ザ・グレート・展開予測ショー

かつて生まれ来る貴女へ。今、生まれ育った貴女へ。(前編)


投稿者名:NAVA
投稿日時:(06/ 5/14)




それはとある日、とある時、とある場所。暈さずに言うなら、父の命日、夏真っ盛り、人狼の里。
まずは何をさて置き、父の墓標に向かう。夏の強い日差しの中、彼女は黙々と歩き続ける。墓地は人狼の里からそれなりの距離がある。

長い、長い道のり。

様々な人狼達の歩みが作った、天然の道。本来は草原の一部であったろう場所に、墓地を見舞う人々の歩みが小さな道を作った。その小さな道をまた歩み続けることで、更に道は広がった。幅数で言えば、3mほどであろうか。その長さは実に数キロにも及ぶのだけれど。
かつて長老は言った。この長い道は死者のことを想う時間のためにあると。
成るほど。父の死を事実と認め受け入れた今となっては、確かにこの道が持つ長さ、静けさ、そして物悲しさは彼女に父への哀悼の意を募らせるに十分であった。かつてはひたすら復讐心に燃え、その道の持つ意味など実感も出来なかったものだが。

「父上・・・。」
正直、母の記憶はない。産後の肥立ちが悪く、母は彼女を生んですぐに儚んでしまった。彼女にとって、親とは父しか指さないのかも知れない。
強い父だったと思う。そして、厳しくも優しい父だったと思う。
一切合切を含めて、素晴らしい父だったと思う。
色んなものを残してくれた父であった。いや、その死ですら、彼女に色々な出会いを齎してくれた。父は・・・最期まで彼女に恵みを垂れてくれた。

生涯の師との出会い、生涯の友達との出会い。

例え、彼ら歩む道が別れようとも、彼らと過ごした日々は彼女は忘れられないだろう。
忘れたくないを通り越し、忘れられないだろう。

ああ、全くもって偉大な父であった。

墓標を目にする事無く、彼女は父への再評価を終えてしまった。些か性急であろうとも、それが彼女であり、例え時間がかかろうともたどり着く結論は同じであろう。

これはそんな父の遺産のお話。いや、決して宝物探しとかの話じゃなくて。











犬塚シロ。

それがこのお話の主人公の名である。彼女はとある事件で父を失い、復讐を果たす。全くもって、武士道とか侍とか言う単語が当てはまる少女である。(女性と呼ぶにはまだ早いため、少女と呼ぶことにする。)彼女は今、人狼の里に帰省を果たしていた。父の命日に備えてのことである。彼女は人界で修行中の身である。郷里を想う気持ちは強けれど、それを表に出すことは無い。しかし、さすがに父の命日ともなれば話は別である。肉親の情に飢えていた彼女の飼い主も、帰省の持つ意味を知るが故に妨げることは無かった。普段なら心配して同行を申し出る仲間たちもまた、今回ばかりは何も言わなかった。

そしてそのことが彼女にとって、幸いだったのか。彼女は苦悩する。

今、目の前には一人の楚々たる大和撫子とでも言うべき女性が緊張した面持ちで正座している。
「な・・・何と言ったのでござるか?」
シロは驚愕の表情を浮かべつつ、長老に問いかけた。
「・・・ではもう一度言おう。お前の母じゃ。」
目の前の女性をマジマジと見つめる。緊張しているのは言うまでもなく、不安に顔は青ざめている。
「シロ・・・大きくなったわね・・・。」
そう語りかける彼女の顔は、先程までの不安の残滓を残しつつも、穏やかなソレに変わりつつある。
「驚いてるでしょうね。いきなり母親が現れたなんて・・・。」
自嘲するように呟く。一瞬で様々な表情を浮かべる女性はやはり緊張しているのだろう。
「長老さまから事情は聞いています。私は・・・死んだことになっていたのですね。」
「いえ、責めるつもりはありません。そうすることが一番だと、あの人が判断したのでしょうから・・・。」
言いつつも、母の表情は辛い。娘を捨てた酷い母・・・というレッテルを貼られて無いだけマシなのだろうか。
だが、この場面での娘への対処の仕方を間違えれば、間違いなく娘は捨てられたと判断するだろう。それだけは我慢ならない。彼女の苦渋の選択は娘に同意してもらえなくとも、理解だけはして欲しかった。

