ザ・グレート・展開予測ショー

肖像


投稿者名:ししぃ
投稿日時:(06/ 5/13)

 わたしにとって、彼の視線は強すぎる。
 それが一方通行の思いによるものだと理解しながらも、滅多に見ることの出来ない真剣な
視線に突き刺されて、わたしは呼吸の仕方を忘れていく。
 カンパスにコンテを擦りつける音だけが響く教室。
 放課後の西日がわたしの影を伸ばしていた。

「わりいな、疲れたか?」

 影を追った視線が俯いたようになったのか、彼が手を止めて声をかけてくれた。

「ううん、平気よ」

「そか。俺が疲れた。ちと休もうぜ」

 伸びをして、彼はカンパスから手を離す。
 気を使ってくれたのか。言葉どおりなのか。
 わたしに気付かせることのないだらけた表情。

「もう、あなたの宿題なんだからね?」

 わたしはそんな彼の言葉に乗って、軽く怒ったふり。
 少しだけ不思議な気持ちになる。

「ま、これも青春っつーことで一つ、な」

「そうね、落第直前の同級生を助けてあげるなんて、青春の醍醐味よね」

 お手本をなぞるような会話はデジャブーを感じる。
 彼の前でわたしらしくするために、ちょっとした努力が必要らしい。

「終わりそう?」

「いや、やべえ」

 彼がこんな真剣に学校の課題に取り組むなんて珍しかった。
 腕組みして、カンパスを見つめてる。

「じゃあ休んでちゃだめじゃない」

 肖像画、という課題は彼が学校を休んでいる時に出された物だった。
 彼の姿を描けなかった事を残念に思っていたのだけれど。

「ま、やっちまうか」

「描けたら見せてね」

 宿題はコンテ画までだから、きっと完成はしない。
 けれど、カンパスのわたしは、今のわたし同様に幸せで在り続けるだろう。きっと。

「おまえは誰を書いたんだ?」

 再び机の上に腰掛けたわたしに彼が問い掛ける。

「わたしはタイガー君。特徴あるから描き易かったわ」

「うはは、なるほどな」

 クラスの女の子達によって、ピート君がありとあらゆる角度から描かれていた事。
 わたしをモデルに描いていた人も何人かいたこと。
 そんな雑談が繋がっていった。

「本当はね、わたし横島くんを描きたかった」

 モデルなしではダメ、という暮井先生の言葉が無ければ、記憶だけできちんと描けた
自信がある。
 赤いバンダナ。
 少し癖っ毛で。
 感情に併せて激しく動く表情。

「そーか、愛子。お前も俺の肉体美の虜かっ!」

 わたしの視線に、にかっ、と不自然なほどさわやかな笑いが返されて一瞬混乱した。

「肉体美って……」

「だってモデルだろ?」

 言葉の意味に気付いて睨み付けておく。

「モデルっていうとすぐヌードなのね」

 去年の今ごろ、暮井先生が学校に来た時、きれいさっぱりすっぱり彼は脱いでいた。

「当然だ。男なんだから」

 上半身だけボディビルのようなポーズを取って。
 やっぱり不自然なさわやか笑い。

「芸術への冒涜だわ」

「欲望も描けん芸術になんの価値があるっ」

 ……なんか。
 その言葉だけは凄く正しい気がする。
 ヤニ下がった期待するような視線が無ければ。

「脱がないわよ?」

「芸術のためでもダメなんか?」

 頑なに首を振ったら、彼は全力で肩を落とした。
 すけべすけべすけべ。
 口の中で一人ごちて、わたしはもう一度背筋を伸ばしてモデルの姿勢に戻る。
 再び動き出すコンテ。
 擦れる音が二人だけの教室を研ぎ澄ましていく。
 彼の手が動くたびに切り取られていく時間。
 影はいつしか壁まで達していた。

「きれいに描いてね?」

 この時間の終わりを少しでも引き延ばしたくて、そんな言葉を割り込ませてみる。
 器用な彼は割と絵が上手い。
 以前に描いていたビーナスの半身像は、どこかエッチな雰囲気すらあるいい絵だった。
 ……もっとも題材がヴィクトル・ユーゴーの胸像に変わったとたんに子供の落書きのように
なってしまったのだけれど。

