ザ・グレート・展開予測ショー

いつかの約束


投稿者名:狛犬
投稿日時:(06/ 5/14)

 公園のベンチに腰掛ける。その体の上げ下ろしさえ億劫に思えた。

 いつからだろうか、腕を上げ下げすることにさえ苦痛を覚えるようになったのは。無駄に年を取りすぎたのかもしれない。

 暖かな風が心地よく肌を撫でた。ステッキに寄りかかるようにして公園を見渡す。奥の広場では、十数人の子供達が走り回って追いかけ合っていた。鬼ごっこでもしているのだろうか。はしゃぎまわる子供達に比べて、こうして静かにベンチに座っている自分があまりにも場違いであるような、自分勝手な気まずさを感じた。

 子供達から目を離し、噴水の前にある時計塔を見上げる。約束の時間まであと五分ほどだった。何かと几帳面な彼女のことだから、おそらく時間丁度に来るのだろう。

 思えば東京を訪れるのも久しぶりのことだった。あまり良い思い出がなかったせいだろうか、大した理由があるわけでもないのに、自然とこの土地からは足が遠ざかっていたのだ。

 紹介状を書いてくれた医師は、ここの病院ならばもう少しましな治療が出来ると言っていたが、それがこの老体に果たしてどれだけ効果があるのか疑わしいものだ。

 たまには昔のように外で待ち合わせてデートをしよう、などと突然彼女が言い出したのは、最近塞ぎがちな私を気遣ってくれたのかもしれない。病院通いの日々に些か気が滅入っていたとは言え、彼女に余計な心配をかけてしまったのだろうか。年甲斐もなくこうして公園のベンチに掛けているのは、彼女に対するそうした申し訳なさのため、という面もあった。

 もう一度時計塔を見る。ふと、その時計塔の下に立っている老人が目に入った。私と同じか、或いは私より幾らか年をとっているだろう。その老人に視線がいったのは、彼もまた私と同じように、この公園の空気に馴染めていないように見えたからだった。彼は、しきりに腕時計で時間を気にしている。もしかしたら、私と同じように誰かと待ち合わせでもしているのかもしれない。そう考えると、自分に仲間が出来たようで、今まで感じていた気まずい想いが幾らか減った気がした。

 彼が急に顔を上げた。私も自然と彼の視線を追いかける格好になる。

 一人の少女が駆けてくるのが見えた。少女は、この国にはまだ珍しい輝くような金色の髪を、九つに分けて縛った不思議な髪型をしていた。

 私は無意識の内に立ち上がっていた。足は震え、ステッキを握る手に力がこもる。

 少女は、軽快な足取りで時計台の下にいる老人の下へたどり着くと、そっと彼に身を寄せた。そのあまりにも自然な仕草は、長年連れ添った夫婦の姿を思わせた。少女は老人の耳に口を寄せて何かを囁いてから、華やいだ笑みを浮かべる。老人は頬を染めて彼女に何かを言い返した。それから少女と老人は、今度はまるで恋人のようにしっかりと互いの腕を絡ませて歩き出す。

 彼らの姿を見つめたまま、私はそこに立ち尽くしていた。やがて彼らの背も噴水の向こう側に消え、私は再びベンチに座りこむ。


 ――約束してよ! 今度また一緒に遊ぼう……!


 いつかの約束を思い出す。まだほんの子供だった頃、遊園地で経験した夢のような冒険が鮮やかに脳裏に蘇った。夢だったのかと疑いつつも、この年齢になるまで決して忘れたことはない。

 懐かしさとも後悔ともつかない感情が胸にこみ上げる。目頭が熱くなるのを感じた。だが、その激情に身を任せてしまえるほど、私はもう若くなかった。

 どうやら彼女との約束は果たすことができそうにない。

 だが、私は満足だ。

 それで、満足だった。

 暖かな春の日差しが、繁る木の葉の隙間からまだらに地面に注ぐ。目を細めてベンチに深く背を預けた。少しだけ体が軽くなったように思えた。

 時計の針は約束の時間を指そうとしている。さて、そろそろ私の待ち人もやってくるだろう。


<終わり>

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