ザ・グレート・展開予測ショー

永久桜


投稿者名:臥蘭堂
投稿日時:(06/ 4/ 5)

 かつてそこには、古ぼけた安アパートと、その大家が住む一軒家があった。しかし。今そこには、一本の、枝垂桜が、あるのみとなっている。散る事なく、枯れる事なく、永遠に咲き続ける、枝垂桜が。

 ある作家をして「その根元には死体が埋まっている」と言わしめた凄絶な空気は、その桜もやはり備えていたが、しかし、その桜がまとうそれは、もはや妖気のそれに近かった。
 だが。だからと言って、その桜が切り倒されると言う事は、決してなかった。不用意に、その根元近くに近寄りさえしなければ、桜は決して美しいという感想以外の何かを積極的に与えようとはしなかったし、そもそも、その根元に近づく以前に、皆足を止めてしまったのだから。何故なら。

 散る事なく、枯れる事なく、永遠に咲き続けるその姿からは、しかし、誰も華やかな空気を感じ取る事は出来なかったからだ。むしろ、むせ返るほどに濃密な死の香りを、多くの者達が感じ取った。

 そして、その香りを感じ取った者達は、皆一様に、とこしえの桜――永久桜と呼ばれるようになったその桜について、同じ感慨を抱いたのだ。

 これはまぎれもなく、誰かの為の――墓標にして、墓守なのだと。

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GS美神 二次創作

永久桜
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 壮健をもって知られた幸福荘の大家である老嬢が、ろくに寝床を離れる事の出来ぬ体となったのは、ほんのささいな原因からだった。
 ホームレスに暴行を働こうとする若者を諌めようと、立ち回りを演じたのだ。その立ち回りで怪我をした、と言うのではない。薙刀術を始め様々な武術に通じる彼女の実力は、到底力任せに四肢やその延長となる得物を振り回す以外、暴力の振るい方を知らない若者程度が太刀打ちできる領域にはない。
 実際、彼女にまで暴力を振るおうとしたその若者達は、いともあっさりと得物や手足を捌かれ、ことごとくアスファルトに強制的に受身を取らされる破目に陥った程だ。無論、全員が駆けつけた警官によって確保――の前に、病院が必要だったが――されて行った。

 彼女が持病の腰痛を悪化させ、ほとんど寝たきりを余儀なくされた原因は、だから、その立ち回りではない。付近の住民と、助けられたホームレスに絶賛され、つい胸をそらして呵呵大笑した――その弾みだったのである。

 彼女が持つアパートの唯一の店子である人物は、それを聞き嘆息と共に呟いたものだ。

「ワシも人の事ぁ言えんが……年を考えろ、婆さん」

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 いかに壮健、頑健を誇ると言っても、成長期を終えた人の肉体は、秒単位で衰え、劣化していく。壮年期ごろまでならば、ある程度の運動や食餌療法などにより、それを遅らせたり、あるいは劣化した部位を再度鍛えなおすと言う事も、可能ではある。しかし。
 何事にも、限度と言うものはあるのだ。自然界の法則に従う以上は。

 そして、幸福荘の大家たる彼女の肉体もまた、全き自然状態にある以上、その法則から逃れる事は出来なかった。結局、悪化した腰はろくに回復もせず、一旦動かさなくなった体は、まさに秒単位で朽ち果てて行こうとするかの如く、衰えていったのだ。

 きっかけは全く喜劇的であったにも関わらず、事態は、それを裏切るかのように、静かに、緩慢に、そして容赦なく、進行していった。

 一月経つ間に、あふれんばかりであった筈の生気は、すっかり彼女から消えうせていた。今や、彼女は日がな寝床で過ごし、たまにマリアの介護で起き上がって庭を眺めるのがせいぜいと言う有様だった。

「ごめんねえ、マリアちゃん。手数かけちまってさあ」

 そうした時、彼女はいつも、マリアにそう言って小さく俯く。そこには、かつての女丈夫の姿は、微塵も伺えなかった。そうした彼女の様子を見る度に、マリアは、人にとって必然である老いと言うものが、如何に人を変化させるのかを、改めて認識し直した。そして同時に。

 理解不能。解析不能。何故ドクター・カオスは、老化速度を遅らせても、老化そのものを停止させなかったのか。仮定その一提議。検証――ネガティブ。仮定その二提議。検証――ネガティブ。仮定その三提議。検証――――――ネガティブ。全仮定、共にデータ不足。検証不可能と結論。

