ザ・グレート・展開予測ショー

古時計の音が聞こえる。


投稿者名:雅 水狂
投稿日時:(06/ 5/14)


 ベッドに腰掛け、窓から西の空を燃やしながらも沈みゆく夕日をじっと眺めていた。
 紅く染まった光がこの狭い部屋に溢れ、私の影法師を床の上に長く長く伸ばしている。窓から入り込んだ悪戯な風が私の頬をそっと撫で、くすぐったくも心地良かった。


 珍しく静かな時間だった。
 夏が近い。微かに空気に混じった清々しい緑の香りが鼻につんと抜けていく。
 そんな香りを届けた空気が耳に届かせるのは、自転車のベルの甲高い音や子供達の楽しそうな笑い声、そして、部屋に掛けられた大きな古時計の規則正しくも温かい音。
 それは何故だか、私に現実の喪失を感じさせる。まるで遥か彼方、遠い世界の出来事のよう。でも、何処か優しい空気が流れている。

 普段の慌しく騒々しい空気も嫌いではないが、偶にはこんな時間も良い。
 私と同じ部屋で生活しているあのばか犬にはこういう何もない時間は耐えられないかもしれないけれど、そう思うと噛み殺すことの出来ない微かな笑いが喉の奥から溢れた。

 一頻り笑った後、私の唇から零れた吐息が空気にほどけて溶けていく。
 一体、何をやってるんだろう。私から零れ落ちた笑いは甘いような苦いような、そんな想いを心の中に少しだけ残した。

 私がどんなに此処でばか犬を笑ったところで、そいつは今、散歩に行っているのだ、あのスケベを連れて。
 ……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、ずるいなんて思ったのは絶対に秘密だ。
 もしかしたら、素直になれない私が悪いのかも知れないけれど、少しぐらい私に分けてくれたっていいじゃないか。
 此処のところ、毎日のように二人は散歩に行っている。どんな道を二人で歩いているのかは知らない。ただ、きっと二人は楽しく過ごしているのだろう。

 それを思うと、何故だかちくりとした痛みが胸を刺した気がした。
 ……ううん、本当は、何故かなんて知ってた。ただ、それを認めたくなかっただけだ。


 ――ああ。
 私もばかになっちゃったんだ。


 多分、これはあの感情。
 おキヌちゃんから借りた本ではそういうものだと読んだことがあったけれど、でも、自分がこんな感情を持つなんて昔の私なら思いもしなかった。私以外のものなんて、何も信じられず、何も必要なかったのだから。


 でも、今は――。


 カチッ、と一際大きい音を一つだけ世界に残して。
 今まで時間を刻み続けていたはずの古時計の音が止まった。たったそれだけのことなのに、まるで世界が停止してしまったみたい。部屋の中に無音の心地良さが広がってく。


 でも――


 私は思わず苦笑を零した。
 この古時計は、きっと私の背中を押してくれたのだ。
 それは長い年月を生きた年寄りらしい、ほんの少しだけの意思表示。だけど、ここは有難くもらっておくことにしよう。

 顔を上げれば、窓の外はもう暗くなっていて、闇の帳に幾つもの星が瞬いている。
 橙色の温もりは、訪れた闇色の冷たくも優しい狭間に消えてしまったけれど、確かな熱を私の中に残していった。

 暗闇にそっと耳を澄ませば、そう遠くない場所でばか犬の声に重なるようにそれを諌める何処か死にそうな青年の声が聞こえた気がした。


「ありがと――」


 古時計に一言だけ残して、私は身を翻す。


 さあ。
 待っているだけの時間はもう終わりだ。
 次に刻み付けなければいけないのは、きっと新しい時間なのだから。


 私は扉を開いて、外の世界へと飛び出した。



 ―了―

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