「・・・何故でござるか?」
沈黙の末に、やっと出た言葉は掠れそうな程に細い。
「・・・何から語りましょうか?私が何故、良人と離れ離れになったのか。或いは、何故に私が死んだことになったのか。もしくは・・・何故に今頃、顔を出したのか・・・。」
そう言って、言葉を区切る。チラリと視線を向けて、シロの反応を窺う。それに気付いたシロは無言で頷く。

「そう、あれは私があの人と出会った時のことです・・・。」
そう言って、彼女は遠くを見つめ始めた。














私は親の顔も知らぬ、捨て子でした。
気がついたら野山に居り、数人居た兄弟と日々を過ごしていました。
しかし、親の庇護もなくして生きていける子が居るでしょうか。少なくとも、私達や貴女達は成長の過程で必ず親の手助けを必要とする、か弱い存在。
一人、また一人と、私の兄弟達は力尽きていきます。
私が女だったから・・・でしょうね。
他の兄弟達はみんな男で、自分の空腹を押し隠して、私に食料を分け与えてくれました。
・・・当時の私とて、憔悴していく兄弟達の姿に察せざるを得なかったわけですが・・・浅ましいことに、私は己の命を優先していました。
しかしそんな生活が長く続くわけもありません。
終には私一人となってしまい、激しく降り注ぐ雨の中、空腹の余り倒れてしまったのです。犠牲になってくれた兄弟達に謝りながら、意識を手放したのです・・・。







「目が覚めたか。」
どれだけ眠っていたのでしょうね。気がついたら私はこの人狼の里の少し離れにある場所に住む、とある老夫婦に助けられていました。
私は空腹の余り、感謝の意を述べることも忘れて食べ物にがっついていました。

そして満腹になった私は、初めて感謝の意を伝え、聞かれるままに身の上話をしていました。

「そうか・・・苦労したな。この家でゆっくりとして行くが良い。」
そう言って、私を保護してくれた老夫婦は微笑んでくれました。

私はしばらく、その家でお世話になっていました。
『ゆっくりして行け』という言葉は、つまりは大人になるまで面倒を見てあげようという老夫婦の気遣い。
私はそんな老夫婦にお世話になって、順調に成長していきました。

しばらく生活している内に、私も老夫婦のことを詳しく知るようになっていきました。
二人には、一人息子がいること。
その息子は侍を志し、長期の武者修行に出ていること。
その息子が既に2年も里に帰って来ていないこと。
そして老夫婦が無事を信じて、息子の帰りを待ち侘びていること。

息子が居ない老夫婦は、寂しさも手伝って、私のことを育ててくれている。
そのことに一抹の寂しさを感じながらも、それならばと精々、二人にとって良い娘であろうと私は決めていました。
そしてアレは私が14歳に、丁度、貴女と同じくらいの年齢になった頃のことです。
自分で言うのも何ですけど、当時の私は里一番の器量良しとして評判だったんですよ?
元々、女の生まれる比率が少ない人狼の里ではさぞ目立っていたことでしょう。
私もちょっと良い気になっていたのでしょうね。

老夫婦が夫婦水入らずで湯治に出掛けていた日のことでした。
私は一人、家でご飯の支度をしていました。


ドンドンッ


扉を乱暴に叩く音がしました。
誰か訪ねて来たのかしらと扉を開くと、そこには見知った顔の男友達が何人か居ました。
ズカズカと勝手に上がりこみ、私が怒ろうとすると、数人がかりで私のことを押さえ込み始めたのです。

「っ?!!!!」
私が動揺していると、一人が得意げに言い放ちました。

「お前さんの両親は湯治に行ってるんだろ?なぁに、誰も邪魔はしないさ。」
下卑びた口調に、私は彼らの悪意を感じました。同時に初めて貞操の危機というものを感じました。
確かにそんなことを彼らに教えた覚えがありました。勿論、私は彼らを仲の良い友達だと思っていたからです。
私は男というものをきちんと理解して居なかった。或いは、男を見る目が無かったんでしょうね。
叫び声も上げられないように猿轡をされ、衣服を破かれたその時でした。


「貴様ら!!!何をしているっ?!!!」


一人のお侍さんが、戸口に立っていました。
何をしていると聞いてる癖に、返事も待たずに鞘に納めたままの刀で、男達を薙ぎ倒していきます。
私は助かった安堵感から、そのまま気を失っていました・・・。














次に目覚めた時、私の目の前には心配そうにする老夫婦の顔がありました。
二人は事の次第を聞くと、大層心配したようで、慌てて湯治場から帰って来たようでした。
記憶の混乱していた私ですが、次第に意識がはっきりしてくると、家の中に見慣れるお侍さんが居ました。
私は改めて、その方にお礼を申し上げました。
するとお侍さんは逆に私に言ったのです。