「うーん、いや難しいな」

 眉を寄せて、渋い顔。
 まかせろって、笑ってほしかったから、そんな言葉には少しひっかかる。

「なによ。わたしがモデルじゃいや?」

「ん、や、なんかな」

 なんか。なんだろう。
 珍しく歯切れの悪い言葉に軽く頬を膨らませて続く言葉を待ったけれど、彼は無言で手を
動かすだけだった。
 
「そんなことなら、美神さんでも描けばいいのに」
「あの人にモデルなんか頼んだら、いくら取られるんだよ」

 ……本気で貴方が頼んだら、きっと喜ぶと思う。
 そんな言葉を飲み込んで、吐息する。

「おキヌちゃんでも、シロちゃんでも。横島くんに描いて貰いたい女の子、いっぱいいる
 じゃない」

『放課後、モデル頼んでいいか?』

 彼からそんな言葉を聞いた時、わたしは跳ね上がるくらい嬉しかったのに。

「いや、学校で済ませたかったし」

「……小鳩ちゃんも」

 時々、横島君のお弁当を作ってるらしい下級生。
 言葉にすれば不安になるくらい、彼を見つめる視線はいっぱいで。
 ……わたしもそのいっぱいの中の一人なのだと自覚する。

「んだよ、不満なのかよ?」

「ううん、不安なだけよ」

 本当は不安すら過ぎた感情なのだ。
 静寂を置いて。
 見つめれば、彼は言葉に窮していた。

「いいわよ、どうせあたしは学校に住んでるから楽だったって事でしょ」

 トゲトゲした言葉が口をついて、自己嫌悪。

「どうせ妖怪だから、あんまり気を使う必要もないんだし」

 横島君がそんな事を考えているわけない。
 そんなの知ってる……なのに。

「宿題、めんどくさいからわたしなんでしょ?」

 微笑もうとして、失敗する。
 ふざけて拗ねたみたいな表情にもなれない。
 いっそ、喚いて泣いてしまえばいいのかもしれない。
 ……どうにも動けない感情は、ただわたしを停止させて。
 不自然な笑みだけ、見られたくない不自然さだけが張り付いてしまう。

「おまえなー。俺そんなひでー奴か?」

 ぶっきらぼうな言葉と怒った声。
 ……止まってしまうコンテ。

「だって、わからないもの。それぐらいしか考えられないの。わたしは学校の備品で。
 妖怪で……本当は横島君に描いてもらう資格なんか無いのに」

 売り言葉に買い言葉。
 そのまま自分を傷つけていく。

「あほかおまえはっ!」

 怒鳴り声に驚いて、涙がいつのまにかあふれていたことに気がついた。

「じゃあ何でよ。……なんで、わたしなの?」

 夕日のコントラスト。
 彼の表情をうまくとらえられない。
 時計の音、下校時間を告げるチャイム。
 流れ行く時間の証が近く、遠く。

「愛子が良かったんだよ」

 果てに発せられたのは、予想外でぶっきらぼうな言葉だった。

「宿題っていわれたとき、教室でおまえを描いてみたくなったんだよ」

 瞳に射抜かれる。
 鼓動に阻まれて息が出来ない。
 膝から下が小さく震えていた。
 壊れてしまう。
 そう、思った。

「だーっ、いわせんな。バカ」

 彼は続けて叫んで、目をそらし。
 わたしは深く息を吸って砕けかけた自分を繋ぎ止める。

「わたしで、いいの?」

 呟いた言葉には、微かに向けた視線が応えてくれた。
 知っていたのになんで疑ったりしたんだろう。
 ……彼はいつだって、欲望に忠実なんだから。

「きれいに描いてね?」

 涙を拭ってもう一度告げる。

「俺が思ってるお前より、目の前にいるおまえより、きれいになんねーんだよ」

 彼が真っ赤に染まって見えるのはきっと夕日のせいだけじゃない。
 強すぎる視線に捕まえられたまま。
 わたしは望んでいたものを手に入れた事を。
 ……手に入れていた事を知った。


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