 毎回、彼女の思考回路は、答えの見出せない思考実験に囚われていた。そして、その日も。

「マリアちゃん」そう、老嬢に声を掛けられるまで、マリアは思考回路の大半をいつもどおりの思考実験に没入させていた。
「イエス・大家さん」
 思考を表層に戻し、普段通りの無表情で応えるマリアに、老嬢は、何処か気遣わしげな声で問うた。
「何か、悩みでもおありかい?」
「悩み――ノー・マリア・悩み・ありま・せん」
「なら良いんだけどね。何だか、考え込んでいるみたいだったからさ」

 何も言わず黙り込んでいれば、確かに何か考え込んでいるとは見えるのだろう。普通ならば。しかし、マリアは普段からそうして黙り込んでいる事の方が多い。マリアには、そうした自分に対する自覚があったから、なお更この老嬢の問いかけが、不思議でならなかった。

 肉体が老いによって衰えていても、知覚や思考は衰えないものなのだろうかと。彼女が知る数少ないサンプル――マリアの語彙からすれば、そうとしか呼びようがない――であるカオスは、しかし、全く一般的とは言えぬために、比較対象としては、不適当と言えた。

「おおい。今帰ったぞ」

 噂をすれば――と言う事でもないのだろうが、カオスが垣根の向こう側から縁側に座る二人に手を振り声を掛けてきた。

「おやカオっさん。夜勤ご苦労さん」
「そこの角の肉屋でコロッケ買ってきてやったからな。これで昼飯にしよう」

−−−−−

 ビル警備のアルバイトを終えて帰宅したカオスと共に、コロッケをおかずに昼食をすませた。二人が食事する間、マリアは配膳をし、茶を入れ、時折には大家の背中をさするなど、かいがいしく介護していた。もし、予備知識なしにその光景を見る者がいたならば、その内の幾人かは、老夫婦と孫娘の食卓かと思った事だろう。

 やがて、食事を終えて、マリアの淹れた茶をすすりながら縁側から庭を眺めるカオスに、やはり湯のみを手にした大家が語りかけた。

「カオっさんや」
「なんじゃい」
「あの桜――元にゃ戻せないのかい?」
「ん……まあ、なあ」

 二人の視線の先には、庭先の枝垂桜の古木があった。その枝には、幾つもの花が咲き乱れ、ちらほらと枝を離れた花びらが地に舞い落ちる様は、正に日本的な美の極み、その一角と言えた。もっとも、今がすでに初夏と呼んでも良い季節である、と言う事を除けばだが。

「まったくさあ。桜なんてものぁアンタ、咲いて散るから風情があんだよ。それをまあ、いかれたパチンコ台じゃあるまいし、咲きっぱなしだなんてな、どうにも艶消しでいけないよ」
「まあ、解らんでもないが。しかしなあ、もうアレは細胞レベルはおろか、分子レベルで変質しておるからのぅ」

 事は、一月ほど前までさかのぼる。当時、自身に施した不死化処理技術の再構築に挑んでいたカオスは、薬物投与による生物実験の段階にまで、どうにかこぎつけていた。
 しかし、いきなり「不死身のスーパーマウス」など作ってしまっては後が面倒であろうと、まずは植物による実験を試みたのである。そのターゲットとなったのが、大家の家の庭に植えられた、枝垂桜だったのだ。

「植物と言うのは環境に対してはなはだ受動的な生物で、環境変化によってたやすく死滅するものではある。が、逆に言うならば、環境が適正でさえあり続けるならば、それこそ数百年単位のスパンで生き続ける事すら可能なのだ。つまり、不死化処理の実験対象としてはうってつけなんじゃ」
「んな事ぁ聞いちゃいないよ。小難しい理屈なんざあたしに解るわきゃないだろ」

 そうじゃあなくてさと、呆れたように小さなため息を漏らす姿に、カオスは、視線を老嬢から庭へと戻した。

「やったのはアンタだろ? どうして戻せないのさ」
「なら聞くがな、婆さん。アンタ、コップから地べたにこぼした水を元に戻せるか?」
「覆水何とやらだってかい。全く、『れんきんじゅつ』だか何だか知らないけど、大して役に立たないねえ」

 そのまま、しばし二人は、黙したまま庭を眺め続けた。昼下がりの、初夏の日差しの中で咲く桜の姿は、確かに、場違いに見えた。老婆の嘆く、その通りに。



「婆さんよ」ぽつりと、カオスが口を開いた。「やはり、気は変わらんのかね」
「当たり前だろう」老嬢もまた、小さく応えた。「アタシぁ、あの可哀相な桜にゃなれないよ」

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「ねえ、カオっさんや。アタシにゃあね、あの桜がどうにも可哀相に見えて仕方ないんだよ」
「可哀相、かね」
「ああ。可哀相だよ。ご覧な、もうじき夏がこようってのにさ、いつまでも一人だけ花咲かせて。とんだ間抜けっぷりだよ。それに――何だか、寂しそうじゃあないか」