「こちらこそ礼を言う。拙者が居ない間、二人の面倒を見てくれて感謝する。」

そうです。私を助けてくれたお侍さんは、武者修行に出ていた老夫婦の息子さんだったのです。
慌てて私は反論しました。面倒を見てもらっていたのは、自分の方だと。そして・・・本当の息子が戻ってきた以上、私は出て行くことにすると。
元々、私は息子の代わりであることは自覚していました。
だからそう言ったのです。しかし、老夫婦は激怒してそんなことは関係ない。私のことを本当の娘のように思っていると。
この時、私は生まれて初めて、嬉し涙を流したことを覚えています。
そして最後に二人はこっそりと私の耳元で言いました。

(あの子もお前のことが気に入ったみたいだしね。どうだい?本当の娘になってくれないかい?)

思わず赤面して、視線を逸らすと言われた当人も真っ赤になっていました。
人狼の超感覚の前にはひそひそ声なんて意味はありませんしね。
彼は慌てて言いました。

「ち、ち、ち、違うぞっ!!拙者は妹として可愛いと言っただけで、嫁に来て欲しいなんて一言も言っては居らぬっ?!!」

「では、私のことはお嫌いですか?」
そんな彼の様子に思わず笑いそうになり、つい、からかうように言ってしまいました。

「そ、そ、そんなことも言ってはおらんっ!き、嫌いなわけがあるか?!!むしろひと目で拙者はっ?!!」
と、そこまで言って、自分が自爆していることに気付いたのでしょう。彼は『もう知らん!』と言って、家から大急ぎで逃げていきました。











「そんな彼の様子に、私は思わず『可愛い人』って思いましたよって・・・シロ?・・・シロっ!」
ふと、娘の表情を見るとどこかイッちゃった顔をしている。

「せ、先生・・・ひと目で何でござるか?えへへへ・・・。」
凛々しく成長したと思っていた娘の余りにアレな様子に、動揺して長老の顔を見る母。
長老は首を振って答えた。

「犬飼の件は話したじゃろう?その時に人間の霊波刀使いに弟子入りしたんじゃよ。そ奴のことじゃと思うが・・・。」
長老もどこか引き攣った表情で諦めた様子。

「えっと・・・つまり・・・その霊波刀使いにシロは惚れていると?」

「多分のう・・・。大方、お主の話を聞いて、父の顔を霊波刀使いに、お主のことを自分に擬しておるんじゃろうなぁ。」

「・・・そういう娘に育ってしまったのですね。」
何故かサメザメと涙する母に返す言葉もない長老。











「ま、まぁ。シロも妄想しつつも、話を聞いてるようなので続けますね。」












あの方・・・父上(ししかず)様は修行から戻られ、その腕前は里一番と噂の犬飼殿と互角の勝負をするほどにまで成長なさっていました。
その間の武勇伝を面白おかしく語り、10年余りの空白をあっさりと埋め、里に簡単に馴染んでいきました。
私はあの方にどんどん惹かれ、老夫婦の了解を得て夫婦の契りを結ぶのにさほど時間はかかりませんでした。
そして、私が貴女を身篭った頃。
それは起こりました。

















「病・・・ですか?」
 私は無意識にお腹を撫でつけながら、父上様に尋ね返しました。

「そうだ。この人狼の里の近辺の森で、狂犬の病が蔓延しているらしい。」
 村の寄り合いでの噂になっていたのだそうです。

「・・・大丈夫だ。我々人狼族には強い免疫がある。純粋な意味での狼ではないからだろうが・・・。」
 気遣わしげに私のお腹に視線を向ける父上様。
 いくら免疫が強かろうが、それは成人を基準にしてのこと。
 未だ幼い子狼達は、危険な里周辺から隔離しようとの動きがあるとか無いとか。

