つめた。
「そうですよね、手が使えないならトイレも辛いですよね……」
「お、おキヌさん……ま、まさかとは思うけど――」
「私、手伝います!!」
「イヤぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「だ、大丈夫ですよ横島さん。その……えっと、目をつぶって見ないようにしますから」
「そーゆー問題じゃないんだよぉぉぉぉ!!」
「でもこのままじゃおもらししちゃいます!!それでもいいんですか!?」
「ぐっ!?」
「大丈夫、誰にも言いませんから……」
「あっあああああああ!!」
それから結局、一週間もの間横島の両腕が動くことはなかった。後に己の全てを知られた横島は、介護される老人の気持ちが痛いほどわかった、と語っていたという。そしてこの時の秘密を守るために横島に残された選択肢は、それを知るものを始末してしまうか、もしくは――
「ねーぱぱ、どうしてケッコンしたのかおせーてってばー」
「そりゃもちろん――愛してたからに決まってるさ」
「きゃー、あいしてる、あいしてる!!」
キッチンの方から妻の呼ぶ声がする。私は娘を抱いて、妻の元へ向かう。昔から変わらぬ妻の料理の匂い。妻は心優しく、美しく、文句など付けようがない素敵な女性だ。いま、本当に幸せだと私は心から思う。きっかけはまあ、あの選択肢から選ぶより無かったわけだが、今が幸せならそれでいいのではないだろうか。ただ、一言だけ言わせて欲しい――
男には、全てを賭けてでも守らねばならぬプライドがあるのだっ。
今までの
コメント:
- えーと。双方愛し合っていれば問題ないんじゃないでしょーか。
ドラマチックなきっかけもあれば、もしかしたらこーゆーきっかけもあるんじゃないか、とか。
おキヌちゃんはいい娘です。ええ、いい娘なんですよっ。
だから石を投げないでくださいすんません。 (ちくわぶ)
- あーもう。
……男の子は大変だ。
腕が動かなくなったのが他のメンバーだったら、という戦慄も覚えつつ。
「プライドで結婚したんですか?」
って包丁砥ぎつつ聞いてみたくなる賛成票。 (ししぃ)
- 他キャラバ−ジョンも読んでみたいなっと思いつつ賛成票 (シンペイ)
- 朝靄に街が沈む時間、果たしてちくわぶさんになにがあったのか。
そして横島に何があったのか。
全てを知るものはただ一人。
その者は薄笑みをたたえ、包丁を研いでいると言う…。 (とおり )
- 1週間も、大変でしたね。両者ともに。
いやいや、介護は大変なものですよ。 (rainy yellow)
- はじめまして、面白かったのでコメントを……
あぁ、高卒直後にしてそんな関係にまで……
いいじゃないでしょうか
うん、幸せみたいだし
おキヌちゃんはいい娘ですねぇ
一生逆らえないね(邪微笑 (長岐栄)
- そんなっ、ちくわぶさんがこんな下ネタをっ!
……とか思いつつも、この二人はこのくらいが自然かなあとも思ったり。
「それ」ばかりが強調されてるのもどうかなーとか思いましたが、展開としては賛成です。 (竹)
- うう、ああ…キツイですねぇ(苦笑)
でも、おキヌちゃんをお嫁さんにできたんだから、十分じゃない、ねっ(笑) (美尾)
- なんとゆーか…横島クンとおキヌちゃんらしいなぁと思ったり。
結婚の切っ掛け…互いに好きあってたのなら、こーゆーのもアリでしょうねw
面白かったです。 (偽バルタン)
- 男性が女性に看護してもらうと、このシチュエーションは起きてきますね。
沖縄戦で犠牲になった女学生の慰霊碑を「ひめゆりの塔」と言いますが、
同名の映画に同様のシーンがあったと記憶しています。
割合ありふれたことなのかも知れません。
おキヌちゃんも興味津々で目をつぶってつまんでいたりして…。 (STJ)
- おキヌちゃんにしてみても頼まれてそれが出来たと言うことは、そこに愛はあったわけで……
プライドを守るために何かを犠牲にした結果というわけじゃなく、それが運命だったんだよという結婚を祝福して──賛成! (足岡)
- 一作ボツとなった悔しさから勢いだけで書いた話だったのですが、意外にウケたようでホッとしています(笑)
ではレス返しをっ。
>>ししぃ様
あ、愛ですよ愛。愛してもいない娘と結婚なんてっ。
だから包丁を喉元に突きつけないでください(涙)
>>シンペイ様
他のキャラ……男性キャラは良いのですが、女性キャラがこうなると横島が止まらなくなる気が(殴)
