ザ・グレート・展開予測ショー

長良川 〜マムシの最期〜


投稿者名:すがたけ
投稿日時:(06/ 4/30)

 弘治2(1556)年4月、美濃・鷺山城―― 長良川を臨むこの砦で、彼は美濃の前国主である斎藤道三を前にしていた。

「おう……ムコ殿の送ってきた密偵が誰かと思えば、蜂須賀の若い衆か……確か、名前は平次だったか」

 思ってもいない人物から唐突に名を呼ばれ、『尾張から商いにやってきた塩商人』こと、美濃と尾張の境を本拠とする地侍・蜂須賀党の密偵―― 平次は明確な驚きをその顔に貼り付ける。

「人の上に立つものなら、一度会った人間の顔は忘れんものだ。蜂須賀の頭目もそうだろうし、ムコ殿も然りだ。
 で、ムコ殿からの言付けは何だ?」

「あ、ハイ……信長様からはこちらを―― 」
 促され、平次は懐に忍ばせていた一本の縄をほぐす。

 美濃の国主が道三から長子である斎藤義龍へと移り変わったことで、美濃と尾張の堅い同盟関係が崩れ、緊張関係が次第に強まってきていることもあるのだろう―― 塩俵を結びあわせていた縄に芯のように忍ばせていた一本の紙縒り(こより)を取り出すと、平次はそれを道三に差し出す。


 差し出された密書を一瞥し―― 興味を失ったように目線を外すと、「……ムコ殿には、『ワシに援軍なぞ不要。そんなことに割く戦力があれば、弟の頭でも押さえつけておれ』とでも伝えておくがいい」道三はいとも容易く言い捨てた。

「えっ!?で、ですが―― 」
 あまりに素っ気ないその言葉に、平次は絶句する。

 無理もない。美濃の国主の座が道三から義龍へと渡ったとはいえ、この親子の間には『確執』という名の深い谷がある。

 『実は義龍は道三の息子ではない』―― 民の間で囁かれているその噂が真実であってもおかしくない―― それ程までに強い憎しみは、義龍に二人の弟を害させ、『父親』である道三をもその手に掛けさせようとしているのだ。

 平次は―― いや、蜂須賀党の『忍び』は皆それを知っていた。そして、息子が父に牙を剥くその日は、もはや一両日中にも迫っているのだ、ということもまた―― 蜂須賀党頭目・蜂須賀小六の見立てにより、既に頭に入っていた。

 だからこそ、平次は道三に篭城を説く信長の密書を携え、塩商人に扮して道三に謁見を求めたのだ。

 信長が兵を纏め、義龍の軍勢を背後から衝くために必要な三日を持ちこたえるよう伝えるため―― そして、万一とあらば道三とともに城を落ち延び、尾張にて再起を図る手助けをするために。

 だが、蜂須賀党を通して差し出されたその手を、道三は掴むことはしなかった。

 ただ、太い笑みをもって返すのみだ。

「ワシを救うため―― それを理由に、今すぐ尾張との間に本格的な武力衝突が起きてしまっては、蜂須賀党にも不都合であろう?」

「―― し、しかし!」
 道三からもたらされた思わぬ答えに半ば呆然とした意識を半瞬で取り戻し、平次は反論を試みる。

 その立場の違いは大きく、道三の決断に異を唱えることなど本来ならば許されることではない。
 だが、死なせたくない―― その思いが、普段は布団を二組用意する程度の些細な面倒事をも好まぬ性質を持つ平次を衝き動かし、許されざる反論を行わせようとしていた。

 争いが絶えぬ美濃を平定しただけでなく、交通の整備を果たすことで商業の活性化を促し、美濃に住まうものに計り知れぬ恩恵をもたらした道三を思うが故に、平伏したまま二の句を継げようとする平次であったが、道三は平伏する平次の肩を軽く叩いてそれを封じる。

「話は終わりだ。早く城を出てムコ殿に伝えよ!『美濃一国は信長に譲る!これが道三の遺言だ!』とな」


 老いたとはいえ、マムシと呼ばれた男のその眼差しには力が滲んでいる。有無を言わせぬ口調で断ずる道三の眼光は、平次をさながら蛙のように居竦ませるに充分過ぎる力を持っていた。

 だが、その『力』は死を覚悟したが故の『力』だ。

 死を前にした男を前にして、その覚悟に水を差すことは出来ない―― それを知っているが故に、言葉のみを止めるにとどまり、平次は飾り気が一切ないその部屋を立ち去る。

 そして、部屋には道三と沈黙のみが残された。




















 静寂を楽しむかのように目を閉じていた道三が―― 沈黙を打ち消し、呟く。
「くく……やはり、義龍もワシの子よ。マムシの子がマムシらしく牙を生やしおったわ」

 義龍が実の子ではない―― まことしやかにそう囁かれていることは、当然ながら道三も知っていた。

 確かに義龍は母に似て線が細い上、戦国を生きるにはあまりに頼りない胆力のなさもあり、『美濃のマムシ』と呼ばれた道三の息子に似つかわしくなかった。
 故に、道三は長子である義龍の器量不足を嘆き、母に似た美貌と己の胆力を兼ね揃えた帰蝶―― 嫁いだ尾張では濃の方、と呼ばれる娘が男子であれば、と惜しんだのも一度や二度ではない。

 そして、その態度こそが噂に信憑性を付け加え、父子の反目を育てていったが、噂を巧く使った側近に乗せられ、父に牙を剥いた息子に対して、怒りは湧いていなかった。

 いや、むしろ、その顔には喜びすらも覗いている。

 
「ムコ殿―― いや、信長よ。美濃は譲るといったが、ただで譲るというわけでもないぞ。ワシが美濃をお主に託す前に出す最期の難題はワシの息子―― あの歳にして漸く力で奪うことを覚えた、ワシの分身よ!
 息子よ……『息子達』よ!ワシが心血を込めて育て、何より愛した美濃を足場に天下を狙うがいい。美濃を征する者こそが天下に覇を唱えることが出来ることを、あの世にいるワシにも判るよう、高らかに叫びを上げよ!!」
 断ずるように呟いた道三を照らすかのように、夕陽が斜めに差し込む。

 血と炎―― 死を想起させる鮮やかな紅に染まる道三の表情に、薄い笑みが覗く。

 己が夢であった『天下盗り』は果たせずとも、己が死してもなお、二人の『息子』に己の遺志を託し、明確なる礎(いしずえ)となることが出来るのだ。

 天下を狙いながらも、その道半ばにして倒れねばならぬ者にとって、後を託すことが出来る以上の仕合せがあろうか。



 煮え滾るかのような情念を宿した含み笑いが、部屋の空気を微かに震わせる。



 長良川に臨む城を照らす夕陽は、どこまでも赤かった。

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