「もう時期、この子も生まれます・・・。私もそちらへ移動した方が良いかも知れませんね。」
「・・・分かってくれるか?」
「はい・・・。」

 別にそれが離縁を求められたわけでもないし、寧ろ私や子供を心配してのことなのは言うまでもありません。
 私は特に異論も無く、その言葉を受け入れていました。

















「では、しっかりと頼む。」
 父上様は、産婆代わりのお義母さまに真剣に頭をさげていました。

 そろそろ臨月を迎えようとしていた頃、狂犬の病はもはや無視出来る段階を超え、明確な脅威となって、人狼の里を不安に陥れていました。
 よもや、人狼が凶暴化した野山の野獣に負けることなどはありえません。
 しかし、必ずしも無傷で倒せるとも限らないのです。
 前述した通り、人狼には狂犬の病に対して高い免疫力がありますが、体調を崩している者は相応に免疫力も下がってしまいます。
 この場合、新生児や産後直後の妊婦も、それに当てはまる恐れがあることは言うまでもありません。
 それを懸念していた父上様が先頭に立って、避難地を確保してくれていたのです。
 ただ、それなりに距離があるために、妊婦である私にはお義母さまが付き添いで付いてきて頂けることになっていました。

「分かってるよ、父上。大事な娘には立派に孫を産んでもらわねばならん。そのためにも、お前は帰る場所を守っておくれ。」
「無論、そのつもりだ。里の平和は拙者と犬飼殿が守ってみせる。」
 なぁ、犬飼殿?そう気安げに父上様は犬飼殿の肩を叩いて見せます。

 ああ、シロや。貴女も知っているでしょうが、父上様と犬飼殿は本当に良き友人だったのです。伝え聞いた2人の結末は私にとっては残念でなりません。

 それはともかく、父上様は帰ってくる頃には、狂犬の病は治まっているだろうし、家も広げておこう。そう約束して、私達を送り出してくれました。
 まさかこれが父上様との最後の別れとなろうとは、この時の私には想像も付かなかったことなのですが。

















 道中、心配していた病に冒された野獣の襲撃もなく、私達は何とか休み休みで仮宿にたどり着きました。

 流石に避難地はそうそう立派なお屋敷というわけにはいかなかったようでした。
 それでも屋敷に簡単には侵入出来ないようにと、周囲を頑丈な柵で覆い、数人の警護の男達と数人の子狼達と、更に私を含めた数人の世話役の女達が仮宿とするには、十分なだけの広さがありました。

「それにしても、もう何時生まれてもおかしくはないようですね。」
 事在るごとに、私を気にかけてくれたのは、犬飼殿の奥方でした。
 夫同士の仲が良かったため、自然と私と彼女の交流も深まるというものでした。
 彼女は私のために同行を申し出てくれたと言っても過言ではありませんでした。

「はい。ご迷惑をおかけして・・・。」
「良いの良いの。その代わり、私の時も助けてくださいね。」

 繰り返して言いますが、この頃の犬飼と犬塚は大層、仲が良かったのです。
 もし、互いの子供が異性であったなら、結婚させようというお話すらあった程です。
 ちなみにどうやらこの頃既に、犬飼夫人も身重であったようですね。





 話は戻しますが、仮宿に居付いて、十日ほども経った頃でしょうか。
 予定日を過ぎても生まれない貴女を、皆が心配し始めていました。
 一緒に連れてきた子達も、今か今かと貴女の誕生を待ちわびていたのですよ。




――――忘れないで下さいね。貴女は皆に望まれて生まれた娘なのですよ――――




 とても静かな夜でした。
 往々にしてそうであることが多いように、唐突に陣痛が始まりました。
 やっと貴女が生まれようとしてくれたのです。
 身を裂かれるような痛みの中、色々と不安、期待が私の脳裏を過りました。

 そして同じように唐突に響く、叫び声。


 長い夜の始まりでした。






















「・・・争う声?!」
 痛みに耐えかねて、泣き出しそうな私を看病していた犬飼夫人が呟きました。
 数刻後にはすぐに分かることになるのですが、狂犬の病に冒された野獣たちが、何時の間にか屋敷を取り囲んでいたのです。
 そこにあるのは明確な意思。
 常日頃であれば、誰かしらが見張り番をしているのですが、今夜ばかりは私を見守ろうと屋敷の中に集まっていました。父上様がいらっしゃらないために、心細がる私を勇気付けようとしてくれたのでしょう。そのお気遣いはありがたかったのですが、その時は裏目に出てしまったのです。

 そしてこれまた後で知ることになったのですが、狂犬の病は何らかの原因で崇り神となった、森の神の仕業だったようです。
 その時の私は知る由も無かったのですが、私達を避難させた後、里の男衆は崇り神との戦を行っていたのです。

 知らぬのは私と子供達で、同行していた者達は知っていたようです。私が心配せぬようにとの父上様のお気遣いだったようですが。

 そして私達を安全な場所に避難させて始まった戦は、一進一退の様相を呈していたそうですが、父上様と犬飼殿が何とか崇り神を追い詰め、そして・・・逃がしてしまった。
 しかし逃げた方向が悪かったようで、そちらには私達の隠れ家があったのです。