>>とおり様
悩み続けた反動が、こんな形で戻ってきてしまいました(笑)
二人に何があったのか、それは誰にもわかりません。
なぜなら横島くんは秘密を永遠に封じることに成功したのだからっ。
でも幸せだからいいんじゃないでしょうか。
だからとおりさん……光り物は御法度ですぜ(ぇ
>>rainy yellow様
介護をしてくれる方は本当に尊敬しています。並大抵の気持ちじゃ出来ませんからね。
おキヌちゃんの気持ちの強さを感じます。
>>長岐栄様
おキヌちゃんはもう幸せを手にしているので、きっとそのことで何か言ったりはしないと思いますが……
もう横島くんがヘタな真似を出来ないのは確かですね(笑) (ちくわぶ)
- ぎゃーっ!?間違えて賛成票にチェック入れてもうた_| ̄|○
もしこの後賛成票を入れてくださる方がいたら、中立票でこれを消化してくださいませ(涙)
続き
>>竹様
ええと、今までの作品群を見ていただければわかると思いますが……結構ヨゴレてますよ私(笑)
ちょっとネタがくどかったかも知れませんが、賛成してもらえて嬉しいです。
>>美尾様
きついですねー。
死のうとか思ってしまうのも無理もない状況だと個人的に思います(ぇ
でもまぁ、おキヌちゃんと結婚できましたし、これでいいんですよ。ねっ(笑)
>>偽バルタン様
結構度胸が据わってるというか、彼のためならなんでもする、みたいな根性がおキヌちゃんにはありますよね。
ただ、それが時には決定打になることをわかっているかどうかは謎ですがw
きっかけはこんな風でも、幸せならいいんですよ。ええ(爽)
>>STJ様
おキヌちゃんも興味津々、横島くんも若さゆえの条件反射が(殴)
ゲフンゲフン……ともあれ濃い一週間を過ごしたんじゃなかろーかとw
>>足岡様
ああっ、感激です!足岡様にコメント付けていただけるとはっ。
そうですよ、いくら緊急事態だとはいえ、愛がなければあんなコトまではなかなか出来ません。
そう、運命だったのですよ(遠い目)
二人の未来に幸あれw (ちくわぶ)
- はい、賛成票一つ頂きます。
あれ、おかしいな。感動の話のはずが、なんで途中から壊れた話に(つД`)
でも、こんな形で進む恋もまた、GS世界においては自然な気がしますw
実はプライドの高い横島君からしてみたら、こういう理由付けもまた自然。
実は意外と奥手?な横島君からしてみたら、こういう理由付けもまた自然。
こんな思い出も、彼の照れ隠しでしかないのかも知れませんね。
楽しませてもらいました。 (aki)
- 本人は真剣なんですけどとっても馬鹿なとこが横島らしくって最高です(笑)
ちなみに介護福祉士の講義では、実際にお互いにおむつをし合って――というのがあるそうです。人生観が変わるそうですよー。 (S)
- う、うわあああっ・・・濃ゆい、中心が空洞どころか鋼鉄のゴボウで貫かれている位に濃ゆいっ。
想像するだけで全身がこそばゆくなりそうなシチュエーション、しかし、その先に愛があったのだからまずは善哉。
我が子に愛の何たるかを伝える(?)横島パパが渋いです。含みのある渋さってやつです(笑)
ちくわぶワールドの芯、堪能させて頂きました。 (フル・サークル)
- >>aki様
結構急いで作った話だったのですが、喜んでもらえたようでホッとしています。
まあ、理由は人それぞれでしょうが、結果的に幸せならいいですよねw
照れ隠し……というか、人生を張った隠滅行為といいますか(笑)
>>S様
そうですそうです、本人にとってはとても重大なことでも、端から見ればお馬鹿さんな所が面白いですよねw
それにしてもおむつをしあうって……何かを失い、そして何かを得てしまいそうで怖いです(笑)
>>フル・サークル様
な、なんだか過分な褒め言葉を頂き恐縮です(汗)
なんというか、もちろん愛ありきの結婚といえど、その間には色々なものが挟まれていたりするわけで(笑)
横島パパはいいお父さんですよ、はいw (ちくわぶ)
- あれだなぁ…譲れないものってあるんだよなぁ(遠い目)
おキヌちゃんが良い娘だなぁと思う反面、忠夫の悲哀の対比っぷりが笑えます。
結婚のきっかけがなんともアレなのはともかく、彼もおキヌちゃんが好きだからこそなわけですしね。
が…ばれたときのことを考えるとガクブルですがね。
投稿お疲れ様でした。 (天馬)
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