 それは、言わばカオス自身を揶揄するかの如き言葉ではあった。しかし、それに対してカオスは微塵も表情を動かす事はなかった。

「アタシぁね、やっぱり、花は咲いたら散らなきゃいけないと思うんだ。アンタの申し出は、そりゃあ嬉しいよ。けれどね、やっぱりアタシぁ」
「――そうか」

 珍しく、何処か硬質な響きを持ったカオスの声に、老嬢は、カオスを見やった。しかし、そこには普段と変わらぬ顔だけがあった。

「花は咲いたら散らなきゃいけない。アンタやマリアちゃんと一緒に――そりゃあ、確かにひかれる話だけどねえ。でもきっと、アタシにゃ耐えられないと思う」
「…………ワシや、マリアが一緒でもかね」

 普段のカオスには有り得ぬ程の間の後に出てきた言葉に、老嬢は小さく目を瞠った。しかし、やはりカオスの顔は、普段と変わらぬ――否、普段以上に、表情と言うものをそぎ落としていた。まるで、そこに何かが浮かぶのを必死に抑え込もうとしているかのように。
 そんなカオスに対して、老嬢が出来たのは、こうべを垂れて、謝る事だけだった。

「ご免なさいね」
「いや――無理を言ったのは、こちらじゃからな」

 話は済んだとばかりに、カオスは立ち上がって庭に下りた。

「マリアよ、ワシは戻って夜まで休む。また今日も夜勤じゃでな。後は頼む」
「イエス・ドクター・カオス」
「いい加減夜勤も断りゃ良いだろうに。年寄りにゃきつかろうよ」
「おいおい、家賃を払う為だぞ。仕方なかろうよ」

 あんたにそんな事を言われたら、枯れぬ桜も枯れてしまうと、カオスは破顔した。つられた老嬢も、久しぶりの笑顔を見せた。



 その数ヵ月後――幸福荘大家の葬儀に出席した町内の者達は、彼女の最後の店子がその場にいない事について、あれ程仲が良さそうだったのに薄情なものだと思う者達と、彼等は彼等なりに、既に別れを済ませているのだろうと思う者達の、二通りに分かれて、噂をしあった。
 だが、老嬢が僅かな骨片に姿を変えて帰宅したその晩――彼等は、自分達が誤っていた事を悟った。

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 かつてそこには、古ぼけた安アパートと、その大家が住む一軒家があった。しかし。今そこには、一本の、枝垂桜が、あるのみとなっている。散る事なく、枯れる事なく、永遠に咲き続ける、枝垂桜が。

 散らず枯れずと言う他には、怪異らしいものを見せる事のないその桜ではあったが、かつてそこに住んでいたある老嬢の命日が近づくと、近隣の者達は、その桜に近づこうとはしなかった。他所から見物に来た者達が桜に近づくのをさえ、押しとどめた。今は、だめだと。今だけは、近づいてはならないと。

 彼等は、忘れていなかったのだ。老嬢の棺が運び出されていった日の夜、その庭に佇み、桜に語りかける老人の姿のあった事を。通夜にも葬儀にも顔を出さなかった彼が、その夜漏らした言葉の数々を。


 桜よ。桜よ。散るを忘れ、枯れるを忘れ、とこしえに咲き続けるお前。お前をそうしてしまったのは、この私だ。しかし、それでも尚、私はお前に言いたくて仕方がない。私は、お前が大嫌いだと。
 彼女と違い、そうやって不死を唯々諾々と受け入れるお前が、私は憎くてたまらない。
 ああ、これは理不尽な、とても理不尽な物言いだ。解っている。しかし、それでも尚、私は言おう。お前が憎いと。お前が嫌いだと。桜よ。桜よ。我が分身よ。
 だから、お前には役目を託そう。罰を課そう。愚かな桜よ。愚かな老木よ。愚かな。愚かな。愚かな――
 お前はこの地を守り続けるが良い。散るを忘れ、枯れるを忘れ、とこしえに咲き続け、この地を――あの憎たらしくも強かった彼女の、よすがを守り続けておくれ。この地を去る、私の代わりに。


 突如人々の前に姿を現した店子は、大家であった人の遺骨を骨壷から一つ取り出し、何も知らぬかの如く咲き続ける桜の根元へとうずめると、桜に向かって、そう言った後、無表情な少女と共に、その場にいた町内の者達に対して一礼すると、いずこへともなく去っていったのだ。
 以後、彼等の姿が、町内の人々の前に現れた事は、一度としてない。だが。

 それでも、彼等は信じて疑わない。あの老嬢が、眠るように今生に別れを告げたとの同じ日付の日には、きっと、彼等はあの桜の許を訪れているに、違いないのだと。

――了――

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