 最悪のタイミングで、私達の住処は発見されてしまったのでした。
















「・・・。」
 屋敷に居るのは、基本的に戦う力の無い、あるいは弱い女子供です。
 里の男衆も、事態に気付き、追撃を開始していたようですが、この時の私達には追い詰められたことしか分かりません。
 同時に、狼の勘に響き渡る警鐘。
 崇り神と化した森の神の烈気は屋敷を覆わんばかり。
 
 まず最初に、警護の任を帯びた男達が一斉に立ち上がりました。
 皆、それぞれに刀を握り締めています。

「・・・外のことは気にせず、元気なお子を産みなされ。」
 一行の頭を務める方が、そう言って屋敷の扉を外側から固定しました。

 子供達は一様に不安そうな表情を浮かべていました。
 女達は私と子供達を勇気付けるように、手を繋ぎ合わせていました。

 そして響き渡る喧騒。























 数刻して、破られる扉。収まらぬ恐怖。そして――――産声。























 私達の目の前にのっそりと姿を現したのは、崇り神。
 全身には幾多の切り傷があり、従う獣達の目に理性の光もありません。
 齢如何ほどだったのか。元は猪だった者が神格を持ったのでしょうか。
 その巨体にすら不釣合いな程に伸びた牙。獰猛さを押し隠そうともしない、鋭利な蹄。
 もはや毛並みは見る影もなく、傷口からこぼれ続ける体液は木製の床と溶かしていく。

 ただひたすらに、崇り神の憤怒を感じていました。

 意趣返しの場を得た、陰鬱な喜び。

 あまりの悪意に眩暈を感じる。だけど倒れてはいられない。
 産むための戦いを終えたら、次は護り、そして生きるための戦い。

 ゆっくりと立ち上がって、人狼の牙『霊波刀』を構える。

 だがそんな私を抜き去って、崇り神に切りかかる影。

「お義母さまっ!!」

 自分を娘と呼んでくれた人が、あっさりと崇り神の牙に貫かれる様に一瞬、頭が真っ白になってしまいました。
 お義母さまはそれでも前のめりに倒れて、霊波刀で斬りつけていきます。
 飛び散る血。
 だけどそれは本当に僅かな傷にしかなり得ない。
 身体全体を捻るようにして、お義母さまを牙から振り飛ばす崇り神。
 壁に打ち付けられたその身体からは、既に生気を感じられなく、あの温和な義母にこんな表情も出来たのかというくらいに、凄惨な表情のまま事切れていました。

「よ・・・くもっ!!!!!」
 義母の亡骸に目を奪われている間に、犬飼夫人もまた斬りかかっていました。
 老婆よりも遥かに俊敏なその動きは、獰猛な牙をすり抜けて崇り神に突き刺さる。
 誰しもが『やったっ!』そう思った瞬間、その体躯を支える前足で犬飼夫人を一撃。
 吹き飛ばされた彼女はやはり同じように壁に叩きつけられていました。

 周りを見ると、震えて一塊になっている子供達。
 その子供達を守るようにして、立ちふさがる老婆がひとり。
 犬飼夫人が倒れた時点で勝負はついてしまった。
 そんな諦念が辺りを覆いました。
 あとは産後直後の私だけ。
 
 笑ってしまうくらいに、絶望的。

 父上様達はこの状況を知っているのでしょうか。
 きっと知っていることでしょう。
 先ほどから安否を問う遠吠えが聞こえてはいます。
 だけどこの状況のせいで、誰も返事は返していない。
 向こうも絶望的な気持ちで向かってきているのでしょう。

 崇り神は血にでも酔っていました。
 目を真っ赤にして、こちらを睨みつけています。

 そして気が付いたことがありました。

 泣き声が聞こえない。
 生まれたての赤子独特の泣き声。
 つい先ほどまで聞こえていたはずの泣き声が全く聞こえない。
 怪訝に思った私はつい振り返って確認すると、老婆に守られた子供達ですら、私の赤ちゃんを守るようにして立ちふさがっているのです。
 がくがくと身体を震わせながら、それでも赤子を守ろうとするその子供達。
 その優しさに触れたからだろうか。私の赤ちゃんはスヤスヤと眠っています。





――――我が子がこの子供達のように優しく、勇敢に育ちますように――――






 そして私は渾身の力を込めて、霊波刀を振りかざして飛び掛りました。






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